周縁から希望をつくる — 藤倉麻子インタビュー(インタビュアー:大村高広)

073│2024.05–07│特集:建築のイメージ/言葉

Taichi Sunayama
建築討論
May 30, 2024

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特集:建築のイメージ/言葉

対談企画の意図

特集「建築のイメージ/言葉」の最初のインタビューは、3DCGを用いた映像作品とその映像に関連する物理的なインスタレーションを制作するアーティスト、藤倉麻子さんに焦点を当てる。彼女の作品は、都市のインフラストラクチャーと有機的な自然環境が融合した極彩色の風景を特徴としている。映像を介して都市や構造物のイメージにアプローチする藤倉さんに、批評・研究的な視座で建築設計に取り組む大村高広さんがインタビューを行う。藤倉さんと大村さんは制作のパートナーであり、都市や郊外、後背地における建築の今日的な必然性を共に探求している。また、彼らは子育て中の家族でもあり、妊娠・出産・育児の過程で制作活動が変容する中で、新たな表現の模索を続けている。イメージや言葉といった概念的な事物を、現代的な視点から語り合う術を二人の親密なやり取りの中に求めたいと考えた(砂山)

周縁から希望をつくる

藤倉麻子インタビュー
──インタビュアー:大村高広
(文:
藤倉麻子、大村高広)

あの山の裏

──大村:あなたの作品にはしばしば想像上の建築や都市が出てきますね。なぜこうした作品を制作するに至ったのか、発想の源がどこにあるのか、といったあたりからまずは教えてください。

藤倉:自分が今まで見てきた風景から、ですね。私の出身地である埼玉をはじめとした東京近郊の郊外の住宅地や、その周辺の関東平野の田園や工業団地では、既成の規格が終わりのない均質な風景をつくっています。同時に、そのなかを高架をはじめとした巨大な構造体、インフラストラクチャーが突き抜けてもいる。そうした自らの生活の環境を取り巻く様々なオブジェクトの表面を、まずよく見るということを通して、制作をはじめています。

《ずば抜けた看板の光》(2022年)より抜粋

──大村:以前、郊外の風景が砂漠に似ているとおっしゃっていました。

藤倉:関東の、とりわけ北関東のどこまでも続いていくような国道沿いの風景は、なにかの規格にのっとっていて統一感があるのだけど、同時に雑然ともしている。その茫漠とした感じが、自分にとってはとても不毛に見えることがあって、それが乾燥地帯の風景とどこか重なって見えていたのかもしれません。乾燥地帯の建築や文化には、とても厳しい自然環境のなかで水や植物を切望するような、人々の切実な気持ちが反映されていると思います。そこで人々が思い描いているのは、永遠の命を手に入れたいという欲求から想像されるたぐいの死後の世界ではなく、現世と地続きにない楽園といいますか、今ここから抜け出した別の性質をもった世界、といったものだと思うんですね。

──大村:砂漠の過酷な環境に住む人々が、その環境の過酷さゆえに、ここではない楽園のような世界を想像すること(それを生活の救いにすること)。それと、茫漠とした街並みがどこまでも広がる凡庸な北関東の郊外の住宅地のただなかで、なんでもない住宅の表面や地面のアスファルト、高速道路の防音壁といったものを凝視しつつ、その一点から楽園的な救いを創造していくような自らの作業が、どこかつながっているように感じられるということですね。

藤倉:郊外の凡庸な風景には不毛さを感じていると同時に、コンクリートの橋脚とか、街灯のデザインとか、街灯の足元に落ちている光とか、防音壁のテクスチュアなんかには、物理的に説明できるもの以上の奥行きを感じている面もあるんです。

──大村:幼少期からそういうことを考えてた、と。

藤倉:そうですね。考えてました。元々、ボーッとしているように見られるタイプの子どもで、頭の中では色々想像を巡らしているんですけれど、例えばただ窓辺に座って、葉っぱが風に揺れているときのゆらめきとか、お風呂場の水がタイルに反射してる様子とか、何も考えずにそれを見るとか、感じるとか、そういうことが一番充実していたんですね。そこに充足(fulfillment)に近いものを感じていた。でも年齢を重ねていくと、充足を見出せていたはずの目の前の風景の先に社会や都市といったものがあると、だんだんわかってくる。地図が頭のなかに入り、橋脚や防音壁がもっている機能を理解するほどに、郊外の均質さに対する不毛な気持ちが芽生えてきました。もしテクスチュアをただ凝視するということが許されていたら、そういう仕方で日常を、世界を認識することでよかったならば、あのときの充足感は失われていなかったかもしれない、と思ったんですね。楽園につながるために、むしろ手前側に立つこと。そういうことが制作のヒントになりました。

──大村:近作の《あの山の裏》(2023年)は、そうした「別の世界の手前や表面の凝視にとどまり続ける」といった世界への態度が全面化しているように思います。個人的に印象深かったのは展示の建て込みで、巨大なスクリーンに3DCGの映像が投影されているんだけれど、中心にスリット状の穴が空いていて、くぐり抜けることができる。投影されている映像=虚構の空間の奥に実空間があって、その両方が同時に見えている。身体を横に向けて通り抜けると、リアルな身体感覚が強く喚起されつつも、頭のなかではついさっきまで見ていたフィクショナルな映像経験が再生される、という二重性が生じる。穴の向こう側にあるのはあっけない部屋で、そこには遺跡のような立体模型が展示されていて、観客は映像の没入感を引きずりつつ、小さな模型を覗き込むことになる。

《あの山の裏》(2023年)
展示風景
《あの山の裏》(2023年)
映像から一部シーンを抜粋

藤倉:「山」というのが自分にとっては典型的な、こちらとあちらの境界なんですね。幼少期から長野県によく行ってたんですが、山に光が当たっているときに、その裏をより強く意識するという感覚があって。光が当たった山が神々しくて、その山の向こうはもはや人間の世界ではなくて、楽園とも、あの世とも近いような世界に感じられる。超越的な、時間から解放されているような世界が本当にある気がしていました。こうした感覚──山はあの世とこの世の境界である──は日本人が古くからもっていたと、民俗学の分野では論じられていることだと思います。

──大村:それでいうと僕は富山県出身なので、冥府からの使者みたいなものですね。

藤倉:そうですね(笑)。でも、当時は長野の裏に富山があるとは考えていなかったわけです。もちろん、富山があることは地理的には理解しているのですが(裏日本という呼称があることまでは知らなかったけれど……)。

──大村:長野から想像したときの「山の裏」というのは、富山とは別の場所なわけですね。むしろ富山にいってしまうと、「山の裏」は想像し難くなってしまう。これは先ほどの、橋脚や防音壁の機能を知ったり、地図を理解したりすると、郊外の風景の表面から楽園を想像することが困難になってしまった、というお話と通じていると思います

藤倉:あの山の裏に行っちゃうと、違うんですよ。行こうとすると、あの山の裏がもつ超越的なイメージからは遠ざかってしまう。だから山のこちら側にとどまっているしかない。加えて、修行とかして実際に超越的な世界に行きたいかっていうと、そういうことで何か解決するとは思ってなくて、あくまで山のこちら側にとどまって、山を目印に留めて考えていきたい、といった気持ちがあります(とはいえ、大学でペルシャ語を専攻していたこともあり、井筒俊彦や彼のスーフィズム研究には以前から関心がありますが)。この作品では、あの山の裏を、単純な壁の集合である建物のようなものに当たる日の光の中に見出したりもします。

都市の周縁で生きること:郊外と後背地

──大村:現在私たちは、私が茨城大学工学部に勤めている都合で、茨城県日立市に住んでいます。私は富山県の端で生まれ育ち、上京後は千葉県の野田市や柏市、神奈川県の海老名市といった郊外を転々としてきましたが、日立市は私が住んできた場所のなかでも近代都市郊外の特性が顕著に現れている土地だと思っています。港湾部には物流やエネルギー生産のための様々な用地が設けられ、相対する山側には住宅団地が切り開かれ、そのあいだに国道が走っている。国道沿いのロードサイドビジネスは人々の主要な消費の場で、急速な高齢化が進むベッドタウンでの生活を支え、同時に拘束してもいる。

藤倉:私は高校生くらいまで埼玉の地元で育ち、その後は都内を中心に都市生活を送っていました。今は再び郊外にどっぷりと浸かり、幼少期と同じように郊外の風景に向き合う時間が増えました。都心からの距離という点では、更に濃度の高い郊外にいます。子どもがまだ幼く、新生児からようやく乳幼児になったくらいなので、親である自分たちも家や地域に縛られざるをえない。知り合いも友人もおらず、親も近くにおらず、子どもが他人に預けられるのを嫌がるため、保育所に入ってもいない状況で、制作を続けるのはかなり過酷ですが、なんとかやっている感じです。実質作業できる時間は子どもが寝た後の深夜帯に限られますが、相当気持ちを奮い立たせないとパソコンの前に座るのも難しい。がんばって作業を始めても、子どもがいつ泣いて起きるかわからないという緊張感がつきまといます。昼間は考えたり、メモを少しでもとることができればよい。
住んでいるところは高齢化が進んでいて、あんまり若い人も子ども連れもいない。小学生の子どもはポツポツいるけれど、赤ちゃんとなるとほんとに稀で、近所を歩いていてもすれ違うのは高齢者ばかり。私は車も運転できないけど、1日に最低1、2時間くらいは散歩しなきゃいけないので近所を歩くわけですが、悪目立ちしてしまうんですね(世間が長期休暇に入ると、帰省中の、地域住民の子どもや孫世代だと思うのですが、子連れ家族が公園に突然現れます。地域の生き生きとしていたかつての姿を想像します)。数回、高齢の男性にしつこく絡まれたことがありました。それ以来、髪を染め、真っ黒なグラサンをつけ、フェイクのピアスを耳や鼻につけて散歩するようになったのですが、幸いつきまとわれる回数は減り、子どもの散歩は多少快適になりました。散歩といえば、もともと歩くのが好きなので、砂漠のような見知らぬ郊外での生活に楽しみをみつけようと、ある日、徒歩1時間くらいのところにある公園を目指して歩いてみたんですね。最初のうちは道端の草花をみたり、田んぼとか畑を通り過ぎて良い気持ちになるんだけど、徐々になじみのない住宅地に囲まれ、国道が近づくにつれてチェーン店しか目に入らなくなってきて、気分が落ち込んでくる。そもそも子どもを背負っているから、目的地に着く時間も倍近くかかってしまい、途中で諦めてホームセンターに寄ることにしました。植物コーナーで植物を買ってベンチに座っていたら、となりが宝くじ売り場で、宝くじを買いにくる人をひたすらみていた。そんなことがありましたね。

──大村:日立市の山側の住宅団地に代表されるような郊外の住宅地は、大袈裟にいえば、エネルギー・食料生産の自給力と、人々の共同・対話の場の双方が解体させられるような、非政治的な生のあり方を強いる構造をもった住環境だと感じます。近代都市がその周囲にもたらす閉塞感、疎外感のようなものは、実際に住んでみないとまったくわからない。たとえば日立の住宅団地に住んでいる方の多くが、なぜ積極的に庭の手入れをしていたり、犬を複数人で一緒に散歩させたりしているのか、といったことは(こうした生活様式の切実さは)、東京で生活している限り想像できないことだと思います。矛盾するようですが、近代都市の危機は都市の外側からでないと観測できない。私たちのこうした問題意識と関連して、あなたは2023年8月〜10月に国際芸術センター青森(ACAC)で開催されたグループ展「エナジー・イン・ルーラル」に参加されましたね。

藤倉:エナジー・イン・ルーラル展は、大雑把にいえば、都市(=経済・文化・政治の中心)と田舎(=周縁的な場所)という二項対立を解体し、周縁的とされる田舎の未来こそを想像することで、翻って都市化を批判的に検討しようといった枠組みの展示でした。アーティスト・イン・レジデンスでは、青森県の下北半島で過去何度も立ち上がり、その度に頓挫している大地の開削プロジェクトを対象に、削り取られたかもしれない計画地の現在の風景やエネルギー関連施設等をリサーチしました。二〇世紀初頭に、ジャーナリストの成田鉄四郎という人が、鷹架沼の開削計画をしきりに提唱しています。これは、大地を東西にスパッと切り、太平洋と陸奥湾を直接接続する航行ルートを造成するというとんでもない構想でした。たしかに地図をみると、鷹架沼を西に開削すると下北半島が本島から切り離されることがわかるんですね。同じような構想は成田以前・以後にことあるごとに持ち上げられ、そのたびごとに頓挫してきました。結局、現在の下北半島の風景を形成したのは、1960年代から現在まで続くエネルギー関連用地の開発、いわゆる「むつ小川原開発計画」でした。

下北半島を調査中の藤倉氏

──大村:より正確に言えば、当計画の「失敗」によって、ですね。1969年に下北半島の工業地帯開発が盛り込まれた新全国総合開発計画(新全総)が閣議決定され、71年にむつ小川原開発計画の第一次案が発表、72年には第一次基本計画が策定されています。きわめて迅速です。新全総は、主として大都市が抱える深刻な公害問題に対処することを目的として、抜本的な高速交通網(新幹線と高速道路)の整備とともに、臨海型の大規模工業基地を各地の辺境の地に建設しようという構想でした(下北半島の開発は、近代都市の維持・拡張を目的として企図されたわけです)。

藤倉:六ヶ所村では土地買収・造成工事がかなり強引に、暴力的に進められました。しかし、70年代のオイルショックによって当初予定していた石油化学コンビナートの誘致が頓挫する。結果として、5千ヘクタール強の土地の大部分が空き地のまま放置されるという前代未聞の状況が発生しました。現在でもその多くが取り残されているこの空き地の存在が、原子力誘致の主要動機となり、ウラン濃縮工場・低レベル放射性廃棄物埋設施設・再処理工場などから構成される核燃料サイクル施設の建設計画が具体化し、日本中の原子力発電所から排出される低レベル放射性廃棄物が、92年以降六ヶ所村に集中的に埋設されることになりました。日本全体のエネルギー生産がもたらす環境負荷が、偶発的にできてしまった広大な空き地に一極集中的に埋設されるという、きわめて特殊な状況が成立することになった。
現在は、この造成地へのクリーンエネルギーの導入が進んでいて、大量の大規模風力発電施設が林立し、2013年からは大規模太陽光発電施設(メガソーラー)も運転を開始しています。私たちは六ヶ所村で、郊外や後背地が都市のエネルギーの畑になっている風景を目の当たりにしました。原野に突き刺さる巨大な風力発電の群れはあまりに無粋で、山や海岸線のスケール感を無化します。もし遠い時間を生きる人がこの光景を目にしたら、土着の信仰と結びつけて解釈するのかな、と想像してしまうような風景です。無機質に空を切り、こわい音を出し、未来永劫そこにあるかのような佇まいで、廃棄されるなんて想像もしていなさそうです。こうした問題意識から、《インパクト・トラッカー》という作品を制作しました。

《Impact Tracker》(2023年)
映像から一部シーンを抜粋

藤倉:インパクト・トラッカーは、地表面に発生するなんらかの改変・衝撃(impact)を追跡(tracking)する存在として想像される主体性(subjectivity)のことです。そういう存在を仮定しました。そしてその監視者、記録者のような存在の気配や目線を感じ取り、具体的な姿形(妖怪に近い?)を思い描く人間もいたかもしれないとも思いました。ですがそういったものは、「偽インパクト・トラッカー」なのです。映像には偽インパクト・トラッカーは登場するのですが、インパクト・トラッカーは登場しません。インパクト・トラッカーはカメラなんですね(非人間的な主体性を映像のカメラに仮定している)。はるか未来、もしくは過去、もしくは別のレイヤーからの、異なる速度を身に纏った使者のようなものが、カメラとして現れる。太古の海、未来の海を、同じ燃料棒が泳ぐなか、「ここ」の速度で生きる人間は間違った想像をあてはめたりもするが、両者が実際に交差することはない。ただあるきっかけで、一瞬でも会話可能な状態になることがあるかもしれない。その可能性についても、少し考えたりしました。
ちなみにリサーチ中は故人である祖父のカメラを使って写真を撮っていましたが、一度神社の賽銭箱の隣に置き忘れてしまいました。戻って回収したとき、カメラが新たな時間を獲得したかのように見えました。

《Impact Tracker》 (2023年)
ACACでの展示風景 ©︎Takahiro Ohmura
《Impact Tracker》 (2023年)
ACACでの展示風景 ©︎Takahiro Ohmura

カメラの「力」

──大村:3DCGを用いたあなたの制作環境の特異な点は、オブジェクトの作成とレイアウト、およびシーンの生成(カメラの設置・運動の指示)という制作の時間軸が、モデリングデータを最終的に静止画として書き出す「レンダリング」(render-ing 翻訳-上演)の局面において一度解体されることで、制作プロセスの時間の混濁のような作用が働くことだと思います。以前のあなたのインタビューから、このあたりについて答えている部分を抜粋してみます。

「……3DCG上にオブジェクトを置き、カメラを配置し、シーン①、シーン②、シーン③……とカットを連続させていくのですが、時間的な逆行が発生することがあります。例えば、終盤のシーン⑨をよりよくするために、新しく岩を配置したり、3DCGモデルを改変したりすることがよくあります。そうしたとき、シーン全体で同じ3DCGモデルを共有しているので、シーン⑨で作った新しい岩が、シーン①に入ってしまうこともあるわけです。また、最終的にデータをイメージとして書き出す『レンダリング』の作業でも、こうした制作過程の時間の混濁のような作用が働きます。」(ARTnews JAPAN、https://artnewsjapan.com/article/1579

《インパクト・トラッカー》は、3DCGという制作環境がもつこうした形式性と、古代と現在を、そして現在と未来を否応なく交通させるエネルギー生産の現実が結びつくことで生み出されています。制作手法と内容の連関という意味において、青森での滞在制作は重要な意味をもっていたように感じます。
そもそも、なぜ制作手法として3DCGを使い始めたんでしょう。

藤倉:作品制作を始める以前、そもそも東京外国語大学に進学してペルシア語を専攻したのは、乾燥地帯の風景、さらにその乾いた土地に建っている一見平滑で単純な建物や文化に興味があったからでした。こうした興味に対して徐々に、手を動かしながらアプローチしたいと考えたんですね。よりアクロバティックな方法でこうした興味について思考するために、3DCGを用いて風景そのものを生成するに至りました。

──大村:これは私の所管ですが、3DCGを用いるアーティストはゲームエンジンを使っている場合が多いように感じます(イアン・チェンなど)。しかしあなたは一貫してCinema 4D(以下、C4D)を用いていますね。この違いはけっこう大きいのでは、と思ったりします。端的に、レンダリングの違いですね。おそろしく単純化すると、ゲームエンジンはリアルタイムレンダリングが可能で、作業画面そのものが最終的なアウトプットとなりうる。しかしC4Dでアニメーションを作成する場合は、最終的なステップとして、1秒間につき30枚の静止画として3次元を2次元に書き出す必要がある。データが重いと1枚レンダリングするのに5分以上かかったりするので、単純計算すると1秒の映像をつくるのにレンダリングが2–3時間かかるわけですよね。ゲームエンジンに比べて非常に手間がかかる。もちろん映像のクオリティの問題等はあると思いますが、なぜC4Dを使用しているのでしょうか。

藤倉:初期衝動として、街や都市を作りたかった、ということがあるのだと思います。まずは何かを、あれこれ考えながら置いてみる。そのなかでレンダリングするということが、「画」化するプロセスとして重要なのです。ゲームエンジンを用いた制作の場合、もうちょっとオープンワールド的な想像力があると思います。どこまでも広がりがあって、生成できて、自然環境や人の動きもあるような。インタラクティブに、世界を旅して回りたいというような感覚ですね。私はもう少し限定的に、シミュレーションのような気持ちである場を作ってみたかった。そのためには詳細なモデリングやテクスチュアの生成、カメラの作り込みが可能なC4Dの方が都合がよかった。

《A Pole at the bright parking lot》(2023年)

──大村:オープンワールドが無限の生成やプロセスの永続性を掛け金にしているのと対照的に、あなたの制作にとって重要なことはプロセスの一時停止・中断・切断にある。上述したような時間の混濁のような作用はこの中断によってもたらされるもので、この点は重要だと思います。

藤倉:そうですね。

──大村:あなたの作業画面を見ていてまず思うのは、CG空間に配置される無数のカメラの面白さですね。カメラの視野=四角錐がせめぎ合っている。

C4DによるCG制作画面のスクリーンショット
無数のカメラの視野が錯綜している

あなたの作業を、私なりに説明してみます。オブジェクトが立体的に布置しているなかに、仮想的なカメラを設置する。そうすると、カメラが捉えるシーンの絵としての強度を高めるために、オブジェクトを動かす必要が出てくるわけです。たとえばAというオブジェクトが、カメラ1、2、3にともに映っていたとする。カメラ1の都合でAが奥に動かされ、カメラ2の都合でAはちょっと下がり、カメラ3の都合でAは少し大きくなる。またカメラ1に戻って調整……みたいなことを繰り返していくと、オブジェクトの位置や物性が徐々に定着していく。なので、たとえばAが客観的な説明ができないような不自然な位置にあったとしても、その不自然さは複数のカメラの要請に対して折り合いをつけた結果として許容される。こうした作業に対してあなたがしばしば口にしているのは、「シーンの自律性を高める」という表現ですね。建築や都市というものは、普通はあらかじめ物質としてあって、カメラは事後的にそれを捉えるわけです。シークエンスから設計するということもありますが、重力加速度を変更することは決してありません。あなたが置いているのは、物理現象をねじ曲げ、オブジェクトのテクスチュアを作り変え、動きを新たに作り直す「力」をもったカメラです。これは先ほどの、切断=レンダリングによってもたらされる制作過程の時間の混濁のような作用と、直接的に連続する話です。去年の《インパクト・トラッカー》くらいから、こうしたCG内で配置される仮想的なカメラに潜性している「力」を、主体性(subjectivity)と呼んでいるわけですよね。

藤倉:やっぱり「見る」ということが制作の一番の動機なんですね。CGを制作すること自体はけっこう苦しくて、そもそもパソコンが苦手だし、悩みながら手を動かしています。できれば他の誰かにやってもらいたいとすら思っています。でも、シーンの作成とカメラを覗くという作業があまりにも往還的すぎて、どのタイミングで他者に入ってもらえるのかがまったく不明です。プロセス全域を通して、慎重さと、瞬発力が大事で、切り離し方がよくわかっていません。なぜ苦手なことをやり続けるのかというと、現実に存在しない、描出されるのを待っている景色を、私自身が見るために、やるしかないからです。だから、カメラを置く瞬間はとても楽しみなんです。ある程度できたかな、と思ったらカメラを覗いてみる。すると、カメラを通して本当に必要な色とか、かたちとか、隣に必要なオブジェクトなどがわかってくるんです。

──大村:そうした態度に近いのは実は庭園なんじゃないか、というのが、あなたのここ最近でのおおきな発見だったんじゃないかと思います。特に日本庭園(回遊式庭園)やイギリスの風景式庭園(ピクチャレスク)ですね。

風景画から山水へ

──大村:庭の原初的な形態のとして、何かが栽培されている囲われた場所があり、灌水システムの発展・形式化によってスペイン式庭園やイタリア式庭園、フランス式庭園(幾何学式庭園)といった庭園の諸様式が出現する、というのが私たちの基本的な理解だと思います。が、イギリス式庭園は灌漑という技術的なレベルでの発展はおそらくなくって、むしろ「カメラ」の問題なのだ、ということを以前雑談的に話していました。

藤倉:そもそもフランス式庭園(幾何学式庭園)は、絶対王政という政治体制を背景に、「単一の視点の位置」が庭園全体を統御するという特徴をもっていました。対してイギリス式庭園(風景式庭園)は、風景画的な印象をもたらす複数の視点場が敷地内に点在するというものですね。その代表的な造園家であるウィリアム・ケントらが活躍した18世紀のイギリスにおいて主題となりつつあったのは、従来の関心(幾何学や対称性、比例など)とはまったくかけ離れた観点を前提とする、ピクチャレスクという美学理論でした。この議論の重要な方向づけをおこなったのは詩人アレキサンダー・ポープで、「あらゆる造園はすなわち風景画である」という信念のもと彼自身が自邸の造園に取り組み、ケントは友人としてそれに協力したそうです。

──大村:ピクチャレスクという造形手法を支えた要因として指摘されるのが、いわゆるグランド・ツアーですね。グランド・ツアーを通じてイギリスにもたらされたのはなんだったのかというと、プッサンやクロード・ロランといった17 世紀イタリア・フランスの風景画だった。イギリス式庭園はこの風景画を模倣したわけです。で、たとえばプッサンが描いていた風景は何なのかというと、ギリシャの中で楽園といわれていたアルカディアの光景だった。現実の風景ではなく、きわめてフィクショナルな楽園の風景だったというのが重要です。しかも、彼はギリシャ神話を題材としつつ、なぜかパラーディオの『建築四書』(1570年)の挿絵で登場する橋や建物をこのアルカディアの光景に挿入してもいる。ローマを創造的に復元したパラーディオの建造物が、ギリシャ的な楽園のなかにコラージュ的に取り込まれる。単線的な時間軸が解体され、歴史の断片=廃墟の共時的な併存可能性が拓かれる。イギリスの風景式庭園は、17 世紀イタリア・フランスの風景画にみられる、過去の諸歴史がアナクロな仕方で折り込まれていくことで成立したイマジナリーな風景の生成こそを模倣したのではないか、とも思う。

Nicolas Poussin, Landscape with Saint John on Patmos, painted 1640.
The Art Institute of Chicago / CREATIVE COMMONS ZERO

藤倉:先ほど指摘してくれたように、私の制作環境にも時間の混濁のような特徴があって、イギリスの風景式庭園にもそうした作用がみられるということですよね。カメラに力があるという指摘も、風景画を標榜する風景式庭園と通じている。日本庭園に関しても、例えば桂離宮を見学したときに、きわめてCG的な空間だと親近感を感じました。池泉回遊式庭園全般に指摘できるのかはわからないけれど。

──大村:現代フランスの哲学者、エリー・デューリングの桂離宮に関する記述は、私たちの印象を的確に捉えていると思います。少し引用してみます。

桂離宮とその周辺の庭園での体験は、建築の構成の可能性について非常に貴重な例を示す。書院と庭園をつなぐ小径を散策すると、それぞれ切り離された風景を周遊する視点が、自身の動作によって再構成するという、特有の動的性質を体験できる。植物や建築の要素は表面上切り取られ、透明な平面に貼り付けられ、お互いに覆い被さりながら、まるでアニメーション動画のために描かれたようにみえる。変動する光と影の移ろいが混じり合った混合体を引き立てるために通常の遠近の配置をぼやかすことで、庭園は即時に広々として平面的、かつコンパクトで不思議なほど無形的になり、見る者が中心性の感覚を取り戻したり、調整しようとするにつれて、視差移動の絶え間ない相互作用が行われる。人工的にアニメーション化された、自然の変化する風景によって伝達される全体的な印象、または矛盾する視覚的、動的な合図の満ち引きにより引き起こされる視点の一定の置換は、体外離脱体験による無重力状態、または無重力状態での飛行の感覚に類似している。それはまさしく自身が遠くから没入している、いわば即時的に接続し切断するような超現実的な質の立体映像に非常に近い。/エリー・デューリング「脳に反して思考する アルゴリズム空間のパフォーマンス」『柄沢祐輔 アルゴリズムによるネットワーク型の建築をめざして』(LIXIL出版、2021年)、6頁。

デューリングはここでまさに「アニメーション」と言っていますが、桂離宮の順路の強制性は映像経験にすこぶる近いんですよね。複数の異なる様式がごちゃまぜになりつつ、明確に視点場を定めることでそれらを同時共存させている。まさに経験としては、印象のまったく異なるシーンが断片的に連続していく感じなんですが、随所に「かつて私がいた場所」を遠くから見返すような局面が設定されている。例えば松琴亭の青色の市松模様の襖は遠距離からの視認性がきわめて高い意匠で、想起の鍵になっていますね。

藤倉:(物理的には遠く離れた箇所からの)複数の質の異なる眺めがネットワーク化し、必ずしも順路通りではない仕方で想起される。非連続的=断片的なパースペクティブが連続していく模様は、私のつくる映像に通じるところもあると思います。3DCGを用いた映像制作と作庭の双方に共通する論理構造(限定された空間のなかに無限定の時間や空間をつくり出すこと)がある、ということでしょうか。でも、散歩の自由がない庭は現代的ではないように感じるし、なにより様式に拘束されるのは不自由に感じる。もっと自由に、気楽に、映像制作と同じように実際の庭や建築をつくっていけないか、と試みているのが、《Fixing Garden》(2022年-)というプロジェクトです。

《Fixing Garden》(藤倉麻子+大村高広、2022年-)

藤倉:このプロジェクトは、庭の制作を通して、フィクショナルな風景の創造と実空間の回復を同時に試みているものです。私は以前から庭に強い関心があったのですが、3DCGでの架空の空間生成と実空間の庭づくりをどうやったら接続できるか、といったことをあなたとふたりで考えていたことがこのプロジェクトの発端ですね。まだまだ制作中です。先ほど述べたように、庭を作る際に様式的なものには拘束されたくなかったので、まずは「庭でない場所」から、「庭のような状況」を収集するリサーチをはじめました(日本の火山島特有の風景や南方の島々の植生、都市郊外の施設や路上のような人工的な環境を対象にしました)。そしてリサーチ結果である写真・テクスト・オブジェクトを、座標系をともなった情報として3DCG空間の架空の土地にどんどんレイアウトしました。このフィクショナルな大地を、私たちはプロトガーデン(Proto-Garden)と呼んでいます。
このプロジェクトは、過疎化が進む日本の富山県下新川郡朝日町に立地する元農家の空き家を介入対象としているのですが、プロトガーデンはこの現実の土地と準同型の関係にあって、レイアウトされる「庭のような状況」が空き家の架構・廃棄物・周辺環境といった既存環境と相互反応を引き起こす実験場となっている。このプロトガーデンが、現実の空き家改修および庭の設計の指示書となる。

──大村:繰り返し述べますが、あなたの制作物の根本には、カメラ(シーンの座)が発現するある種の力があります(カメラを覗く人間の強い欲求がある、ということでもあります)。この力を用いて現実そのものを改変してしまおうと試みているのが、《Fixing Garden》と言えるでしょうね。実際このプロジェクトでは、プロトガーデンに配置される無数のカメラによって庭と建築の境界のあり方を、すなわち現実の窓のディテールを生成しようと試みている。

藤倉:私が参加しているコレクティブ「山水東京」を主宰する美術批評家・キュレーターの近藤亮介さんは、東アジア特有の思想である「山水」における主客未分の重要性についてたびたび語っています。西洋近代的な風景の見方は、「見る側」(人間)と「見られる側」(自然)の境界をあらかじめ措定するわけですね。他方で東洋の山水の世界観では、人間と自然は相互に入り組んでいて分離不可能であると捉えられる。3DCGによる映像制作が明確な視点場をもつ風景(画)やピクチャレスクと響きあう部分があるのは確かですが、ともすれば、旅行者が安全圏から自然(見知らぬ土地)を美的に消費するという、近代的な風景画の問題へと退行しかねない。

──大村:だからこそ、「カメラの力」が重要。

そうですね。私たちが試みているのは、「見ること」によって主体そのものが変容してしまうこと、あるいはカメラを世界に置くことで世界そのものを書き換えることの可能性です。もしかしたらこれは、近代の風景画的なものからスタートしつつ、主客未分の山水の世界へと近づこうとしている、ということなのかもしれませんね。そもそも3DCGの技術的前提としてルネサンス期の遠近法の確立があり、遠近法から発展した17世紀の射影幾何学があり、18世紀の画法幾何学の波及があるわけですから、もとより近代的な視覚システムからは逃れられないわけです。しかし、「見ること」の徹底は、近代性を内側から撹乱するはずです。3DCGであれば人間がカメラを構える必要はないので、たとえばタイヤや岩、観葉植物といった非人間の目を想定したカメラもありえるはずですから。

藤倉麻子《The Great Nine と第三物置【検証】》(2023年)山水東京による展覧会「アーバン山水」にて発表した作品映像から一部シーンを抜粋

人間と非人間の対話

──大村:私たちが共同したものとしては、《FIxing Garden》のほか、《Trans-prompt》(2023年)という作品があります。こちらもやはり、人間と非人間(AI)が相互に交流しつつ、制作を通して双方が変容していくということをひとつのテーマとしていました。

藤倉:《Trans-prompt》はAIをテーマにした展覧会に出展したもので、3DCGソフトウェアのRhinocerosにAIビジュアライゼーションを導入するアドインを用いてイメージを生成した後に、映像化しています。まず作成したのは、距離や角度によって様々な解釈(建物・家電・造成地・有機体……)が可能な、あいまいな形態をもった3Dモデルでした。AIはこのモデルを対象に、プロンプト(指示文)からレンダリング(モデリングデータの静止画への書き出し)を実行します。ポイントはこのプロンプトで、私たちは目の前の机の状況や日常会話などを記録した日記を用いてみることにしました。

《Trans-prompt》(藤倉麻子+大村高広、2023年)

藤倉:カメラは上空からモデルを俯瞰し、旋回しつつ接近して、最終的には内部を周回するというものです。この一連のシークエンスの各々のシーンに対して、文節ごとに区切った日記の一部をプロンプトとしてAIに与えています。AIはこのテキストを解釈し、カメラが捉えたモデルの形態をもとに、イメージを生成します。AIが狙ったようなイメージを生成してくれないときは、プロンプト自体を書き換えています。なので、もともと日記だった文章は最終的に詩のようなものになっていますが、この文章は私たちが作ったのか、AIがつくったのか、もはや識別不可能です。
結果としてできた映像は、バラバラでありながら連続するという、矛盾した性格をもつシークエンスをもっているのが特徴です。たとえば字幕を読んでいるとき、モデルを巡るシークエンスの一貫性は失われて、背景にはセンテンスや文に直喩的に反応した断片的なイメージが流れているように感じられます。他方で、レンダリングの対象となっているモデルの一貫性を認識するとき、テキストの一貫性は崩れます。

──大村:3DCGのシークエンスと日記。両者はまったく関係がない。しかしAIは両方の情報を同時に取り込んで画像を生成しているので、ほんらい混ざり得ないものが混ざっているような状態になっている

藤倉:そうですね、モデルの形態とプロンプト(日記)、どっちの要素ももった曖昧なイメージになっています。なかなか人間だけでは生成しえないイメージだと思いますね。AIと人間が対話し、本来はまったく関係ないふたつの系(モデルとテキスト)の双方を加味し、なんとか折り合いをつけようと努力しつつ、イメージとして着地させた感じです。とはいえ字幕とイメージ双方の連続性を同時に捉えることは難しいので、どちらに焦点をあてるかで映像の質が変化する、というものになっている。生成の質の変化が経験の質の変化を導出している点がおもしろいと思います。
この作品をつくるプロセスでは、人間でない存在(AI)との共同作業が楽しいという感覚がすごくありました。ゴールがみえないところへ一緒に走っている感覚です。単に便利な道具として用いるというよりも、対話的に、自分自身を変容させながらAIと関わることはとても大切なことだと感じました。

──大村:複数の技術体系・認識体系が混合しうる可能性をAIに見た気がします。とりわけイメージとテキストがAIにとっては等しく情報であり等価に扱えるという点は衝撃的でした。

藤倉:このシリーズの続編として今検討しているのは、特定の事件(あるいは抗議活動や歴史上の出来事など)を調査し、それが起こった場所(部屋や広場など)のモデルと、件の出来事の当事者の声やテキストなどを用いて、《Trans-prompt》と同様の仕方で映像化するものです。《Trans-prompt》を制作してみて、ある特定の場所と、その場所に付随する人々の声や手記を、切り分けることなく同時に開示することができるのではと思ったんですね。いずれ、どこかで発表できたらと思っています。

私たちの生を取り巻くもの──希望をつくるために

──大村:最後になってしまうのですが、あなたが芸術作品の制作をするに至った経緯や、制作の強いモチベーションとして、お父さんと死別されているということがあると思うんですね。

藤倉:そうですね。冒頭でお話ししたように、もともと自分の性質としてあった「見る」ことへの興味というのが私の制作の強い動機であり、考えたいことです。ただ、これまで作品解説などで言及したことはないのですが、私は父と死別していて、この経験の影響が少なくないことは事実です。中学生のとき、父が若年性アルツハイマーだとわかったんですね。そこから年々症状が進行し、私が28歳のときに他界しました。若年性アルツハイマーに関して、症状の実情と、家族への影響はほとんど理解されていないのではないかと思います。よくある、記憶が徐々になくなっていくというだけのものではありませんでした。もちろん個別のケースではあるのですが、私の父の場合は、たとえば鏡にずっと話しかけるとか、ずっと首を振っているとか、怒ったりわけのわからないことをするとか、そのような行動をとるようになっていきました。今まで同じようなふるまいをしたと思ったら、そうした行動をとって、両者が順番にくる感じで。今までと同じ若い姿なのに、次第に破壊的な行動が増えていくんですね。ですから、家族が直面する混乱や恐怖、悲しみは強く、心理的なダメージは相当なものでした。私は当時、家に象徴されるような、そこでの終わりのない緊張と不安からただ逃げたいと思っていました。そういった経緯もあり、大学では断片的なインプットのみで、勉強や研究にただ没入することはできなかった。そうこうしているうちに、父の容体はますます悪くなりました。一番ひどかった時期、私は家にいて、父をサポートしながら一緒に過ごしました。父が入院してからは、私は大学院で東京藝大のメディア映像専攻に進んで、横浜に通っていました。それから数年後に父が亡くなるまでのあいだが、私が芸術を学び、制作してきた時間です。
父の遺体を燃やすとき、父に行ってほしい場所を、見て欲しい風景をたくさんつくって、棺桶に入れました。身体が燃えたら一番最初に、明るいピンクの浅瀬に巨大な橋脚が立ち並んでいて、骨が踊っている場所に行って欲しいと思いました。

《群生地放送》(2018年)から抜粋
同時期に制作されたもの

──大村:ピンクという色や踊りのような動きにそのような背景があったことは私も知らなかったです。

藤倉:人間性も人間の尊厳もすべて剥奪されて、他者と共有する時間からひとり切り離されて、ただ病院に拘束されている父がいる、という状況が本当に辛かったんですね。投薬後は急速に喋れなくなり、90歳の老人のような姿になり、身体は曲がったまま動けなくなってしまっていました。自分は何もしてあげられない。何も手に負えないと思いました。日常生活の裏側で常に絶望していて、自分自身、世界とつながることが困難になるような不安に長く苛まれていました。それでも、何か自分でもできることがあるのかもしれない、と思ったんです。散らばってしまった充足を引き寄せて、落ち着いて景色を捉えられるように、自分自身のケアのためにも、何かを制作すること以外、道はなかった。
本当は、父と最後に喋りたかったんだと思います。でも喋れないから、私は私と父がそれまで見てきた風景を、明るくて心地よいものに変換しようと思った。今でも夢のなかで、父と会話をして、喋れていると驚いて起きることがあります。

──大村:あなたとお父さんの生を取り巻いていた、ふたりの共通言語のようなものが、郊外の風景だったわけですね。その風景を楽園とすること。貧しい素材から希望をつくること。

藤倉:会話したい、意思の疎通を取りたいという強力なモチベーションがありました。だから自分の映像には人とかは登場してほしくないんですよね。すべてのものが言語を超えたルールで動いているんだけど、明るくて、調和で満たされているような場所がもしあったら、もし作れたら、まったく遠く離れた場所同士がつながるかもしれない、と思っています。その状態になったら、もしかしたら私たちはそこで喋れるかもしれない、と。

──大村:あなたの作品の根底にあるのはコミュニケーションなんですね。この世にはいるけど言語ではやりとりができなかったり、あるいは、もはやこの世にはいない存在との。私たちは《Trans-prompt》で、制作を通してAIと対話することに希望を見出しましたが、それとも通じる話かもしれません。

藤倉:そうですね。冒頭にお話しした、あくまで山のこちら側にとどまりながらつながりたい、という態度とも通じるかもしれません。
もちろん、こうした事情と作品の強度は関係ない、と考えている部分はありますが、今後はもう少し話していってもいいのではないかと考えています。衝撃的な出来事によって、作品のその他の重要な質が見えなくなってしまうことを懸念していたわけですが、そもそも心理的な制限がかかっていて、これまでは言及することが難しかったのです。数年経過し、制作を続けた結果、ある程度話せるほどには私も回復してきたのだと思います。

──大村:作家と作品は切り離すべき、という考えもあるかとは思いますが、とはいえ、あなたの作品を読み取るためには不可欠な事情という気もします。癒しや回復といったキーワードは、あなたの作品がもっている重要な質だと思いますね。

藤倉:そうかもしれません。あと、こうして振り返ってみると、私たちが共同した《FIxing Garden》と《Trans-prompt》は虚構が現実を変容させているという点で共通していますね。フィクションが強固なものとして現実に迫ってくる。そして行き来ができる(ことを諦めないこと)。記憶すること、あるいは忘却することに対して、こうした試みを通して、答えていきたいと思っています。

▲プロフィール

藤倉麻子/Asako Fujikura
1992年生まれ。アーティスト。都市・郊外を横断的に整備するインフラストラクチャーや、それらに付属する風景の奥行きに注目し、主に3DCGアニメーションの手法を用いた作品を制作している。2016年、東京外国語大学ペルシア語専攻卒業。2018年、東京藝術大学大学院メディア映像専攻修了。
近年の主な個展・プロジェクトに、「手前の崖のバンプール」(東京湾、2022年)、「Paradise for Free」(Calm&Punk Gallery、東京、2021年)など。近年の参加グループ展には、「都市にひそむミエナイモノ展」(SusHi Tech Square、東京、2023–4年)、「MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ」(東京都現代美術館、 東京、2023年)[Unexistence Gallery(原田郁/平田尚也/藤倉麻子/やんツー)として参加]、「エナジー・イン・ルーラル [展覧会第二期]」(国際芸術センター青森、青森、2023年)、などがある。
https://www.afujikura.com/

大村高広/Takahiro Ohmura
1991年生まれ。建築設計・批評。博士(工学)。Office of Ohmura(OoO)主宰。2023年より茨城大学助教。建築設計、研究、批評・執筆活動、芸術作品の制作を通して、都市化以降の──郊外での、あるいは後背地での──生の持続を支え励ます共同の可能性と、そこでの建築の新たな必然性の位置を検討している。
近年の主な仕事に、「新宿ホワイトハウスの庭」(改修、2021年)、「手前の崖のバンプール」(構成・美術、2022年)、「上大岡の衝立」(改修、2022年)などがある。「倉賀野駅前の別棟」(齋藤直紀と共同)でSDレビュー2019入選・奨励賞。
https://www.tkhrohmr.com/

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Taichi Sunayama
建築討論

Architect/Artist/Programmer // Co-Founder SUNAKI Inc. // Associate Professor, Kyoto City University of Arts, Art Theory. //