國盛麻衣佳著『炭鉱と美術:旧産炭地における美術活動の変遷』

地域の生活、地域のアート(評者:長谷川新)

長谷川新
建築討論
4 min readSep 7, 2020

--

本書は、炭鉱とその地における美術実践のあり方を、広範な調査や著者自身の展示経験を元に考察した労作である。本書の構成を見ると、第1部では、産炭地と生活文化を概観し、第2部で、旧産炭地において近年展開されてきたアートプロジェクトが分析されている。第3部は著者自身の実践の考察と評価であり、終章には関係者へのインタビューが付されている。それらの諸実践、諸事例の考察はひとつひとつが重要であり、より深度のある研究が待ち望まれる。それぞれの考察が、作家中心主義、作品中心主義ではなく、その地域から掘り下げられるスタイルも一貫している。炭鉱労働や塵肺の記述も真に迫る。明晰であるがゆえに、研究がまだ途上であることもストレートに伝わってくる。だがここで特筆すべきは、國盛の抑制的で体系的な論構成のなかに、ある「確信」が備わっていることだ。

國盛麻衣佳著『炭鉱と美術:旧産炭地における美術活動の変遷』

少し遠回りをしたい。例えば炭鉱と美術の「変遷」は次のように書くことができる。

三井三池炭鉱をはじめとする「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界遺産に登録されたことは記憶に新しい。日本の近代化は、石炭産業の発展なしには考えられない。各地の産炭地には農村などから大量の労働者が流入し、明治から大正にかけて専門性を伴った集落が急速に形成されていった。それぞれの産炭地では独自の生活文化が育まれたが、戦後、石油が石炭にとって変わるにつれて石炭業は斜陽化し(炭鉱離職者臨時措置法の成立が1959年である)、現在、こうした地域は観光地化やアートプロジェクトの展開によって再活性化が試みられている。

こうした単線的な記述には、密かに(あるいはあけすけに)「生活文化」に対する「アートプロジェクト(現代美術/前衛芸術)」の優位が差し込まれている。だが本書において國盛は、産炭地の生活文化をまず最大限肯定し、「必要に迫られて生み出した表現」(p.ⅱ)として高く評価するとともに、炭鉱の文化活動や職場サークルの実態が十分に研究されていないことを強く危惧する。國盛の確信は、その地域から汲み上げられ、その地域で消化される表現として、産炭地における文化活動とアートプロジェクトを等価に扱う点に宿る。それぞれのアートプロジェクトは、俳句、書道、合唱、演劇、囲碁将棋、写真、洋画、茶道、彫刻、三味線、バレエ、日本画、盆石、染色、お囃子といった様々な表現とその享受の中に位置づけ直されうる。この視点から、自身もまた「アートプロジェクト」の実践を通して炭鉱と関わる國盛は次のように筆を進める。

[アートプロジェクトの]主導者や担い手は、自らの営みが文化資源化されうるものであることを俯瞰的視点から自覚し、また想定し、把握することが重要である。この自覚によって、アートプロジェクトの性格や、過程の構築、方向性や着地点が想定されやすくなり、より社会的影響力を持つものとして成立しやすくなると考えられる。(p.26)

注意して読まなければならないのは、この言明が、いわゆる前衛美術の営みを否定するわけではなく、むしろありうる生、ありうる美術の可能性を複数化していく姿勢としてなされている点である。美術の自律領域の確保、作品の前衛性の探究、国際的評価といった問いはここでは優先されない。模索されるのは「[今もなお過疎化する旧産炭地で暮らす]人々の意思や価値観に寄り添い、その尊厳を賛助するような表現」だ(p.307)。本書のタイトルは『美術と炭鉱』ではあり得ない。

_
書誌
著者:國盛麻衣佳
書名:炭鉱と美術──旧産炭地における美術活動の変遷
出版社:九州大学出版会
出版年月:2020年1月

--

--

長谷川新
建築討論

インディペンデントキュレーター。主な企画に「クロニクル、クロニクル!」(2016–2017年)、「不純物と免疫」(2017–2018年)、「STAYTUNE/D」(2019年)、「グランリバース」(2019年-)、「約束の凝集」(2020–2021年)など。国立民族学博物館共同研究員。robarting.com