垂直と隔離:ホテルの一室から都市構造まで

連載:圧縮された都市をほどく──香港から見る都市空間と社会の連関(序論+その1)

富永秀俊
建築討論
Jan 18, 2022

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一般的に、建築の「社会的な」側面を記述する試みにおいては、言語は建築の期待を裏切ってきた。──エイドリアン・フォーティー 『言葉と建築』

連載オリエンテーション(序論として)

香港の独特な都市空間は、写真と共にやや表面的かつセンセーショナルに消費される傍らで、その空間の構造や社会的な文脈は、一般には薄くしか理解されてこなかったと言えるのではないか。例えば、イギリスから中国への香港返還に関してどの部分の返還義務があったのか、大規模の民主化運動はどこで起きていたのかといった基本的な事柄についても、多くの場合において人々の理解は曖昧である。建築に関しても、話題になるようなプロジェクトでも都市開発のどのような文脈に位置するのかについては、あまり把握されていない。

このように都市空間の理解を難しくしている理由の一つに、香港の圧縮されているかのような独特な状態がある。限られた土地・限られた時間の中で発展していった結果、めまぐるしく変化する高密度な都市として、傍からみれば「混沌」としているように見えるのだ。

この圧縮に対応するために、この連載では、都市空間をいくつかの方向で切断し、その中身を読み取りやすく提示してみたい。そうすることで、香港の持つ多様な文脈──植民地都市としての歴史、資本主義に基づいた自由都市、中国本土との関係──と都市空間の絡まりが読み解け、他の都市を考える上での助けになるのではないか。特に、私が香港に滞在した2年間では、大規模な民主化運動やコロナ禍など、社会変化に伴って都市空間の課題や可能性が露出した時期であり、都市を再考するのにふさわしいな時期であると考える。

全部で6回あるこの連載では、都市空間を切断するために3つの方向を用意した(下図)。まず第一章では、垂直方向に香港を切断して縦方向の都市構造と公共空間を理解する。次に第二章では水平方向へ切断・投影し土地所有の問題や周辺地域との関係をみる。さらに最終章では時間軸に着目し、市民活動のリズムや空間の変遷を見る。

圧縮都市をほどくための計画 兼 この連載の目次[作成:筆者]

垂直と隔離 : ホテルの一室から都市構造まで

私は2019年から香港大学の建築学科の修士課程に二年間在籍していたが、2020年8月に交換プログラムと夏季休暇から香港に戻った私は、大学が連携するホテルの一室で隔離生活を送ることになった。この、到着後2週間の隔離生活は、香港の高さと高密さを思い知るきっかけとなった。ホテルの上層階というと贅沢に聞こえるが、実際に暮らしてみると、道路の往来がほとんど見えなかったり、周りのビルが立て込んでいて太陽光が入らない・圧迫感が強いなど、環境はかなり過酷であった。

A: 背の高いビル群に日差しを遮られるだけでなく、オフィスから視線が気になる。B:道路はほとんど見えないが、向いのアパートの部屋が見えるので、妙な一体感がある。C:唯一太陽光が少しあたる半畳ほどのスペースは水彩など手描きのためのコーナーにした。D: 香港の湿度と隣人の過剰なエアコンで結露が発生し、荷物がカビてしまったゾーン。E: 部屋の中央に2つ並んでいたベッドの1つをドアに寄せた(運動する場所を作るため)。 F:ドアは食事を受け取る際と、ゴミを出すとき以外使わないが、ドアの覗き穴から配膳するスタッフ(G)が見える。[作成:筆者 当時のスケッチに加筆]

もちろん、外に出れない隔離生活は特殊な例であるとはいえ、このような住環境自体は香港には珍しくはない。一度ズームアウトして、ホテルの位置する香港島の断面図を見てみると、ホテルの位置する海際に高層の建物が密接しているのが分かる。しかし、高密なエリアは実は限られており、山頂にいくに近づいて低密になるし山頂はさらに疎らな低層住宅が並んでいる。このような都市構造はどのように形成されたのか、実は香港が植民地都市が形成される過程で、コロナではない別の感染症が絡んでいるのである。

ホテル(A)を通るように、香港島を南北に切断した断面図[香港政府の公開する都市の3DデータHKMS 2.0のデータを元に筆者作成

香港は1842年の南京条約以降に植民地として発展したが、当時の香港の支配階級であったイギリス人はマラリアを恐れ、高地に居を構えたのだった。当時はまだマラリアが蚊を媒体とする病気だということは解明されていなかったが、悪い空気(= Mal Aria )を避けるべきであるという共通認識があった。結果として、支配階級であるイギリス人は湿地の少ない高地に居を構え、低地に中国人が住むという垂直方向の隔離が生まれ、高地に元から住んでいた中国人も低地への移住を強いられることになる。香港の地盤がもつ堅く急峻な地形は、海中では船が寄せやすいというメリットがあったわけだが、陸上では支配階級が湿地から逃れるために使われることになったわけである。低地の居住空間は、植民地政府の管理は不十分で、住環境の悪化をまねき、結果的に19世紀終わりには中国人居住地区での結核の蔓延などの悲惨な結果をまねいた★1。

植民地としての初期から開発されたエリアのズームアップ[香港政府の公開する都市の3DデータHKMS 2.0のデータを元に筆者作成

現在では、当時の高密な居住地には対策がうたれ、人種による居住地の分離も法律上はなくなったが、いまだに住環境に問題は多くある。コロナ禍においても、人種マイノリティが多く住むエリアが感染拡大の場所として部分的な予告なしのロックダウンにあった★2。先ほど述べたように低地エリアに多く存在する隔離用のホテルでの生活環境も厳しく、一部では滞在中にホテルの窓を利用して抗議する者もあった★3。

隔離生活の厳しさを出窓からアピールする人々。左の立面図からは、隔離中の滞在者が、ポストイットを使ってメッセージや隔離の残りの日数を書いていることがわかる。右の断面図からは、出窓がほとんど唯一の社会への物理的なインターフェースとなっていることが想像される。(記事や体験の投稿をもとに筆者作成)

低地に高密なビル群が集中する一方で、かつてイギリス人が住んでいた高地のエリアに高級な物件の投資は集中しており、換気や採光などの住環境が比較的良い。私が生活する範囲ではあまり行くこともなかったが、ドライブや散歩などで訪れても、海沿いの雑多な印象とは今でも異なるものだった。

香港島の中腹の通りの様子

このように現在でも高地と低地の居住地の分離が、住環境の質の差として残っていることを示せた。ちなみに、東京などの都市を見ると高い場所に富裕層が住むという構造は自明のように感じるかもしれないが、ソウルやブラジルなど高地にスラムが発生する例も多い。香港の住環境の根本的な原因としては、都市開発に関連した別の要因も大きいが、都市形成のきっかけとしては前述したマラリアに関連する隔離であるということが確認できた。

コラム:垂直と制作

この垂直性がどのように制作につながってきたか、その一端を紹介しておきたい。香港映画には社会的地位の垂直方向の分離をストーリーと絡ませる例があり、ウォン・カーウァイの映画でも遊歩道とアパートのレベル差が偶然揃うことから、部屋と都市との新しい関係性が描かれている★4。建築作品でも、Zaha Hadid の初期作である「The Peak」(1983)は、海辺の高層ビル群と丘の上のヴィラ群という前述した分離の融和を、そのドローイングで表現するばかりか、そのプロジェクトの社会的位置づけをも変えている。日本の建築界では、岸和郎の「日本橋の家」(1992)や北山恒の「Hyper Mix」(2017)などが、香港の都市構造に影響を受けており、いずれも形態の模倣に留まらず空間の用途まで読みこんでいる★5。以上の紹介は一端に過ぎないが、いずれも表面的な理解や平易なオリエンタリエスムと異なる、都市の構造と社会との関連を断面的(=中身を切りとって)に理解している例と言えるのではないか。私も、「LIFE IN VERTICAL CITY 垂直都市の暮らし」で、香港の垂直性をスマホ画面のスクロールに重ねて表現する試みなど、新たな解釈を試みている。

香港の垂直性を捉えた合成写真[撮影・加工:筆者]

以上、連載の第一回目として、香港の垂直性と社会構造を概観するための二つの垂直性を示した。都市スケールでの居住地域の垂直分離と、低地に密集した垂直な建物群である。今回書いたように、その形成は社会構造と密接に関っていたし、その都市空間がもたらす社会への影響も大きい。次回は、三次元的に発達した公共空間について扱う。地面から持ち上げられた公共空間や、横断歩道ネットワークといった都市構造が、2019年の民主化運動を始めとする市民活動をどう支え、あるいはどう支えなかったのか、書こうと思う。

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★1: Ho, Pui-Yin. Making Hong Kong. Cheltenham, Gloucestershire: Edward Elgar Publishing, 2018.
★2:Vivian Wang, and Tiffany May. “Hong Kong’s First COVID-19 Lockdown Exposes Deep-Rooted Inequality.” The New York times (New York, N.Y), 2021.
★3:Yau, C., 2022. Quarantine hotel residents hold event aimed at spreading cheer in isolation. [online] South China Morning Post. Available at:<https://www.scmp.com/news/hong-kong/health-environment/article/3150110/hong-kong-quarantine-hotel-residents-wave-outside> [Accessed 2 January 2022].
★4:Seng, Eunice. Resistant City : Histories, Maps and the Architecture of Development. Singapore: World Scientific, 2020.
★5:北山恒. 近未来都市はムラに近似する. 彰国社, 2021.

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富永秀俊
建築討論

1996年生まれ。専門: 建築意匠設計。西澤徹夫建築事務所所属。香港大学建築学部修士課程修了、 英国建築協会付属建築学校(AAスクール)学期プログラム修了、東京藝術大学美術学部建築科卒業