垂直な公共空間:空中歩廊は市民の活動をささえたのか

連載:圧縮された都市をほどく──香港から見る都市空間と社会の連関(その2)

富永秀俊
建築討論
15 min readMar 15, 2022

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香港でみられる典型的な屋外の空中歩廊(ペデストリアンデッキ)Photo by Chromatograph on Unsplash

香港の中心街を歩くとき、その歩行空間の立体的で複雑な様に驚くことが多い。歩道橋がビルとビルをつなぎ、地下通路が長くのびる。この公共空間の立体的な様と、従来の都市計画とは異なる成り立ちには一定の知名度があり、日本でも建築家が設計机の傍らに置くであろう『コンパクト設計資料集成』に見開きで載っているほどである★1。

『コンパクト建築設計資料集成 都市再生』より、香港セントラル地区のペドストリアンネットワーク

一方で、これが果して良い公共空間なのかという点に関しては、意見が分かれるところである。市民の日常的な活動に使われていることから一定の公共性が評価される一方で、道路との分離を生んでいたり大規模な集会に向かないような側面も指摘されている。もちろん、通路空間は移動のために作られるわけではあるものの、そのうえで公共的な空間は誰でも使えるようになっていたり人々をつなげたりする役割を持つことも重要であることを踏まえれば、多角的な評価があるべきだと思う★2。今回は、私が香港に滞在していた際の経験も交えながら、市民がどのように立体的公共空間を使ったのかという視点で、立体的な公共空間を評価していきたいと思う。なお、この文章は連載『圧縮された都市をほどく』の第二回目であり、前回に引き続き都市空間を垂直方向に読み取るという方針のなかで、香港の公共空間を読み取ろうとしている。

立体的な公共空間とその成り立ち

香港の立体的な公共空間は、地下道・屋上・道路・屋内外のペデストリアンデッキ(空中歩廊)・急峻な地形によって構成される。『Cities Without Ground』においてAdam Framptonらが鮮やかに描きだしたように、平面的な公共空間(広場・公園・道路などの組み合わせ)と違って、動線が重複していたり屋内/屋外が混在していたりと、非常に複雑な歩行者ネットワークが形成されている★3。

『Cities Without Ground』より、香港・セントラル地区の公共空間のネットワーク

こうした立体的な空間が生まれた背景を振り返ってみると、歩道のレベルを持ち上げた構成が20世紀前半から度々提言されていることがわかる。ル・コルビュジエの1920年代の都市計画案だけでなくその次の世代にあたるアリソン&ピーター・スミッソンらの計画でも、ペデストリアンデッキは頻繁に描かれていた★4。中でも、香港の行政に影響を与えたのはコーリン・ブキャナンによる『都市の自動車交通』(1963年)であった。そのイラストレーションには道路から持ち上げられた活気のあるペデストリアンデッキが描かれている★5。

『都市の自動車交通』に描かれた立体的な公共空間

香港での空中歩廊の発展は、こうした提言を背景にしながらも、民間の企業が先陣を切る形で行われたようである★6。まず1965年には、同じデベロッパーが所有していたショッピングモールとホテルが屋内の歩行者用ブリッジでつながれた★7。この新しい動線は商業的な成功につながり、それをきっかけに複数の商業ビルが屋内ブリッジでつながることになる。その後、民間と行政との共同や行政による計画によって、より長いペデストリアンデッキが屋外空間として作られる(冒頭の資料集成の図ではこの年代が塗分けられている)。このような形成プロセスは、行政主導の都市計画によらない民間主導の開発であった点と、それによって法案が後追いの形で作られた点、更に民間と行政が協働して開発した点に特徴があるとされている★8。また郊外においても、新しい駅前エリア開発などの計画段階から巨大なペデストリアンデッキが含まれるようになり、中心街だけでなく香港の多くのエリアに立体的な公共空間が広がっていった。

Hongkong Land at 125』より、1965年に建設された初の屋内空中歩廊のイラスト

空中歩廊は市民の活動をささえたのか

このような過程で生じた立体的な公共空間は、ただの移動空間ではなく、様々な活動が行われる公共的な場所であるという肯定的な反応も多いが、実際は果たしてどのように使われたのだろうか。私が香港にいた時期には、公共空間が民主化運動で激しく使われたり、あるいはコロナ禍では利用が制限されたりと、公共空間の使い方が議論されるきっかけが多かった。また、直接は関係ないが、久しぶりに渋谷の再開発を訪れてその歩行空間の立体性をはじめ香港との類似性に驚いたことや、この『建築討論』内で関連した批評があったことも、立体的な公共空間について書く動機の一つとしてある。ここでは、まず前半で日常的な使われ方を紹介し、後半で政治運動などにも触れながら、香港の立体的な公共空間がどのように市民の活動を支えたのか書きたい。

日常での使われ方

まず、空中歩廊をはじめとする立体的な公共空間は、日常的に様々な活動がされており、それはどうやら移動ルートが重複していることで可能になっているという論点がある。日常的な活動については、Weijia Wangによる調査★9が示すように、空中歩廊は、音楽パフォーマンスや宣伝、体操やボードゲームなど様々な活動の場として一日を通して使われている。また、移民家庭内労働者(主にフィリピンやインドネシアから来た住み込みの家政婦)たちによる日曜日の集会など、定期的に発生する活動も空中歩廊で起きている。こうした活発な利用は、公共が管理する屋外の通路で起きる傾向があるが、Adam Frampton らはこうした活動と都市構造を関連付け、通路の冗長性からこうした行為が可能になっているとしている★10。つまり、立体的な公共空間では通路が重複しているから誰かが一箇所を占拠しても他の人が迂回ルートを簡単に選択できるというわけだ。

『“The Pedestrian Bridge as Everyday Place in High-density Cities: An Urban Reference for Necessity and Sufficiency of Placemaking』より、空中歩廊付近での様々なアクティビティ

一方で、この立体性あるいは垂直性ゆえに生まれる分離もあるだろう。ジャーナリストのViolet Lawは、ペデストリアンデッキ開発と並行して地面レベルでの道路の利便性が失われていることを問題視している★11。私はペデストリアンレベルと道路レベルでの活動が分離している光景に会うことが多かった。例えば、移民労働者が路上で集まりながら労働環境改善を訴えていても頭上数メートルをショッピングモール間の通路を行き来できてしまうというような、立体性ゆえに他の活動に無関心でいられる性質もあるのである。活動が分離することでストレスなく都市を移動できる反面、特に屋内化された歩行者空間では、道路で起きている音や環境から分断されすぎており、人々がその分断に気付くこともないほどになっているのではないかという危惧を私は持っている。

また、ここで管理の仕方によって使われ方が変わることも思い出さねばならない。民間が所有・管理する公共空間(POPS)では、他の都市でも指摘されるように活動が制限される傾向があった。例えば、中心街のショッピングモールの屋上では、レストランテーブルと植栽によってあたかもレストランの一部であるかのような設えになっている★12。ノーマン・フォスターによる名作である香港上海銀行ビルでは、緩やかな地形と一体になったピロティ空間が日曜日になると移民家庭内労働者によって活気のある利用のされ方をされ、設計者もメディアに載せているほどであったが、所有企業によって「常設展示物」が設置され人が以前のように集まって緩やかなスロープに腰を下ろしたりすることができなくなってしまった。議論の余地があるが、こうした管理の問題も空間構成も無関係ではなく、複雑な空間構成であるがゆえに管理方法の曖昧さを見えにくくしているように思う。

政治運動での使われ方

2010年代には香港の公共空間は、こうした日常的な活動だけでなく、より大規模で時に過激な使われ方も経験した。ここでは、特に2014年の雨傘運動と2019年に始まった民主化運動について触れたい。それぞれの運動の詳細を触れることはこの稿の範囲ではないが、空間上の特性をまとめれば、2014年の市民運動では中心街の道路が一定期間占拠されたのに対し、2019年には街中に活動が点在し集会の場所が毎週末のように変わるというより流動的なものであった。2019年の運動の後半では、より過激化した運動が大学キャンパスを中心に繰り広げられた。

こうした運動の中心は、多くの場合は公園や道路などの地面レベルであったが、空中歩廊はそうした運動の補助的な役割を果たしていた。Eunice Sengらによるマッピングをみると、2014年の占拠においては、階段があるところや空中歩廊の下に、特定の目的のある「ステーション」(補給の場所、シャワーブース、保健ステーション)や掲示板が置かれていたようである★13。これは、雨をしのげるということと、エスカレーターなど多くの人が利用すること、柱や壁などの構造物に掲示しやすいことが理由として挙げられる。

Resistant City』より、占拠のための拠点的な場所が置かれた場所(図面上部)
2019年8月に、抗議活動と関連した野外上映会に遭遇し、坂道やその周りの階段・公園が一体的に利用されるのを見た、当時の私の感想

道路を見下ろせる位置関係も重要であっただろう。抗議者は、状況の把握をするために高い位置にある場所を使った。また、メディア関係者の多くも歩道橋から写真を撮っていた印象がある。一例ではあるが記者が催涙弾を被弾し失明してしまった痛ましい事件も歩道橋上で起きている。また、道路をブロックする際に、高所からの投石などによりバリケードよりも簡単に交通を妨害することができるという側面もあった。これは、主要な道路上の空中歩廊に鉄製ネットが設置されたりと、政府による対策がうたれた。

道路の交通を妨げるための投石などの場として使われることになった歩道橋(撮影:筆者)

一方で、立体的な公共空間において、アクセスが巧みに制限されている側面もあった。知り合いのある建築家は、大通りから香港政府と議会が入る政府総部前の広場に平和的に行進している時の様を語っていたが、広場前のエスカレーターの数が少なく大規模な行進がそこで渋滞を起こしてしまったと語っている。このように上下移動を抑制するような役割があり、そのアクセスの制限が、一見には分からない場合がある。政府総部の場合は、設計者のRocco Simが設計コンセプトとして「常に開かれたドア」と書いているその意図の通り、この建物は周囲に対して大きく開かれているような印象を受ける。その印象とは逆に、実際のアクセス性が悪いという点に、公共空間が立体的であることの危険性が見えるのではないだろうか。

左) 海側からみた、香港政府が入る建物。Photo by Cheung Yin on Unsplash 右) 香港政府が入る建物を大通りからみる。左の写真でみた広場は地面より上のレベルにあり、道路からそこへのアクセスは、この写真では右側にちらりと見えるエスカレーターのみ。Photo by Cheung Yin on Unsplash

結び

以上、空中歩廊がどのように市民の活動を支えたのかという視点から、香港の立体的な公共空間の様々な側面をみた。日常生活においては、通路の冗長性が幾つもの活動を可能にしているとされる一方で、都市のなかで活動の分断とその分断の認知を難しくしている側面もみられた。政治的な運動においてもまた、市民によって様々な目的のために有効に活用される一方で、大規模な集会に適していない側面なども指摘される。更に、公共空間が立体的に複雑であるがゆえに、空間的につながっているように見えるものが動線上では分かれていたりと、実際のはたらきが隠蔽されるかのような空間の構成もあった。香港の立体的な公共空間は、その形状や成り立ちに独特な魅力があるものの、使われかたを振り返ってみると手放しに称賛はできず、しかしそれ故に私たちが学ぶところが多いのではないだろうか。

連載の第一回と第二回では、香港の都市空間の垂直性に注目し、主に都市構造や公共空間の社会との関連を見た。次回は、平面的な広がりに注目し、中国本土と香港の境界線で何が起きているのかを紹介する予定である。(続く)

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★1:一般社団法人 日本建築学会 . コンパクト建築設計資料集成 都市再生. 丸善出版, 2014.
★2:今村雅樹, 小泉雅生, and 高橋晶子. パブリック空間の本:公共性をもった空間の今までとこれから. 彰国社, 2013.
★3:Frampton, Adam, Clara Wong, and Jonathan Solomon. Cities without Ground : A Hong Kong Guidebook. Rafael, Calif.]: Oro Editions, 2012.
★4: ル・コルビュジエによる「300万人の現代都市」(1922)、アリソン&ピーター・スミッソンらによる 「Berlin Hauptstadt, competition entry」 (1957–1958)
★5:Buchanan, Colin, Geoffrey Crowther, and Great Britain. Ministry of Transport. Traffic in Towns : A Study of the Long Term Problems of Traffic in Urban Areas. London: H.M.S.O., 1963.
★6:Tan, Zheng, and Charlie Q. L Xue. “The Evolution of an Urban Vision.” Journal of Urban History 42, no. 4 (2016): 688–708.
★7:Hongkong Land at 125. Hong Kong: Hongkong Land Limited, 2014.
★8:KINOSHITA, Hikaru, and Yoichi NISHIIE. “A STUDY ON THE HISTORICAL PROCESS OF THE ELEVATED WALKWAY NETWORK AROUND OF CENTRAL DISTRICT OF HONG KONG.” Nihon Kenchiku Gakkai Keikakukei Ronbunshū 79, no. 705 (2014): 2479–486.
★9:Wang, Weijia, Kin Wai Michael Siu, and Kwok Choi Kacey Wong. “The Pedestrian Bridge as Everyday Place in High-density Cities: An Urban Reference for Necessity and Sufficiency of Placemaking.” Urban Design International (London, England) 21, no. 3 (2016): 236–53.
★10:★3に同じ。
★11:“The Tunnel Vision of Pedestrian Planning.” South China Morning Post, 2008.
★12:この指摘は建築家であり香港大学教員のTao Zhu による授業『The Count-Down Town』で紹介された内容を参考にしている
★13:Seng, Eunice. Resistant City : Histories, Maps and the Architecture of Development. Singapore: World Scientific, 2020.

富永秀俊 連載「圧縮された都市をほどく──香港から見る都市空間と社会の連関」
・その1 垂直と隔離:ホテルの一室から都市構造まで
・その2 垂直な公共空間:空中歩廊は市民の活動をささえたのか

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富永秀俊
建築討論

1996年生まれ。専門: 建築意匠設計。西澤徹夫建築事務所所属。香港大学建築学部修士課程修了、 英国建築協会付属建築学校(AAスクール)学期プログラム修了、東京藝術大学美術学部建築科卒業