[201811 特集:建築批評 藤村龍至 / RFA《すばる保育園》]返答文

藤村龍至
Feb 14 · 12 min read

建築討論の特集で拙作《すばる保育園》を採り上げて頂き光栄である。評者の皆さんには遠方にもかかわらず現地にお越し頂き討議させて頂く機会を得た。以下、振り返りつつ論点を抽出してみたい。

多義的なシンボル性

座談会ではまず私から拙作の設計に際して検討した事項として「計算」や「帰納的飛躍」について概説を行った。これまで「超線形プロセス」やそれをもとにした集団設計の実践については論じてきたが、近年は新しい外部性の一部として計算(シミュレーションや人工知能)による形態の生成を試みていること、それらを「帰納法」の一部として捉え直し、「帰納的飛躍」を生み出すための方法論であると位置付け直したためである。

これに対し評者の辻氏から「東京と九州の距離はどのように作用したか」川井氏から「これまでと大きく異なるコンテクストが自由なかたちにどのような影響を与えたか」川勝氏から「『(磯崎的な)切断』の意識はどこにあったのか」など、今回の試みの特殊性について質問があった。また岩元氏から「山と屋根の対応は記号的にも読める」との指摘があり、吉本氏からは「『連続体』は形態か関係性か」能作氏から「外的条件をなぜ形態に結びつけようとするのか」など方法論全体について質問が挙げられた。

それらに回答した後は自由討論となった。討論を聴講していた門脇氏から「どちらかと言えば、みんながバラバラに参加した結果、何となくひとつのものが生成していくというイメージに近いのではないか」と指摘があった。能作氏も「ある種のだらしなさ」があるといい、吉本氏も「明確な輪郭を作らず、形態の解釈を明確にさせないよう少し隙をつくるという判断をしている」と指摘があった。

最後に門脇氏が「現代的な合意形成の『かたち』は意外とこういうものかもしれない。結果それ自体は必ずしも必然性を持たず、最終的にできあがった『かたち』も意味が読み取りづらいのだけれど、しかし参加したこと自体はかたちに記録されている」と指摘し、そこで口にした「なんともいえないかたち」というキーワードが現地での討論の、さしあたっての成果物となった。

「なんともいえないかたち」とは、例えば青木淳が《青森県立美術館》(2006)で、妹島和世が《墨田葛飾北斎美術館》(2016)で示したような、輪郭の曖昧で多義的な、複雑なシンボルのあり方かも知れない。《鶴ヶ島太陽光発電所環境教育施設》(2014)は視線の貫通するホールや端部の設備、囲まれつつ逃げていくような輪郭など《すばる保育園》と共通する点があるが、周囲を巻き込みながらインクルーシブに制作するプロセスこそ経ているものの、家型や独立窓など使用される記号は明確であり、複雑なシンボル性であるとは言えなかったのかも知れない。

すばる保育園にみる作家性

討議を経て各評者が執筆したショートレビューはそれぞれに興味深い視点を提供してくれた。岩元真明氏の批評文は《すばる保育園》の曲面屋根の家具のような型枠をみて葉祥栄=竹、西沢立衛=土と異なる、私の《Shop U》や最近の《離散空間家具》の湾曲家具との一致を発見し、そこに作家性の発露があると指摘する。

興味深い指摘だが、技術的な条件に関わる固有性については若干の補足が必要かも知れない。2000年前後、デジタルデータで合板を加工するデジタルファブリケーションの技術が紹介されるようになったが、当時の感覚ではデジタルで制作できるのはせいぜい合板を加工した巨大な家具までであって、そこから先の建築生産の体制全体と設計データを直結するまでまだ距離があった。2010年代も後半になってデジタルファブリケーションがより普及し、ようやくRCの型枠を3次元の曲面で制作することがコスト面でも可能になってきた。ホール屋根のコンクリートを打設する際、そこに並んだ家具のような型枠を見て、2000年代の中頃に取り組んでいた湾曲家具の作品と繋がった感覚を覚えたが、丹下健三が3次曲面に積極的に取り組んでいた1950年代から60年代にかけてはまだ木製の型枠が採用されていたこと、葉氏にせよ西沢氏にせよ、通常の木製の型枠は費用がかかりすぎるためおそらく竹や土で作るしかなかったということと、またこれからは誰しも合板を最も自然な型枠の材料として選ぶようになるであろうことなどは、その選択を作家性(らしさ)というよりは前提条件の変化である。ただ非作家的なスタンスに見える私の作品に作家性を感じ取ろうという作家主義的な姿勢には共感を覚える。

川井操氏の批評文は《すばる保育園》の曲面屋根にドームのような形状を読み取り、遊牧民族の仮設建築から中国インドの宗教建築から古墳に至る古来の円形建築の系譜(血)が通過した九州の場所性(地)への反応を指摘する。列柱や回廊、シンメトリーなど《すばる保育園》が持つ隠れた古典性に対する重要な指摘である。

辻琢磨氏の批評文は解釈の披露というより、極めて体験的だ。現地を訪問したときの体験を詳細に振り返り、この場所に違和感なく建築が存在しているのはホールの膨らみに拠るものであると分析する。そしてその形態の自律性こそが単なる文脈の反映ではなく形態が文脈を引き出す逆方向の動きを誘発するとし、能動的な文脈主義のありようを示唆する。

能作文徳氏は私の一連の方法論を振り返った上で核心は「ディレクション」であると指摘し、《すばる保育園》においては集団的意思決定が後退したことでノンバーバルな「アート」ディレクションが前景化したと指摘する。

川井氏のいう古典性、辻氏のいう能動的な文脈主義、能作氏のいうディレクションはいずれも、批判的工学主義の理論および超線形プロセスの方法論が引き出そうとする、形態の自律性を指し示すものであると思う。インクルーシブデザインを市民主義に対するペシミスティックな適応であると非難する向きもあるが、超線形プロセスにおいては自律性が重要視されているというのは指摘の通りであると思う。今回はリテラルな集団的意思決定は行われなかったが、最適化設計によって見出されたホールの形態が花立山と一致することなどを通じて、「風景が参加する」かのような拡張されたインクルーシブデザインとしての文脈主義のあり方が見出されたのではないかと考えていたが、能作氏がそれを「アート」ディレクションと呼ぶのが発見的であった。工学をベースにしたアート、あるいはアートを手法とした工学というものがあるのかどうか、今後考えてみたいと思っているところであったので興味深い指摘であった。

川勝真一氏の批評文は私の説明する「記号から連続へ」という転換が1990年代以後の「イン・フォーメーション」と「デ・フォーメーション」との類似性を指摘し、私の建築における「連続」はプロセスにおいては認められるものの形態においては過渡期的なものであると批判する。「批判的工学主義」の「超線形設計プロセス」は、1990年代からグレッグ・リンらが主張する「ブロッブ・アーキテクチャ」の生成論や、1995年に国際コンペで磯崎新らに選ばれたfoa《横浜港客船ターミナル》に代表される「コンティニュアス・サーフェイス」の方法論など1990年代をルーツとしているので今後も検証が必要であろう。

吉本憲生氏は私がこれまで試みてきたパブリック・インボルブメントの批判的実践を「同調圧力の不自由から脱し、人生の新しい可能性を開く」ものだとしたうえで《すばる保育園》のふくらみが千葉雅也『勉強の哲学』における「勉強」のような「自己変革」をもたらすと指摘する。批判的工学主義はもともと批評家の東浩紀氏らの2000年前後の議論をきっかけに展開されたが、人文社会学系言説への新たな参照によって作品の意味が拡張されたように感じた。いわゆる「ゼロ年代批評」との同時代性についても今後検証していきたいところである。

ショートレビューの6名のうち、岩元氏・川井氏・辻氏の文は《すばる保育園》単体の解釈の妙を示すもの、吉本氏・能作氏・川勝氏の文はそれぞれ個人的にも古くから知っていることもあり、単体の批評を出発点としつつも、その批評の範囲をさらに拡げ、私のキャリア全体における変化をそれぞれの論点で相対化しようとするものであったように思う。

このなかで私の実践を肯定的にパラフレーズするだけでなく《すばる保育園》のあり方を最も厳しく批判しているのは川勝氏の批評文であった。反復する円柱の存在がこの建築を記号的なものにし、スラブの作る連続体を弱めているとはっきり指摘している。コストくらいしか反論の材料がないが(実際に熊本大震災のあとの復興需要は福岡県内に深刻な人手不足をもたらしていた)、今後の課題としたい。

「批判的工学主義」の位置と射程

木内俊克氏と土居義岳氏は《すばる保育園》に合わせて発表された『ちのかたち』(2018)および『批判的工学主義の建築』(2014)で展開した一連の議論を丁寧にトレースした上で、多様な参照によってそれらを正確に位置づけようとして下さった。

木内氏は、2016年に急逝したザハ・ハディドの右腕とされたパトリック・シューマッハの「パラメトリシズム」との関連性を検証する。コミュニケーションのネットワークの上に形態を生成するというシューマッハの主張は、例えばザハ・ハディドの新国立競技場の提案で初期案がコストの調整等で形態を変化させ、アシンメトリーで前傾していた形態がシンメトリに調整されていき、その過程でジオメトリが検討され、展開可能な曲面に整理されていった過程などはパラメトリック・デザインの真骨頂であり、その思想はより多くの考えが集積すればするほどアウトプットの質が高まるとする「批判的工学主義」と共通するものがあると同時に、その形態は進めば進むほど多元的な検討を巻き込んだ「ちのかたち」の考え方に共通する。

さらに拙作《OM TERRACE》(2017)と《すばる保育園》を比較し、前者が同様に連続体を標榜するものの記号的に切断された要素が前景化して見えるのに対し、後者では「連続体」が前景化しながらも連続的な場の質と記号的な場の質が相互に対比し合い、その緊張関係の中により強度のある情報が生み出されむしろ「記号的(切断的)」にデザインされていると指摘している。

前者が離散的なモデルで設計される軸組の鉄骨造であるのに対し、後者が連続的なモデルで設計されるスラブの鉄筋コンクリート造であり、「連続体」と掲げた際の意味は前者はより意匠的な意味が強かったのに対し、後者は意匠と構造が一致しており木内氏が指摘するように「より強度のある情報」が生み出されるのかも知れない。今後の実践の中でより深く検証してみたい。

《すばる保育園》での園長先生との何気ない会話から「子供の走りのような=満足とともに終了」という設計論は可能か、という論点を引き出し、「批判的工学主義」なる私の設計活動の基調となる論全体を批評してくださったのは土居氏の批評文である。

土居氏は「工学主義」の系譜を整理するため、まず過去2世紀程度の遠過去へさかのぼり、コルビュジエだけでなくゼンパーも含めてその時々の工学の課題に向き合う建築家の姿勢を比較する。そして1970年代の官製工学主義、すなわち人口増に対応した大学の再編のなかで「〇〇工学」が乱発された近過去への接続を行う。そのように歴史に接続することによって、その時々の社会的な課題と意匠的な課題を架橋しようとする建築家の姿勢のひとつが「工学」にあることを示すことができる、あるいはそのように論理を展開するとよい、と示唆を与えてくださっている。

私がかつて所属したのは東京工業大学の社会工学科であり、氏が所属するのも九州大学の芸術工学分野であり、「〇〇工学」とは何か、その枠組みでこそ可能な教育や研究、そして作品とは何か、という問いは、氏にとっても日常的な課題のひとつなのかも知れない。西原清之の言説の掘り起こしと比較を行い「事後のアルゴリズム」という位置づけをなしつつ、建築史研究への自己批判(断絶から更新へ)も行うという氏の論理展開には圧倒された。一つの問いから始まり、ストーリーの中でシークエンシャルに参照を展開し、読者に多くの共有すると同時に考えさせ、最後にまた問いに戻って答えを示唆する、というとても空間的なその体験こそが、私が「連続体」というキーワードで実現したい建築のイメージに重なって見えた。

こうして今回の建築討論11月号特集《すばる保育園》を振り返ると、6名の評者の皆さんとの議論およびショートレビューにおいて作品論が過去の著作における方法論や理論から多角的に検証され、さらに木内氏は同時代の動きを参照し水平方向の比較を、土居氏は過去(2世紀ほど)の動きを参照し垂直方向の比較をそれぞれ行って下さり、《すばる保育園》ならびに「批判的工学主義」の射程が面的に拡張され、ひとりの成果を共有しその射程を拡張するという、評論の大きな力を感じた次第である。同時に、作品論というものを作品単体のみで論じなくてもよいのではないか、背景となっている理論や方法論を同時に検証してもよいのではないかと、本コーナーの趣旨も拡張されたように感じた。

特集は11月初旬に公開されたが、それぞれの批評文を改めて読み直し、精読すればするほどそれぞれの評者の方々の真摯な姿勢を感じ恐れ入った次第である。また一貫した態度で創作することと、振り返りを続けることの重要性を思い起こし、今度は例えば評者の誰かの皆さんの成果をもとに評論するような場を持つことで互いに成長していきたいと感じた。各評者の皆様に感謝申し上げます。

《すばる保育園》現地見学の様子

建築討論

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藤村龍至

Written by

ふじむらりゅうじ/1976年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。2005年より藤村龍至建築設計事務所(現RFA)主宰。2016年より東京藝術大学准教授。 主な建築作品《すばる保育園》(2018)、《鶴ヶ島太陽光発電所環境教育施設》(2014)他。主な著書『ちのかたち 建築的思考のプロトタイプ』

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