大友克洋著『THE COMPLETE WORKS 8 童夢』

緻密な描画手法から読み解く表現の先へ(評者:津川恵理)

Eri Tsugawa
建築討論
Aug 20, 2022

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私達はなぜ大友克洋の作品にこんなに惹かれるのだろうか。単行本より一回り大きいB5変型サイズとなって、新たに復刻刊行した新刊を基に、大友克洋の描画方法を読み解くことでその理由を今回明らかにしていきたい。今回取り上げる『童夢』は、1983年に刊行されて以来約20年、60刷以上の増刷を経て絶版となっていた。待望の新刊である。

本作の舞台とされる埼玉県川口市の芝園団地は、1978年に日本住宅公団(現在のUR都市機構)が建てた賃貸住宅で、約5000人が住んでいる。この団地は、外国人(特に中国人)が多く住んでいることで有名である。しかしそれは1990年以降のことである。1980年代から永住資格をもつ外国人の入居が認められるようになり、1992年には中長期の在留資格を持つ外国人の入居も認められるよう、国が通達を出した。保証人が必要であることなど、外国人の入居が難しい物件が多い中、芝園団地は外国人の入居のハードルが低いことから、このような状態になっていった★1。

そんな団地で繰り広げられるのは、2人の超能力者による闘いである。巨大で均質な住居空間を破壊しながら闘うサイエンス・フィクションである。しかもそれは老爺と少女。社会・経済を動かしている年齢層ではない存在が主人公となる。これは、昼間の活動が想像しにくい2人でもあり、本作ではそこが描かれないため、物語全体に不気味さが増していた。

物語冒頭、見開きいっぱいに描かれた夜の団地の背景に「どさッ」という吹き出しのある風景で、ストーリーは始まっていく。通常であれば人物からセリフが出るところを、団地風景が人格をもち、主人公となってストーリーが始まるのは、風景を切り取って何かを示唆する独特な手法である。広大に拡がった居住空間の不気味さを、情景として表現しているようにも解釈できる。『童夢』では、団地内で変死や事故死などが数十件と連続で起こる。実はこの犯人は超能力をもった老爺なのである。もちろん超能力を使っているため事件が解決することはない。そして、奇妙な事件の原因を警察が必死に捜査し続ける隣で、住民が日常を過ごすという、事件と日常と相反するシーンが繰り返される。また、各々のシーンで、カットが突如飛ぶのが印象的である。描かれなかった間の詳細が省かれることで、悲観的な結論と、ストーリーの結果だけを得てしまった失望感が重なっていく。老爺が超能力を用いて次々に人を死に追いやっていくという、全く共感しにくいストーリーであるにもかかわらず、突如アップで描かれるカットが入ることにより、一気に登場人物の心情をつまびらかに感じ取り、共感を獲得する。また、大友克洋の『童夢』には直接的な心情描写がない。事実である台詞と、現象、人物の表情だけを描き、内面を読者に想像させる。引きで描かれるカットが多いのも特徴で、まるで記録写真を見ているかのようだ。動きや人物の感情を読者の想像力に委ね、ドライな描写法だからこそ描かれる鮮烈な恐怖感が、読者の心情に訴えかけてくる。全て読了した時は、感性に猛烈に訴えかけてくる巨大なアート作品を堪能したかのような気分になった。

『童夢』が連載された1980年の日本は、高度経済成長期を終え、バブル景気に突入する直前だった。住宅団地は、生活に必要なインフラの効率化を高め、公共交通機関の運行や周辺施設へのアクセスなど、都市における高密度なサービスを可能とするため、昭和40年代には全国で約32万戸が建設された★2。個人の豊かな生活に焦点を当てるというよりは、社会インフラの合理性から成る共生の成り立ちは、団地の外観に顕著に出ているとも言える。大量の住戸が均質に積層する様は、都市の中でも異様な光景である。本作においても、団地全体の俯瞰図や、団地中央から見上げ、建物に囲まれた抜けのない外観が幾度も出てくるのが印象的だった。そのような異様な情景が住民の心情に与える影響を、『童夢』では、巧妙な描画手法とストーリーで見事に描き切っている。本作では、超能力を持った主人公に誰も気づくことができず、止めることの出来ない珍事件が起こり続けるのだが、これは、住環境として異常なまでもの巨大なスケールを持つ団地が、住民同士の距離を大きくし、分断を招いている状況を描いているようにも思えた。

大友克洋の『童夢』には、見開き1枚の画が全体を通して5回出てくる。どれもセリフがほとんど無く、画力で繊細に描かれた表現の強さがある。しかしそれは、ただ情景を表現するというだけではない。読者に訴えかけてくる強い何かがあるのだ。ストーリーの中で急に俯瞰で引いた視点を入れたり、血痕が飛び散るシーンでは数ページだけ2色刷りになったり、突如アップで顔面のシワ一つ一つを捉える表情を描いたり、心をえぐられるような濃密な表現がそこにはある。ページをめくる毎に、予想を裏切られる読書体験が連続で起こる。これは、表現の理想を追いかけた先に、漫画の表現が読み手の感情にどのような影響を与えるか、緻密に想像できる豊かさを作者が持っているからではないだろうか。常識から逸脱する裏切りがありつつも、多くの共感を獲得するような”新しい普遍性”を作っている『童夢』に、建築家として羨望のまなざしを向けずにはいられない。建築に限らず、特に何かを制作する人は、大友克洋の制作から勇気をもらえる人が少なくはないはずだ。 それこそが、大友克洋の作品の魅力だと思う。

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★1 大島隆 著「芝園団地に住んでいます―住民の半分が外国人になったとき何が起きるか」(明石書店、2019)

★2 「数字で見る UR都市機構の60年」 https://www.ur-net.go.jp/aboutus/publication/web-urpress43/special2.html

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書誌
著者:大友克洋
書名:大友克洋全集 第8巻 童夢
出版社:講談社
出版年月:2022年1月

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