女性が建築の世界で働きやすくなる可能性をともに考える──建築家・乾久美子インタビュー

| 067 | 202301–03 | 特集:Mind the Gap

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建築討論
Feb 25, 2023

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日時:2022年12月17日(土)
場所:乾久美子建築設計事務所
聞手:成定由香沙(N)、福屋粧子 (F)

乾久美子(いぬい・くみこ)・・・1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996年イエール大学大学院建築学部修了。1996年-2000年青木淳建築計画事務所勤務。2000年乾久美子建築設計事務所設立。2011年-2016年東京藝術大学美術学部建築科准教授。2016年- 横浜国立大学都市イノベーション学府・研究院 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。2020年日本建築学会賞。

F:建築界のジェンダーギャップについて「建築討論」で特集するにあたり、日本の女性設計者として、また教育者として幅広く活動されている乾久美子さんにお話をうかがいます。

フェミニズムと都市と建築の関係を考える本から

F:はじめに、ジェンダーギャップやフェミニズムと、都市・建築を結びつけて語る本を紹介していただきたいと思います。

乾:私がイエール大学で学生だった1994年あたりですが、ビアトリス・コロミーナ (Beatriz Colomina) の著作 “Privacy and Publicity: Modern Architecture as Mass Media”, 1994(fig.1左)(邦訳『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』 )が大きな話題となっていました。フェミニストの建築批評家による建築批評本で、世界的な潮流だったのかもしれませんが、フェミニズム的の視点から再考することでこれまでの建築史が書き換えられていく面白さがありました。また、フェミニズムというものの存在意義が更新されていく感じがする時代を感じさせました。自分がいきなりフェミニズムをテーマにするということはなかったですが、面白い議論がこれから展開していく予感がしました。

fig.1 Beatriz Colomina(1994), Privacy and Publicity: Modern Architecture As Mass Media /Jane Hall(2019) , Breaking Ground : Architecture by Women

F:1990年代からアイリーン・グレイなどの女性建築家の再評価が始まりましたが、コルビュジェとロースのメディア論が盛んになるきっかけの本ですね。机の上にあるJane Hall ”Breaking Ground : Architecture by Women”, 2019, Phaidon(fig.1右 )は近年出版された本です。リナ・ボ・バルディをはじめとして女性の建築界での貢献がクレジットでは消されることが多いことに言及し、逆の見方で再評価した本です。設計者のなかで女性だけをクレジットしてA-Zで並べています。例えば、ヴェンチューリ+スコット・ブラウンの作品フランクリンコートを、ロバート・ヴェンチューリではなく、デニス・スコット・ブラウンだけのクレジットで掲載するなどの方法で212作品を集めています。実はパートナー(★1)として重要な多くの女性建築家がいるという問題提起のための厚い本だと思います。寧波博物館の設計者としては陸文宇(Lu Wenyu)が掲載されています。王澍は単独で中国の建築家として初のプリツカー賞を受賞したわけですが。

乾:学生と共に中国を訪問した時に、陸文宇にお会いしたことがあります。王澍の奥さんですが、一緒に設計している印象の発言が多く、王澍という個人の建築家という世間的な表れとは違っていて、実際はどうなんだろうなと思っていました。

F:そのケースは多いでしょう。パートナー間の関係は他人には見えにくいので。

乾:近年の本では、2022年出版のレスリー・カーン『フェミニスト・シティ』(晶文社)(fig.2左 )が面白かったです。

この本では「インターセクショナリティ(交差性)」という概念が紹介されています。カナダ人のレスリー・カーンは人種・移民の問題がある社会でのジェンダーを取り扱っており、男女差別の問題や人種差別の問題がバラバラではなく、複数のタイプの差別が重なりあうことで多様な抑圧が生まれていることを指摘しています。タイトルが女性の視点から都市の不快さ、不便さを告発するものかと思わせてしまいますが、中身はそう単純なものではないのです。作者自身は白人なので、女性として抑圧される立場である一方で、白人としての優位性により抑圧する立場でもあるということへの自覚もあり、自らが両義的な立ち位置にいるということを守りながら書かれています。テキストとして信頼できますし、こういう立場からしかフェアに都市を語れないのではないか、こういう立場からであれば新しい建築・都市の可能性が生まれるのではないかと思わせるところが良いところです。男女の差だけの単純なフェミニズムの話だけだと一方的な告発に陥ってしまい、答えのない世界になっていくことが避けられていて巧みです。

fig.2左 レスリー・カーン『フェミニスト・シティ』(2020 邦訳2022) , 右 レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014 邦訳2018)

F:コロミーナが、コルビュジェやロースなど歴史的な建築作品に対して行った分析を、都市に対して行ったということでしょうか。

乾:確かに。コロミーナのテキストも、女性の怒りというよりは、視点のフェアさや正しさを感じましたので、似ているかもしれません。同じくアメリカの評論家では、レベッカ・ソルニットの本もありますね。

N:「マンスプレイニング」という言葉を作った方ですね。

乾:はい。『説教したがる男たち』(2018年, 左右社)(fig.2右 )ですね。男性の行動の中に埋め込まれた差別を告発する本です。ソルニットはどちらかというと告発的な論調で、本の中で怒り続けているので読書の途中から読むのがつらくなってきます。ただ、ソルニットはいつでもフェミニストとして怒っているわけではなく、全然違うタイプの本も書いています。東日本大震災の時に読んだ方も多いと思いますが『災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』や『ウォークス 歩くことの精神史』などは読んでいて前向きになれる本です。

fig.3左 『災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(2009 邦訳2010), 右『ウォークス 歩くことの精神史』(2000 邦訳2017) ,ともにレベッカ・ソルニット

固定化されやすい女性建築家像

N:乾さんのインタビューで「女性建築家を目指す人たちにアドバイスはありますか」の質問に対して、乾さんが「体力をつけてください」「いいものを作るには男も女も関係ないのではないか」とおっしゃっていたのが印象的でした。(国広ジョージ編『僕らはこうして建築家になった』 2005年)一方、乾さんはメディアで女性建築家として登場する場面が多いと思います。「女性建築家」は「繊細な設計ができる」「コミュニケーション能力が高い」など、ポジティブではあれど、性別による偏ったイメージが世の中にはまだ存在している印象があります。メディアの「女性建築家」という言葉と、どう距離を取ろうとしているのでしょうか。

fig.4 インタビュー風景

乾:インタビューなどで、相手が勝手に人物像を作ってしまうことには違和感を感じます。「男勝り」ですね、とか言われて困ったりしたこともあります。最近ではこういう言い方もセクハラだと認識されるようになってきたので、こういう言い方をされることは無くなってきているようにも思います。

F:留学先のイエール大学ではジェンダーバイアスは感じましたか。修士設計は、1人の女性のための家という話を聞いたことがあります。

乾:修士設計は、建築家トーマス・ビービー(Thomas H. Beebyのスタジオでした。最初から1人の女性のために作ろうと思ったわけではなかったのです。スタジオの課題は「一戸の家を施工まで考えてデザインしなさい」というもので、「重機を使うな。なるべく一人の手で作ることを考えて施工まで考えなさい」ということも課せられていました。そこで、土を盛って現場打ちでアンジュレーションがついたコンクリートスラブを打設しようとか、自分の考えられる範囲で自主施工的な方法を考え続けました。また途中で「ビスとかボルトは素材と素材を貫くものであり痛々しいからやめろ」と先生から指摘され、部材を組み合わせてロープで縛るようなジョイントを考えたりもしました。そんなふうにディテールを考え続けていたら面白くなって、最終的にわりと優しい建築というか、素材の特性をそれぞれに生かしたちょっと不思議な構造体になった。裸でも過ごしてもかまわないぐらいにまでディテールや環境制御の方法を考えていたので、その宣言として、パースに実際に裸の人を設定しようかと思いました。そして、パースに男性の裸を描くのもどうかなと思い、女性を描いておいたというわけです。

フェミニズムに関するイエール大学での強烈な体験としては、さすがアメリカというか、アクティビストっぽい動きをする学生がいたことです。同じスタジオの履修者だったのですが、講評会にバスローブ一つで登場し、課題のおかしさなどをフェミニズム的な視点で告発するようなプレゼンをしたのです。スタジオのメンバーは、さぼっていたことをごまかすためであることを知っていたので、困った奴だなーという感じで見ていたことも、印象的でした。東京藝術大学にはそのタイプはいなかったですね。すくなくとも建築科はアクティビストというよりは職人肌、という感じの方が多かったので、違う世界にきちゃったなーと思いました。

fig.5 インタビュー風景

N:長谷川逸子さんは、大学進学時に女性であることが理由で進路を選べなかったとインタビューで答えていました。乾さんが進学された、1988年当時はどうだったでしょうか。

乾:私は末っ子だったこともあり、特に進学を反対されることもなかったです。美大といえば京都市立芸術大学だろうと思っていて、美大志望だったので当然のように京芸をめざしていました。高校にはいってすぐに美大受験の塾に通い始めたいと言ったにも、親はすぐにOKを出してくれました。最初は絵画系のファインアートにいきたいな思っていたのですが、自分よりも芸術的な素質がある人がいくらでもいることに気づいて、いろいろ考えていく中で、美大でも建築科がある東京藝術大学を志望を変更しました。東京藝術大学の建築科の女子学生は私が入る前までは少なかったようです。17人中の2人程度と聞いています。ただ、私が入学した年は5人に倍増して、東京藝術大学の建築の中でも新しい時代を感じさせたのではないかと思います。学生時代は1/3が女性という状態でしたので、特に男女の区別なく過ごせることができました。

F:草創期とはかなりの違いがありますね。東京藝術大学建築科で初めての女子学生は、1953年卒業の奥村まことさん(旧姓戸塚)です。戦後の女性設計者の活躍については松川淳子・中島明子・杉野展子・宮本伸子「日本における戦前戦後の草創期の女性建築家・技術者」で述べられていますが、2021年以後、A+Uなど一般向け建築雑誌でも再評価が進んでます。1952年に活動開始した女性建築家団体PODOKOもありました。

乾:1988年当時の日本の状況との対比で言うと、海外から学生が調査に来て、情報交換として日本での女性建築家の話をすると、調査者の母国より良い状況かもしれないという話が出ることがあります。

F:その可能性はあるようです。作成したグラフを読み解いた時に、女性設計者の中での筆頭率は高いのではないかという指摘がありました。長谷川逸子さんのインタビューでも、海外と比較した場合に日本に女性建築家が多いのは、住宅からスタートできる可能性が日本にはあるからだとおっしゃってました。

N:長谷川さんのインタビューでは、最後のアドバイスが「もっと積極的にパートナーを組んで行くといい」でした。長谷川さん自身もインタビューで、「世界での認知度は高いのに、海外で実現した建築が少ないのはなぜでしょう」という質問を受けて「男性のパートナーがいないから。私の感覚では、それは大きかったと思います。」と答えています(★2)。長谷川さんはそれを感じつつも1人でやってらっしゃったのですが、乾さんの場合はそう感じることはありますか。

乾:長谷川さんがそう思ったというのは、考えさせられますよね。下の世代である妹島和世さんを見てそうおっしゃられたのかなと思います。男性じゃなくても、強力に信頼できる人が近くにいた方が、より会社を大きくできるでしょう。ただ、そのことに性別が関係があるかというとわからないです。

建築設計にはいろいろな種類の仕事があるので、一人が全部やってもいいですが、得手不得手を分散していくこともできます。しかもその方がいいものができることだってあるジャンルだと思います。事務所ではスタッフにどんどん渡して、スタッフとのパートナーシップを作りたいと思っていますが、私が細かい人間なので、いろいろ口出しして嫌がられているような気もします。

女性建築家は増えるか

F:作品選集の女性設計者の数をラフに1990年代から調べた資料を作成しました。2021年で12.3%です。女性の筆頭設計者率は2007年まで増え、その後増減しています。一方、連名の女性設計者は増えています。女性建築家は少ないと思いますか。

乾:多いか少ないか、簡単に答えるのは難しいと思います。他の職業と比較して少ないですが、近年は多くなっているなと感じています。20年後にはもっと増えているイメージはあります。

F:東京藝術大学やYGSAの学生の女性率は高いですか。彼女たちが今後続けるために必要な仕事環境・制度などについての考えはいかがですか。

乾:教えた学生の男女比は半々です。女性設計者は今は少ないかもしれないですが‥‥。今後も、確実に増えると思います。建築業界も遅ればせながら、業界としてはワーク・ライフ・バランスを考えるようになってきているので。長く続けられる職業としての選択肢になると思います。また女性の場合、私は違いますが、産休や子育てと両立できるかがやっぱり重要だと思います。企業体力に関わらず、国の制度で産休が可能な状況になれば、建築業界の女性進出率はかなり変わるでしょう。

F:その可能性はあります。ぎりぎりまで働いて、ちょっと休んで。

乾:また、無駄な労力を無くしていくことも必要だと思います。建築業界だけじゃなく、日本全体がリスクを回避することに必死で、社会全体で無駄な仕事をものすごく増やしていると感じます。どのジャンルでも書類のための書類がまだまだ多いのだと思いますが、建築業界もご多分にもれず、特に公共工事の建築実務の書類仕事は尋常ではありません。行政協議やペーパーワーク、形式のための業務が多いプロジェクトを、わざわざやりたいと思う女性は少ないでしょう。女性は体力的にも無駄なことを嫌いますので、建設業界の書類主義、官僚主義的な実務は、女性に嫌われる要素の一つなのかなあと。まあ、書類作業が好きな方もいるかもしれないので、ジェンダーは関係ないのかもしれませんが(笑)。

F:ちょっと飛躍しているようにも感じましたが、間接的には関係するかもしれません。ただでさえ時間が削られ、体力も比較的ない中で、労力をいかにかけたかの勝負になるのは不利ですね。煩雑さを引き受けてまで、規模が大きく複雑な設計には関わりたくないと考える可能性はあります。

乾:女性設計者にとってだけではありませんが、設計料が実情に見合っていないことも大きな問題です。設計のクオリティを上げようとしても対価がなく、体力勝負の仕事になってしまい、長時間の労働も当たり前です。そのことがジェンダーギャップに繋がっている側面はあるのかなと。この辺りは少しづつ改善はされつつあると思いますが、とはいえ、いまだ女性の方が家事労働などのシャドウワークを多めに抱えているはずで、仕事と家庭を両立が難しい環境なのかなと思います。社長の立場である私や仕事を一通り覚えているスタッフは、比較的自由に自分で決めた時間に帰るなどをしていますが、仕事を覚えることと、実務を同時にやっている若いスタッフはそうはいかないです。もっと設計に対する支払いが多ければ、こうした状況は改善できると思います。

F:働き方の自由度もない。たとえば、50%の専門労働などの考え方は、日本では行われていなかった。少しずつは変わってきていると思いますが。2016年5月号『建築画報』特集 かがやく女性・かがやく組織 では大手設計事務所での女性設計者の働き方を幅広く示しています。

乾:大手の設計事務所は真剣に取り組んでいるでしょうね。女性が働きやすい状況を作ろうとしているとは思います。

ジェンダーバランスに配慮して?

N:乾さん自身のキャリアの中でのジェンダーの捉え方について伺います。自分の世代(2017年大学入学)では、ハラスメントにも厳しい社会になっていました。私自身も「ジェンダーバランスを考慮して選んだ」と面と向かって言われた経験があります。配慮しています、というポジティブな面だとは思うのですが、私自身は、実力があるかどうかに関わらず、女性であるから選ばれたのだという、複雑な心境を逆に感じています。

乾:面と向かって言われるのはすごいですね。

N:また2000年以降では、社会的な風潮として、例えば、さっきのイエール大学でのバスローブの方になんだろうと思う「フェミニズムに対する複雑な心境」が現れたのと並行して、「自分自身はもう十分な権利を持っているから、戦う必要もない」「そんなに声を上げなくてもいい」という 「ポストフェミニズム」の流れが出てきました。それを経て、私自身は繊細な問題になりすぎていることに複雑な気持ちを抱いています。乾さんはご自身のキャリアの中で、ジェンダーに対して、女性であるということに対して、どう捉えていらっしゃいますか。

乾:ぱっと答えるのは難しいです。でも、「ジェンダーバランスを考えて採用しました」と相手に直接言うのは失礼ですね。ソルニットなら激怒していることでしょう。

建築設計の責任教育とジェンダー

乾:女性の筆頭設計者が少ない理由をあえて考えるとすると、建築設計の社会的責任が大きく、場合によっては訴訟の可能性もあることが影響しているかもしれません。楽しく、柔らかいことを考えるのが建築のデザインだと思って社会にでてみたら、恐ろしい現実が待っていたことに驚く若い人は多いと思います。社会的責任を負ってまでやりたくないと考え直す人がいる可能性はあります。これもジェンダーの差はないかもしれないですが…。

F:実務に入って、訴訟と言われギャップを感じることはありますが。

乾:もう少し、社会的責任について建築の専門教育で触れても良いのではないかもしれませんね。

fig.4 AIA The Architect’s Handbook of Professional Practice 学生版

これはアメリカ・イエール大学大学院3年プログラムの3年生後期最後の授業で渡される、AIA(アメリカ建築家協会)作成のプロの実務解説書の本です(fig.4 AIA The Architect’s Handbook of Professional Practice 学生版、一般向けはこちら)。

学生時代に全部読み込むわけではないですが、建築実務はこれだけのことをやるという内容で、卒業生する前に全員この授業をうけることになっていました。授業で、下手するとクライアントから訴訟を受けるぞ、と先生に脅されるわけです。衝撃を受けると同時に、確かになーと妙に納得したのを覚えています。脅すといっても別にシリアスな感じの授業でなく、試験もないので、先生の言うことを時々誰かが茶化しながら聞くような楽しい授業でした。自分達はこういう世界に行くんだなーというマインドセットが自然に生まれるような内容でした。

F:法規の授業とは違う、職業倫理と実務の話ですよね。確かにその授業は日本の必修課程にはない。

乾:日本でもやってもいいのかと思う反面、夢を壊すからやめた方がいいかもしれず、どっちなのだろうと悩みますね。日本の、学生の夢を応援しようとするふんわりした建築教育環境が、日本の建築クリエーションに対する情熱を促しているという側面はあるような気がするからです。

また、別の話ですが、女性の視点、繊細だとかコミュニケーション能力という、誤解を含めて記号的な理解ですが、そういったものが仮にあったとして、女性性というものが、建築界にどう役立っているのかということも、これから議論になってほしいなとは思いますが‥‥。どう議論するといいのでしょうね。

F:そちらも大きなテーマになり得ると思いますが、本日は時間切れになってしまいました。ジェンダーギャップについてはまた新しい語り方を考えていこうと思います。お忙しい中、インタビューにお答えいただき、ありがとうございました。

★1–本インタビューで言及される「パートナー」は、ビジネスパートナー、仕事上のパートナーを指す。詳しくは長谷川逸子インタビューの註を参照。

★2–日経アーキテクチュア2018年12月13日号 p.78 より。日経クロステック記事 注目の建築人2019 10大建築人第6位、長谷川逸子・建築計画工房の長谷川逸子代表も同内容。■

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建築討論委員会(けんちくとうろん・いいんかい)/『建築討論』誌の編者・著者として時々登場します。また本サイトにインポートされた過去記事(no.007〜014, 2016-2017)は便宜上本委員会が投稿した形をとり、実際の著者名は各記事のサブタイトル欄等に明記しました。