宮城俊作著『庭と風景のあいだ』

緑と建築の再考(評者:内藤啓太)

内藤啓太
建築討論
Mar 2, 2023

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「ランドスケープデザイン」と聞いてなにを思い浮かべるだろうか?
緑、風景、景観、街路、広場、プロムナード、外部空間など…、カヴァーする領域が広く、多義的な解釈があることは自明である。「庭と風景のあいだ」というタイトルも、その輪郭が決してはっきりと縁どられたようなものではなく、ぼんやりとして、曖昧なものであることを前提としている。本書の狙いは「ランドスケープデザイン」の本質を探ることだが、定義することを目的せず、それを思考すること自体に重きが置かれている。著者が自身の思考するプロセスを示すことで読み手も自然と思考を開始する、そのような構成だ。ランドスケープデザインを生業とする代表的な分野としてランドスケープアーキテクチャー(造園学)がある。著者の宮城俊作氏は、ランドスケープアーキテクトとして長きにわたり実務と研究を積み重ねてきた。その経験に基づき、客観的な視点だけではなく、主観的な視点を合わせて、ランドスケープアーキテクチャーが発展してきた歴史的経緯や基本的属性について著者が影響を受けたデザイナー数人の実践例などとともに確認し、とりわけ生態系サービスの向上や生物多様性の再生といった面でサステナビリティの実現に貢献できる潜在性を少しずつ提示していきながら、ランドスケープデザインのひとつのありようを考えていく。読み進めていくと、「横断的スケール」、「空間スケール」、「ヒューマンスケール」といった「~スケール」という言葉にたびたび出くわす。それは、ランドスケープデザインに含まれる対象が庭のような私的で小さいものから風景のような公的で大きいものまで幅広く、それらのどこに照準を合わせるのか、「スケール」が常に重要なキーワードになるからだろう。とは言っても全てを同じクオリティーでカヴァーできるわけではない。エコロジーやエコシステムの面で共鳴することができるとすれば、建築にかかわる者のアプローチとしてはどのようなものがあるだろうか。

ランドスケープデザインの本質を思考すれば、その思考のプロセスにおいて、建築が扱う領域とは? 建築の職能とは? という問いにもぶつかるだろう。建築も手段としてランドスケープデザインを用いる職能のひとつだからだ。日本においてそれらが歴史的にコラボレーションしてきた例を考えれば、まっさきに建築と庭の組み合わせが思い浮かぶだろう。江戸時代初期の作庭家として著名な小堀遠州は建築家でもあった。例えば大徳寺孤篷庵の茶席「忘筌」や南禅寺金地院の茶室「八窓席」など、彼の設計の対象は庭だけでない。また、「借景」は日本における伝統的な作庭手法であり、生活空間を超えた領域にもデザインが及ぶ。後嵯峨上皇(1220–1272年)が亀山殿造営の際に吉野の桜を嵐山に移植したことはよく知られ、その跡地に建つ天龍寺では現在もその嵐山を借景とした庭を鑑賞できる。建築と庭が一体的にデザインされることで成立し、どちらか一方が欠けては成立しない。近代以降も、日本における伝統的な建築と庭の関係性、を思考し、実践へとつなげてきた建築家は決して少なくなかった★1。それらの関心が「風景」「空間」「場」といった視覚性、身体性、精神性などに向くことが多かったことは否めないが、庭、すなわち、緑との対話を重ねてきたのである。

一方、本書の第二章の最後には、緑のための建築を思考、実践した建築家・瀧光夫(1936–2016年)の活動が取り挙げられている。そこでは、断面図に詳細に表現された緑と建築の関係性に焦点が当てられている。彼の建築観については、瀧光夫『建築と緑』★2や京都工業繊維大学が2020年に開催した展覧会の記録★3を参照してほしいが、瀧光夫ほど、植物の維持管理や生育環境について深く思考した建築家はいないだろう。

注目したいのは、ランドスケープアーキテクチャーの職能が、「風景」というすでにあった美学的概念に、「環境」という後に生態学(エコロジー)に継承される科学的概念を組み合わせることによって、特に近代以降に確立してきた経緯があるということだ。これについては、第一章にて概説され、そうした科学的概念が本書の全体を通しても常に根底に置かれている。第七章では、このような背景から、生態系サービスの向上や生物多様性の再生といった面でどのようにサステナビリティの実現に貢献できるか、都市公園、グリーンインフラ、パッシブデザインといったいくつかの具体例を媒体にして試論が提示される。実現するためのキーのひとつとして著者が強調するのが、生態系が健全に育まれる土壌の維持だ。また、生態系が健全に育まれる土壌は、「緑」が健全に生育できる土壌でもある、と解釈することもできるだろう。土壌といえば、最近では、「土中環境」★4という言葉を耳にすることも増えたのではないだろうか。「緑」が健全に生育できる土壌を考えることは、断面を考えることであり、まさに瀧光夫が意識してきたことだ。

ここでは、都市においての「緑」が健全に生育できる土壌の維持について考えてみたい。本書で存在意義を問い直されている従来の都市公園像は、最初から計画的に緑が配置され、都市の緑地を担保してきた。一方、民有地においても、美術館、ホテルなどの開放されている緑もあれば、個人邸宅の庭のように隠された緑もあり、東京にも多い。東京の前身である江戸には、江戸後期には1000を超える大名屋敷があり、その敷地内には概ね庭がつくられていたから、それらが都市の緑地を構成する大きな要素となっていた。これらの庭は、明治維新以降、徐々に姿を消していったが、所有者を変えながら現在まで継承されているものも少なくない。さらには敷地が分譲されながらも、開発に取り残され、庭の痕跡を部分的に残しているケースも意外とあるのだ。こうした事例は東京では特に斜面地に多い。文京区千駄木にある「千駄木ふれあいの杜」は、江戸期には太田家の下屋敷だった場所で、『太田備牧駒籠別荘八景十境詩画巻』(文京ふるさと歴史館所蔵)に描かれるような立派な庭がつくられていた。明治期以降、徐々に宅地化が進み土地が分譲され、斜面地のみが宅地化から逃れ、そこに庭の一部を残している。港区高輪にある「高輪森の公園」も同様だ。江戸期には島津家の屋敷で、明治期には政治家・後藤象二郎や宮家の邸宅となった場所で庭もあった。その後、敷地は分譲され、高輪プリンスホテルなど、主に民有地として開発されたが、やはり斜面地のみ開発を免れ、そこに庭の一部を残している。いわば、庭の「切れはし」であるこうした緑地は、最初から計画的に緑を配置してつくられた従来の都市公園像とは異なり、庭という生活空間の一部である。しかし、これも生態系サービスの向上や生物多様性の再生を担う土壌となる。経済的メリットに欠け、開発に不向きな土地は都市では取り残されやすい。そこに「切れはし」の緑が隠れている。一方、いつ開発され、消失してしまうかわからない危うさも都市にはある。紹介した二つの事例はともに区が管理する緑地だが、民有地でも同様の事例は存在し、むしろ後者のほうがその危険性があり、価値づけが求められる。生活様式の変化は価値観の変化を引き起こす。建築は生活空間を構築する職能として、そこに入る余地は十分にあるはずだ。緑と建築の関係性を再考してみることが先決であり、本書が示す思考のプロセスがその手がかりになる。

斜面に残る庭の「切れはし」緑地①(文京区千駄木「千駄木ふれあいの杜」)
斜面に残る庭の「切れはし」緑地②(港区高輪「高輪森の公園」)

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★1 大江新太郎「敷石・飛石・手水鉢」『造園叢書』第七巻(雄山閣、1929)、古宇田實「建築と関係深き庭園」『建築學會パンフレット』第3輯第13號(建築學會、1933)、吉田鉄郎『DER JAPANISCHE GARTEN』(Wasmuth、1957)、西沢文隆『庭園論』Ⅰ-Ⅲ(相模書房、1975–1976)など、近代以降の日本の建築家による庭園に関する著作や論考は少なくない。
★2 瀧光夫『建築と緑』(学芸出版社、1992)
★3 京都工芸繊維大学美術工芸資料館にて2020年3月23日 〜 2020年12月12日に開催された展覧会「建築家・瀧光夫の仕事―緑と建築の対話を求めて」は、瀧光夫の建築家としての足跡を特集した初めての展覧会である。
★4 『建築雑誌』2021年10月号に掲載された株式会社高田造園設計事務所代表・高田宏臣の論考「伝統知を見直し、自然環境との正しい向き合い方を取り戻す」では、「土中環境」を健全に保つことの重要性が述べられている。彼の主な著書に『土中環境~忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』(建築資料研究社、2020)がある。

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書誌
書名:庭と風景のあいだ
著者:宮城俊作
出版社:鹿島出版会
出版年:2022年9月

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内藤啓太
建築討論
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ないとう・けいた/法政大学デザイン工学部建築学科教務助手。専門は江戸東京の庭園史。1993年生まれ。2018年法政大学大学院デザイン工学研究科建築学専攻修士課程修了。2018年~2020年中国政府奨学生として上海・同済大学に留学。2022年法政大学大学院デザイン工学研究科建築学専攻博士課程単位取得満期退学。