宮大工における技能の実体、継承、活用

042|202004|特集:大工職人のテクノロジー──大工の熟練技能は現代にいかに生かされるべきか

山本信幸
建築討論
11 min readApr 1, 2020

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はじめに

私は福井で社寺建という宮大工の会社をしております。40年余り日本の伝統建築に携わった大工としての経験から、普段宮大工の技能について考えていることを書かせていただきます。これまで様々な伝統建築の復元、新築、文化財修理等の設計や工事をさせていただいております。主な仕事は次のものです。

○復元

・薬師寺 金堂及び西塔(奈良県)

・首里城正殿(沖縄県)

・五稜郭にある箱館奉行所(北海道)

・新発田城 三階櫓並びに辰巳櫓(新潟県)

・福井城山里口御門(福井県)

○社寺建築の新築

・八幡大神社 楼門(東京都)

・西新井大師 東門(東京都)

○文化財修理

・国指定重要文化財 浄興寺本堂(新潟県)

・国指定重要文化財 星名家住宅(新潟県)

・国指定重要文化財 大塩八幡宮拝殿(福井県)

・県指定重要文化財 春日神社本殿(福井県)

○その他

・第五期歌舞伎座(東京都)

新発田城 三階櫓復元(新潟県)
国指定重要文化財 浄興寺本堂(新潟県)

宮大工としての出発点

私は中学を卒業し16歳で一般住宅の見習い大工になりました。今思うと恥ずかしい話ですが、その当時、生意気で自信家でした。2年ほどで墨付けもできるようになり、大工として順調な滑り出しだったのですが、逆に、早く一人前扱いされるようになった自分の技量に対し不安が出てきました。「木造がこんなに簡単であっていいはずがない、このまま続けて良いのか?」と、生意気にも方向性を見失った時です。迷ったのですが、多少使えるようになった道具をおいて、一度は大工をやめてしまいました。

次の仕事探しの合間に、アルバイト等でお世話になっていた親方が奈良の薬師寺伽藍再建工事に参加することになり、なんとなく親方と一緒に薬師寺に行くことになりました。そこで出会った、今まで想像もした事のないほどの高い技術や知識を持った人や壮大な建築が私の人生を変えます。大工という仕事の全体を、頂きが雲の上で見えない大きな山として喩えると、自分の大工としての立ち位置はまだ麓のところにいることを知ったのです。そこが私の宮大工としてのスタートだったように思います。工事に参加してまず驚いたのは、薬師寺の偉いお坊さんが、再建する建物について、経緯からお寺にとってどの様な意味がある建物なのかを1時間もお話しいただいたことです。これから建築の技術を盗んで少しでも早く一人前の大工になろうと意気込んでいた私にとって意外なことでした。

私が薬師寺の伽藍再建工事に携わり始めたのは金堂の工事の終盤で、これからまさに西塔の再建が始まろうとしている時期でした。西岡常一棟梁の元に全国から集まった15~6名の先輩大工の中、一番の下っ端大工です。大型の木工機械がほとんどなく、加工は手道具での仕事でした。その点も私にとっては手仕事を学ぶ貴重な体験だったと思います。

薬師寺で学んだ宮大工の基礎

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、薬師寺西塔は三重塔ですが各層に裳腰(もこし)と呼ばれる庇屋根がついており六重に見えます。三重塔としては特殊なつくりです。塔は、一般の建屋にくらべ平面に対して高さが高く軒の出も大きい非常に難易度の高い建物です。各面での仕事の精度や木材の良し悪しにバラつきがあると塔は傾いたり捻じれたりします。そこでの経験で木材の癖や性質について先輩大工からの教えはもとより、実際自分自身肌で感じる事が出来た事が大きな収穫でした。実際に私も最上階の隅部の軒先を人力で押して見たのですが簡単に動きます。手を放すとまた元の位置に戻ります。それほどバランスよく出来ていないと長期間自立することは出来ないのです。また、軒の反りや隅の納まりを墨付けや現寸図 を書く上で重要な規矩 (きく)についても、現在の規矩術がまだ確立していない時代の建物のため、現在のほぼ確立した規矩術をもって古代の規矩を読み解く為、より深く規矩術を勉強する事が出来ました。そこで学んだのは次のことです。

・建築主の思いや建物の役割を理解する必要性を知る。

・手仕事を一から学び直す。

・木材についての知識を学び性質を肌で感じる。

・規矩術を一から学び柔軟に使える基礎を学ぶ。

とはいえ、この時点ではまだまだ知識も技術もありませんでしたが、心構えだけは出来たように思います。現在、棟梁と呼ばれる機会が増えましたが16~23歳ぐらいのまでの時期に薬師寺で学んだ事が基礎となっているように思います。

再建に関わった薬師寺金堂(奈良県、1976年)
再建に関わった薬師寺西塔(奈良県、1981年)

宮大工の基本的な技能と役割

建築は、ご存じの通り一人で完結できる絵画や陶芸などと違い、複数の職種が協力しないとできないものです。そこには、設計者(意匠・構造)をはじめとして、少なくとも、屋根職・左官職・石職などと打ち合わせができる程度の知識が必要です。木造建築では、大工はその殆どの職種と関わるため、「道具使い」「原寸図」「墨付け」「組立・造作」の他に、各職種の一般的な知識とコミュニケーション能力が不可欠です。その上で、どの様に伝承して行くかが重要です。道具使い一つとっても、刃物を研ぐ事は個々である程度は出来ますが、実際の仕事の中で習得しなければ技量は上がりません。原寸図も「規矩術」という作図法は、個々で習得する事は可能ですが、原寸作成は、意匠性や屋根の止水、構造的納まりなどを総合的に考慮し作図する必要があります。これについても実際の仕事の中で習得して行くものです。

多種多様な大工道具
原寸図による設計者との打ち合わせ

江戸時代初期に幕府作事方棟梁の平内政信が著した木割り書・匠明に「五意達者にして昼夜不怠」(ごいたっしゃにしてちゅうやおこたらず)家訓があります。

五意とは

1.式尺(しきじゃく) 建築設計など(木割り)

2.墨曲(すみかね) 部材の墨付や現寸図の作図など(規矩術)

3.参合(さんごう) 工事費用の積算など

4.手仕事(てしごと) 道具使いなど

5.絵様・彫り物(えよう・ほりもの) 装飾の下絵と彫刻

昔の棟梁は、手仕事はもちろんのこと、設計から現場管理までこなす事を要求されていました。

原寸図による屋根曲線の検討
細部と装飾の検討
規矩からCADへ
原寸図による最終確認

技能継承と育成のための工夫

大工の育成するための一般的なツールとしてテキストや映像があると思います。市販されている書物は、会社である程度揃えていますが、必要な時に調べる程度でしか活用していません。規矩術については自作の研修資料を使い、不定期ですが勉強会を行っています。また、職人を採用するに際には、仕事以外で研ぎ物と読書を毎日1時間はすることを約束して採用しています。強制することはできないので約束を守っている職人もいますが、守れていない方が多いです。

技能を職人に伝えることは、言葉だけでも実践だけでも難しいので、各部材の役割などを理解させた上で仕事をさせます。例えば、部材同士を接合する仕口などでは、全く逃げのない寸法では組み立てができない場合がよくあります。その場面で、どこが大事でどこで逃げを取るかの判断は、その部材が果たしている役割を理解してはじめて可能になります。

職人を育てるには、実際の仕事の中で小さな失敗を経験させて、失敗から学んだ成功事例や達成感を味合わせる事で成長してゆくのではないかと思っています。最近は、なるべく失敗させず結論で指示を出す風潮になっている様に感じています。失敗から学んできた私たちが、これからの職人の失敗から学ぶ機会を奪うのは良くないように思います。

非情かもしれませんが、私はすべての職人が一人前にならなくても良いと考えています。十人に一人でも先人から受け継いだ技術や知識を伝承でき、なおかつ時代に対応出来る職人を育てることが重要かと思っています。その為には、重い荷物を背負って登坂を上る辛さを超える喜びを与える事が必要かと思います。多少辛くとも耐える為には、彼らのモチベーションの上がる案件(仕事)を与え、面倒でも何のために何をして居るかを伝える事かと考えています。一方では、本人が耐えられなくなった時には荷物を降ろしてやることも大事で、荷物を載せたり降ろしたりするタイミングを計ることが大事かと思っています。自ら歩こうとしていない職人に対して出来ることは限られています。

墨付け風景
加工した部材の前で職人と打ち合わせ

機械の活用

機械抜きで仕事をすることは不可能ではありませんが、現代では、電動工具を含めいかに上手に機械を使うことが大工の腕の良し悪しを判断する基準となっています。また、30年以上前からNC加工機を大規模建築で使い始めました。昨年末に焼失した首里城正殿の復元でもNC加工機を2台導入しました。材の特性や含水率など条件はありますが、精度が良く仕事の程度のばらつきがなく加工できます。機械性能に合わせた加工をするのではなく、機械で加工した方が良い所と手加工で加工すべき所を的確に判断できるのならば、積極的に使っていく方が良いと考えています。機械でしかできない加工、機械の方が安く精度よくできる加工もあります。先人が残してくれた仕口継手の考え方や役割を理解したうえで機械の活用を考えていくこともこれからの大工には必要です。機械を使用することで新たな仕口継手が考案できる可能性にも期待しています。

NC加工機を活用した首里城正殿

大工技能の評価と資質

大工技量を数値化することは非常に難しいのですが、大工技量で構造設計者が考える耐力が大きく下がることもあり得ます。つくり手(大工)が、これからつくる建物をどの様な要素で構造設計者が計算し設計したのかを良く知ることが重要です。その為には、つくり手も構造設計者と会話できる程度の知識を持つことが大事です。また、構造設計者もつくり手にこれを分かるように伝える努力をしないと良い建物にはなりません。

規模は別として、ある一定の組織がないと仕事もできませんが継続的な教育もできません。どこが評価するかは別として、実際の仕事を評価採点することも一案であるでしょうし、基本的な知識としては、検定など資格制にすることも一考かと思います。ちゃんとした仕事をしようとするとコストが掛かります。ちゃんとした仕事が出来る職人(工務店)は、ある程度予算がなくともちゃんとした仕事をします。それ以上に予算がなければ受けません。逆に予算があっても知識や技量がなければできません。技量に対して何らかの評価基準を設けることは、対価を払う建築主にとっても良いことかと思いますし、大工義教の向上についても良いことかと思います。

いずれにしましても、職人は実際に造る機会をもらえないと技術を伝承することは出来ません。現在ある指定文化財の修理だけではすべての伝承は難しく、新築での木造大建築を造る機会がないと伝承にも限界があるかと思います。先人の知恵は、主に文化財修理で建物を解きながら学び、新築での木造建築の中で先人の知恵や技術生かしながら新しい技術も生まれてくるのではないかと思っています。

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山本信幸
建築討論

やまもと のぶゆき/宮大工棟梁、社寺建代表、文化財建造物木工主任技術者。1958年福井生まれ。薬師寺金堂・西塔、首里城正殿、新発田城 三階櫓並びに辰巳櫓、福井城山里口御門の復元、浄興寺本堂、大塩八幡宮拝殿等の保存修理、第五期歌舞伎座等を手掛ける。