小川哲著『地図と拳』

描かれた「地図」からもう一つの都市を読み解く(評者:梅岡恒治)

Koji Umeoka
建築討論
Nov 4, 2022

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*本書評は、作品全般の内容に触れているため、ネタバレが含まれることご留意ください。

本作は、SF作家として数々の賞を受賞してきた小川哲の最新刊で、625ページにもわたる超大作である。物語は、日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀にわたる満州を舞台に、群像劇が時系列に沿って淡々と描かれる。物語の主要な舞台となる「李家鎮」という村では、戦争の侵略に伴う理想都市の建設と、侵略への抵抗という衝突の物語が、日本人・中国人双方の視点で語られる。この物語は、このような民族間の衝突の中で、都市の成り立ちから、計画の失敗、そして戦後に至るまでの過程が描かれるという、まさしく都市の栄枯盛衰の物語なのである。また、小川がインタビューで語っているように★1、それぞれが正しいと信じる理想の違いから巻き起こる戦争の過程について、客観的な双方の視点で描くという相対化の手法は、戦後70年近く経った現在だからこそ描写可能な戦争小説でもある。

さらに、この作品は、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の構造を参考に描かれており★2、著者のこれまでの作品同様マジックリアリズム的手法★3が取り入れられた、現実と幻想が混在する世界観が魅力のSF小説でもある。

このように本作は様々なテーマが盛り込まれた大作であるため、純粋に小説として読んでも十分に楽しめるのだが、ここでは建築・都市の書評空間において、本作のような小説を取り上げる意味を述べたい。

シミュレーションとしての都市

建築・都市分野に携わる者にとって興味深い理由の1つは、本作が特定の場所や現実の都市を舞台にしながら、理想的な都市の可能性をシミュレートしたことで起こる齟齬や可能性を、小説という形で検証している点である。そのため、建築や都市をデザインする過程に非常に近いプロセスを感じることができ、一種の都市シミュレーションとして読み進むことができる。結果、都市空間の実装において、こういうルール設定をすると、論理的に、このような不具合が起こりそうだなということが、追体験できるのである。しかもここで起こる不具合とは、ビッグデータに蓄積された人流などの定量的データではなく、人の主観的思考が、論理的に、帰結しうる問題点の指摘であり、それ故に、実務者にとっても興味深いのである★4。

本作では、このシミュレーションが作中でも行われていることが特徴的で、細川という主要な登場人物が満鉄を辞職した後に、「戦争構造学研究所」という組織を立ち上げ、戦争の今後を予測する話が織り込まれており、二重のシミュレーションがなされている。この構造は、いわゆる劇中劇のように、物語のシミュレーション的性格を高める効果を持っていると思われる。

史実とフィクションの交錯

こういった小川のシミュレーション的手法は、『ユートロニカのこちら側』(早川書房ハヤカワSFシリーズ Jコレクション、2015年)や『ゲームの王国』(同、2017年)でも用いられてきたわけだが、本作がこれらの作品より身近に感じられるのは、「満州」というかつて実在した国家を舞台にすると同時に、高山英華や「新興建築家連盟」など、実在する日本の歴史的な都市計画家や集団をモデルにしている点である。物語の主人公的存在である須野明男は、明らかに大同都邑計画の主要人物である高山英華を彷彿とさせながらも、同じく計画に関わった内田祥文的な雰囲気も感じさせつつ、現代の建築家である内藤廣の話★5も盛り込まれており、複合的な人物像が浮かび上がってくる点が読み手の想像力を掻き立ててくれる。

また、明男が在学中に関わる「青年建築家同盟」は、山口文象が立ち上げた「創宇社建築会」や「新興建築家連盟」を彷彿させ、赤宣伝によって瓦解していく過程も酷似している。

さらに、物語の主要な要素である「李家鎮公園」の「拳」のモニュメントは、物語の中では、「こぶしを突き上げた女性の腕」にも見える形をしており、「怒りのモニュメント」として描かれているが、コルビジェの「オープンハンド・モニュメント」をイメージする人は少なくないのではないだろうか。「オープンハンド・モニュメント」(図1)が「与える手と受け取る手。平和と繁栄、そして人類の団結」★6を意味していることを考えると、物語との対比が感じられ、興味深い。

図1: Open Hand Monument

時代を超えてコンセプトは残る

本作の『地図と拳』というタイトルについて、作中で、細川が「地図」とは国家であり、「拳」とは戦争であるとし、居住可能な土地に限りがあるから「戦争」はなくならないと語る場面(p.340)がある。この場面は、先ほど述べた「戦争構造学研究所」の設立記念祝賀会で語られており、国家と戦争の関係が語られる物語の重要なシーンである。

このように細川は、「地図」の限界を語ることで、「地図」と「拳」の両側面から未来を予測する必要性を説くわけだが、最終的に本作では、「地図」というものが「国家」(地理的枠組みを規定する存在)だけでなく、「理想郷」(地理的枠組みを超えた存在)を描く装置としても機能していることを見落としてはならない。

物語の中では、2つの理想郷が描かれており、1つは「青龍島」で、もう1つが「仙桃城」である。「青龍島」は次節で触れるため、ここでは触れないが、「仙桃城」は、現実の「大同都邑計画」(図2)をモデルに描かれている。物語の中で「仙桃城」は、高山英華をモデルにしたと思われる須野明男によって、五族共和のための理想都市として計画される。しかし、政治的状況もあり、都邑計画の主要な理念である旧市街の保存は実現せず、主要な再開発計画も頓挫する。その代わりに公園を計画するが、その主要なモニュメントは工期が遅れつつも一旦完成するが、終戦のどさくさで破壊されてしまうのである。

現実に高山らが計画した大同都邑計画も、都市と農村の融合を謳い、旧市街地だけでなく、城郭外の田園地帯も含めた「都市・農村計画」であったわけだが、こちらも同様に実現しなかった★7。

図2:大同都邑計画

しかし、高山らが描いた大同都邑計画は、エベネザー・ハワードの「田園都市」とトニー・ガルニエの「工業都市」の影響を強く受けてつくられており、東京の諸プランの実験場としての機能を担っていた。そして、ここで考えられた、線状都市の成長=膨張する都市のアイデアは、丹下健三による「東京計画1960」にも繋がっており、この計画が近代日本都市計画史上大きな意味を持っていたことが分かる★8。

このように、「理想郷」としての都市は物語においても、現実の「大同都邑計画」においても実現しないわけではあるが、そこで描かれた「コンセプト(理念・理想)」としての「地図」は、次の時代に引き継がれていくだけの強度を持っていたのではないだろうか。本作を読み通す中で、「仙桃城」の計画にも、「大同都邑計画」にも時代を超えていく強度が備わっていたのではないかと私には感じられた。

「測る」こととはデザインである

最後に、本作のなかで筆者が一番心惹かれたくだりを紹介したい。須野明男の父(以下、須野)が、国から地図を調査する仕事を受けて、ありもしない島(青龍島)がなぜ地図に描かれたのかを、様々な地図の歴史を紐解きながら、解釈しようとするくだりがある。ここで須野は、古代ギリシアの詩人ホメロスが歌った「オケアノス」を引き合いに出し、「人類は古来、まだ見ぬ世界に何かがあると空想し、それを地図に記してきた。この報告書は、いわば人類の空想の歴史であり、人類が世界をどのようにしてとらえていたかを遡るものである-」という報告書を提出しようとして、紙を破り捨てるということを繰り返す(pp.166-167)。この青龍島の種明かしは物語の終盤でなされるため、ここでは詳しく触れないが、ここで須野が語る「地図」の歴史を紐解くことは、「人類が世界をどのようにしてとらえていたかを遡るもの」(p.167)であるという解釈は興味深い。

本作でも描かれているように、「国家」を規定するためには正確な地図が求められるわけだが、同じ土地でも時代によって「地図」の描かれ方は異なっており、そこにはそれを描いた測量技師の存在が欠かせない。生身の人間である技師が描く「地図」には、様々な意思が込められ、同じ対象でも千差万別なものがあらわれてくる。これは、例えば、建築学科の名作建築のトレースの課題で、同じものを描いたつもりが、作品を並べてみると、それぞれがどこに注目して描かれているかが一目瞭然という経験から、共感できることではないだろうか。

このように、「地図」の作成過程において、いくら技術が進んで客観的な測量や作図が可能になったとしても、行為主体である技師の存在と切り離すことはできない。これは、「測る」という行為自体に既に「デザイン(測量する人の意思)」が内在しているということでもある。

筆者がディレクターとして関わる柏アーバンデザインセンター(UDC2)において、まちなかで社会実験を実施する場合に行う調査なども同様で、計測機器の進歩によってどれだけ正確で大量のデータを扱えるようになっても、どのような視点で人の行動を切り取るか、把握したいかによって、その後実施する実験の企画自体が大きく変わってくる。滞留の数量、滞留時のアクティビティ、人流のどれを把握したいのか、それともそれらの組み合わせなのかによって、結果は大きく変わってくるため、実験の目的を見定めた「デザイン」が求められるのである。

実務の設計においても、新築であれば敷地の調査であり、リノベーションであれば既存建物で、周辺環境をどこまでの解像度で調査し、どう読み解くかで、ある種デザインの方向性が大方決まってしまうと言っても過言ではない。これは、「デザイン」というものが「世界をどのように認識しているかを形にする行為」として解釈ができるため、その初手である「測る」という行為が「デザイン」という行為と不可分な存在であるということである。

だからこそ、この物語にあるように、存在しない島である「青龍島」が生まれたのである。この「青龍島」の物語は終盤で種明かしされるので、是非最後まで読み終えてほしい。そして、かつて実在した「満州」の都市計画家たちを改めて振り返るきっかけになれば筆者としては幸いである。

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★1:集英社 文芸ステーション『地図と拳』刊行記念対談 小川 哲×新川帆立「地図とは何か。建築とは何か。そして、小説とは何か。」(「小説すばる」2022年8月号転載)
★2 :注1前掲インタビュー参照。
★3: Wikipedia 「マジックリアリズム」の説明より。
★4 :現実の都市空間における実装においては、問題は複合的に起こるため、一概にこれが問題だとすることはできないが、問題の可能性を知る一助となりうる。
★5 :注1前掲インタビュー参照。
★6 :Wikipedia 「Open hand Monument」の説明より。
★7 :東秀紀『東京の都市計画 高山英華』2010, 鹿島出版会, p.141の説明より
★8:株式会社LIXIL「『10+1』DATABASE」BACKNUMBER の金子祐介「20 Years Before 1960. And Now-内田祥文から見える今の世界」(『10+1』№50(2008年3月30日発行)pp.114–120掲載)より

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出典
図1:Wikipedia 「Open hand Monument」の図版より。
図2:東秀紀『東京の都市計画 高山英華』2010, 鹿島出版会, p.143の図版より。

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書誌
著者:小川哲
書名:地図と拳
出版社:集英社
出版年月:2022年6月

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Koji Umeoka
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うめおか・こうじ/1982年奈良県生まれ。2008年東京大学大学院新領域創成科学研究科修了(大野秀敏研究室)。磯崎新アトリエ勤務を経て、2013年より梅岡設計事務所主宰。柏アーバンデザインセンター(UDC2)ディレクター。http://kumeoka.com/