山岸剛著『Tohoku Lost, Left, Found 山岸剛写真集』

寡黙な写真家/饒舌な写真(評者:岡村健太郎)

岡村健太郎
建築討論
7 min readMay 31, 2019

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今回取り上げるのは、写真家山岸剛による作品集『Tohoku Lost, Left, Found』である。最初に断っておくと、評者は建築史・都市史を専門とする研究者であり、写真の技術的なことについては明るくない。それでも今回本書を取り上げるのは、この作品集が、今後三陸の研究を進めていくうえでも必要不可欠な内容を含んでいると考えるからである。

山岸は東日本大震災以降、福島・宮城・岩手三県の沿岸地域を継続的に撮影しており、その数は2,000点以上にのぼるという。本書には、そのなかから選ばれた約200点の写真が時系列に沿って掲載されている。ところが、写真家自身はほぼ何も語っておらず、作品集全体のコンセプトの説明や個々の作品解説といった文字情報は皆無である。ただ、撮影日時と撮影場所に関する基礎的な情報が記載された簡単なキャプションのみである。したがって、本書を読み説く写真以外の手掛かりは、タイトルにある「Lost, Left, Found」となるだろう★1。この三つのキーワードを切り口に、作品集に掲載されている一枚の写真にフォーカスを当てて分析することを通して、本書を読み解いていきたい。その写真とは、こちらである。

撮影)山岸剛

この写真が撮影されたのは、岩手県大船渡市三陸町綾里にある岩崎という集落である。画面の中ほどにみえるのは、1933(昭和8)年に発生した昭和三陸津波後に集団で高所移転した家々である。昭和三陸津波災害後には、同様の高所移転を含む復興計画が岩手県内約40か所において立案され、その多くが公的資金を受け実現されたことが分かっている。なかでもこの岩崎集落の高台移転は移転規模が大きく、しかも東日本大震災の被害をほぼ免れたという点で、貴重な事例といえる。評者を含む研究グループは岩崎集落における昭和三陸津波後の高所移転に関する研究を行ってきた★2。その成果も踏まえつつ、写真を詳しくみていくこととしたい。

写真は大きく三つの層により構成されている。

一層目は、画面下にみえる一段低くなった地盤面である。この写真には写っていないが、この一層目の低地には綾里川という河川が流れており、近世以来この地区の中心として栄えてきたのがその川沿いの低地である。前述した通り昭和三陸津波後に高所移転を行ったが、居住可能な平地が限られていることもあり、その後も低地には家が立ち並び続けた。東日本大震災に伴う津波により失われたのはそうした街並みであり、この層がキーワードの一つ目である「Lost」に該当するのは明らかである。

二層目は、画面中ほど、石垣やコンクリートの擁壁で持ち上げられた地盤面に並ぶ平屋もしくは二階建ての家々である。津波被害を免れて残されたという点で、「Left」に該当するといえよう。前述したとおり、この家々は昭和三陸津波後の集団高所移転により形成されたもので、現在でも「復興地」と呼ばれている。当時、この高所移転事業を所管した内務省は、移転地の選定にあたり、「過去の津波浸水高さよりも標高の高い位置とすること」という基準を設けている。そして、その基準を順守した岩崎集落は、今回の津波被害を免れた。逆に、基準よりも低い標高に移転し、東日本大震災による被害を受けた集落も少なくない。換言すれば、昭和三陸津波後の高所移転の有無やその計画内容が、今回の東日本大震災の被害を規定している側面がある。すると、三つ目のキーワードである「Found」、すなわちこの場所における発見は、昭和三陸津波後の高所移転政策といえるだろう。昭和三陸津波後に高所移転地が整備されるまで約2年かかったとされ、その間住民は低地にバラック等を建設して住んでいたことが分かっている。つまり、この写真のように低地に住居はなく高所移転地のみに家が存在しているという風景は、実は初めての状況であり、当時の計画の理想的な状況を示しているともいえよう。こうして、昭和三陸津波後の高所移転政策は、今回の震災を契機として広く知られる(=Found)こととなったのである。

これまでの一層目・二層目の分析において、すでに三つのキーワードとの関連が説明されてしまった。しかし、この写真においては、二層目の家々の背後にある三層目の山が重要な意味を持っているのではないかと考える。三層目をよく見ると、山の斜面は中央よりやや右を境に傾斜の向きが変わっており、小さな谷地となっていることがわかる。昭和三陸津波後の高所移転地は、この谷筋を流れていた沢を堰き止めるように配置されていることになる。通常、近世以前の伝統的な集落は地形に沿ったレイアウトとなるため、このような配置となることは稀である。実際この場所も、以前は雨が降ると水があふれることもあったとのことである。つまりこの写真は、単に高所移転地のみを切り取ったのではなく、元地形と近代的都市計画との矛盾を孕む関係性がより鮮明に表れた風景こそを切り取っているといえよう。三層目の山にある谷が、二層目の高所移転地を読み解くためのヒントとなっているのである。

本書に収められた他の写真にも、東日本大震災によって失われたもの(=Lost)と残されたもの(=Left)が織りなす風景から見出される様々な発見(=Found)が、この写真同様に込められている★3。現在進行形の東日本大震災の復興に関するもの、上述の昭和三陸津波後の復興に関する歴史的な事象、あるいは三畳紀地層海岸といった地理的な時間スケールを含むものまで、テーマは多岐にわたっている。評者も未だ理解に至っていないものも少なくない。しかし、それぞれの写真が、それらを類推可能な無数のヒントを雄弁に物語っている。それゆえに、キャプション以外のテキストはないのではなく★4、そもそも必要ないのである。今回取り上げた写真についても、言葉による説明はなくとも前述したような分析結果をある程度導くことは十分に可能だろう。

この作品集が発刊されたことの意義は、未曾有の災害後の風景を切り取った貴重な記録であることのみにとどまるものではない。同じ三陸をフィールドとする研究者としては、さらなる解明を要する深遠な研究テーマ群を受け取ったような気分でいる。しかも、その写真家は、知識も豊富で現場にも明るく眼差しは鋭い。少々かさばるが、今後はこの作品集を携えて三陸に通うことになるだろう。


★1:このタイトルの意味するところや、山岸の写真が二重構造を持っていることについては、青井哲人がすでに指摘している(青井哲人「山岸剛 写真展 “Tohoku: Lost, Left, Found” をみて」)。本稿執筆にあたり大いに参考とした。
★2:綾里地区の集落環境については、評者らが作成した
動画を参照いただきたい。また、これまでの研究成果を取りまとめた書籍(饗庭伸ほか『津波のあいだ、生きられた村』鹿島出版会、2019年9月予定)を発刊予定である。
★3:本稿を概ね執筆した時点で、
「東北の風景を「建築写真」に呼び込むこと 刊行記念対談:山岸剛『Tohoku Lost, Left, Found』」が公開された。記事によるとタイトルの「Lost, Left, Found」は、遺失物取扱所を意味する「Lost and Found」に「Left」を挟んだとのことで、ダブルミーニングとなっているとのことである。
★4:
飯沢耕太郎「artscapeレビュー 山岸剛『Tohoku Lost, Left, Found』」

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書誌
著者:山岸剛
書名:Tohoku Lost, Left, Found 山岸剛写真集
出版社:LIXIL出版
出版年月:2019年2月

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岡村健太郎
建築討論

おかむら・けんたろう/ 1981年生まれ。近畿大学建築学部建築学科講師。建築史、都市史、災害史。博士(工学)。著書=『「三陸津波」と集落再編──ポスト近代復興に向けて』(鹿島出版会、2017)。日本建築学会2016年奨励賞受賞、前田記念工学振興財団2017年山田一宇賞受賞