平山洋介著『マイホームの彼方に──住宅政策の戦後史をどう読むか』

住宅政策の経路(評者:谷繁玲央)

谷繁玲央
建築討論
7 min readJun 30, 2020

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2020年の春、新型感染症の流行で社会・経済活動が一時的に停止した。“StayHome”というスローガンのもとで、社会の機能の一部が「家」の中へと移転された。この間、私たちは様々な「家」の問題に直面した。共働き子育て世帯にとって親の勤務環境と子供の学習環境を整えるには日本の「家」は狭すぎたし、都内に推定4000人いるネットカフェ難民★1は居住環境そのものを失う事態に直面した。政府からの給付金は「世帯主」宛に届けられ、国民に家父長制の根強さを印象づけた。感染症は、日本社会がすでに抱えていた問題を顕在化させたのだ。

日本の家族と住宅のあり方は往時から変化しているにも関わらず、為政者や政策が想定する家族像・住宅像はいつまでもアップデートされていないように思われる。現に多くの若者たちにとって「就職し、結婚し、子どもを産み育て、家を買う」という親世代・祖父母世代がたどって来た「標準的ライフコース」はもはや容易な道ではない。この「標準」に向けられたあらゆる施策から疎外される国民はますます増えている。近年旧来の家族像・住宅像に囚われない、結婚しない、家を買わないライフコースが肯定的に捉えられるようになりつつある。こうした類型の中には、シェアハウスや多拠点居住、住宅のサブスクリプションなども位置付けられるだろう。

ではこの「標準的ライフコース」はどのように形成され、なぜいま失効しつつあるのか。本書が明らかにするのは、日本人の標準的なライフコースを形作り、それを強化する社会装置としての「持ち家」と、それを支えた住宅政策の変遷だ。

平山洋介著『マイホームの彼方に──住宅政策の戦後史をどう読むか』

建築分野から日本の住宅政策を研究してきた著者は、これまでにも学術論文に加え、『住宅政策のどこが問題か──〈持家社会〉の次を展望する』(光文社、2009年)などの書籍で日本の住宅政策の問題点を指摘してきた。本書では著者のこれまでの膨大な研究をレビューするような形で、日本の住宅政策が諸外国に比べどのように特異的なものか、戦後から現代に至るまでの住宅政策がどのように変化したか、今後の住宅政策はどのように変わるべきかが精緻に検討されていく。

圧巻であるのは第3章から第5章にかけて論じられる、戦後から高度成長期、1970年代以降の低成長期、1990年代半ば以降のポストバブル時代、という三つの時代区分で語られる住宅政策の歴史である。

簡単にこの歴史を紹介しよう。まず終戦直後、約400万戸に及ぶ住宅不足に対して、住宅金融公庫法(1950年)、 公営住宅法(1951年)、日本住宅公団法(1955年)が制定される。いわゆる「公庫」「公団」「公営」の三本柱で所得階層別の住宅政策の体系が形作られた。低収入の所得層に向けて公営住宅を建設し、公団は大都市中間層に向けて集合住宅団地を開発し、公庫は中間層が持ち家を建設するよう低利の住宅ローンを供給した。この中でも中心的な存在となったのは、公庫を通じた持ち家促進である。日本の住宅政策は、公営住宅への資金投入が乏しく、公的な民間借家への家賃補助もないが、家を買いローンを返済する能力がある中間層に支援は潤沢に行われた。こうした中間層への偏った支援が、経済成長・人口増加の時代にあっては、人々が借家から持ち家へとステップアップしようとするインセンティブとして働いた。

さらにドルショックおよびオイルショックに直面した1970年代以降の低成長期では、こうした持ち家重視の住宅政策が強化されることになる。住宅政策は景気刺激策と位置付けられ、公庫の住宅ローン供給が増大した。この間、民間の住宅ローン市場も急成長し、住まいの金融化が進んだ。

バブル崩壊後の1990年代後半以降は、戦後の住宅政策を担った公団や公庫が再編・廃止され、住宅と住宅ローンがほぼ全てが市場に委ねられるようになった。この間、日本社会は新自由主義の強い影響を受け、政府は住宅の私有化・市場化・商品化を推し進めた。持ち家自体の不安定さが増す一方で、低所得者向けの住宅支援は縮小されていき、住宅システム全体がより脆弱なものになってゆく。

経済成長・人口増加の時代であれば、アパート暮らしから、ローンを借りマンションや戸建を購入するというステップアップは多くの人々が達成しうる人生の目標として捉えられた。「夢のマイホーム」の背景には潤沢な中間層への支援があったからだ。しかし成長後の社会で所得の増加が見込めず、住宅価格が増加しつづける現在では、住宅ローンはただの負債として家計を逼迫させる。借家から持ち家へと住まいの「はしご」を登ることができる人々は減り、持ち家から借家へと「はしご」を降りる人々や、賃貸のままの家族、親の住宅に住み続ける単身者などが増加している。

以上、本書で議論される住宅政策の変遷を概観した。これだけでも「家」への見方が変わってしまうが、350ページを超える大著の内容は、これを遥かに超えるものだ。著者が着目する様々な法制度や経済指標、当時の政治家や学者たちの議論、国民のミクロな目線などの多面的な要素が複合的に交錯してゆく本書の複雑性それ自体が、住宅政策自体の困難さと重要性を体現している。

著者自身が指摘するように住宅政策は経路依存性が高い。その国・その時代の社会構造の影響を受け、劇的な変化は起きづらい。加えて考えるべきなのは住宅の寿命と人間の寿命の差は、他の人工物に比べれば小さいことだ。家は人生に何度も買うものではないし、購入者が亡くなって家は残る。こうした人と家のライフスパンの「近さ」によって、過去の政治決定が生んだ状況が、色濃く現在の意思決定に影響を与えてしまうのだ。数十年前の住宅政策が現状の住宅ストックの状況に影響を与えるし、現在の意思決定が、数世代後の住宅のあり方を決めてしまう。だからこそ、住宅政策のビジョンを考えることが極めて重要になってくる。

本書第6章では、あるべき今後の住宅政策の姿が描き出される。それは国内の住宅の状況が不安定になってもなお新自由主義的な政策を取り続ける現在の政治への痛烈な批判でもある。そこから伝わってくるのは、いまこそ方向転換をしなければという強い危機感だ。いまポジティブな語られ方をしている新しい暮らし方の背景には若年層の貧困がある。公的な支援がない中、いまいる場所でなんとか生きていこうとする人々は、新自由主義的な政策をとる為政者からすれば都合の良い国民でもある。公的な支援を期待しないような「暮らし方のオルタナティブ」は社会全体の議論へと敷延することはできない。いま必要なのは、本書が描くような「住宅政策のオルタナティブ」を考えることではないだろうか。ぜひ一読して、著者の危機感を目の当たりにして欲しい。


★1:東京都福祉保健局「住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査」2018

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書誌
著者:平山洋介
書名:マイホームの彼方に──住宅政策の戦後史をどう読むか
出版社:筑摩書房
出版年月:2020年3月

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谷繁玲央
建築討論

たにしげ・れお/1994年愛知県出身。2018年東京大学工学部建築学科卒業。同大学院権藤智之研究室所属。建築輪読会主宰。メニカン共同主宰。専門は建築構法、建築理論。現在、工業化住宅・商品化住宅の構法史研究をしている