平田周、仙波希望 編『惑星都市理論』

周縁における実践から「非都市」を記述せよ (評者:伊藤孝仁)

伊藤孝仁
建築討論
Mar 25, 2022

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2021年公開の映画『ドント・ルック・アップ』は、2人の天文学者が地球に衝突する軌道にある巨大な彗星を発見するシーンからはじまる。滅亡の危機を前にした人類への警鐘キャンペーンの顛末を、政府やメディア、企業、そして人々の動きとして描いたブラックコメディである。核兵器を用いて迎撃し軌道を逸らす作戦を実行する直前で、有力な資金提供者であるハイテク企業CEOが小惑星に数兆円相当の「レアアース」が含まれることを見出し、資源を回収する作戦へと切り替えられる(後にそれは失敗する)。現実を直視せよと叫ぶ人(Just Look Up)、彗星の存在すら陰謀だと叫ぶ人(Don’t Look Up)、社会が水平(左右)ではなく、垂直(上下)に引き裂かれる様子が印象的である。

『惑星都市理論』に触れるにあたりこの映画を引き合いに出したのは、本書のタイトルがどこかSF映画的な印象をもつこともさることながら、主題となる「プラネタリー・アーバニゼーション研究」の視座と通じるものを感じたからである。言葉の響きとしては「グローバル・シティ論」 などにも似ているが、水平的でフラットな広がりを想起する「グローバル」ではなく、大気圏から地中までの垂直性を、つまり全地球(ホール・アース)を射程に入れなければ「都市化」を論じられないという点において、惑星なのである。「マルクスやエンゲルスの時代とは異なり、今や自然の搾取は原材料を水平方向に探索するだけでなく、垂直方向にも拡大して行われて」★1おり、資本が囲い込む「土地」は多元的なスケールに展開している。レアアースのありかや、国境を超えて走るパイプラインなど、地質学から地政学、そして地経学的な視野を通じて都市を論じ直す必要性を、プラネタリー・アーバニゼーション研究は問うている。人新世や資本新世等と呼ばれる潮流と同様に、現代における自然と社会の関係についての理論であり、彗星まで資源化しようとする資本の欲望をフィクションとして笑い飛ばせない現在の世界についての理論である。

改めて本書は、まだ日本では言説が少ないプラネタリー・アーバニゼーション研究を軸として、関連性をもつ13の論考が収められている。研究者ではない門外漢である私が本書をとりあげるのは、本内容が建築やランドスケープのデザインに関わる実践者にとって、それぞれが向き合うフィールドが持つ意味や文脈を再発見し、取り組むべき指針を獲得する支えになる、という確信を動機としている。プラネタリー・アーバニゼーション研究の中心人物であるニール・ブレナーの論考から2つの視点に触れて、本書の構成を簡単に紹介したい。

都市ではなく、都市化を考える

1つ目の視点は「都市化」である。ブレナーは都市という領域ではなく、都市化というプロセスに焦点を当てる。それは都市の成長としての空間的拡張という見方ではなく、不均一化や特殊化が生じる過程として捉えられている。非都市が、都市の形成過程において「必要な外部」として組み込まれているにも関わらず、これまでの都市論が都市を中心に据えるばかりに、周縁を思考の外に追いやり、「主流派都市理論の静的二元論(都市/田舎、都市/農村、内部/外部、社会/自然)」★2が強化されていることに対して、「ヒンターランド」を中心に据える視点から、非都市を再概念化する必要が投げかけられる。

都市化を「スケール」の問題として検討するのが第一部である。ブレナーの論考の他、その翻訳をした渡邉による解題においては、後背地/ヒンターランドの都市研究における認識の系譜を整理した上で、都市への権利だけでなく非都市への回路の重要性が指摘され★3、パリで計画が進む「グラン・パリ」構想を軸に、中心と郊外の問題から都市が何を包摂しようとし、何を排除しようとしてきたかが検討される荒又の論考★4からなる。

都市化と「インフラストラクチャー/ロジスティクス」の関係を扱うのが第二部である。場所と場所をつなぐインフラの創出が、それ自体によって新たな境界を生産し疎外をうみだす事実を、イタリアの郊外都市やパレスチナ、アフリカの事例などを通じて検証する北川の論考★5や、コンテナがもつ計算・交換が可能な性質にルフェーブルの言う「抽象空間」としての性質を見出し、「摩擦なき空間」を志向してインフラが形成されていった過程とそこにある矛盾を描き出す原口の論考★6の2編からなる。

都市化への着目、つまり空間や場所を関係的に、そして「出来事」として考える試みは、都市研究の潮流として1990年代以降生じた「関係論的転回」に端を発しており、その源流にはジル・ドゥルーズの議論の受容があることを整理する林の論考★7など、第三部ではプラネタリー・アーバニゼーション研究やアクター・ネットワーク理論、ポストコロニアル都市理論に通底する「関係的思考」について論じられている。

まだら状の地理

2つ目の視点は「まだら状の地理」である。これまでの都市論の中に、都市化を均一化の力として扱う傾向が見られる中、プラネタリー・アーバニゼーション研究においては「資本主義の発展、集中、世界への拡大は、広範にかつ極度にまだら状に広がる領域としての都市化」(p.108)という認識にたつ。その問題意識を『不均等発展』★8へと接続し、もはや純然たる自然は存在せず、「社会に媒介された歴史的自然」(p.355)がどのように「生産」されるかを読解する馬渡の論考★9や、まだらが引き起こす疎外や不平等、格差を「権利」の問題へと接続し、ルフェーブルの「都市への権利」において権利がどのような主体を想定し、何を対象にしているかという意味をめぐる平田の論考★10など、第四部ではルフェーブルを現代の状況に照らし合わせ読解する試みが展開される。

ヒンターランドの実践者

本書は萌芽的段階にあるプラネタリー・アーバニゼーション研究を扱うため、例えばヒンターランドという概念について豊富な具体例があるわけでなく、言葉の奥に感じとるイメージは読者それぞれの都市的経験に委ねられているという印象を持つ。そこにある「生活」のありようにはあまり触れられていない。この不明瞭さは意図的なところがあり、ブレナーはその解像度を上げていくことを実践者に期待している。「デザイナーは、彼らが関わっている場所に空間的な知性と視覚化の能力という独特の形態をもたらす限り、地球上の不均一に編み込まれた都市の織り目の新しい認知地図をつくるうえで計り知れない役割をになっています。」(p.69)という指摘、そして「生活のために人間が集団的に依存する、さまざまな場所、地域、領域、生態系のあいだをつなぐような、政治的に交渉でき、民主的に調整され、環境面で分別のある、社会的に意義ある方法を確立する」、「集団利用と共通利益のために都市化の非都市的な地理を活用し、再編成する新たな方法を探索する」(p.69)などと、やや過剰なほどに期待がのしかかっている。その期待の背後には、都市の周縁やヒンターランド、非都市の生活に触れ、切実な声に最初に出会うのは、具体的な空間改変を託される実践者だという認識があるのではないだろうか。

建築界においても、AMOとコールハースによる「カントリーサイド」★11のレポートが象徴的なように、大都市から周縁へと、まなざしや重心が移動しつつあるだろう。一方で、コールハースは田舎で起きている「錯乱」した現象を趣味的に集めている観察者であり、軸足は都市に留まっている。本書の軸足は非都市の側にあり、観察者の趣味的なまなざしではなく、内側から告発する怒りにも似た感情が通底している。

最後に私自身の問題意識に触れて本書評を結びたい。群馬県前橋で取り組んでいる農家住宅の建物/庭の改修プロジェクトは、ありふれたヒンターランドでの実践である。集落の名残はありつつ、近くを通る国道沿いにはグローバルチェーンが並び典型的なロードサイドの風景が広がる。代々農業を営んできた家族の歴史を追いかけ見えたのは、庄屋として地域の生活を支えてきた求心力が戦後の農地改革以後解体され、専業農家→兼業農家→週末農家と代を追うごとに農と距離が生じる過程であった。人と土地を繋ぐ重力が弱められ、畑をケアするスキルが失われ、土がアスファルトに変わる。今にも「離陸」しそうな風景の背後にあるのは、あらゆる空間を抽象化し資本の植民地にしようとする空間的・制度的な囲い込みの力だと感じた。

ヒンターランドの実践者たるアーキテクトがなすべきことは、抽象化=離陸させようとする力の克明な記述を通して、その「破れ」を見つけだすことだろう。ブレナーの言う認知地図とは破れを可視化することであり、その破れを広げ、どのように「着地(グラウンディング)」するかという問題に、デザインの意志と知性は向かわなくてはならない。

群馬県前橋で進行中の農家住宅改修計画(ハイブリッジブロジェクト)敷地周辺写真。土とアスファルトの拮抗が可視化される。©︎NowNever.

★1 『惑星都市理論』「惑星都市理論における「自然の生産」の位相」(馬渡玲欧) p.383

★2 同著「ヒンターランドの都市化」(ニール・ブレナー)

★3 同著「都市への権利・非都市への回路」(渡邊 隼)

★4 同著「都市のリスケーリングと排除/包摂の論理」(荒又美陽)

★5 同著「惑星都市化、インフラストラクチャー、ロジスティクスをめぐる11の地理的断章」(北川眞也)

★6 同著「海の都市計画」(原口 剛)

★7 同著「出来事としての都市を考えるために」(林 凌)

★8 『不均等発展』ニール・スミス (初版1984、第二版1990、第三版2008)

★9 同著「惑星都市理論における「自然の生産」の位相」(馬渡玲欧)

★10 同著「都市への権利、ある思想の運命」(平田 周)

★11 AMO+Rem Koolhaas著, “Countryside, A Report”(2020)

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書誌
著者:平田周、仙波希望 編
書名:惑星都市理論
出版社:以文社
出版年月:2021年4月

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伊藤孝仁
建築討論

1987年東京生まれ。2010年東京理科大学卒業。2012年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。乾久美子建築設計事務所を経て2014年から2020年tomito architecture共同主宰。2020年よりAMP/PAM主宰、UDCOデザインリサーチャー。