広瀬浩二郎著『触常者として生きる:琵琶を持たない琵琶法師の旅』

我々は何を「見ている」のか?(評者:橋本圭央)

橋本圭央
建築討論
5 min readJul 31, 2020

--

広瀬浩二郎著『触常者として生きる:琵琶を持たない琵琶法師の旅』

本書は2017年以降に、著者が新聞・雑誌等に発表してきたエッセー・小論文・講演録を一冊にまとめたものである。「人類学」「博物館」「射真集」の三部から構成され、著者のライフワークであるという「見常者・触常者の異文化間コミュケーションを促進する実践・研究」の様々な事例が、勤務する国立民族学博物館での催しやワークショップ、そして自身の日常の描写などから語られている。

著者の造語である「見常者」は、健常者の「健」を「見」に置き換えることで、近代以降の視覚優位の社会、文字文化の時代における圧倒的多数派としての「見ることが常の人」を示す呼称であり、同じく著者の造語である「触常者」は、さわることを得意とする人を意味し、ここでの「触」には反視覚、脱視覚というニュアンスが込められている。

こうした「見常者・触常者」のみならず本書では、食・色・触・職を活動理念とする「4しょく会」、手を伸ばす感覚で事物の本質に迫り、手・耳・鼻などで一点を集中する「射真」(しゃしん)、五感を総動員する人間ならではの知的行為としての「発建」(はっけん)、点を線にして面へと広げていく「冒険」を楽しむ「無視覚流」、桜をみんなの手に取り戻す試みである「花愛」(はなめ)など、多くの造語をもとにした新たな運動や概念の形成が試みられており、それらに通底する意識は「視覚的であること」が自明となった世界への警鐘であり、さらには上下関係が潜むと著者が考える「健常者/障害者」の区分の解体にある。

著者が言うように文字が「使える・使えない」という単純な尺度で、人間の能力が決められるのが近代であり、健常者中心の社会は、障害者を「できなくさせる」システムを内包しているとすれば、人間に直接的に関わるはずの建築においては近代以降どのようにしてその尺度やシステムに加担していったのだろうか。

例えば、ル・コルビュジエは近代における共有施設問題に対して、「住宅、事務所、事業所、工場(採光された床という単純な観念に収約できる建築的事象)」は「規格化、工業化、テイラー方式化の新しい形態を取るようになるはず」であるとした(ル・コルビュジエ『プレシジョン上』(Le Corbusier, PRÉCISIONS, Paris, 1930)井田安弘、芝優子訳、東京;鹿島出版会、1984年、145頁)。ル・コルビュジエが言及した「テイラー方式」とは、フレドリック・テイラーが考案した科学的管理法と呼ばれる工場内での行動の標準化、時間の基準化、空間の分節化による労働効率を高める方法であり、そこでの身体に対する唯一の関心は、「より効率的な動作の連続によって生産性を最大化すること」であったと近年指摘されている(ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー『我々は人間なのか?』(Beatriz Colomina & Mark Wigley, ARE WE HUMAN?, Zurich, 2016)牧尾晴喜訳、東京;2017年、166頁)。

こうした人間の行動・時間・空間の標準・基準・分節化の前提として、視覚障害者を含むそこに「当てはまらない人々」は排除される。また、標準・基準・分節化の過程において行動・時間・空間自体が遡及的に利便化することで、その利便を「使える」人と「使えない」人が区別されるという流れが近代以降の建築・都市空間の形成過程において少なからず継続していると言える。

1981年の国連による国際障害者年において「完全参加と平等」がスローガンとされ、障害者の活躍が顕在化するようになり、日本国内では1994年のハートビル法、2000年の交通バリアフリー法、2006年のバリアフリー法、そして2016年になり障害者差別解消法が施行されることで、近年において建築・都市空間との実際的な関わりが形成される。一方で、そこで重視される「アクセスビリティ」が「使えない不自由を解消すること」を目的とする限りにおいては「いろんな人に使えるようになってよかった」で終わってしまう、という著者の思いは、人間の行動・時間・空間の利便を「使える」人目線で形成された空間における「使えない」部分の解消では横断しえない、「『使えない』人とされてきた人々」との二項対立構造の根幹に関わる重要な指摘である。さらに、本来的には既に合目的的な意味が込められているであろう「アクセスビリティ」を著者が言うように「つながる場所を創り、つなげる知恵を育むこと」と再定義することは今後の建築・都市空間の形成過程、および建築教育においても有用な概念であるように思われる。

本書を手にすると、著者自身が「視覚を使わない」ようになった経緯、上記に示した造語群、「さわる」ことに関する話が繰り返し重複しながら言及されることに戸惑いを覚えるかもしれない。他方でこうした繰り返しを通して、読者の「障害者理解」を求めるのではなく、近代以降の視覚優位な社会、および建築・都市空間において自明となり前提化された様々な「見る」ことやそこに関連する事柄の繰り返しに対峙しながらも、「視覚を使わない」ことの多様な気づきを読者に追体験させようとしている。

_
書誌
著者:広瀬浩二郎
書名:触常者として生きる──琵琶を持たない琵琶法師の旅
出版社:伏流社
出版年月:2020年2月

--

--

橋本圭央
建築討論

はしもと・たまお/高知県生まれ。専門は身体・建築・都市空間のノーテーション。日本福祉大学専任講師。東京藝術大学・法政大学非常勤講師。作品に「Seedling Garden」(SDレビュー2013)、「北小金のいえ」(住宅建築賞2020)ほか