建築と紐 試論

| 069 | 202305–06 | 特集:建築と紐

林浩平
建築討論
Jun 12, 2023

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緒言
建築と紐、そう聞いて何を思い浮かべるだろう。

カテナリー、テンセグリティ、テントのガイライン、原始的な小屋の部材結節点、神社における鈴緒や注連縄だろうか。ガウディの逆さ吊り模型、堀口捨巳の吊り階段、国立代々木競技場のケーブルによる吊り屋根構造などを挙げてもいいだろう。部屋の中にはブラインドや電球が吊られている。巾着の口紐、滑車、操り人形、靴紐、ズボンのベルト、自転車のチェーン…ここまでくると紐ではなさそうだ。では紐とは何だろうか。

紐について幾つかの文献をあたるなかで、紐という語は自明かのように使われ、紐の「紐性」と呼ぶべきものの説明は少ないことが分かった。本論考では、身体感覚と工学的視点から紐について見直し、その本質への接近を試みる。

1.紐の定義
紐の定義は曖昧である。「紐」を辞書で引くと第一義に「物を束ねまたは結びつなぐ太い糸。また細い布・革など。ひぼ。」とある★1。類語である縄・綱の場合には、それに加えて植物繊維、針金などを「綯(な)って作る」という意味が加わる。現代英語の場合は太さによってthread, string, cord, rope, cableと呼び分け、材質やつくりによっても yarn, twineなどといい、最小単位はfiberである。また総称的にcordage(索類)という語もある。

以上の比較からわかることは、日本語の「紐」という語は素材や太さ、つくりといった内的な成因よりも、「物を束ねまたは結びつなぐ」という外的な関係から定義されている、ということだ2。またこの「外的な関係」が物質的な意味に限らないことは「紐解く」「紐づく」と言った用語法が存在することからも見て取れる。

問題を明確にするために、ここに機械的性質による定義を加えたい。細くて長い、つまり1次元的な連続体だということを前提としたうえで、

① 柔軟(曲げ量が小で曲げ抵抗が小)だが
② 曲げによる癖はつかず(耐屈曲性、屈曲可撓(とう)性に優れる)
③ 引っ張りに対して力を発揮し、その時の張力は紐内で一定
④ その時紐の経路は外力のかかっている2点を最短で結ぶ経路に一致する

以上はほとんどの紐に共通する性質といえる。ここに含めていない、弾性(のび)、耐捻回性(ねじれ)、断面形状などは、紐のバリエーションを説明するための付加的要素といってよいだろう。また、さきの基本性質をさらに抽象化すれば

① 引張力なし ― 柔(力を受け流し、不定形)
② 引張力あり ― 剛(力を発揮、形が確定)

の2様態を振動しているのが紐だ、と極論することもできるだろう★3。

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★1 『広辞苑 第7版 卓上版』 岩波書店、2018
★2 糸をもとにする紐、藁をもとにする縄という区別もあるようだ。出典:額田巌(1986)『ひも』法政大学出版局、pp.33–58
★3 額田巌は著書内で、紐の自由な性格を「方円の器に従う」水になぞらえる一方で、ときに命を奪うことがある点での共通点も指摘している(出典:額田巌(1986)『ひも』法政大学出版局、pp.iii)が、このことは先述した柔剛の対比と対応していると言える。

2.紐-対-他
1章の前半では紐の辞書的な意味から、紐が「外的な関係」を前提とした語であることを確認した。つづく後半では紐を機械的性質から定義し、さらには引張力の有無による抽象的な理解へと至った。次に、これらを統合しよう。

「外的な関係」と言った時に、そこにいるのは誰か。一つには、紐自身と無関係に存在する物体だろう。ただし紐は盲目であるから、接触の有無がすなわち物体の有無である。もう一つは紐に加わる外力、たいていは引張力(もとを正せばヒト)である。こちらは接触どころか、紐を無理やり掴んで引っ張り回す、作為的で、紐にとって迷惑な他者である。前者を受動的他者(以下「他p」)、後者を能動的他者(以下「他a」)とする★4と次のように図式化できる★5。

紐-対-他の図式(筆者作成)

順を追って説明しよう。はじめに、外力の加わっていない、したがって力を発揮もしない、まったく自由な紐が一本、無重力空間を漂っているとする。

① 紐上の任意の2点を選択し、移動させる。するとその移動は完全に自由ではなく「2点を最短で結ぶ直線に、紐の経路、及び外力(他a)の方向が一致した状態」が特殊な場合として現れる。そして紐内には張力が発生している。

②形状が一意に定まっている①の状態を破るために、張力の発生している部分を何か(他p)に押し当てる。すると紐の経路と外力の方向は1次元を脱し2次元に展開される。ここで、紐の形状は他1,2の位置や方向によって、やはり一意に定まっている。

③ ②を推し進めた先に紐の経路が交差する瞬間が訪れるが、ここで交差部分を適切に結び得たとすると、紐はループとなる。すると2次元の紐の世界が二分、内-外に分割される。仮に外力(他a)を除いてみると、紐の形状は自由だが、位置に関しては、紐と他pとが拘束し合うため、任意の位置に留め置かれることがわかる。

④ 再び外力(他a)を登場させ縛ってゆこう。これは結び目の位置をずらしていくことに相当するが、紐は他pと接触したときに再び、張力を発揮する。この張力を維持したまま結びを固定できれば、外力(他a)を除いても、紐の形状を一意に定めることができる。今や紐の張力が抗する相手は、外力(他a)ではなく他pの存在(材質と輪郭)であり、この関係はループの内で完結することになる。

まったく自由で開かれていた紐が、他者の介入によって内的で閉じた関係へ変容する、この一連の過程に「結ぶ」という行為の原型のひとつを見出すことができるのではないだろうか★6★7。この結びのダイナミズムは、紐を考えるうえでの重要な補助線である。

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★4 力と存在を並置するとは乱暴だが、だからと言ってすべてを力に分解してしまうと紐を扱う生身の身体感覚と乖離する。
★5 より正確なものには「紐全体を剛体要素に分割し、要素間を軸方向と回転方向にばねと減衰要素を介して多数連結することで、紐の軸方向の伸びと屈曲を表現」したモデルがある。出典:澤田悠佑・渡邉鉄也(2019)「軸方向の伸びを考慮したキャスティング挙動」『日本機械学会論文集』vol.85, no.872
★6 もっとも、これは2次元での議論である。紐のループは実空間内ではいかようにでも捻ることができることを忘れてはならないだろう。ただしこれ以上は位相幾何学の結び目理論(組みひも群)の領域なので立ち入らない。以下が分かりやすい。
河野俊丈(2009)『組みひもの数理』遊星社
★7 図中において突然、まるで魔法のように結ばれたことに違和感を持ったかもしれない。額田巌によれば、結び方の分類は以下の通りだ。
①結節:紐にコブを作るもの
②結合:紐と紐とをつなぎ合わすもの
③結着:紐をほかの物に結びつけるもの
④結縮:綱の中ほどでその長さを短縮するもの
⑤紋様:花結びに類するもの
⑥結束:ほかのものを縛る方法
出典:額田巌(1972)『結び』法政大学出版局、pp.15–18

3.還る場所

前章は時間を引き伸ばして見ている。では逆に、時間を縮めて結びを眺めなおすなら、紐はいつか解かれるということが分かるだろう。この、ある種の可逆性を支えるのは以下の事実である。

① 結びは究極的には、紐の経路の位相幾何情報に還元される
② 結びを形成・維持するのは切断や接着などの加工(=位相幾何学的に同値でなくなる操作)ではなく、経路の位置関係による拘束である。この拘束は紐と他者の間だけでなく、一本の紐の中でも生じ、ゆえに多様な結び目が区別・維持できる。

ところで、日本語には「むすび・むすぶ」という言葉が複数存在するが、いずれも不定形のものが一時的に、ある秩序をもって現れる際に使われている。「掬ぶ」であれば水、「おむすび」であれば米粒、「産霊」であれば霊魂がその対象ということになるだろう。カオティックなそれらに対し何らかの作用が働き、エネルギーの極小点にそっと置くこと、これが「むすび」と理解できる。むすびの前にはいつも、ユラユラ、ドロドロした対象が措定されていて、むすばれると比較的安定な輪郭が屹立、しかしいつか解かれ、始まりに戻る。この始まりにおいては全てのむすびの可能性が等しく眠っている。

4.紐の特殊性
以上で見てきた特徴を他の素材と比較してみよう。まず、形をいかようにも変え、固まるものと言えば熱可塑性の素材がある。金属やガラス、樹脂は融かして型にはめれば、新たな形を与えることができる。これらと紐が異なるのは、紐は、解かれはしても、融けてはいない、ということだ。常温常圧、人間の力の範囲で変形し、分子レベルでは変化していない。繊維は自然界にありふれていて、それを撚るなどすれば紐ができ、紐の操作は自分の指か、それで不足なら口、足などを利用して行える。これほどの自由が、これほど少ない総コストで実現される素材、道具は、他にあるだろうか。

つけ外し可能な乾式の接合方法という観点からは、現代の高強度・高精度の組み立てを支えているボルト・ナットと使い勝手を比較しよう。まず、彼らは同じ規格のセットが揃わないと使い物にならない。つまり、複数性が前提だ。そしてその規格にもメートルネジ、インチネジなどと細かな区別があり、併せてワッシャー、ゆるみ止めの塗布、もしくはロックナットやナイロンナットなど強度の高い締め付けや振動対策のために補助的な材料が必要とされる。締めるにもドライバー、六角レンチ、スパナ…とキリがない。それに引き換え紐は、一本の紐があればなんでも、(撚りと結びの相性はあれ)同じ結びを再現でき、目的に応じて様々に働く。

加えて、紐や結びの中には美の契機が多く含まれていることも特筆すべきだ。紐の結びが位相幾何的情報に還元できるからこそ、その表れは操作した人に依ることになる。つまり同じ結びでも現実にはその位置や向き、紐の捻れなどが発生し、そこには上手い下手がある。結びが複雑になるほどに、それ相応の知識と経験を必要とすることから、紐を繰り、結ぶ手さばきにも深い美が宿る。

結言
以上のような特徴を踏まえつつ、紐が重要な役割を担っている建築を探せば、日本では白川郷の合掌造りや祇園祭の山鉾が代表的だろう★8。前者では木材の結節で結びが用いられており、材料にはつるや木の枝などの伸びない条材が使用される。また後者においては移動時の衝撃に対しては釘や木組みの接合では不十分という実用上の理由があるほか、寄せ集めた疫神が市中に飛び散らないうちに結びを解く、というまじないも込められているそうである★9。

祇園祭の山鉾(写真提供:関根みゆき)

一方で、建築が近代化する過程で、紐の使用は忘れられてしまったように思える。施工効率や施工精度の追及から、紐特有の結ぶ・編むといった複雑でおおらかで時間もかかる動作は、目的に応じて高度に規格化された建材に置き換えられてしまった。現代においてはテントのように一時的且つ折りたたみ前提の、紐のメリットが享受できるものや、もしくは先の例のような「遺産」(多くは私たちの生活から切り離されたもの)として存続するのみである。

では、紐は建築から遠い存在になってしまったのだろうか。そうだとしても、それは紐自体の特性の問題ではないかもしれない。不定形である紐は特に、使える/使えないと簡単に判断できたものではなく、使う人の側に大いに依存するからだ。紐が使えないとすれば、それは結び方を知らないか、結ぶ時間を、日常において立ち止まる時間を、惜しんでいると言うべきだろう。いかようにも使えるはずのこの素材は、我々に知恵を要求する★10。

合理化され、正確で、永続性を志向するような、他のいくつかの発明と、紐は明確に異なっている。かといって非合理的で、乱雑で、刹那的な状態に留まるのでもない。柔剛を行き来する紐は、この2項対立に嵌らないのだ。知恵ある人の手の中で、彼の意志力に応じ、様々に働く。と見えて、それをやり過ごしているだけであって、紐はしたたかに、同一性を保っている。

一条の紐が一瞬のうちに力を発揮し、次元を押し広げたかと思うと空間を切り分け、他者を住まわせ拘束する。そうした神秘性が、信仰の場で紐や結びが特別な役割を担ってきた理由であろう。しかし一方で、ひとたび解かれれば平凡な紐に戻り、再び結ぶには知恵が要るとあって、忙しい現代人に忘れられていくのも、無理はないように思える。それでも依然として紐は、手さえあれば十分に機能を引き出すことができる素材かつ道具であって、あらゆる材質、つくり、太さで世界を漂っている。あなたの身の回りに、力なく横たわる紐や、緩んだ結び目はないだろうか。それらを今一度強く張り、結んでみてほしい。再び主人を見つけたそれは、その形を力で満たし、あなたの思いに応えるはずだ。■

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★8 架け渡された曲線上の構造部材という意味でのカテナリーは構造的には直線材の次に単純な形態であり、例えば西洋では、ローマのコロッセオにも紐を固定した跡が見られる。現在のようなワイヤロープは19世紀に登場する。
吊り橋に関しては1595年に出版された版画にすでに複数登場する。しかしこれらが実現した記録はなく、吊り橋の発展もやはり19世紀まで待たねばならなかった。出典:MAINSTONE, Rowland J. (1975) Developments in Structural Form. Cambridge, MA: The MIT Press. (メインストン, ローランド J. 山本学治・三上祐三(訳)(1984)『構造とその形態―アーチから超高層まで―』. 彰国社, pp110, 251)
★9 「解くまでを結びとするーー関根みゆきインタビュー」(建築討論202305–06特集「建築と紐」所収)を参照
★10 ロープワークについては、例えば以下の文献がある。
国方成一(2011)『ロープワーク大研究』 舵社

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はやし・こうへい/京都大学大学院人間・環境学研究科芸術文化講座修士課程所属(武田研究室)/1998年大阪府出身