建築の多様なる製品化に向けて──5つのプレファブ軽量建築モデル

[翻訳:市川紘司]

朱競翔
建築討論
35 min readOct 1, 2018

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本編は、香港ベースで活動する建築家・朱競翔(ジュ・ジンシャン)のインタビュー記事である。初出は、華中科技大学が編集する建築雑誌『新建築』2017年2期(pp.9–14)。インタビュアーは建築設計論研究者の陳科(チェン・クー、重慶大学建築城規学院)、インタビューイは朱競翔にくわえて、彼が創立した〈元遠建築科技発展有限公司〉の呉程輝(ウ・チョンフイ)である。
もともとは南京の建築名門校・東南大学で建築教育を受けた朱競翔だが、ここ十年ほどのあいだに彼が展開している建築的実践は、ほかの中国人建築家とは一線を画するものである。
彼の試みを一言で示すとすれば、それは「建築の製品化」ということになるだろう。建築を一品生産の「作品」ではなく社会に満遍なく普及される「製品」としてデザインすること、そのために生産や技術のレベルから建築を構想すること。朱競翔の建築家としてのヴィジョンはそのようなものである。そしてこれを達成するべく、教鞭をとる香港中文大学を研究拠点とする一方で、その蓄積を社会に展開する応用拠点として〈元遠建築〉を創設し、軽量鉄骨や木質パネルによるプレファブの軽量建築の製品化を実践している。NGOと連携しながら、経済的に遅れをとる中国周縁部の村落地帯にてプロジェクトをおもに展開してきた点も特徴的と言える。
本インタビューは、以上のような「建築製品化」の取り組みを、朱自身がその個人史的経緯を踏まえながら解説したものである。2008年に発生した四川大地震が「作品」からプレファブ軽量建築へと「転向」する契機となったこと、さまざまな部分やレイヤーが絡み合いながら構成される建築を統合的に捉える「インテグレーション・デザイン」の視点の重要性、複数のプレファブシステムを開発する際に起こる類型化の問題、などなど…。朱競翔の建築的実践の全体像を理解する手がかりになる記事だと考え、ここに訳出した。翻訳作業に当たっては、著者である朱競翔氏、そして朱一君氏(東京大学)に協力をいただいた。記して感謝したい。
なお、朱競翔がこれまでに研究・開発するプレファブ軽量建築の製品モデルは5つに分類される。インタビューの予備知識として、以下ではまずその5つの システムを、その具体的な成果物であるプロジェクトと合わせて紹介しておく。(訳者)

朱競翔によるプレファブ建築プロジェクトの分布状況(左図)と5つのシステムの概念図(右図)

A.「パネル型」(PANEL)
構造用サンドイッチパネルによるプレファブ・システム。図版は四川省栗子坪保護区に建てられたパンダ観測基地。1,200mmモジュールで3室の個室、水回り、エントランスなどが構成される。ヴォールト屋根には丸窓を穿ち、昼間は自然光、夜はLEDライトによる光を共有スペースに届ける。

[提供:元遠建築科技発展有限公司]

B. 「ブロック型」(BLOCK)
木質パネルによる箱状プレファブ・システム。図版は世界野生生物基金(WWF)から依頼を受け、上海浦東湿地鳥類禁猟区に2013年に建てられた移動基地。正方形にちかい方形平面のボックスがピロティで持ち上げられ、四方に大きなテラスをとる。工場で組み立てたユニットをクレーン車を用いて速やかに建設する。

[提供:元遠建築科技発展有限公司]

C. 「フレーム型」(FRAME)
軽量鉄骨を用いるプレファブ・システム。図版は深圳・世界低炭素都市連盟国際会議メディアセンター。「ブロック型」と同様、工場で組み立てたユニットをクレーン車によって速やかに建ち上げる。2階建て・432㎡のこのプロジェクトでは、計27個のフレーム・ユニットを約16時間の現場作業によって完成させている。

[提供:元遠建築科技発展有限公司]

D. 「新芽複合型」(NEWBUD)
軽量鉄骨フレームと木製パネルを複合化させたプレファブ・システム。図版はWWFからの依頼のもと、四川省白水河国家級自然保護区に2012年に建てられた宣伝教育センター。保護区入り口に建つため、単純な家型形状、繊維セメント板による外壁の一面はピンク色に塗られるなど、視認性の高い意匠。資材運搬のために斜面には電動モノレールがつくられ、竣工後は見物客用のものとして用いられている。なお「新芽」(BUD)の名称は、小さな部材が組み合わさって建築全体をつくるというシステムの比喩として採用されたもの。

[提供:元遠建築科技発展有限公司]

E. 「スペース・パネル型」(SPATIAL PANEL)
互い違いにパネルを組むことで空間を構成するプレファブ・システム。図版は、2015年ベネチア建築ビエンナーレ中国館の付属館としてつくられた「斗室」。本文に出てくる「甘肅省農村幼稚園」(fig.2)の再現モックアップとして、3日の現場作業で完成した。内外壁や床面に凹凸をつくることで人びとのアクティビティを喚起することが試みられている。

[提供:元遠建築科技発展有限公司]

1. ことの始まり:いくつかの蓄積と四川大地震

陳科:2008年を境にして、朱競翔さんの設計活動には明らかな転向が見られます。つまり、普通の建築タイプから軽量建築システム(Light-Weight Building System)へ、という転向です。表面的に見れば、四川大地震の復興プロジェクトである「広元下寺新芽小学校」(fig.1)がひとつの起点となっていますが、このような変化を実現するには、その手前での研究や技術的蓄積が不可欠でしょう。朱さんの軽量建築システムの研究はどのようなタイミングに端を発するのでしょうか、そしてそれはどのように発展したきたのですか?

fig.1 「四川省広元下寺新芽小学校」四川省、2008年[提供:元遠建築科技発展有限公司]

朱競翔:それは「百川帰海」のようなもので、昔はそれほど自覚的であったり意識的であったわけではありませんでした。しかし振り返ってみると、いくつかのことが関係しています。
まずひとつ目は、[国営設計院とは別の建築家による]独立した実践と「実験建築」です。中国の建築界において本当の意味での独立した建築的実践は、1998年前後★1にその端緒が見られます。私は2000年から南京大学建築研究所に務めると、2001年にはベルリンで開かれた「土木──中国の若手建築家」展★2の出展作家に選ばれました。他には張永和、劉家琨、アイ・ウェイウェイ、王澍、馬青雲、張雷、王群そして丁沃沃も参加していましたね。建築批評家の王明賢は、この展覧会を中国の「実験建築」が国際的にはじめて発表されたきわめて意義深いものだと評しています。
ふたつ目は、空間知覚と技術の選択の研究に関することです。私は2001年に、バルセロナ・パヴィリオンの再建についてスペインの建築家が書いたある著作を読んだのですが、2003年には雑誌『建築師』からの依頼を受け、ミース・ファン・デル・ローエが当時直面していた技術的な可能性とその最終的な選択についての分析をおこない、その隠された空間的意図を論証する論文を発表しました★3。これによって私は、ミースがバルセロナ・パヴィリオンを無意識的に利用しながら到達しようとした最終目標を、70年後に突如理解することができたのです。
3つ目は、軽量建築の初歩的な知識と考察です。2003年、私のスイス留学時の指導教員が中国に来たのですが、とある現場小屋を見てあれはパネル構造なのかと聞いてきたんです。大学院の学生を連れて調べてみるとそれは実際には架構式のものでした。ときを同じくして、私は上海のある工場が生産する軽量鉄骨によるプレファブ住宅を見学したのですが、200㎡の住宅が2日足らずで完成し、建設費など各種方面は非常に合理的。ただ外観と保温性能には問題があった。そのとき、私が従えていた学生の周超(現・United Practice Architects)がちょうど研究テーマを探していたところだったので、私は彼に詳細な記録をつくるよう指導し、さらに活動の転換が可能かどうかを思考し始めたのです。ここで[転向の]「種」が植えられたのだと言えますね。
4つ目は、建築の物理性能の改良に関する研究です。2004年に、私は大型の病院建築のプロジェクトを完成させ、また南京大学大学院生だった夏珩に、熱物理方面の一連の測定と研究を指導しました。ここで建築製品が優れた物理性能を得るための知識を体得することができました。
5つ目は、軽量構造の施工の速さと経済性に関することです。私は2006年から2008年にかけて、香港の竹造りの演劇小屋を研究しています。竹造小屋は、建設という点からすれば決して複雑なものではありませんが、たとえば建設用足場がなく実際に不要であることや、施工がとても無駄なく簡単なことなど、よくできています。これに私は多くのことを啓発されました。建築のコストは最終的にはすべてクライアントの身に降りかかるものですから、もしコストパフォーマンスを上げようとすれば、冗長な部分は失われることになるのです。

訳注★1:社会主義国である中国において、建築家が個人事務所を設置することが法的に可能となったのが1998年前後である。このとき中国ではじめて、国営の巨大設計組織である「設計院」の外側で個人で活動する「アーキテクト」が誕生したと見なすことができる。張永和はこの世代の代表格の一人。
訳注★2:2001年のドイツ・ベルリンで開催された「土木──中国の若手建築家」展は、産声を上げたばかりの中国の若手建築家たちが「群」として国外で認知されるメルクマールとなった展覧会である。張永和や王澍、アイ・ウェイウェイといった出展作家たちによる「設計院」とは異なる個性的な建築的試みは「実験建築」と呼ばれ、以後注目を集めるようになる。
訳注★3:朱競翔「空間是怎樣煉成的——巴塞羅那德國館的在分析」『建築師』2003年10期、pp.90–99.

陳:そうした経験は軽量建築システムの大事なポイント、すなわち構造や空間、物理的性能、施工の効率、建設費の経済性などに触れていますね。それでは、最初の軽量建築プロジェクト[「広元下寺新芽小学校」]の実践は実際にはどのようにして生まれたのでしょうか?

朱:上で述べた「パズル」は徐々に組み上げられていったものです。そして2008年に四川省汶川地区で大地震が起きたとき、深センの建築家たちは「土木再生」という専門的ボランティアチームを組織して、震災後の復興に焦点を合わせた設計コンペをいくつかおこなうのですが、私も招待を受けてこのコンペに参加しています。我々が提案した計画の建設コストは非常に低く、150万元程度でした。しかし残念なことに落選しました。落選の原因のひとつに、こんなに低い建設費では要求された指標の多くを満たすことはできないだろうと、審査員の専門家たちが考えたことがありました。けれどこの落選は逆に私を奮い立たせました──そんなことはない!と。長く建築家業をやってきたし、また長年の研究によって多くの可能性があることを理解しているからには、この可能性を実現させる手立てをかならずや講じなければならない、と。
その後、香港中文大学の吳恩融教授が私に一人の寄付者を紹介してくれました──香港の蔡宏烱氏です。彼は我々のアイデアを面白いと見て、大体どれくらいの費用が必要なのかを聞いてきました。たくさんは要らない、まずは小さくて精巧なものを建てたいから、と私は答えました。大型のものを建てるとなると、さまざまな審査や利益の問題に抵触してしまいます。我々の興味はあくまでも研究という点にありました。そして協議が成立し、我々は最初の予算を得ることになりました。みずからクライアントの役割を演じるかたちで土地と学校を選び、設計と施工を段取りしました。これが「広元下寺新芽小学校」プロジェクトの始まりです。
私はそれまで、これほどに長い建築のプロセス──資金集めから完成まで──を経験したことがありませんでした。が、思いもしないことに、この最初のプロジェクトが「WA中国建築賞」★4の最高賞を得ることになったのです。これは我々の仕事の方向性を外の人たちが認めたということを意味しました。

★訳注4:中国の有力建築雑誌『世界建築』を発行する世界建築雑誌社が2002年に設立した建築賞。「建築成果賞」「設計実験賞」「都市貢献賞」などの下位カテゴリーに分かれ、2年に一度の選出がおこなわれている。

2. インテグレーション・デザイン:多元的な要求への応答

陳:朱さんたちの軽量建築システムは、建築、構造、材料を空間と緊密に関係づけることに眼目を置いており、雑多な事象を「統合」させようとする顕著な特徴を備えています。建築システムにおける「インテグレーション・デザイン」(「集成設計」)に関するお考えを聞かせてください。

朱:インテグレーション・デザインは非常に込み入った作業です。前提となるのは、必ずデザインの課題をしっかりと整理しておく必要があること、そして始めに精密な分析をおこなうことです。[建築では]まず最初に、1.保温や遮熱、2.構造の安全性、3.視覚的な優雅さという異なる要求をはっきりと区分しておかねばなりません。そして次に、材料の特性とそれら要求との関係をはっきりさせる。たとえば、どんな材料でも一定程度であれば以上の3つの要求を満たすことは可能であって、構造体としてのコンクリートがすなわち保温性能をまったく満たさない、というわけではありませんね。ここにはある種の多元的な関係性があるわけです。そのようなことを事前にしっかりと分析しておくことで、はじめて、その後の技術的解決は可能になります。
技術的な解決を図る段階で起こりがちな誤解はこのようなものです──すなわち、万能な材料があらゆる要求を満たすことを期待すること。建築学上、原理的にこれは不可能です。構造は質実であることが求められます。単位面積中にできるかぎり優れた材料を集中させることで、高強度の構造は生まれるわけですから。けれど逆に、良好な保温性能を得るには小さな空気壁が必要になる。ある材料が、基本原理が明らかに対立するこうした二種類の機能を同時に満たすそうとするとき、そのインテグレーションの成果は往々にして良いものではありません。構造的に優れた材料はコールドブリッジを引き起こす可能性があり、保温性能に優れた材料は往々にして荷重能力を満たさない。あるいは、あなたはこう言うかもしれませんね──そんな問題は簡単に解決できるじゃないか、僕だったらサンドイッチ・パネルを使いますよと。ですが、それは材料に限った話でしかありません。この種の材料を測定すれば、たしかに強度も保温性能もそれなりに良い。ですが、建築というシステム全体で考えたときには果たして、効果的でしょうか? たとえばスチールのパネルと柱を一体化すれが、大量のコールドブリッジが生まることになる。建築システムにおける表現、部分における表現、材料における表現はやはり、それぞれ異なります。
私たちの仕事はつまるところ、このような[異なるレイヤーの]齟齬をいかにして低下させるのか、それを考えることなのです。たとえば、構造的な問題を解決する際に大きなコールドブリッジが生まれないようにすること、あるいはコールドブリッジをが生まれざるを得ない際に異なる処置により、それを適切に保護すること。長所を維持すると同時に、欠点や欠陥を補う。このようにして、インテグレーション・デザインでは単純にひとつのレイヤーのみを考えるのではなく、建築システム全体の中における複数のレイヤーに気を配ることで、バランスのとれた綜合的なアイデアを見つけ出すのです。

陳:インテグレーション・デザインは、建築システムの各種レイヤーにおいて多元的な要求に応答しなければならないわけですね。他方で、私は朱さんたちのインテグレーション・デザインの実践が狭義の建築システムの範囲を打ち破ろうとしている点に注意が惹かれています。たとえば、「甘肅省童趣園」(fig.2)は人びとのアクティビティのための特別な空間やインターフェイスを創り出しており、建築を家具と一体化するという特徴を体現しています。「鄱陽縣湿地訪客センター」(fig.3)でも、荷重能力のある家具構造が採用されていますね。これはインテグレーション・デザインの別の可能性を示しているのではないでしょうか──すなわち、建築と家具という既成のカテゴリー区分を打ち破り、異なるカテゴリー間における可能的な関係性を探るという?

fig.2 「甘肅省農村幼稚園」甘肅省、2015年[提供:元遠建築科技発展有限公司]
fig.3 「鄱陽県湿地来客センター」江西省、2013年[提供:元遠建築科技発展有限公司]

朱:建物は本来的に多くの機能を備えているものです。ひとつは囲いとしての機能。もうひとつは、その内部での活動を支持するという機能。イノベーションというのは大抵、ふたつの概念のあいだの関係性から生まれるものでしょう。伝統的には多くの人びとは「建築と家具」と表現するのに対して、我々は「建築家具」あるいは「家具建築」と言いたい。このときここに新たな含意が発見されることになります。家具によって構造をつくるのか、建築を家具のように小さくしていくのか? 建築はすでに家具の機能を包含していないだろうか、あるいは家具は建築の遮蔽体としての価値を引き受けることができるか? と。こうして建築と家具の間に言語レベルでの関係性を考えたあとは、それを事例でもって証明することができる。たとえば、「青海玉樹拉吾小学校」(fig.4)では、Z形断面の板材80枚を建築の主体となる床スラブ、屋根スラブ、そして壁体に用いています。Z板は2階において大スケールの階段状の表面を形づくり、伝統的な意味での座席の役割を建築の中にインテグレートしました。

fig.4 青海玉樹拉吾農村小学校」青海省、2016年[提供:元遠建築科技発展有限公司]

3. 製品化された建築:類型化とバリエーション

陳:伝統的な意味における建築設計とは異なり、朱競翔さんたちは建築を「製品」として設計しています。その主たる意義とは何でしょうか?

呉程輝:伝統的に、建築設計の価値は設計者と高度に縛り付けられており、ひとつの技能として、その場その場での判断を多く必要としてきました。ですが、建築家の時間と体力にも限りがあります。またひとつの建物は一組のクライアントにしかサービスできません。しかし製品であれば多数のクライアントにサービスすることが可能になります。仮に建築が製品化できたとすると、建築は設計者から離れて[人びとが直接検討する]舞台上に躍り出て、市場のなかで自由にセルフ・リニューアルされるものへと変貌できます。製品のロジックというのは、デザインの中である一部分は安定させ、また別の部分には高度な類型化を施す、ということです。デザインのなかで類型化の仕方を考えることを通じて問題を解決していくことで、そのデザインは一定程度の典型性をもち、複製や量産化が可能になる。またこうした方法によって、デザインの価値が高まるチャンスもより多く生まれます。

陳:「新芽複合型」に始まり、「ユニット型」、「パネル型」、「フレーム型」、そして「スペース・パネル型」と、皆さんは実践を進めるなかで絶え間なく軽量建築製品の類型を拡張し、改善を施してきています[文頭図参照]。こうした展開の背後にある動機と方法はどのようなものでしょうか?

呉:建築の利益に関わる事柄は非常に広範であり、ひとたび建築に投資者と使用者があれば、商業性の問題が生まれます。このとき、新しいタイプをつくるのかどうか、そのタイプは商業化に値するかどうか、検討されなければなりません。あるいは新しい次元の情報が加わることもあるでしょう、たとえば、ある部材に量産化できる能力があるのかどうか、量産する工場の生産能力はどうか、市場の売れ行きと生産能力は釣り合うか、使用者の需要は製品類型とマッチしているかどうか…。こうした問題に向き合いながら、我々は類型化の方法を通じて仕事を展開してきました。
問題が類型化できたとき、製品も類型化され得るわけです。よって新しい製品タイプを創出するかどうかは、直面する問題がまったく新しいタイプのものであるかどうかに拠ります。仮に新しく創案した製品タイプが新しい問題に合致していれば、それは有意義ということになるし、逆に直面した問題がすでにある問題の変形に過ぎないようであれば、我々は開発するだけの価値があるのかどうかを反問します。これはつまり、すでに存在する製品を選んで用いるか、新しい類型を研究・開発するか、という判断です。総じて言えば、類型化というのは、あらゆる問題の「境界条件」を探る作業の手法ということになるでしょう。

陳:建築の「形式」や「意味」といった側面に関しては、皆さんはどのように取り扱っているのでしょうか?

朱:私は個人的には現代哲学から多くの影響を受けているのですが、「意味」を追求しないということではありませんが、それがある種の来源からやって来るとは考えてはいません。「ある種の来源」というのは、[たとえば]私の大屋根への偏愛、西洋のある建築形式に対する偏愛、道具の生み出す痕跡に対する偏愛など、です。私自身の興味は「からっぽ」なのです。実際、私はプロジェクトが始まるときはいつも、事前にアイデアを準備したりはしていません。
我々は建物をつくるとき、その建築の形式が多くの人によってかたちづくられ、また人びとにそれが調和がとれた適切なものであると感じられ、しかし日常の経験とはちょっと距離のあるような、そういうものにしたいんです。この「距離感」を人びとは嫌がるかもしれませんが、[建築の意味や形式を]考えようとするきっかけとなる可能性もある。この「距離感」を考えるとき、我々がなぜ建築をこのような形式としたのか、あるいはいかなる能力がこの形式に備わっているのかと、問いを発する機会が生まれるかもしれません。

陳:いくつかの小規模の建築プロジェクトの中で、朱さんたちは製品化された建築が多様性を獲得する方法を探られているようです。大規模でスピーディな建設が要求される状況では、製品化された建築はどのように効果的に「同じことの繰り返し」であることを回避できるでしょうか?

朱:今日のアジアにおける主要な問題は規模と速度を重視しなければならない点にあります。古代ではおそらく十数年かけてひとつの建物を建てていたはずで、自然と違いは生まれます。我々は短期間に多くの建物を建てる必要があり、さらにそれを自然のことのように見せるためには、必然的に情報化ツールを使うことになります。なぜなら情報技術は「標準化」という概念に変化を生じさせるからです。
たとえば、ふたつのものの寸法が完全に同じで中身も完全に同じであるとき、それは「標準」と呼ばれます。これは機械時代の複製ですね。しかし現在は「付加製造」(Additive Manufacturing)の方法、つまり3Dプリントのようなものを使えば、書いた式は同じでも入力値を少し異ならせることで、アウトプットの形状はまったく異ならせることができる。しかしそれでも我々は、それらを「同じもの」として認識するわけです。ゆえに原則レヴェルにおいて標準化を行うことがより重要です。現在は「標準」ではなく「安定性(stability)」という言葉のほうが、議論するに値するでしょうね。「標準」が意味するのはスライド式キャリパーを使うことであり、スケールがまったく同一ではじめて「標準」と呼ばれます。他方で「安定性」が意味するのはひとつの「範囲」です。この範囲のなかで原則が変わらなければ、その中で多少大きかったり小さかったりすることは不問です。「原則の優先された標準化」、これが情報テクノロジーの時代が機械時代を超えるひとつの特徴でしょう。

4. チームワーキング

陳:軽量建築システムが建築を構成する各種レイヤーのバランスを生み出すインテグレーション・デザインとなり、また様々な製品タイプの開発・研究・改善を繰り返し、情報化ツールの介入を進展させるためには、朱さんたちがチームとして仕事をすることの強みが存分に発揮されていなければならないと想像します。朱さんがチームを率いて仕事をする際の核心的な理念はどのようなものですか? また、集団を管理することの経験はどのように得たのでしょうか?

朱:現在の中国国内の設計事務所は大部分がまだ「独裁者方式」で、スタッフの仕事はすべてボス個人の感性を実現するためにあります。けれど私は、集団というのは「共和」であるべきだと信じています。より優れたものは多くの人の共同作業を通じてはじめて出来上がる。そのためには集団内で互いに触発し合うエネルギーをつくることが必須でしょう。そしてこうして初めて、チームのリーダーの時間は解放されて、事務的な問題ではなく、方策に関する決定や戦略に関する問題を考えることに有効に使えることになります。
私の集団管理の関する最初の経験は大学教育でした。香港中文大学での多年に渡る教育経験により、いかにして人を率いて仕事をするのかということについて、多くのことが理解できました。大学教育のなかで私は学生のアイデアには基本的に手出ししません。方向性だけを指導し、決定は学生みずからにさせ、その後にはより良かったかもしれない決定はどのようなものであったのかを指摘する。この種の啓発的な教え方の利点は、学生全員が「自分のこと」をしていると認識し、多くのエネルギーを発揮できることです。さまざまな団体のリーダーも教師に似て「決定的な瞬間」を補足するある種の能力が必要です。その瞬間にリーダーがすべての事柄がすべて「ハマった」と感じられれば、チームの人間は自分たちがしたいことを明瞭に自覚できるし、リーダーがいなくても一緒に決めたことを変更したりはしませんね。

陳:朱さんは大学教授と会社[元遠建築科技発展有限公司]のリーダーという身分を兼ねていて、教育・研究とその応用や実践が相互に補い合い、成果を上げています。軽量建築システムの研究と応用について、大学と企業にはそれぞれどのような強みがあるとお考えですか?

朱:大学の強みは短期間での生存圧力がないこと。極端に理想化した後で外に向かってアウトプットできることです。たとえば多くの場合、大学での長く連続する教育や研究では多くの「局面」がストックでき、具体的なプロジェクトが起こったとき、まずはそれらをどのように転用するかと考えることができる。逆に大学は企業のようには時間に対して敏感ではないところが不利な点でしょうね。企業は市場の「ウィンドウ・ピリオド」をすばやく捉えることができます。総体的に見れば、大学に動力源を持つ企業というモデルが、より競争力を持っているはずです。なぜなら研究が失敗したとしても、大学はその失敗に対する許容力が相対的に高いから。

陳:「構造と空間[の強い結合]」は朱さんたちの仕事の優れた点ですが、皆さんの中には構造の専門家はいません。どのように外部から適した人材を探してこうした仕事を進めているのでしょうか。

朱:私には誰が優秀なエンジニアであるかを見分ける方法があるんです。すべての点でふさわしいエンジニアが見つからなかったら、問題を分けて個別に探していきます。大学内にいるエンジニアは計算方面に比較的優れていますね。また、大原則を論じることに優れるエンジニアもいる。あるいは、実際の操作を多くするエンジニアは主体的に自分の視点から多くの解決策を考えます。工芸的なものや実施段階のことがらに多くの経験をもつエンジニアもいます。こうした専門家をどのように判断するのかはなかなか難しいですが、彼らとプロジェクトを議論するときには私にはちょっとした心づもりができているのです。長年の実践があるので、エンジニアと少し喋れば以上の4つのタイプのいずれかにその人を位置づけることができるんです。

5. プレファブリケーションと住民参加

陳:建築の部品や部材をプレファブで生産するフェーズにおいて、朱さんたちは工場でどのような作業をおこなっているのでしょうか?

呉:ひとつは、工場でのサンプルテストです。サンプルがテストを通過した後に生産プロセスは正式に進められることになります。もしプレファブ化が高度に求められる部品があれば、工場であらかじめ組み立てたりもします。もうひとつは、組み立てのテスト。いくつかの接合部は、設計時に想定していた状態、あるいは部分的なモックアップによって成立しても、大スケールで組み立てたときにその潜在的な問題を発生させる可能性があります。たとえば部品同士の整合性やその精度の問題です。試しに組み立てることにで、これらの問題は解決できます(fig.5)。

fig.5 工場での「スペース・フレーム型」の組み立てサンプル・テスト[提供:元遠建築科技発展有限公司]

陳:朱さんたちのプロジェクトは、市街地から離れた辺境のエリアで多く展開されています。その当地からすれば、軽量建築システムはほとんど馴染みないものですよね。どのように新しい建築をその地域が受け入れられるようにしていますか? あるいはどのようにして、その地域は一種の「自然な更新」として[軽量建築システムによる建築を]捉えることができるのでしょうか。

朱:「自然な更新」は、部分的には古いもの、部分的には新しいものを含むべきです。もし新しいものの価値が高ければより価値の低い古いものに取って代わることができ、それで人びとは良いと考えます。ですが、もし新しいものが古いものの価値の高いところを壊して、かつそれが大した価値を生み出さなければ、実にひどいものでしょう。
我々建築家が離れたあとも、建物はその地方に所属することになります。もし建物が[当地の人びとへの]帰属感を打ち立てることができなければその建設活動は失敗です。もちろん、ひとつの工場がすべての作業を引き受け、外部リソースを少しも用いないことは可能です。けれどそうするのは、たとえば村に老人や女性しかいないとか、適当な工芸や工匠を見つけることが難しいとかいう前提条件がある場合だけです。そうでない多くの場合、建築家は動員のちからを発揮すべきだと考えます。
我々はできるかぎり当地の人びとを引き込んで建設作業をおこなっています。建築の基礎的な部分では少なくとも伝統的、あるいはその地方の工芸を用います。総体的に見れば設計者が当地の工匠をリードするとしても、多くの場面で設計者は譲歩し、あらゆる人に発言の機会を与えるべきです。最終的な成果は、設計者が構想していたような純粋なものになるとは限りません。けれど、人びとによる参加の積極性を発揮させるという点からすれば、譲歩は実質的な成功をもたらすはずです。設計者と協働者によって建物は精神的・思想的価値を長く持つことになります。

陳:朱さんたちは過去のプロジェクトで、たびたび現地の非専門家の人びとによる建設作業への参加を呼び込んでいます。その要因はどのようなものでしょうか? 現場での施工プロセスが滞りなく進行することをどのように保障していますか?

呉:いつも直面していた問題は専門的な施工者たちを探し出せないということです。それはプロジェクトの規模が小さく、予算も低かったことによります。我々は現場で遊撃隊のような施工チームを組織しなければなりませんでした。たとえば江西省鄱陽湖でのプロジェクト(fig.3参照) の基礎部は現地の漁民につくってもらいました。我々は現場で訓練を施し、彼らに我々がどのように建てたいのか、どのディテールに注意してほしいのか、組み立てる手順はどのようなものであるのかを伝えます。伝達の方法としては、あるときに自分たちでモデルをつくって見せたり、またあるときは特別なツールをつくったりもしています。たとえばケニヤでのプロジェクト[MCEDO学校](fig.6)では、クレーン車を使った組み立てプロセスは精密でなければなりませんでした。そこで我々は小さな模型をつくり、それを使ってすべての施工順序をデモンストレーションしました。彼らはこのようにしてプロセスを理解できたことで、議論に参加できるようになります。こうして情報は伝達とフィードバックのプロセスを持つことになるわけです。

fig.「MCEDO学校」ケニア、2014年[提供:元遠建築科技発展有限公司]

朱:産業チェーンという点から考えると、我々がひとつの場所で繰り返しつくるとなれば、「本土化」を考えるべきでしょうね。すなわち、現地の適切な人に技術を引き継いでもらう必要があるということです。これも現在、我々が力を入れて発展させようとしている点です。誰が技術を引き継ぐか、どのように訓練機構を構築するか、そもそもそれはどこだったら可能なのか? デザインはもっとも学ぶのが難しいですが、具体的な工事プロセスや加工のメカニズムは総体的により容易に学べるでしょう。こうした中でいかにバランスを取るのかを我々は現在考えているところです。

6. 展望:領域の開拓と制約

陳:朱さんたちのこれまでの実践は慈善団体や政府とのプロジェクトが多くを占めていますが、コマーシャルな領域における発展に力を注いでいくお気持ちはありますか?

呉:現在、海外でのプロジェクトをひとつ進めています。中国人の投資家が現地で多方面に渡る問題を全面的に解決できる組織を見つけられず、我々の開発・研究するインテグレーテッドな建築がプロジェクトの運営条件や工期の管理、投資規模などに適切だったのです。現場での組み立てプロセスを省き、本来あった取付工事などの作業もプレファブリケーション化させたことで、現地での煩雑なやり取りを少なくすることができ、商業上はすべてを一括委託することができるようになっています。これは新規開拓型のプロジェクトです。もし成功すれば将来的にはひとつの産業モデルになり得るもので、また別の場所で複製することも可能です。

陳:目下、軽量建築システムを適用する際の主たる制約はどんな要素でしょうか? またそれに対してどのように応対していますか?

朱:ひとつは政策と法規の要素ですね。我々の大部分の仕事は辺境のエリアで展開しており、都市部ではありません。よって機能や敷地は地方の伝統的な法規に関係してきます。都市では多くの処理の難しい面倒があるでしょう。ひるがえって村落地帯は総体的に見ればチャンスが多いのです。私が以前研究していたスイスのエンジニアのロベール・マイヤールも、その生涯でずっとスイスの田舎や山間部で仕事をしていました。我々は辺境の地域を援助し、そうした地域は我々に検証の機会を提供する。そうして我々は、徐々に要求がより複雑である都市的環境の中での仕事に向かっていくことなるでしょうね。
もうひとつの制約は建築の高さです。たとえば一般の人たちが我々によく聞くのは、6階建てを建てることは可能か、ということです。つくろうと思えばもちろん6階建てもつくれる、と答えます。けれども6階建てともなれば、構造上それはすでに重く強くなっており、すでに軽量構造とは言えないのではないか? 実際、我々の軽量建築システムが網羅する現状の境界条件の中にも、大きな発展すべき領野が存在します。私たちのチームが追求するのは建築の全面的な発展であり、明らかな欠陥のない状態でより多くの指標を優れたところに到達させたい。というのも、それがひとつの「システム」であるからには、バランスの取れた状態で最適解に辿り着くことができるはずだからです。このことが我々を伝統的な工業製品と区別させるのです。たとえばプレファブの仮設住宅は、震災救済の際に速やかに住居を供給できますが、住めば辛いものであり、最後には不要となってしまいます。先ほどの考え方から言えば、我々はバランスを厳格に保持しながら、その状態でこれが応用可能な領域をより拡張していくことになるわけですね。

7. インタビュアー後記(陳科)

インタビューを通じて、朱競翔のチームによる軽量建築の実践が達成した成功の端緒や、持続的なクリエイティビティが、様々な方面の設計と研究、そして技術的な蓄積からもたらされていることが分かった。朱らはシステムの層から多元的な需要に応答し、インテグレーション・デザインの戦略を探っている;類型化の方法を用いながら製品のプロトタイプを研究・開発し、情報化ツールを用いて製品にバリエーションを賦与している;大学では研究に先進して成果を蓄積し、企業はその応用の機会を補足するためのプラットフォームとし、共和と協働の方式によって設計リソースを発揮させている;工場での生産やテスト作業に深く参与し、そして地方の人びとが建造に参与することを通じて技芸の吸収や技術の伝達、そして建築の社会・人文的価値の発展を行っている…。彼らは軽量建築システムの利点を十分に発揮しながら積極的にその応用領域を拡張しつつ、と同時に、理性的に制約となる様々な条件を取り扱い、[自らが設定した]現状の領野の中で深く丹念に種を蒔いて収穫することで、その優れた点にさらなる磨きをかけているのだ。
大学教授としての朱競翔は[中国建築メディア賞の一部門である]技術探索賞を受賞したとき、このように述べている。「我々が現在触れるような建築家は皆、大学で教育を受けています。もし大学が使用する設計手法が経験型のものでしかなければ、別の人に繰り返し検証されることは簡単ではありません。そうして大学教育はまるで宗教のように学生に対して完璧で理想的な境地を伝えることになるわけですが、これは実際には正しいことではないでしょう。私と私の集団は設計は一種の科学であると強調したい。科学であるという意味は、第一に不完全であることを承認し、第二に完全に接近しようと努力すること、第三に認識可能な部分ははっきりと記述しておいて後戻りできるようにしておくこと、第四に高度に集約することで非常に少ない動作によってより多くの価値を得ることです」。彼らが展開する軽量建築システムの実践がここで述べられている観点をよく体現していること、またそれが正に基礎的研究の層においても実践・応用の層においても統合的に建築を設計する上での鍵となる手法であることを発見することは難しくないだろう。

[初出]
陳科、朱競翔、吳程輝「輕量建築系統的技術探索與價值拓展──朱競翔團隊訪談团」『新建築』2017年第2期、新建築雑誌社、pp.9–14.

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朱競翔
建築討論

シュ・キョウショウ(Zhu Jingxiang)/1972年生まれ。建築家。香港中文大学建築学院副教授。元遠建築科技発展有限公司主宰。1999年東南大学建築研究所博士号取得。同研究所講師、副教授を経て、2004年より現職