建築の正史からとりこぼされてきた「クィア空間史」(サマリー№11)

Adam Nathaniel Furman and Joshua Mardell(ed.), “Queer Spaces: An Atlas of LGBTQ+ Places and Stories” London: RIBA Publishing, 2022

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近年、様々な分野でLGBTQIA+のトピックに注目が集まっている。しかし、ある種の「権威」が公に「クィア」をテーマに何かを主体的に発表していく歴史は、まだ浅いように思われる。例えばアートの世界では、2017年に、イギリスにおけるアートの権威の一つであるテート・ブリテンで
“QUEER BRITISH ART 1861–1967”という展覧会が開催された。そして、驚くべきことにこれがイギリスのクィアアートにフォーカスしたはじめての展覧会であったという。

そんな中、本年(2022年)、RIBA(英国王立建築家協会)の出版社であるRIBA Publishingから出版された、『クィア空間:LGBTQIA+の場所と物語の地図(QUEER SPACES : An Atlas of LGBTQIA+ Places & Stories)』は建築におけるLGBTQIA+の取り扱いにおいて先駆的な本になるだろう。本書は、世界中から55人の寄稿者の共著で書かれた本であり、古今東西90以上の事例を、各々の事例に図版を豊富に盛り込んで400ページにわたって紹介している。

Adam Nathaniel Furman and Joshua Mardell(ed.), “Queer Spaces: An Atlas of LGBTQ+ Places and Stories” London: RIBA Publishing (2022)

「クィア空間」の立ち位置

本書では「LGBTQIA+… 」と年々、その範囲が広がっていっているようにも見える「性的マイノリティ」、そして彼ら彼女らに携わるものの形容詞として「クィア」という語を使っている。また、「クィア空間」というお題に関しては、編者側からは敢えて厳密な定義を与えずに寄稿者の自由にゆだねた。結果として「クィア当事者が自分と仲間のために作った空間」、「クィアの人々を対象とした空間」、「元の用途から何かのきっかけで変化があり、クィア性をおびた空間」、「クィア性を世に周知させるための空間」など、多様な事例の集合体となった。

本書の出版に際して、編者の一人であるジョシュア・マーデル(Joshua Mardell, ヨーク大学准教授)はインタビューで、彼は感性としての「クィアさ」から得られる情報に興味があり、建築の正史に欠けている部分を検証する事や、忘れ去られたものの回収に興味があると述べている★1。 また、もう一人の編者であるアダム・ネサニエル・フルマン(Adam Nathaniel Furman, デザイナー)は、本書の出版により取り上げられた「クィア空間」が公に認められた、出版された事例として、後世の多くの建築家やデザイナーに、幅広く参照元として使われることを期待している、という★2。

つまり編者達は、本書において今まで建築の「正史」からとりこぼされてきた空間に公の立ち位置を与える事を目指している、と言えるだろう。寄稿者は、国籍も拠点も北米、南米、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニアと世界各地に散らばっており、何かしらLGBTQIA+に関するリサーチやデザイン活動に従事している人々が主である。私自身も「ドラキュラの家」に関する記事を寄稿しているが、私のような当事者でも専門家でもない人間はかなり稀である。

それでは、「ドメスティック(DOMESTIC)」「コミュ―ナル(COMMUNAL)」「パブリック(PUBLIC)」という空間・プライバシーのスケ―ル別の3つの章にわけられた「LGBTQIA+の地図」を、事例を通して読み解いていこう。

住まい手の城(DOMESTIC)

第1章の「ドメスティック(DOMESTIC)」は3つの中で一番小さいスケールの事例であり、22件が紹介されている。事例の多くは住宅や邸宅で占められている。ここから2件、事例を取り出してみよう。

1928年にイギリスのケンブリッジに突如生まれた「フィネラ」は、家主のアイデンティティの重層性を象徴する建築だ。家主であるマンスフィールド・デュバル・フォーブス(Mansfield Duval Forbes)は、ヴィクトリア期のヴィラを賃貸し、設計の手がかりとして自らのアルターエゴである10世紀のスコットランドの女王「フィネラ」の話を参照した。彼女はガラスの開発者であり、ガラスの城に住み、最終的に敵に追われ滝に飛び込んで悲劇的な死を迎えた、というストーリーを設計や素材選定の手がかりとした。この女王の物語と並列して、フォーブスが入植者として過ごした子供時代に影響をうけたスリランカの装飾的記号のとりいれや、彼が自身と重ね合わせた18世紀の雅人であり、同じくゲイであったホラス・ウォルポールらの美意識の参照などが様々混ぜ込まれている。結果として、「当時としては最新の建材を使った、新しい建築の青写真としてつくりだされた夢幻的な建築が生まれた」(p.40)。

廊下の壁はラッカー塗装で塗られ、玉虫色の仕上がりをしていた。ウォルポールのストロベリーヒル邸を模した天井のヴォルトはガラスのパネルで仕上げられ、銀箔がほどこされていた。この仕上げは、日中はフィネラ女王のガラスの城を想起させ、夜は床レベルの光にきらめき、彼女の死の原因となった滝のように見えた。この、フォーブスの複層的アイデンティティの重なりによって生まれた建築には、ポール・ナッシュやシャルロット・ペリアンなど、当時の文化人が多数集ったという(p.40)。

Fig.2「フィネラ」内観[出典:『QUEER SPACES』p.40]

ふたつめは、石山修武の「ドラキュラの家」(1995)である。理容師と画家の男性カップルが建築家に、「窓のない、素っ気ない空間、古い飛行機の格納庫のようなところに住みたい」と伝えた。そして建築家は、大きな棺桶のような箱の設計を進めた。この住宅には、間仕切りはもちろん、子供部屋も必要なかった。さらに、寝室も居間もいらないという。ワンルームの大空間の回遊性は、シャッターから始まり、ベッド、トイレ、キッチン、浴槽が一直線に並んでいる。「ドラキュラの家」は、ひとつの「家」にさまざまな形の「家族」が住めることを強調し、「家族」という単位とそれに付随する容器のあり方を問いかけた。建築家は、「同性のカップルに家を頼まれただけで、私たちが常識として学び、教えられてきた『家の間取り』という概念が崩壊した」と感じたと述懐している(p.8)。

Fig.3,4「ドラキュラの家」外観・内観[出典:『QUEER SPACES』p.9, p.11]

しかし、この箱の中で独特のライフスタイルを楽しむことができたオーナーやゲストが語るエピソードや写真資料からは、閉塞的なはずの空間が、まさにその中で自由を楽しむ事を可能にしているという建築的パラドックスを捉えることができるかもしれない(p.8)。

以上のように、第1章の事例は、その小ささからか、建築主や建築家自身(たまに同一であることもある)がある種のエキセントリックさを持ち合わせた存在として、空間を支配的につくりあげる役割を果たしている場合が多い。自身の複層的なアイデンティティや生い立ちなどを建築に昇華させたフィネラと、外に閉ざされつつも内側が開放的なドラキュラの家は、建築的空間として違う言語で出来上がっているが、ある種の閉じた特異な世界観を作りこみ、親しみのある仲間達を招待して楽しむ空間であったという共通点がある。

コミュニティの空間(COMMUNAL)

第2章の「コミュ―ナル(COMMUNAL)」は、もっとも事例数が多く、「ドメスティック」よりも大人数に使われた空間の事例が46件並ぶ。バーやナイトクラブなどコミュニティの中心となる場所の事例が多く、そのほかに美術館、クィアパーティー、公衆浴場、アートプロジェクト、ブッククラブ、学校、本屋、離島、タトゥーパーラー、劇場などが紹介されている。

この中で特筆すべき事例のひとつめは、アラン・バウスバウム(Alan Buchsbaum)という、日本ではあまり知られていないが、1960年代から1980年代にかけてのNYのシーンにおいて重要なインテリアデザイナーの自邸、オフィスである。彼は、友人のアーティストのロバート・モリスと美術批評家ロザリンド・クラウスと3人で、1976年にニューヨークのSOHOエリアにビルを買い、1・2階をオフィスと自邸とし、建築アイディアの実験場として設計した。

Fig.5,6「バウスバウム自邸」内観[出典:『QUEER SPACES』p.71]

1階の一番奥に置かれたバスタブは、クライアントや来客にショックを与える要素であった。その周囲で多用された正方形のタイルのデザインは、ニューヨークにおけるゲイのバスハウスへのオマージュでもあった。当時のニューヨークでは、男性のみの踊り場は法律で禁止されており、公衆浴場は男性のみで集える拠り所として存在した。空間的構成は多様であれ、ニューヨークの全ての公衆浴場は一つ特徴的な建築的要素を共有していた。それは安価で、容易に入手でき、取り替えたりすることができたタイルだ。そのつややかな表面は、過去を否定し、シミや跡が残る可能性を拒否し、新たな世界、新たな未来を予感させた(p.70)。白いタイルはその後、ポストモダン期において多くのデザイナーにデザイン要素として多用されることになる。バウスバウムはその秘密めいた性的意識に満たされた空間、1970年代のニューヨークのクィア・シーンの歴史を認識し自身のデザインに取り込んでいった(p.70)。

ふたつめの事例は、メキシコシティにあるEL ECO(1952)。「実験的美術館」という定義をされている場である。マティアス・ゴエリッツ(Werner Mathias Goeritz Brunner)というドイツ生まれの近代運動の旗手の彫刻家がメキシコに移住した際に、起業家でありゲイであったダニエル・モントと出会ったところから話は始まる。デザイン要素の重要なものがいくつかあるが、例えば「貫通可能な彫刻」を想起させる平面プランが性的な感覚を人々に意識させるというものであったり、空間内に文字通り「ストレート」なものを避けており、平面上、ほぼ90度の角度が存在しなく、壁の厚みに抑揚があることなどが挙げられる(p.149)。

Fig.7,8,9「EL Eco」内観、平面図[出典:『QUEER SPACES』p.149]

このギャラリーは、オーナーの死後、ギャラリーとバーとして機能し、1959年までゲイのナイトクラブとなり、劇場となり、政治活動の集会場になったりなどもした。EL ECOは2005年に改修され、今日、公には明言されていないものの、この美術館の根源であるクィアの属性を意識した活動やイベントが続けられている(p.148)。

「コミュ―ナル」の事例の特徴として、上記ふたつの例にも見て取れるように、設計者が意図的に「クィアさ」をデザインの中で強調しているところがある。クィア・コミュニティのための空間は、主に一組、または一家族が利用するドメスティック空間とは対照的に、複数人を前提として対象としているためか、設計者の意図としての「クィア性」がデザインに表出してくる場合が多いように見える。

クィアの公的空間(PUBLIC)

最後の章である「パブリック(PUBLIC)」においては、多様で公的な24件の空間が並ぶ。メキシコの地下鉄の電車の最後の号車、庭園、パブ、モニュメント、キオスク、カテドラル、トランス・クィアのための博物館、広場、公園、など。その中でも希少な新築事例が、オーストラリアのヴィクトリアにおけるヴィクトリアン・プライド・センター(VPC)(2021) である。政府主導で6,200㎡もの建築が建てられ、2021年に開業した。建築家達は露骨なLGBTQIA+のレファレンスを避けて、基本的な構成としては、建物全体の最大ボリュームから円柱や楕円が差し引かれたデザインになっている(p.204)。

Fig.10,11,12,13「ヴィクトリアン・プライド・センター」外観、内観[出典:『QUEER SPACES』p.205]

VPCの建築的特徴は、他にもさまざまある。例えば、26メートルにも及ぶエントランスホールは、コンシェルジュ、カフェ、ラウンジそしてギャラリーなどを含み、複数のユーザー集団に使われることを意図しており、開放的でアットホームな雰囲気を作っている。また、中央にある主張の激しい階段は、外向的な人達のためのキャットウォークや、パフォーマンスや会議につかえる集会所の機能を持つ。

ただ、それらの開放性に対し、その上のアトリウムに面してLGBTQIA+の組織のためのテナントスペースが並ぶが、このエリアと外に向けて開かれたバルコニーはセキュリティラインによって仕切られている。また、テナント内装は視界や日射を遮蔽しており、これらは「差異のための空間を与えているのに対しアイデンティティを個別に管理し、閉じ込める」というLGBTQIA+の組織の矛盾を見せつけていると著者は言う。「クィア空間」を目指すにあたり、建築という分野が、耐久性があり、堅牢な構造を持つものであるということから、その理想に追いつかないというあがきもある、と著者は述べている。これは、その存在自体によってLGBTQIA+のアイデンティティを分かりやすいものにしつつも、同時に統率可能であり消費可能なものにしてしまうという、このセンターの誕生の矛盾とも共通している。建築家達はこの矛盾に対し、完成させないこと、を意図として、仕上げを最低限に留める事などで利用者に将来的な利用をゆだねる仕組みを作っている (P.204) 。

最大スケールである「パブリック」の事例は、「公」となると、その存在の仕方、建築的アプローチの難易度が高いことを見せつけている。VPCは、様々な矛盾を孕んだ建築となっている。

「クィア空間」を研究し、アーカイブする意味

建築・空間のアーカイブを残すこと自体、容易なことではない。そしてそれが「主流」という認定がされないものの場合、それは猶更であろう。

実際に本書を開くと、一般的な建築書に出てくるものは殆どないといってよいだろう。「ドメスティック」で取り上げられた設計や施主の特異性がデザインに反映された事例、「コミュニティ」の章における「クィアさ」を建築言語に翻訳した事例、「パブリック」で取り上げられているVPCの事例において明らかになったように、「クィア性」という多様であり変幻的である属性と、「建築」という堅牢で耐久性の求められる属性の重なりが紡ぎだす矛盾の調停方法の模索は、建築における新鮮な挑戦や問いを我々に与えているのかもしれない。

そのような意味において、本書の出版は、世界的な建築や空間の多義的なアーカイブの拡張という可能性も秘めているといえるだろう。今後もこのようなリサーチが進み、建築の正史とされるものの範囲が拡張していくことを期待したい。

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★1: Queer Spaces: An Atlas of LGBTQ+ Places and Stories by California Preservation Foundation
★2:
RIBA Books: Queer Spaces — An Atlas of LGBTQ+ Places and Stories by RIBA Architecture

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★Further Reading
Aaron Betsky, Queer Space: Architecture and same-sex desire, William Morrow, 1997
バージニア工科大学の総長であったアーロン・ベッツキーがサンフランシスコのMOMAのキュレーター時代の著作。同性愛者が物理的空間の中でどのように生活しているのか、そして彼らが自分たちのためだけでなく、世界のために新しい空間の概念を作り出す最前線に当時いたことを検証した本。本稿で紹介している本にとってほぼ唯一の先行研究である。

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上野有里紗 | Alyssa Ueno
建築討論

1986年東京生まれ。建築家。Goldsmithsにて視覚文化論学部を首席卒業。AASchool、Royal College of Artにて建築を修了した後、2019年よりULTRA STUDIO一級建築士事務所を共同主宰。http://ultrastudio.jp/ 2021年より TŌGE 代表理事(共同)