建築の贈与論について

連載:建築の贈与論(その1)

中村駿介
建築討論
15 min readJan 20, 2022

--

はじめに

所有物の他者への贈与により社会的ステータスを示すという、マルセル・モース★1が『贈与論』★2において言及した原理は、都市建築にも見つけることは可能か。前近代から現代までの都市建築の贈与性を分析することで、日本の都市建築における試論を展開する。

一般に、社会的ステータスが高い人は、大きさや立地や高さなど、何らかのかたちで自分が所有する建築の価値を明示する。巨大な邸宅や都心に聳える高層マンションをイメージすると、そこに住んでいる人は自ずとイメージできるだろう。明治時代には、文化財を所有するという一定の価値観があり、山縣有朋の椿山荘 ★3や原三渓の三渓園 ★4など、文化人は一級の建築を所有することで社会的ステータスを表現していた。建築の所有は経済的な貯蓄を示すとともに、歴史無き田舎人の文化的素養を表現する重要な道具であった。

マルセル・モースの贈与論

一方で、モースの述べる贈与論は、所有ではなく贈与が社会的階級を決める要因として考えている。マリノフスキー ★5が『西太平洋の遠洋航海者』 ★6で発見したトロブリアンド諸島のクラ ★7を集落の社会階層を決める要因が贈与にあることを明らかにした。モースが書いた『贈与論』は、アメリカ北西部のポトラッチ ★8を中心に分析することで、こうした贈与を体系化し、法や現代における残存を見出そうとした。マリノフスキーやモースの贈与論によれば、所有物の価値とは与えることにより生まれるものなのである。

これを都市に例えてみると、所有する不動産としての建築に価値はなく、”建築=個人所有物”を”都市=他者”に与えることにより社会的ステータスは生まれることになる。本論では所有に対比する概念として贈与を取上げる。ここではモースとゴドリエの贈与論を元にした「建築の贈与論」から建築で観察したい。

モ ーリス・ゴドリエの贈与論(モースの贈与における四つ目の義務)

モースの贈与論から大きく問いを消化したのは、レヴィ=ストロース ★9の『親族の基本構造』★10であったが、贈与が社会的階層を規定する仕組みそのものを解明したわけではなか った。贈与社会の姿を西洋の社会と結びつけたのはモーリス・ゴドリエ ★11であった。ゴドリエは『贈与の謎』 ★12において、モースの二つ目の問い(贈与、受容、返報の三つの義務)が贈与形態の複雑性を検討させているとした。なかでも返報の義務を強調し、利害関係以外の《宗教的》次元の付加が必要である、霊や神々に対する供犠という第四の義務の重要性を提示した。そして、返報を義務づける規則についてバルヤ族の交換を調査した結果、贈与と反対贈与の実行はあったがポトラッチは見当たらず、「反対に、社会の論理全体は、富者が贈与と反対贈与によって権力を獲得するのを排斥していた。権力は、女性と富を集積したビッグ・マンではなく、人間以外の力としての太陽、森の精霊等が先祖に与えた聖物や秘密の知識の中にある、世襲権力の保持者グレートマンにあった」としている。

そしてグレートマンの権力を保証する「売ることも与えることもできず、保持して手放してはならないモノ(与えないモノ、聖なるモノ)」の分析を試みている。聖なるモノとはグレートマンと政治権力を結びつけているものであり、聖物は神々ないし祖先の贈り物、以後物の中に存在する力の贈り物、また、現実の人間に代って人間自身の想像上の分身が棲む起源との関係の一種のタイプである。つまり、この関係では現実の人間が消滅し、代わって人間自身の分身、想像上の人間が出現するという。

最後にゴドリエはこうした「聖なるモノ」の発見から、同時に聖なるものを冒涜し破壊するためにのみ、聖なるものの領域に侵入してきた貨幣の登場を指摘している。貨幣の登場と価値を歴史的推移から分析したカール・ポランニー ★13の『経済の文明史』★14によれば、「人間の目的は、物質的財産の獲得という形で個人的利益を守ることにあるのではなく、むしろ社会的名誉、社会的地位、社会的財産を確保することにあるだろう」としている。こうした人間の目的に沿うのであれば、所有以外にも贈与の分析は人の所有する都市建築にも当てはめることが可能だろう。この際、ゴドリエによればクラでは所有と占有(使用)の二通りがあるという。したがって、建築の贈与論でも純粋に所有権を贈与するというわけではなく、使用を許すといった条件を鑑みながら論を展開したい。

日本社会に現われる贈与

日本は贈与的社会システムが強い国と言われる。日本中世の流通経済史の研究者である桜井英治氏 ★15は『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』★16により、室町期における贈与的社会を描いている。たとえば室町幕府は貨幣的優位性ではなく、世襲的な優位性を持ち、贈答品によって幕府財政を成り立たせていた。また、権力者が民衆の打ち壊しを回避するための手段として、弱者に対して寄付をする有徳人として認識される必要があった。今でも「お歳暮」や「賄賂」といった「贈与」の文化は残存し、贈与による社会性は日本における特徴的な残滓といえる。よって都市建築においてもこれを見出し、今日の経済的所有を背景にした都市建築の価値優劣とは異なる都市建築の在り方を提示してみたい。

図版1.参考文献一覧による

論点の提示と今後の内容

贈与には”贈与する義務”、”受け取る義務”、”返報する義務”という三つの義務が存在し、この義務が生む”互酬”が本質であるとしている。つまり、都市と建築の関係の中で、他者に対する貢献=贈与がなされ、反対の贈与が行われる互酬を見ることができれば、建築に関しても贈与論は成立する。これにゴドリエが指摘する「聖なるモノ」を加えた4点から3つの問いを提示する。「建築の贈与論」として、①贈与し受容する建築の贈与物とは何か、② 都市の互酬的働きがあるか、③建築に聖なるモノは宿るかの3つの問いを確認しながら、前近代からの都市建築の試論を展開する。

図版2.都市と建築の贈与関係(筆者作成)

まず、第2回・3回では①についての都市論を展開する。日本の魅力的な町並みを贈与という観点でみる。例えば「谷根千」では接道する建築の前を鉢植で飾り合うことでコミュニティーが生まれ、原宿では敷地の私道を歩行者に提供することで町に回遊性が生まれている。こうした都市空間の贈与性は前近代にも見当たり、寺社境内や温泉といった空間は“アジール”として紹介されてきた。

第4回は②について建築と都市を繋ぐものについて考えてみたい。民家と庭の関係を念頭に近代建築家の住宅をみることに加え、段階発展的な形成をした町並みから贈与性をみる。

第5回は③について、ゴドリエの言う「(贈与の)第四の義務」もとい「聖なるモノ」を既存建築の改修(保存・リノベーション)から考えてみたい。建築界の今日的課題である歴史的建造物についてまわる「部材を保存する」理由とは何であったのか、贈与論を用いて建築保存の基礎的思索を行ない、応用や展開方法を論じたい。

最後に第6回では①②③について「贈与性」の強い建築家として宮本忠長を中心に語り、贈与の空間をたどる旅の結びとする。

参考文献

  1. Marcel Mauss「Essai sur le don: forme et raison de l’échange dans les sociétés archaïques」1925.(『贈与論』ちくま学芸文庫、マルセル・モース著、吉田禎吾、江川純一訳、筑摩書房、2009 年。)
  2. Bronisław Kasper Malinowski「Argonauts of the Western Pacific」、1922 年(「西太平洋の遠洋航海者」泉靖一・増田義郎編訳『世界の名著(59)マリノフスキー/レヴィ=ストロース』所収、中央公論社、初版 1967 年)。
  3. Maurice Godelier『 L’énigme du don 』Flammarion、1996 年(モーリス・ゴドリエ 『贈与の謎 』 山内昶訳、法政大学出版局〈叢書ウニベルシタス〉、 2014 年)。
  4. 桜井英治『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』中公新書、2011 年。

_

★1:Marcel Mauss (1872–1950)は、フランスの社会学者、民族学者。20 世紀の代表的社会学者の一人であるエミール・デュルケームの甥で、その協力者であり、フランスにおける科学的・実証的人類学の礎石を築いた。生涯、現地調査を行ったことはなかったが、デュルケームの理論と方法を継承し、「単純な形態の社会現象を表している」がゆえに未開社会を研究対象として、社会学と人類学の統合を図った。モースの関心はきわめて広範で、社会形態と生態環境の関係、経済、呪術・宗教論、身体論にまで及ぶが、とりわけ交換の問題に新次元を切り開いた『贈与論』(1925)は彼の代表的業績とされる。このなかで、交換を、法、経済、親族、宗教から人間の身体的・生理的現象、さらには象徴表現までを含む「全体的社会的事象」という新しい概念によって理解した。(「日本大百科全書」(加藤泰)を参照。)

★2: Marcel Mauss「Essai sur le don: forme et raison de l’échange dans les sociétés archaïques」1925. 『贈与論』ちくま学芸文庫、マルセル・モース著、吉田禎吾、江川純一訳、筑摩書房、2009 年。

★3:椿山荘は文京区関口2丁目にある宴会施設。南北朝期から「つばきやま」と呼ばれる椿の自生地だった土地を,明治 11 年山縣有朋が購入,「椿山荘」と名付けた。空襲で樹木の大半が焼失したが,昭和 23 年民間企業所有地となり,戦後 1 万本以上の椿が移植され復興,同 27 年 11 月椿山荘が完成し,結婚式場としての営業を開始した。同 57 年には椿山荘新館が開業した。敷地内にホテル・レストランなどもある。延床面積 3,530㎡。建物は地上4階,地下1階建で鉄筋コンクリート造。敷地内には庭園が広がり、国の登録有形文化財に登録されている三重の塔、圓通閣(えんつうかく)などの史跡がある。(「角川日本地名大辞典」「大辞泉」を参照)。

★4:横浜市中区本牧にある日本式庭園。三渓と号した明治時代の実業家原富太郎が築造。桃山時代の月華殿、徳川家別邸の臨春閣など重要文化財に指定された建造物がある。園内には室町時代の旧燈明寺三重塔をはじめ、桃山時代の旧天瑞寺寿塔覆堂・月華殿、江戸時代の臨春閣・聴秋閣・天授院・旧東慶寺仏殿・春草廬・旧矢篦原家住宅が移建され、また室町時代の木製多宝塔(以上国指定重要文化財)を所持している。庭園は開園の翌年に市民に開放され、無料の三渓園行市電が運行したこともあった。昭和28年(1953)横浜市に移管されている。(「日本国語大辞典」「日本歴史地名大系」を参照)

★5: Bronisław Kasper Malinowski(1884–1942)

★6:Argonauts of the Western Pacific (1922 年)『西太平洋の遠洋航海者』(泉靖一・増田義郎編訳『世界の名著(59)マリノフスキー/レヴィ=ストロース』所収、中央公論社、初版 1967 年)。

★7:クラ(kula)は、メラネシア人の行う儀礼的交換。クラ交易は、ニューギニア島東端とその北東および東にある島々を円環状に結んで行われるが、この円環の周囲は数百キロメートルにも及ぶ。クラはこの地方の人々の、生活の中心ともいうべき重要な行事であり、人々は、クラをするために、カヌーで何日もかけて危険な海上を旅することもいとわなかった。
クラとは、具体的には、バイグァとよばれる 2 種類の品物の儀礼的交換をさす。バイグァには、ソウラバという赤い貝の首飾りと、ムワリという白い貝の腕輪があり、両者が互いに交換される。この二つのバイグァは、クラが行われているすべての地方で、人が手にすることができる宝物のうちでも最高のものだと考えられており、有名なバイグァには固有の名前や、その歴史にまつわる数多くの伝承が伴う。バイグ ァには、クラで他のバイグァと交換されること以外にはいっさいの実用的な価値はなく、また他のいかなる品物とも交換することはできない。さらに、人は特定のバイグァを長期間自分の手元にとどめておくことは許されず、通常 1~2 年以内に、次の交換相手へと手渡さねばならない。こうして 2 種類のバイグァはクラの円環を、互いに反対方向に、とどまることなく回り続けるのである。ソウラバは時計回りに、ムワリは反時計回りに、2 年から 10 年かかって島々を一周する。ムワリは女性の性質をもち、ソウラバは男性の性質をもっているとされ、ちょうど男性と女性がひきつけあうように、互いに反対方向に回ってゆくと、人々は説明する。両者がクラにおいて巡り会い交換されるとき、ソウラバとムワリが結婚したといわれる。[濱本 満](「日本大百科全書」)モースによればクラは壮大なポトラッチという。

★8:ポトラッチ(potlatch)は、クワキウトル、ハイダ、トリンギトなどのアメリカ大陸北西部インディアン諸族の間にみられる贈答慣行をさす。ポトラッチということばは、食物を供給するとか共食の場所とか贈与を意味する、同じ北西部インディアンのチヌークの言語であるチヌーク語に由来する。ポトラッチは、誕生、婚姻、葬式、位階の相続といった儀礼的機会に催され、主催者は盛大な祭宴の席で招待客に大量の財貨、毛布や銅板などの贈答物をばらまく。招待客は招待や贈答物の受け取りを拒むことができず、また後日、招待されたもの以上の規模の祭宴を催さねばならない。これに失敗すると彼の名誉は損なわれ、地位は下降する。このように、ポトラッチを行う動機は、自らの富を誇示し、それを惜しげなく与えることによって競争者を打ち負かし、自らの威信を高めることにある。ポトラッチの競覇的性格は、しばしば、競争相手の面前で大量の毛布やカヌーを燃やしたり、銅板を打ち砕いたりといった財の破壊行為すら導く。インディアン自身のことばにあるように、人々は敵と「財産によって戦っている」のである。[濱本 満](「日本大百科全書」)

★9: Lévi-Strauss, Claude(1908.11.28~2009.10.30)は、フランスの人類学者。『親族の基本構造:Les structures élémentaires de la parenté, 1949』で婚姻を集団間の女性の交換と見て,集団と集団との交換の体系を明らかにして、構造人類学を樹立。やがて西欧近代思想の普遍性を根本的に反省する紀行『悲しき熱帯:Tristes tropiques, 1955』や『野生の思考:La pensée sauvage, 1962』を発表して脚光を浴び,構造主義の旗頭と目される。次第に神話研究に専念,『神話論理:Mythologiques, 4 巻, 1964–71』では主に南米先住民の神話を素材に,野生の思惟を導く〈構造〉を探った。親族関係,儀礼,神話などの分析に構造論的な方法論を確立し,人類学だけでなく,広く現代思想にも大きな影響を与えた。(「岩波 世界人名大辞典」)

★10: Claude Lévi-Strauss(1908 –2009)「Les structures élémentaires de la parenté」, Paris, Presses Universitaires de France, 1949。クロード・レヴィ=ストロース 『親族の基本構造』 福井和美訳、青弓社、2000 年。

★11: Maurice Godelier(1934-) はフランスの人類学者。高等師範学校で哲学を学んだのち,経済学・人類学に転じる。国立科学研究センター研究員として、レヴィ=ストロースのもとで研究に従事。パプアニューギニアのバルヤ族を長年にわたって調査する。マルクス主義経済学と構造主義人類学とを統合する研究を行う。

★12:モーリス・ゴドリエ 『贈与の謎 』 山内昶訳、法政大学出版局〈叢書ウニベルシタス〉、2014 年。(原著『贈与の謎:L’énigme du don』1996 年。)

★13: Polányi károly、英: Karl Polanyi(1886 –1964)。ハンガリー生まれの経済人類学者。ナチスに追われ、英米で活躍。物資の交換形態として、互酬性、再分配、(市場)交換の 3 様式を摘出し、交換形態の分析により、近代の市場経済社会と、その他の非市場社会とを同時に扱うことを可能にした。近代西欧の市場経済が人類史上、特殊であることを示し、経済人類学の発展に多大の貢献をした。主著として『大転換』(1944)、『ダホメと奴隷貿易』(1966/邦訳名『経済と文明』)などがある。(「日本大百科全書」を参照)

★14:『経済の文明史-ポランニー経済学のエッセンス』 玉野井芳郎・平野健一郎編訳、石井溥・木畑洋一・長尾史郎・吉沢英成訳、日本経済新聞社、1975 年 / 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2003 年。

★15: 桜井英治(1961-)は日本の歴史学者、専門は日本中世史・流通経済史。『日本中世の経済構造』岩波書店1996 年。『日本の歴史 12 室町人の精神』講談社 2001 年、講談社学術文庫 2009 年など。

★16: 桜井英治『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』中公新書、2011 年。

--

--

中村駿介
建築討論

なかむら・しゅんすけ/1990年長野県生まれ。東北大学卒業、東京大学大学院修了、宮本忠長建築設計事務所勤務を経て、東京大学大学院博士課程。専門は日本建築史(中近世門前町研究)、建築理論、建築設計。