建築の重さはどこからくるのか?(論考:杉山幸一郎)

|066|202210|特集:建築の重さ

杉山幸一郎
建築討論
Nov 1, 2022

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はじめまして、杉山幸一郎といいます。atelier tsu (つ)という設計事務所を共同主宰して、スイスと日本を拠点にして活動をしています。このエッセイでは、«建築の重さはどこからくるのか?»という問いを「そんなの建築自体からに決まってるじゃん」と結論づける前に、スイスと日本での経験を元に寄り道しながら考えてみようと思います。

構造家対談と建築家座談会の感想

その前に少しだけ、構造家の小西泰孝さんと平岩良之さんの対談を読ませていただいた感想です。

プロジェクトごとに「(寸法の)適正値」を見つける、というお話がありました。それは必ずしも寸法を考えうる最小に抑えることがゴールではなく、全体のバランスから導き出される適正な大きさと、それによってできる空間に対する「ちょうど良い感覚」があること、と理解しました。

個人的な意見になりますが、建築を体験して「この空間は少し違う」と感じる時は、空間構成の仕方が違う、とか素材の扱い方が違う、ということの他に、建築の構成部材のプロポーションが少し違う時だと思っています。それは構造とダイレクトに関わってくるテーマである。だから構造家の方のほうが、もしかしたら空間に対する感覚があるのでは、と思うところもあるんです。

スイス構造家のユルク コンツェット(Jürg Conzett)は、大学を修了した後にピーター ズントー(Peter Zumthor)の元で働き、木造アトリエや、聖ベネディクト教会の葉っぱのような屋根構造を担当しました。構造家として学んだ彼が、建築家としてズントー事務所に在籍していたという話はあまり知られていません。その後、構造事務所(現Conzett Bronzini Partner)を設立、今に至っています。

以前、彼に「なぜ構造家なのに、設計事務所に来たんですか?」と聞くと「ズントーの元で働くことが面白そうだったから」と。それに当時のズントー事務所はまだ規模が小さかったため、構造だけでなく、スタッフが一人でいろんなことができなくてはいけなかった、と話していました。

「構造以外の事柄で何が合理的になってくるかわからない」と構造家の方々がアンテナを張り巡らせている、その「新しい合理性」みたいなものを思い浮かべながら、構造出身の方が建築家と協働ではなく、個人で住宅や公共施設をデザインしたら、一体どういったものができるんだろうと、ふと興味が湧いてきました。

もう一つの、建築家の北澤伸浩さん、萬代基介さん、御手洗龍さんの対談からはたくさんの刺激をいただきました。特に重さとは一見関係ないように思えた抽象化の話を興味深く読ませていただきました。

「抽象化とは人々が共有するための手段」であるという伊東豊雄さんの言葉と、「抽象的な空間は自由度があったり、人を引き込んだりすることもある」という話には、なるほどなぁ、と。

今、大学で一年生を教えているのですが、彼らが考える建築は目に見える具体的なもので構成されています。そんな風にとても実用的に空間を作っていくので、空間を抽象的につくるとはどういうことを意味するんだろうと、改めて考え直していたところでした。そんな偶然もあって、対談の内容がとてもダイレクトに伝わってきました。

抽象化というテーマを極めてきた方々が、今考え、これから実践していくテーマについてもっと話を聞きたいな、と。近いうちにお話しする機会を持てれば、と勝手に思っています(笑)。

スイスの重さ

思えば日本で建築模型を作る時には、スチレンボードという発泡板材や厚紙で躯体を組み立て、そこに木の表現としてバルサ材(木材の中でもとりわけ小さな密度を持ち加工しやすい)を使っていました。そうしてできる模型は当然ながら軽く、構造的に無理をしている形も強力な接着剤でくっつけてしまうことができるので、空間を考えながら作っていく上でとても自由度が高かったのを覚えています。そんな前提条件もあってか、建築(模型)を構成する床や柱はできる限り薄く小さくして存在感を消し、残った空白/空間をできるだけピュアに表すことを設計の方向性として目指していたように思います。つまり構造がそのまま現れて空間をつくっていった。と言えるかもしれません。

そうした「軽やかさ」や「無に近いこと」が建築の基準として念頭にあったはずが、スイスへやって来たら、もしかして必ずしもそうではないのかもしれない、と考えをチューニングすることになったのです。

初めて訪れたスイス、チューリッヒの印象は「この街は重たい」という漠然としたものでした。たまたま曇り空の夕方で辺りが暗くなりはじめた頃だったからなのか。駅前通りの建物が石造でできていてその色がグレーに近かったからなのか。何をもってそう思ったのかはわかりません。あれから10年以上が経った今、改めて感じるのは、建築ががっしりとした地面の上に立っていて、その地面は重たいという感覚です。その違いは一体何なのでしょう?

線と面

街やそれを構成する建物に重さの感覚には、立面(ファサード)の見え方、開口部の位置と大きさが影響を与えます。そして、その開口部のデザインは建築の工法: 大きく分けて3つのグループ《Filigranbau(フィリグランバウ)》と《Massivebau(マシーブバウ)》、その複合である《Mischbau(ミッシュバウ)》に左右されます。簡単に言い換えれば《Filigranbau》は線材でできた軸組工法で《Massivbau》は面材できた壁式構造と言えるでしょう。

図1 空間と壁の表記 その1

日本で建築を学んでいた頃、図面を描くときに線を一本引くことで敷地境界やガラスを表現し、二本引くことで壁を表現しました。その二本の線の間は空白です。その空白をできるだけ小さくし、二本の線が一本の線に見えるくらいまで近づけて描くことで、その外側にある「もう一つの空白」の存在を引き立てようとする。空間とは境界の間にある空気の塊のようなもの。それはいくつかの線と線、境界と境界の間にこそ存在していました。

スイスの建築家ピーター・ズントー事務所に来て驚いたことの一つは、平面、断面図上の壁が真っ黒の塗りで描かれていたことです。もちろん、そうした図面表記があることは以前から知っていたのですが、それは二本の線の間を塗りつぶしたのではなく、輪郭線のないただの四角い塗り。壁と壁が重なる部分は線が一点で交わるのではなく、塗りが重なって交わっているのです(上の図1はわかりやすく透明度を変えていますが、本来は不透明でその重なりは見えません)。

それは細い二本の線で壁の厚みを自由に表現するのではなく、輪郭線の中の塗りでもなく、マジックインキのような太い単線で豪快に描かれていた、とも言えます。

塗りの図面では建物の内部と外部がはっきりと分けられ、時にはその塗りが十分な厚みを持って空間が内包されました。ここでは、空間は塊から掘り出すことによって実現されていた輪郭のあるもの、とも言え、それは同時に有限であることを意味します。

壁の描き方を見返してみると、その方法に空間の捉え方の違いがよく現れていることがわかります。それは実際の建築の重さとは必ずしも対応していないのかもしれない。「軽やかであって欲しい」、「重厚であって欲しい」という建築家の意図が、そのまま建築図面に表れていることが多いのではないでしょうか。

内と外

建築の重さはその構成要素である壁の厚み、さらには描き方にも顕著に現れていました。その外壁や屋根といった断熱ライン(内部、外部環境の境界)の厚みはもちろん、建築が建つ地域の気候条件によっても変わります。

日本の大部分は温暖かつ湿気の多い気候です。皆さんも見聞きしたことのあるように、そんな気候風土だからこそ、内部に風が吹き抜けるように開け閉めが自由にできる引き戸が発達し、結果的に建物の内部と外部の空間を緩やかに繋げることができるようになりました。

スイスでは、冬の過酷な気候条件から内部と外部とをきっちりと分け、断熱を十分にする必要があります。壁が厚く重たい建築、とてもよく断熱された建築の内部では、冬でもTシャツ一枚で生活できるくらいです。実際に友人は、シャツの上にモコモコした厚手のダウンジャケットを一枚だけ羽織り、それを着たり脱いだりしながら内外を行き来して生活しています。僕は重ね着をしながら寒さに対して調節しているのですが、服装の着こなし方がその地域の建築に対する考え方をも表しているとも言えるのかもしれません(笑)。

とはいえ、そうした内外を二分するような分け方は近代になってからです。スイスの古い農家を見てみると、荒削りな木造でできた建物の中心に暖炉とベンチが一体化した什器があり、その周りにキッチンや居間、寝室がそれを取り囲むように配置されています。当時は建材も限られ、今のようにきちんと断熱ができていたわけではありません。したがって、家の中心である暖炉に近ければ近いほど、暖かい、という中心性が自然と生まれます。

また、農家の大屋根の下には家畜が住むエリアもありました。家を分断するように中心に廊下が走り、そこを境界として床の張られていない半屋外の家畜スペースと、住居スペースを分けていました。言うなれば、家畜スペースは、内外の中間領域でもあったわけです。

身体から外部へ

ここまで線と面によって表現される建築の違い、そして内外の関係を考えてきました。が、まだまだ本題である「重さ」にはたどり着いていません(笑)。一方で、ある疑問も生まれてきました。

僕たちがダウンジャケットを羽織ったり、服を重ね着したりするように、建物の外装を考えることはできるだろうか? 建築は重ね着することができるのだろうか?時と場合に応じて脱ぎ捨て、軽くなることもできるのだろうか?

人間が洋服を重ね着していく時を考えると、一つのルールがあることに気づきます。それは、身体に近い服(層)ほど柔らかく、外に向かっていくほどその環境に対して、強く(固く)なっていくということです。

修道士でもあるオランダの建築家H. Van der Laan はその著書 „Der architektonische Raum“で、サンダルを例にとって次のように説明します。「サンダルは裸足よりも固く、そして地面よりも柔らかくなくてはいけない」。もしサンダルが地面より硬かったら、裸足のまま歩いた方が痛くないだろうし、もしサンダルが素足よりも柔らかかったら、固い地面から足を守る役目を果たさないでしょう。

それは、足元の話だけではありません。上着を例に思い浮かべてみると、重ね着する時にはTシャツの上に厚いベンチコートを着て、その上に長袖シャツを着ている人を見たことがありません。上着も身体に近いほど薄く柔らかく、密度が小さく軽く、外部に晒されるほどに頑丈に、保温性の高い(断熱性のある)層になっていきます。つまり、重ね着した際には最も性能が良く、外部に対して頑丈な層が一番外側にあるべきなのです。

図2 空間と壁の表記 その2

今一度、その考え方を図面の描き方に応用するとこんな感じになるでしょうか?(図2:左)

建物の内部側を身体とすると、外側へ向かっていくつもの層があり、それは段々と厚く頑強になっていく。そんなイメージです。

重ね着の建築といえば、スイス建築に大きな影響を与えた建築家ゴットフリード・ゼンパー(Gottfried Semper)のBekleidungstheorie(被覆建築理論)を言及しないわけにはいきません。

„Bekleidung der Mauern war also das Ursprüngliche, seiner räumlichen, architektonischen Bedeutung nach das Wesentliche; die Mauer selbst das Sekundäre.“
建築の躯体壁は二次的な要素であって、それを被覆しているものが空間、建築において本質的な意味を持っている。(筆者訳)

躯体そのものではなく、被覆している層、目に見える層が本質的であるというゼンパーの言葉から、建築の内装や外装が本質的だと翻訳するには、建物の内部が身体ではなく、躯体自体が身体だと捉えなおす必要があります。(図2:右)

重さを見る

さて、そうして目の前に現れてくる外側の層を見て、実際にどのくらいの厚みを持っているのか。そしてどのくらい重いのかは、実際にそのものに触れて、反対側に回って見て、叩いて音をチェックして、さらには動かそうとしてみないとわからないかもしれません。そうして重い軽いの簡単な基準を、自分にも動かせて揺することができるものは軽く、できないものは重たい、と言ってしまうこともできます。

ドア一つとっても、どんなに重厚に見えるドアも簡単に動かすことができるかもしれないし、薄く見えるドアも実はなかなか動かせないかもしれない。見た目だけでは判断できないことも、経験してはじめて重いと認識できるはずです。しかし、そうではないかもしれないとも思う出来事もありました。

成田空港から東京都心へ向かう電車の中から外の住宅街を見ると、カラフルな住宅が所狭しと、アスファルトで覆われた道路に沿って並べられています。その木造軸組の建売住宅がパステルカラーのサイディングをまとって、ミニチュアのように可愛く置かれているようにも見えるのです。もちろん、それらの建物にはきちんとした基礎があって、地中に固定されて十分な強度を持っています。しかし、それでもアスファルト覆われた大地があって、そこに住宅がそっと置かれたような印象を受けるのは、なぜなのでしょうか?

一方でチューリッヒ空港から自宅へ向かう電車の中からは、スイスのアルプスが見えます。傾斜のある地形に組積造でできた基壇があり、そこに大きな断面でざっくりと加工された木材のログハウスが建っています。多分、同じ住宅が日本にコピーペーストされたら、厳つすぎて訳がわからなくなってしまう。でもそれくらいざっくりとできていないと、背景にある山岳、大自然に耐えることができないのです。

だからこそ、ここで建築は「塗りのように太い線」で描かれなければいけないし、しっかりと、いかにも重量感のあるものであって欲しいのだと思います。ここでの建築は、繊細な工芸品を地面の上に置くのではなく、地表面を掘り起こすようにして力強いモノがある。地面の起伏としてある。そんな印象をいつも抱いています。

地面の重さ

実際の重い軽いとは別に、考え方として重く、軽くあって欲しいと思うことがあります。それは二つの物体が積み重ねられている時に、下にある物が上に置かれる物を支えるだけの強度があって欲しいと考える時です。三、四段と増やしていくごとに、下から上へ行くに従って大きさも強度も重さも、小さく柔らかく軽くなっていくようなイメージです。もし、下にある物の比重が小さく一番軽かったとしたら、一度ぐらっと揺れたら倒れてしまいそう。だから、下にある物はいつもがっちりしていて重い、そうあって欲しい。

図3 物体が沈んで地面と一体化する様子

重たい物が柔らかい地面の上に置かれると、地表面とともに沈みます。ピサの斜塔は南側が柔らかい地盤であったために沈んで傾いてしまいました。しかし今見ると、だからこそ地面の一部になり、強固な存在になったように見えなくもありません。

極論を言ってしまえば、僕たちが目にしている独立した物体は、あらゆる方向から眺めて重さを測ってみることができる。でも地球の表面に限っては、概念としては独立した球状のものであっても、僕たちが目にして触れることができるのはただの(地)表面に過ぎない。その地面は掘っても、掘っても土や岩が出てくるだけで、それを使って建築を作ることもできるのだけれど、全体がどれくらいの重さを持っているのかはわからない。実はそれがどんな塊なのかも僕は知らない。

図4 地面の中の家 ドローイング

2008〜9年にwah documentと一緒に行った「地面の中に家がある」というインスタレーションでは、廃材を墨付けしなおして組み立てた小さな家を、地面を掘ってできた穴の中に建てて埋めました。家の中は土圧によって壊れないように補強されていたので、内部空間がそのまま地中で空洞となって、展示期間中の約半年間、そこにあり続けました。

埋められた家の上に立ってみても、その下に家があるなんてわからない。ただただ、自分たちで建てて埋めたという記憶だけが、そこにあるという事実を思い出させました。今一度振り返ってみれば、あの時の感覚は「地面の中に家が溶けた」といってもいいかもしれない。あの家は、埋めた時点で家という物体ではなく、記憶でもなく、実は地球の一部となったのではないか?

重さがなくなる瞬間

例えば、その土地で採れた粘土でできた集落を見ると、僕には地面を「丁寧に成形した」だけのように見え、そこに建てられた家があるという感じがしません。樹木の生い茂るジャングルの集落で、その地域で採れた木材や植物から建てられた集落を遠く空から眺めると、地面から生えている植生を「少しだけいじった」ようにも見えるのです。

ここでの建築は僕にとって、その場所にあったものが集められ、少しだけ密度が大きくなったものの現れという気がしてなりません。そんな風にできた建築はその場所の一部となっているから、地表の特定の場所にできた「人間の行いの痕跡」のように思えるから、それが重いとか軽いとかいった言葉の範囲で形容する対象ではないような気もするのです。

図5 Building 01

今の時代、その場所で手に入るものだけで建築を作ることは珍しく(難しく)なってしまいました。だからこそ、世界各地から集められたもの、その素材の形や特性がわからないくらいに加工されてしまった材料でできた建物は、反対にある存在感を持って「重さ」を感じるのかもしれない。

何もその場所で採れる材料だけで土着的な建築を作ればいい。と言っているのではありません。地球のどこからから、ある一点の場所に集められた素材たちが、うまい具合に組み合わされて地球と一体になる。それを僕は「建築の重さがなくなる瞬間」とでも言いたくなってしまいます。

建てられることで重さがなくなる建築」そんなものを生み出すことができたら。とエッセイを綴りながら思いました。■

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参考
- Architektur konstruieren, Vom Rohmaterial zum Bauwerk. Ein Handbuch
Andrea Deplazes, Birkhäuser Verlag, 2008
- Der architektonische Raum
Dom H van der Laan, Brill NV, 1992, Leinen

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引用
- Michael Gnehm: „Bekleidungstheorie“
ARCH+ 221 Tausendundeine Theorie (Dezember 2015), S. 33

※全ての図版およびその被写体は筆者による。

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杉山幸一郎
建築討論

浜松出身。一級建築士。アトリエ ピーター ズントーを経て2022年にatelier tsu GmbHを設立。 日本とスイスを拠点に活動しています。よろしくお願いします。