建築展評│14│私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

Review│井上岳(GROUP)│見つめること、行動すること、挫折すること――エレン・スワロウ・リチャーズから辿る「私たちのエコロジー」

井上岳
建築討論
Mar 1, 2024

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エレン・スワロウ・リチャーズとエコロジー、建築、そしてアート

エコロジーと建築は130年以上前の1892年に一度接近している。ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケル(1834–1909)が唱えた生態学の名称「エコロジー(Oekologie)」を発展させ、食物科学、消費者科学、そして環境科学を統合し、「家」という領域の内外における日常生活の科学を「エコロジー(Ecology)」と名づけ学問研究が行われようとしていた。この学問「エコロジー」を提唱したのはアメリカの化学者、エレン・スワロウ・リチャーズ(1842–1911)であった。スワロウは女性としてはじめてMITで化学の学位をとった化学者だった。彼女はその後、公衆衛生学研究者として空気と水と土の汚染について調査を開始する。例えば、1887年にはマサチューセッツ州の上下水の包括的分析調査に従事している。この調査では、約4万件もの水質分析をし、水質純度表の世界初の規準となる「正常塩素量地図」を作成した。さらに彼女は、その知見を生活環境の諸分野に拡げていく。その範囲は、小麦粉や砂糖など料理をつくるための食材から、壁紙、木材などの家にまつわる建材や家具、そして農薬や殺虫剤など環境に影響を与える薬剤まで及ぶ★1。

さらに、彼女は家の中に限定されていたキッチンを公共の場に設置している。1890年にはボストンに「ニューイングランド・キッチン」を開設し、低所得者の栄養摂取の支援と生活改善を行った。また1893年のシカゴ万博博覧会では、ソーシャルキッチンのモデルを展示し(ランフォード・キッチン)、運営まで行なった。このソーシャルキッチンは食物や燃料から最大限にエネルギーを引き出せるような設計がなされていた★2。

スワロウがこうした活動を行っていた当時、環境に影響を受けるのは植物や動物であり、より高等な存在とされた人間は、環境からの影響を受けないと考えられていた。一方彼女は、産業の発展とともに汚染が進む自然と人間には関係があると考えた。植物や動物たちと同様に人間を環境の中に位置付けることで、自然、生活、家、人間を総合する学問をつくろうとした。しかし、細分化が進む科学分野において、生命科学として形態学、生理学、古生物学、細菌学、植物学、動物学による横断的な研究を行なおうとすることへの困難、またエコロジー研究を行う者たちの多くが女性であり、女性が家の外のことを研究することへの嫌悪などから、エコロジーという学問は科学界から拒絶されてしまう★3。

結果、家を起点に生活と環境を研究する学問である、エコロジーはホームエコノミクス、家政学という名前に変化し、主に家の中の科学を扱う学問となった。そして、エコロジーは主に人以外の生物を扱う学問となり、こうしてエコロジーと建築はまた離れていく。家政学は、その後、家の内部の構造から建築のあり方を変えていくことになる。けれど、スワロウが提唱したように、日常、建築、自然がエコロジーとして結びつきつつ研究と実践が続いていたら、建築の現在の姿は違ったものになっていたかもしれない。

このようにスワロウはエコロジーを分野横断的に扱おうとしつつ、それを「家」という空間によってフレーミングした。また彼女はエコロジーを通じて、人を植物や動物と同じように環境の中に位置付け、環境汚染に対する人々の意識を高めようとした。さらに、家の外にもソーシャルキッチンをつくり、人々の生活を向上させようとした。スワロウのエコロジー観のなかでは、建築と環境と生活がとても近いところにあった。

スワロウが生きた時代から100年以上経過し、人新世という言葉が定着した現在、人の生活が惑星全体に影響を与えることが認識されるようになる中で、建築のあり方は見直しが迫られている。本展評では森美術館で開催されている「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」展(以下「エコロジー展」)を通して、アート領域におけるスワロウのエコロジー観の残響に耳を澄ませてみたい。

スワロウの「エコロジー」と「エコロジー展」

エコロジーは、人を含む生物や物質たちが生態系のネットワークをつくり、ともすると惑星のスケールまで連続して拡がっていく。他方で、鑑賞者にとってエコロジーという言葉は耳慣れたものになっていて、固定されたイメージを持たれているかもしれない。「エコロジー展」は、鑑賞者を第一章から第四章に至る、エコロジーに関わる多岐なテーマに触れさせ、鑑賞者が持つそうしたエコロジーのイメージを揺るがす展示だった。従って、全ての作品を一つ一つ取り上げることで、一つの特定の像を結ばせることは難しい。そこで、スワロウの提唱した「エコロジー」の概念である「家を中心にした、その内外の環境と生活」をたよりに作品をみていく。

アピチャッポン・ウィーラセタクンの《ナイト・コロニー》では、タイにある住宅の寝室の窓が夜間に開けられ、ベッドに向け並べられた照明によって、虫たちがそこに集まり、「家」という人間の空間に虫たちの居場所がつくり出されていく様子が映される。カメラは、寝室の壁にかかったモノクロ写真に寄り、虫の羽音のような人の声で、言葉が呟かれる。それは、その夜に交わされた会話のようでもあるし、遠い昔に街や、未来に寝室で囁かれる言葉のようで、寝室で見る意味をなさない夢のようでもあった。映像の最後、そこに人間が現れ、ベッドを占拠する虫たちを追い払う。言葉たちはもうそれ以上聞こえてこない。そんな人の話す言葉がより主体的に非人間から聞き取れたのはモニラ・アルカディリの《恨み言》だった。この作品は、養殖真珠を題材に、真珠をつくるため人工物を挿入された真珠貝が人の言語で恨み言などを呟くインスタレーションだ。言葉を媒介するのは人間だけとは限らず、人間による環境への介入が時に美的な価値を持ってしまうこと、スワロウがエコロジーとして自然の中に生活を位置付けようとしたその先をみることができる。

モニラ・アルカディリ《恨み言》2023年
撮影:木奥惠三、画像提供:森美術館

またアリ・シェリは、《人と神と泥について》で、アフリカ、スーダンでダム建設のために強制移住させられ、日雇い労働者となった人々が、泥から日干しレンガをつくっている様子をプロジェクションしている。途中、レンガを熱するための藁でつくられた木陰でスマートフォンでゲームを楽しむ彼らと、藁に挟まれ保管されている歯ブラシと歯磨き粉が映る。彼らの日常は水と土の合わさるところで行われ、その労働を含む日常には旧約聖書やギリシャ神話、世界各国の神話が重ねられる。自然物から人工物をつくるという近代以降の考えではなく、多くの神話では、人さえも泥からつくられていることが提示される。ここでは、自然の中に人が位置付けられ、文明の始まりから水と土に内包され繰り返される、人の日常が描かれている。

「家」の枠組みはバーチャルな世界も取り込む。イアン・チェンの《1000(サウザンド)の人生》では、AIによって生活するヴァーチャルのカメが「家」の中で生活する様子がプロジェクションされている。カメは家の中を自律的に動き、生き延びようとするが、餌にありつけなかったり、危険な場所に行ってしまったりして何回も死んでしまう。このカメの名前はサウザンドといい、1000の生命を与えられていることを示しており、人を含めた生物との違いが強調されている。しかし、プロジェクションされたスクリーンの裏には別のモニターがあり、このカメを駆動させる動作パラメーターが表示されている。不死のように見えるAIも、プログラムが走ることで生を与えられており、データが消えたら死んでしまうことを想像させることで、実はAIも生物や人間も含めた生と近い存在であるのではないかと思わせる。「エコロジー展」では「家」はAIの生にも繋がっている。

イアン・チェン《1000(サウザンド)の人生》2023年
撮影:木奥惠三、画像提供:森美術館

家を修理するように、展示室を修理しているプロジェクトもあった。アサド・ラザの《木漏れ日》では、故障して開かなくなった森美術館の天窓を実際に修理し、日光を取り入れている。日本の伝統工法を借りて木製の足場が組まれ、獣や鳥類の声による音響が空間を満たしていた。解説によると、ここで、六本木の朝日神社の宮司を呼び、「あるべき姿への再生」を祈念した神事も行われていたらしい。本展覧会で唯一、森美術館の展示空間そのものに介入する展示であった。一旦自らの作品を制作することを保留し、展示室の場所自体を見つめることから展示を構築することで、自然と人の関係を取り戻していくことができるかもしれない。

アサド・ラザ《木漏れ日》2023年
撮影:木奥惠三、画像提供:森美術館

アグネス・デネスによる写真とテキストの作品『小麦畑ー対決: バッテリーパーク埋立地、ダウンタウン・マンハッタン』では、「家」で食料として消費される小麦が、ニューヨークのマンハッタン島南部の埋立地で4か月間にわたり栽培される様子が写し出されている。1982年にこの作品で、デネスはバッテリーパークの埋立地、1.6ヘクタール以上を小麦畑にした。そして、テキストには以下のように書かれている。

マンハッタンにある最後の広々とした
空間は、無くなった
高級分譲マンションや、オフィスビル、
ショッピングモールやホテルに
なってしまった
しかし
夏の間、そこは黄金の
麦畑だった
生き残りしものが風に揺られている。

《小麦畑対決》
ニューヨーク、ロウアー・マンハッタン
1982年夏
©Agnes Denes

ここで描かれるのは、開発に抗えずビル群になる土地の、束の間の記憶である。それでも、小麦畑がこの場所に実際にあったこと。それが土地の歴史を変えたこと。そして、森美術館でこの出来事が作品として展示されること――この作品は挫折することの可能性を示している。

アグネス・デネス《小麦畑―対決:バッテリー・パーク埋立地、ダウンタウン・マンハッタン》1982年
撮影:木奥惠三、画像提供:森美術館

エコロジーとアートと建築の空間

当時の時代思想によって「エコロジー」という名称の変更を余儀なくされたスワロウ。しかしながら彼女の「エコロジー」の痕跡を「エコロジー展」で追っていくと、その発想は途切れていないと感じられる。もしかしたらスワロウの考えは挫折したことで、学問として権威にならず、周囲の人々に開かれ、受け継がれてきたのかもしれない。「エコロジー展」が全体としてまとまりがなくみえるのも、まとめることを諦めることで鑑賞者のエコロジーの解釈を拡げ、議論を促すことを目指しているのだろう。建築領域でもエコロジーを巡る動きは活発になってきていて、今後、ますますエコロジーに関わる建築は多様になっていくだろう。そのとき重要なことはSDGsのような特定の時代の「正しい」思想によって議論の複数性が失われないことだ。「エコロジー展」は環境を見つめ、行動し、ときに挫折しながらも、惑星の広大なスケールを前に小さな建築の可能性を見いだし、多様な議論が行われる場をつくること、その姿勢を問いかけていた。

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★1 須崎文代, 「居住生活の境域と縁 ドメスティック・ディスタンスⅡ」, 青土社, 現代思想特集家政学の思想, 2022, 2, p.124.

★2 ドロレス・ハイデン, 野口美智子・藤原典子訳, 「家事大革命」勁草書房, 1985, p.197.

★3 ロバート・クラーク, 工藤秀明訳, 「エコロジーの誕生 エレン・スワローの生涯」, 新評論, 1994, p.190.

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井上岳
建築討論

いのうえ・がく/ 建築家。石上純也建築設計事務所を経て、GROUP共同主宰。建築に関するリサーチ、設計、施工を行う。主な活動として、設計『海老名芸術高速』『新宿ホワイトハウスの庭の改修』編著『ノーツ 第一号 庭』。また、バーゼル建築博物館、金沢21世紀美術館、NYa83、新宿WHITEHOUSEなどで展示を行う。