後藤武著『鉄筋コンクリート建築の考古学 アナトール・ド・ボドーとその時代』

考古学に背をあずけ、鉄筋コンクリートの前途を占う(評者:池原靖史)

池原靖史
建築討論
Sep 15, 2022

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「鉄・ガラス・コンクリートという工業材料の登場と技術革新により近代建築という新しい潮流が生まれた。」といったフレーズは、私たちの知る近代建築史においては最も有名な「常識」のひとつだろう。いま現在に至るまで、人が活動する地表面の大部分を鉄筋コンクリートが覆い尽くしてきた事実は自明であり、この歴史図式が近代建築の特性の一面を捉えたものであることは確かである。もはや動かしがたいこの定説に対して新たな視野を提示してくれるのが、後藤武による『鉄筋コンクリート建築の考古学 アナトール・ド・ボドーとその時代』という本である。

技術革新の観点から近代建築が語られると建築がそれ以前とは全く異なる新しいものに生まれかわっていったかのような印象がどうしても強調されてしまう。あるいは、1840年代にフランスで着手された鉄とモルタルを複合する技術がやがて鉄筋コンクリート建築の構法を成立させるまでの歴史的事実に関しては既に先行研究により詳らかにされつつあるものの、「なぜ鉄筋コンクリート建築が生成したのか?」という問いに対してはいまだ「技術革新があったからである」というトートロジーめいた論理の中に自閉せざるを得なくなる、と後藤は言う。

一方で例えば、コンクリートという流体からなる鉄筋コンクリート建築が線材で構成された形態をとる必然は無い。したがって鉄筋コンクリート建築の最初期の構法として柱梁構法が採用された背景には西洋建築の伝統への参照があったと見るのが妥当である。本書はこのように地層を再び掘り起こすような手つきでもって、歴史上の大小の「変移」の総体として鉄筋コンクリート建築の生成過程を捉えなおし、「技術革新」と持て囃される前の等身大の鉄筋コンクリートに新たに出会い直すひとつの試みと言えるだろう。

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鉄筋コンクリート建築技術の成立前夜、1890年代のフランスが舞台である。この時代に「鉄筋コンクリート建築の可能性を最も信じて理論構築と実践を行なっていた建築家」としてのアナトール・ド・ボドーと、彼が試みた最初期の鉄筋コンクリート建築「シマン・アルメ」がとりあげられる。ド・ボドーは、建築理論家としても知られる中世建築の保存修復家ヴィオレ=ル=デュクの後継者として、保存修復業務と並行して新築の設計にも多く携わった人物である。

建築における鉄筋コンクリート技術と言うと一般に、柱梁を全て木製型枠とした総鉄筋コンクリートの構法を確立させたフランソワ・エヌビックによる「システム・エヌビック」がその始まりと解釈されることが多く、ド・ボドーがコンクリート技師ポール・コタンサンとの協働によって実践したシマン・アルメ構法の試みはこれまで鉄筋コンクリート建築の先行形態と見なされてきたという。その主な原因としては、ボドーが採択した「システム・コタンサン」が型枠材としての機能も兼ねる構造体として煉瓦礎石を使用している事が考えられる。同時代のネオ・ゴシック建築においては煉瓦造も多く建設されていたため、同じく煉瓦が内外装として露出される事が多いシマン・アルメ建築が懐古的と受け取られても無理はないだろう。しかし、後藤はだからこそ「ド・ボドーに着目する必然がそこにある。」と断じる。歴史様式が混在する折衷主義的建築風土の中で、ロマネスク建築とゴシック建築の保存修復に携わりながらも、同時に19世紀特有の新たな様式を考え続けたド・ボドーが、その最終到達点と自ら位置づけたシマン・アルメ建築にあえて煉瓦を用いた理由は何だったのか。それを明らかにする中で、初期鉄筋コンクリート建築の生成にまつわる歴史構造を追体験しようという算段である。

後藤が「鉄筋コンクリート建築の考古学」と呼んだ手法によってド・ボドーの歴史理論(テキスト)と未完プロジェクトを含む20の建築作品群(建築図と建物)等を横断的に分析し、同時代の建築家たちの思索をトレースすることで、記述されなかった物語が少しずつ掘り起こされてゆく。

ド・ボドーの歴史理論は、建築史を1つの変移する連続体として捉えようとするヴィオレ=ル=デュクの歴史観を大きくは引き継ぎつつ更なる徹底化をはかり、またその成果を根拠として19世紀の新しい様式の形成を目論むものだった。ネオゴシックの建築家および中世建築の保存修復家としてキャリアをスタートしたド・ボドーは、中世ゴシック建築の「均衡と弾性の原理」こそが現代建築を生み出す理想的な原理だとヴィオレ=ル=デュクと共に考えていたが、原理の複製による建築を堕落だとして厳しく批判していた彼らにゴシック建築をそのまま再現する事はできない。そこで19世紀現在において建築が抱える課題を抽出した上でその課題を解決しうる原理をもった建築モデルを過去に遡及して探求するというスタイルをとった。

ド・ボドーはゴシック建築の課題と考えていた「屋根の二重性」と「内外の不一致」に対して、構造の一体性をさらなるレベルで高めるためのモデルとしてビザンティン建築のペンデンティヴと、古代ローマの煉瓦コンクリート建築にその原理を求めた。ペンデンティヴは推力を内部的に処理するメカニズムを有し、かつ煉瓦とセメントの耐水性により木造小屋組を必要としない。また古代ローマ建築は一般に(中世ゴシック建築とは正反対の)モノリス性に基づいていると考えられていたが、建築史家オーギュスト・ショワジーによる「古代ローマ建築は煉瓦とコンクリートによるネットワーク・ヴォールト状のものだった」という解釈を援用することで、煉瓦とコンクリートと鉄の複合体によって、中世ゴシック建築の原理を矛盾なく踏襲した新しい建築を実現する筋道を見出すに至ったのだった。

ド・ボドーとコタンサンによるシマン・アルメ構法は、基本構成として中空煉瓦の組積と鉄筋、そしてモルタルという3つの材料の複合からなるが、これは鉄の引張りとモルタルの圧縮が独立して働くことによって、鉄の弾性と均衡の原理とモルタルのモノリス性とが両立しうるという独自のロジックに基づき、切石組積の建築を変移させた結果だったというわけである(※冗長性も評価する現代の工学的常識とは異なるが、シマン・アルメ構法においてセメントが鉄と接着していない点は彼らの論理的整合性にとって重要な事だったようである。)。なお中空煉瓦は、圧縮材としての役割を担うことで構造体の統一性に寄与しながら、同時にシームレスな鉄筋コンクリート造においてスケールを生み出し構築のルールを可視化するために必要な存在として位置づけられる。シマン・アルメ建築における煉瓦はゴシック建築を超えていくために企てられた古代ローマ建築の復興でありながら同時に、古代ローマ建築が達成できず、ビザンティン建築がなし得た「構造と装飾の一致」を煉瓦によって再演する意図で召喚されたということになる。

果たして近代建築の黎明期においてシマン・アルメという鉄筋コンクリート建築の構法は、技術革新と古代建築の記憶の不思議な結合の結果として生まれた。そしてそこには歴史の切断ではなくむしろ、時間軸を複雑に行き来しながら歴史を変移させるという観念がともにあったのである。加えて、アナトール・ド・ボドーと同時代の建築家たちによって折衷主義に陥らずに歴史と現代を接続する回路を構築しようとする試みが連綿と続けられていたという事実を明らかにしたことも本書の重要な成果と言えるだろう。

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さて、ここで再び現代に翻ることにする。「おわりに」の章に書かれた著者の補助線に従うと、本書は大きく3つの文脈の重奏から成る。1つ目はここまで急ぎ足で見てきたとおり、フランス19世紀建築史研究の文脈である。本書は著者自身の博士論文『アナトール・ド・ボドーのシマン・アルメ建築生成に関する研究』を書籍化したものであるから、アカデミズム内部で機能する新規性を有している。2つ目は日本における西洋建築史受容、そして3つ目は日本におけるポストモダニズムの乗り越えという文脈である。西洋で生まれた近代建築という本来はローカルなムーブメントが、歴史の反復に対する「切断」というプロパガンダを纏いながら国際化したものを輸入する事と同時に日本の建築の近代化は進んだ。バックボーンの希薄な歴史観の上に成立した、近代の成れの果てとも言える現在に私たちは居る。過去を知り歴史を語る時、このパースペクティヴを無視することは最早難しい。

歴史の学術研究の成果を前にして現在に持ち帰るためのお土産を求めるのは、客観性や実証性を旨とするアカデミーのマナーとしては愚行の類ではないかの懸念も頭をよぎるが、他ならぬアナトール・ド・ボドーその人もまた歴史理論の追求と新たな建築の生成の困難な両立に取り組んだ建築家であったことに肖りつつ、ここからは日頃建築設計の実務に勤しむ一人の設計者の立場から2つ目と3つ目の文脈を念頭に応答してみたい。

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何しろ、建築における鉄筋コンクリートは大きな危機の中にいる。近代建築の発展を支えたという過去の栄光(?)も虚しく鉄筋コンクリートは、少なくとも高度経済成長を通り過ぎたあとの日本においては今日に至るまで一般の人々から好かれる存在ではなかっただろう。「コンクリートから人へ」という強烈なコピーを伴って政治主導でネガティブキャンペーンが張られたこともまだ多くの人の記憶に残っているに違いない。それでもなお鉄筋コンクリートが生きながらえ、いまだに建築に用いられ続けているのはひとえにその性能(耐火性、耐久性、耐震性、遮音性、気密性など)の高さに拠るところが大きい。ところが現在、全世界を席捲する「環境」という新しい教義の物差しによれば、鉄筋コンクリートは建築の外皮を構成する素材としては「断熱性が低い」という評価である。「構造と意匠の統一」や「内外の一致」等のコンクリートの長所と考えられてきた特性も、断熱神話の前には無力である。またコンクリートの原料となるセメントの製造過程においてCO2が大量発生する点も致命的である。環境意識の高い先進諸国においては既に「コンクリートは環境への影響が大きいためできる限り使用しない方が良い」という考えが新常識となりつつあるとも聞く。性能面の合理性だけを根拠に鉄筋コンクリートの価値を説明することが、もはや難しくなってしまったのである。

この状況に対する環境時代の正統的な取り組みとして「脱炭素コンクリート」あるいは「カーボンネガティブコンクリート」といった新技術の研究開発は極めて重要であり今後もその動向を注視し続けたいところであるが、一方でそれだけでは不十分ではないか、という焦燥に似た感情が拭い切れない。環境工学は現代の情報技術に裏付けられた「定量化されたデータ」に基づき価値判断を行う客観性の高い学問領域であり「環境の時代」は今後も長く続いていくと見て間違いないだろう。しかしながら先ほどまで見てきた歴史に早速学ぶならば、あらゆる価値判断は時代の枠組みから決して自由ではないのだから「正しさ」の見極めについてはよほど慎重にならねばならない。鉄筋コンクリート建築とは何なのか、建築にとってのコンクリートとはどのような価値をもたらすものなのか。この時代を生きる私たちが見定めなおし、そして建築的実践を通じて正確に伝えていく必要があるだろう。

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本質から遠ざかるほどに、いよいよイデオロギーは強化される。近代建築に添えられた「歴史への切断」という意志は、日本に到達するころには出自不明のプロパガンダとなり私たちはそれを無邪気に飲み込んでしまった。私たちが鉄筋コンクリートを目にする時にふと西洋の歴史のことを想起する、などという事は残念ながら全く無いという体たらくなので、歴史性を剥ぎとられた鉄筋コンクリートには、それとは正反対のメッセージが強烈に刷り込まれていると言える。

無論この状況を変えようと試みた先人は数多く存在する。狭義の「ポストモダン建築」は(その是非はさておき)近代建築というひとつの「様式」に対する直接的な反動だったと言えるし、著者の後藤も強く影響を受けた(そして徐々に信じることが出来なくなっていった)と述べているケネス・フランプトンの『テクトニック・カルチャー 19–20世紀建築の構法の詩学』では、近代建築とそれ以前の西洋歴史を通史のような視点で論じることで近代建築の歴史性を記述するという意図が見て取れる。またさらに最近の言説としては、エイドリアン・フォーティーの『メディアとしてのコンクリート 土・政治・記憶・労働・写真』において、非歴史性が強調されてきたコンクリートというマテリアルが発する多様な意味や価値について述べられている。私は上記の全ての言説を、日本語に翻訳された書籍を通じて近過去の「歴史」として受容している。これはあくまでも私自身の生まれた時代と、そして何よりも言語能力や知的体力の限界に起因することを明確に申し添えねばならないが、私の目にはいずれの言説も、イデオロギーの上書き、あるいはプロパガンダの貼り返しの履歴として映っているところがある。つまり、実態とは少なからずズレのあるメッセージを纏った言説が伝搬しているという構図自体は近代建築が鉄筋コンクリートの非歴史性を宣伝してしまった時と根本的には同じではないか、の疑念を拭い去ることがどうしても出来ないのである。恥を承知の告白ではあるが、似たり寄ったりの日本の建築人はきっと少なくないだろうという予想もつく。従ってこれはグローバリゼーションのあとに立ち現れた哀しい現実と見るべきかもしれない。

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ここに来て著者が「考古学」と呼んだアティテュードの価値が燦然と輝き始めるのである。現在地点から私たちが建築の歴史に関して地に足のついた議論を再び始めるためにはきっと、長い距離と時間を遡行したうえで様々なイデオロギーを漂白し、歴史を追体験することで新たな、そして小さな物語を紡ぐ必要がある。「物質文化の痕跡」の如き状態まで建築に関する歴史資料を漂白することは一般には極めて難しい事と想像されるが、それでも近代建築の成立前まで時間を巻き戻すことで「歴史の忘却としての近代建築」というイデオロギーを一旦無いものとし、限られた資料の飛び石の上を順に跳び移りながら歴史の変移過程を語り直すという後藤の手法は結果として特異な説得力を持つに至っているように思える。

ジークフリード・ギーディオンの言説が牽引したとされる近代建築の強大なイデオロギー、そしてそれをうっちゃり返すべく張られた『テクトニック・カルチャー』や『メディアとしてのコンクリート』の論陣のインパクトと並べてせっかちにも『鉄筋コンクリート建築の考古学』の成果を現在に引き寄せようとすると、「たったひとつのささやかな反証が示されたに過ぎないのではないか」という感想を抱く読者もいるかもしれない。しかしそれはいささか早計である。後藤のやり方は、ともすれば歴史を書き換えようと企てる歴史家の態度からは遠く離れて、手塩にかけて育てた野菜を手にして「新鮮な野菜が採れました」と笑顔を湛えて報告する農家の人間のそれにむしろ近い。後藤が収穫してきたモノの美味しさを知るために、エイドリアン・フォーティーもケネス・フランプトンも引いてくる必要は無いのである。

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本書が実践的に提示しているのは、私たちの目を曇らせる靄を振り払ったあかつきに広がる、切断も反復もないまぜの豊穣なる歴史の地平である。一見当たり前のようではあるが、この視野を維持するのは決して容易いことではない。これまでのように安易に何かを道標にすることはできないから、覚束ない足取りで再び生まれてくる物語には以前のようなセンセーショナルな力は無いかもしれない。しかしこの『考古学』という言葉が喚起する歴史と私たちの関係性は、いま最も信頼に足る歴史観ではないかと私は考えている。なぜならこの歴史観こそが、設計者としての私が設計実務を通じて感得した世界の有り様そのものだからである。モノをアッセンブルして建築をつくりあげる設計というプロセスは(少々大袈裟に言うならば)モノたちが背負う膨大な記憶の群れをトレースする営みである。つまり建築を設計するその都度、設計者は新しく過去と出会い直している。歴史学の行為を「考古学」になぞらえるならば、建築設計はさしずめ「占星術」といったところかもしれないが、日々物質としての建築に対峙しているからこそ捉まえることができるリアルというものが確実に存在する。

──鉄筋コンクリートにもまた記憶が内蔵されている。そしてそれゆえに人の拠りどころとなる。──例えば本書の書き出しを私の実感に沿うようパラフレーズするならばこうなる。物語を剥ぎ取られた鉄筋コンクリート建築は、なおも饒舌である。かつて大学生だった私に建築家でもある指導教官が教えた事は「鉄筋コンクリート建築は水の造形である」ということだった。当時は言葉の恰好よさ以上の理解はできなかったが、設計経験を通じて徐々に腹に落ちた。コンクリートがある場所に置かれることで空間を張るような力をもつのは、硬化前に流体だったという緊張感と深く関わっていると見て間違いない。ただし一方で建設現場における鉄筋コンクリートの現実はと言うと、水は水でも泥水である。泥のごときコンクリートを大勢の人間が協力して型枠に打込み、いかに緻密に計画したとしても最終的には「綺麗に仕上がりがますように」と皆で念じるしかない。現役のものとしてはトップクラスの古代性を讃える建築技術ではないだろうか。水の造形と呼んで差し支えない高度な抽象性と、一般の人々の想像をはるかに超えるに違いない前近代性が同居しているのがコンクリートという素材であり鉄筋コンクリートという構法なのだから、「非歴史性」も「歴史性」も「切断」も「反復」も不連続に両側面を持っていて当然なのである。或いは、実のところこれは鉄筋コンクリートに限ったことではなく、もちろん鉄やガラスに関しても同様のことが言える。そして建築的に仕立てられた空間や場所には歴史や大小の記憶の地層があり、また新たに人間を受け止める器量があることは、設計者の感覚を素直に述べるならば自明のことである。

短絡的に唯物論的なモノの価値を称揚したい訳ではないし、設計者だから解るのだというような経験主義的な線引きをしたい意図もない。騒ぎ立てるまでもなく当たり前にモノが持っている力、その「確かさ」から始めたい。観察の解像度が急速に高まる現代ならば、小さな「確かさ」が群れを成し、近代のどん詰まりを突破する日もそう遠くはあるまい。同種の「確かさ」をもった歴史をこれからの建築史学が引き続き掘り進めてくれるだろうことを信じて、私は前方に向かってまた今日も建築の行先を占うとしよう。

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参考文献
・後藤武『アナトール・ド・ボドーのシマン・アルメ建築生成に関する研究』論文内容の要旨
https://www.aij.or.jp/jpn/design/2021/data/4_award_004.pdf

・後藤武『アナトール・ド・ボドーのシマン・アルメ建築生成に関する研究』土居義岳の建築ブログ
https://yoshitake-ntiku.hatenablog.com/entry/2018/11/06/000000

・『「コンクリートから人へ」の“悪夢”を振り払う新技術』日経クロステック
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00117/00085/

・ケネス・フランプトン,松畑強+山本想太郎 訳『テクトニック・カルチャー 19–20世紀建築の構法の詩学』TOTO出版,2002年.

・エイドリアン・フォーティー,坂牛卓+邉見浩久+呉鴻逸+天内大樹 訳『メディアとしてのコンクリート 土・政治・記憶・労働・写真』鹿島出版会,2016年.

※本稿執筆に際し参照したインターネット情報は、2022年8月30日最終閲覧に基づく。

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書誌
著者:後藤武
書名:鉄筋コンクリート建築の考古学 アナトール・ド・ボドーとその時代
出版社:東京大学出版会
出版年月:2020年3月

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池原靖史
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いけはら・やすし/建築家。1983年愛知県生まれ。2009年早稲田大学大学院修士課程修了(石山修武研究室)。内藤廣建築設計事務所、安藤忠雄建築研究所勤務を経て、2015年より池原靖史建築設計事務所主宰。http://www.ikhraa.com