[201806 小特集:「建築の日本展」レビュー]

黒瀬陽平
Jun 15, 2018 · 7 min read

よく知られているように、日本「固有」の民族宗教であるとされる神道が組織されはじめたのは、6世紀に仏教が伝来してからのことである。中世においては、神仏習合思想や本地垂迹理論によって仏教との過剰な融合に向かい、近世においては、仏教的要素の極端な排除に向かった。もともと統一的な体系や自律性を持たず、バラバラに存在していたに過ぎなかった土俗信仰は、外からやってきた仏教に対する強い憧れと劣等感を背景として再編されていった。つまり神道は、日本固有の民族宗教であると言うより、「固有のもの」への信仰であると言ったほうが正しい。

「固有のもの」への信仰は、宗教だけでなく、あらゆるところに現れる。美術史家の高階秀爾は、フランスで西洋美術史を学んだ後、帰国した際に見た高橋由一の《花魁》に「西欧の油絵という技法の奥にある感受性とは明らかに異質の感受性」を見出し、「ほとんど驚愕に近い新鮮な衝撃」を覚えた、と語っている(高階秀爾『日本近代美術史論』)。西洋美術の規範を内面化させた高階が、「西洋の眼」でもって、見慣れていたはずの日本近代絵画に「異質の感受性」を再発見する。このエピソード以来、多くの日本美術研究者たちが、どこかに隠れているであろう日本「固有のもの」を求めて探し回ることになった。

宗教史や美術史に限らず、日本の歴史を紐解けば、常に外からやってくるものたちとの関係において、重要なピリオドが打たれていることがわかるだろう。神道の例に明らかなように、「固有のもの」という対象自体が、外来の文物を受容する過程で仮構されたものであり、実体のあるものではない。

もちろん、次々とやってくる外来の文物を受容する時に現れる方法論を取り出してゆけば、ある程度の一貫性は見出だせる。その時々の受容パターンを分析し、どのような方法論を生み出してきたかを帰納的に検証することは日本文化論にとって必須の作業である。

しかし、その一貫性の背後に普遍的な「固有なもの」を設定してしまえば、今度はその「固有なもの」から演繹的に日本文化が産出される、という転倒した認識に変わってしまう。本展がサブタイトルとして掲げている「遺伝子」は、まさにその転倒を象徴するフレーズにほかならない。

本展が悪質なのは、本来は外来の文物を受容することによって生み出されていたはずの多様な方法論を、そのプロセスを巧みに隠蔽した上で、あたかも日本の風土から自然発生したかのようにプレゼンテーションしている点である。全部で9つあるセクションごとに掲げられた導入のテキストは、徹底して「日本は」「日本人は」「日本建築は」といった主語のもとに書かれ、巧妙に帰納と演繹を逆転させている。

「開かれた折衷」と題されたセクション6は唯一、外来の建築様式の受容をテーマにしているが、そこで取り上げられているのはほぼ明治期のプロジェクトに限定されているため、いかにも「近代の超克」的な「西洋」対「日本」が強調されている。さらに、セクション8では「発見された伝統」と題して、日本建築からすべてを学んだというアントニン・レーモンドの言葉を、わざわざ壁に大きく貼り出しているところを見ると、もしかしたら本展は、西洋建築と日本建築の二者関係のなかでのみ、「遺伝子」の固有性をアピールしているのではないか、とすら思える。

「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの(セクション06:開かれた折衷)」森美術館、2018年[撮影:来田猛、画像提供:森美術館(東京)]

それ以外にも、個人的に目に留まったのは、セクション4「建築としての工芸」で紹介されていた岡啓輔の『蟻鱒鳶(ありますとんび)ル』だ。東京の三田で、12年以上も自邸を作り続けている岡は、耐久性がきわめて高いコンクリートを独自の技術で作っている。筆者は数年前、友人のアーティストとともに「蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)」を訪ねて岡と話したことがあるが、耐久性の高いコンクリートにこだわるのは、西洋建築に影響を受けたからであり、日本の建築に用いられているコンクリートは「手抜き」で、すぐにダメになってしまう、と岡が熱っぽく語っていたのを覚えている。しかし、本展にかかればそんな岡のコンクリートも、「工芸」というマジックワードによって日本建築の「遺伝子」の仲間入りしてしまうのである。

「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの(待庵原寸大再現)」森美術館、2018年[撮影:来田猛、画像提供:森美術館(東京)]

本展の目玉のひとつとして、かなりの予算をかけて原寸大再現した千利休の『待庵』がある。本展の監修者である藤森照信によれば、「茶室」は日本にしかない木造の建築様式であるとのことだが、誰しも知っているように、茶の文化そのものは大陸からやってきたものである。確かに、村田珠光から利休までの間に、独自の文化として新しく作り変えられたことは事実だが、江戸時代に入れば小堀遠州が「広間」の茶と宮廷文化を取り入れた茶の空間を作り出しているし、大人数を収容できる茶室を考えるために、オランダの建築図面を参照していたとも言われている。

そもそも、茶の湯や「侘び寂び」の概念も、外来の宗教としては比較的新しい禅宗の影響なしにはありえないものであるし、利休が好んだ「小間」の空間は、禅宗的な抽象性、ミニマリズムをわかりやすく体現している。しかし言うまでもなく、日本の寺院建築に決定的な影響を与えた浄土宗や密教系の仏教を抜きにして、日本の建築を語ることは無理がある。戦乱の世に利休が突き詰めた、極めて前衛的な「小間」の空間は、日本建築のひとつの極北であるとは言えるだろうが、果たしてそこから日本建築の「遺伝子」を語れるだろうか。

かつて中沢新一は、日本の仏教の発展史を概観しながら「仮面劇」の比喩で語った。「仏教という体系をとおすことで、日本の潜在的な思想が自己表現をおこなっている」のだと。潜在的に眠っているであろう「固有なもの」を探し求めるのも結構だが、それはあくまで「仮面劇」を演じることによってしか現れないものであることを忘れてはならない。

本展は、日本文化論がこれまで膨大に積み上げてきた「仮面劇」に対する研究と考察の成果を簒奪し、そこからいくつかの「固有の」モチーフを恣意的に抜き取った挙げ句、まるで「仮面劇」などなかったかのように、日本建築の「遺伝子」を語っている。帰納が演繹に逆転し、「仮面劇」が忘却される時、近世の神道と同じように、外からやってくるものの排除がはじまるだろう。本展は、この国の歴史において、ある周期でやってくる排他的な「固有のもの」への信仰を体現している。その意味で、この国の悪しき「遺伝子」を提示しているのである。

「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの(セクション09:共生する自然)」森美術館、2018年[撮影:来田猛、画像提供:森美術館(東京)]

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黒瀬陽平

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黒瀬陽平|くろせ ようへい 1983年生まれ。美術家、美術批評家。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。2010年から梅沢和木、藤城嘘らとともにアーティストグループ「カオス*ラウンジ」を結成し、展覧会やイベントなどをキュレーションしている。著書に『情報社会の情念』(NHK出版、2013年)。

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