感染症と「都市の離陸」のゆくえ ── コロナ危機後の都市地理空間を考える

吉江俊/The future of infectious disease and “Urban takeoff” — Consiering urban geographical space after the COVID-19 crisis / Shun Yoshie

吉江俊
建築討論
16 min readSep 1, 2020

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はじめに──私たちは「足元」に引き戻された

新型コロナウイルスの流行とともに屋外での生活が制限され、自宅とその周辺を中心とする生活を余儀なくされたことで、しばらくの間私たちは自分のいる場所を直視せざるをえない時間を過ごしている。かつて英『エコノミスト』誌で「距離の死」が議論されていたのが信じられないくらいに、私たちはいまその「距離」に拘束され、身近にある、それも物理的な場所を頼りに生きていくほかはない。これが、都市論の時間のなかでどのような出来事であるのか、またどのような社会像をひらいていくのかを、ひとつの切り口から考えていくのが本稿の主旨である。

都市の「離陸」の時代

「距離の死」の議論と同時期──20世紀の終わりがみえつつあるころ──、社会学者の見田宗介は、人びとの行動原理が必要性を基礎とした欲求から「離陸」しつつあることを指摘した。

見田は「離陸された欲望」が社会を駆動するさまを次のように描いている。

必要を根拠とすることのできないものはより美しくなければならない。効用を根拠とすることのできないものはより魅惑的でなければならない。離陸は果たしても引力づけられた空間の内にとどまるほかのない、ある中間の気圏の内部にくりひろげられる、この美しさと魅力性とをめぐる熾烈な競争が、〈情報化/消費化社会〉の、固有の「楽しさ」「華やかさ」「魅力性」を増殖し展開しつづける、積極的な動因である★1」

見田はこの記述によって、物理的な価値を使い切る「消耗」のサイクルによって駆動されていた社会から、情報が生産され価値が失われるまでの、より速いサイクルによって駆動されるようになった社会への変化を描いている。そして、人びとの求めるものの価値が非物質(=情報)に重きを置くようになった社会、社会を駆動する原動力が「必要の地(物理的な必要性)から離陸」するようになった社会を、20世紀末以降の社会の特徴として位置付けたのである。

実際に都市開発の変遷をみるとどうだろうか。とりわけ居住の面では、1973年に戦後の住宅不足が数値上は解決され、住宅供給の「量から質へ」の転換が叫ばれはじめた。そして日本の住宅政策は、「住宅の品質確保の促進等に関する法律」(1999年)と「住宅市場整備行動計画」(2001年)を皮切りにして、民間主導への転換を始めた。戦後の公共住宅政策の「三本柱」とされた住宅金融公庫・公営住宅・公団住宅は、オイルショックの影響下の1980 年代を通じて縮小され、2000年代には影を潜めた。

代わって台頭した民間企業による住宅供給は、私たちの暮らしぶりを大きく変えていくことになった。当時まだネガティブな印象をもたれていた「都心居住」のイメージを払拭するために、「ホテルライクな住まい」が打ち出された。都市環境は商品住宅の付加価値としてまなざされるようになり、住宅は差異化を図って様々な共用空間や屋外空間を備えるようになった。住宅広告の多くの文面では、住宅の機能的側面よりも、そこで過ごす時間の質やライフスタイルが語られるようになった。ここでこれ以上詳細を論じることは避けるが、都市開発の訴求点は物理的環境の生産からイメージの生産に重きを置くようになったのである★2。

1970年代から始まるこの50年間を、見田の表現を借りて思い切って要約するなら「都市の離陸」の時代であったと振り返ることができるだろう。筆者はこの「都市の離陸」ということばで、消費化・情報化とともに進行する人びとの欲望と都市空間の一体的な変化を言い表そうとしている(図1)。近年の情報技術のめざましい発達は、都市の離陸という大局的な変化にとっては、その「技術的な実装」のひとつにほかならない。

図1|「離陸」の時代における都市をとらえるための3つの秩序(作図:筆者)

都市の「離陸」と「着陸」の拮抗

それでは、新型コロナウイルスの流行はこうした変化を加速するのだろうか。それとも「都市の離陸」の50年に終止符を打ち、私たちを再び「離陸してきたほうの地」へと引き戻すのだろうか?

ここでは少し慎重に考えてみよう。実際には感染症の流行以前から、固有の歴史や文脈から生じる場所そのものの価値も逆説的に見直されつつあった。第一に、資本主義が牽引する都市開発に対しては、歴史的にもたびたびロマン主義的な発想に基づく運動が対抗してきたこと★3。そして第二に、その資本主義的な都市開発の内部においても、ローカルな文脈の価値が再発見されてきたこと、という「二重のローカル化」が指摘できる。

後者について、たとえばニューヨークから都市論を展開してきた社会学者のシャロン・ズーキンは、米タイム誌が2007 年に「オーセンティシティ」──「真正性」等と訳される──を最重要アイディアのトップ10 に選出したことに着目している。そして、歴史的な建築物や地域の保全、小さなスケールのブティックやカフェの開発、特徴ある文化のアイデンティティ等による地域のブランディングによって、「由緒ある(=オーセンティックな)体験の創出」がもくろまれていることを指摘する。商品としての都市体験を差異化する競争のなかで、歴史性や地域固有の文脈こそが、強力な差異化の戦略として再発見されたのである。オーセンティシティは近年、それが本物であるかどうかはさておき、商業活動が力をもつための手段となっている(図2)★4。

図2|周知のとおり渋谷ストリームでも、土地の由来の復刻が開発の重要なテーマとなった(撮影:筆者)

つまり都市の離陸は、他方で都市の「着陸」を促し始めている。飲食や衣服などのチェーン店でさえ地域に応じてコンセプトや設えを変えるよう転換しているように、都市から離陸した私たちは、長い時間をかけて再び都市へと回帰する方向に舵を切ってきた。そこを襲ったのが、新型コロナウイルスの流行であった。

「近隣」の浮上

たしかに感染症の流行とともに、私たちは情報技術に頼る生活を余儀なくされた。そしてテレワークやオンラインの交流など、アクティビティの面では物理的な都市に依存しない情報空間内での自己完結──つまり「都市の離陸」──が進んだ。しかし同時に、私たちのそれぞれがそれぞれの場所に住み、そこを動けないという事実が強烈に突きつけられるようになった。この事実は、先に述べた新型コロナウイルス流行以前の「都市の着陸」の動きとはまったく異なる性質をもっていた。「都市の離陸」への批判としての着陸でも、「離陸」を踏まえたうえでの差異化の戦略としての着陸でもなく、逃れられない現実としての「場所」への着陸である。

レイ・オルデンバーグ著、マイク・モラスキー解説、忠平美幸 訳『サードプレイス — — コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房、2013)

このとき「近隣」の重要性が浮かび上がる。近代都市計画は住宅と娯楽や就労環境を分けて計画してきた。クラレンス・ペリーによって提唱され日本のニュータウン計画にも影響を及ぼした「近隣」という考え方は、小学校を中心とする「良き」居住空間の単位を指すものであった。しかし現在私たちは自らの住居のまわりで生活をなるべく完結させなくてはならない。そして住宅地のなかに、小さな娯楽や閉塞感から逃れるための気分転換の場所を見つけなくてはならない。こうして、今まで名前のなかった自宅周辺の空間のなかに、小さな居場所がみつけられるようになった。これらは、自宅でも職場でもない居場所として「サード・プレイス」を提唱したレイ・オルデンバーグにならって、「フォース・プレイス=第四の場所」と呼ぶことができる。

筆者が行ったパブリック・ライフ調査の結果の一部を紹介しよう。この調査は緊急事態宣言期間中の2020年5月1日から2日にかけて、首都圏(一都三県)に在住の20代から50代までの居住者それぞれ210名ずつ、合計840名に対して行われたウェブアンケート調査である。事前調査によって「パブリック・ライフへの欲求」に関する項目を定め、それらをどの程度重視するかを回答してもらったところ、図3のグラフに示す通り「家では食べられないものを食べに行きたい」、「実物を見ながらショッピングを楽しみたい」などといった「都市アメニティ享受の欲求」と呼べる項目が上位に挙がったが、約半数の人びとが「自宅空間や家族から抜け出し気分転換したい」、「街に出てひとりの時間を楽しみたい」、「公園や水辺で緑や水などの自然に触れたい」、「歩きなれた道を散歩し風景を眺めたい」などの日常性の志向を伴う屋外行動──上記の議論に引き付けていえば、「第四の場所へ向かう欲求」と呼べるかもしれない — — を求めていることが分かる。

図3|新型コロナウイルス流行下のパブリック・ライフへの欲求 *首都圏(一都三県)在住の20~50代、合計840名へのアンケート調査より。設問「新型コロナウイルスの流行がおさまったら行いたい「屋外行動(自宅の外に出て行う行動)」について、当てはまるものを選択してください」への回答結果の集計。調査期間は2020/5/1–5/2(作図:筆者)

「第四の場所」とはどこか

筆者は、新型コロナウイルスの流行とともに何人かの論者がそれぞれの趣旨で「フォース・プレイス」について議論し始めたことを知っているが、ここではそれを俯瞰する意図はない。それよりもこの概念が、感染症流行に伴って台頭した全く新しい概念ではないということに注目したい。

宮台真司『まぼろしの郊外―成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日新聞社、2000)

じつは、「第四の場所」については、感染症が流行する以前に社会学者の宮台真司が論じている。2000年に書かれた郊外論の先駆的著作、『まぼろしの郊外』★5がそれである。そこで宮台は郊外化を二段階に整理し、地域の崩壊と家族への内閉という「第一の郊外化」と、続く家族共同体の崩壊とコンビニ化という「第二の郊外化」とに要約している。そしてこの二つの過程で今まで日本社会を覆っていた「大きな世間」──同じ世間を生きているという共在感覚──が解体され、家・学校・地元コミュニティよりも脱力して生きられる空間として「街」が見いだされたという。この過程を、「第四空間化」と呼んでいるのである★6。

この議論を踏まえると、第四の場所は、新型コロナウイルスの流行とともに突然現れたものではないようだ。宮台の議論にもう一例加えて改めて整理すると、戦後、少なくとも3つの「第四の場所」が発見されてきたことが指摘できる。

1つめの第四の場所は、戦後に大都市に流れ着いた人びとが集った盛り場である。吉見俊哉によると、戦後に浅草の盛り場に集った人びとの多くは近代化とともに地方から上京してきた単身者たちであり、彼らは東京に出たからには成功しなければならないという故郷からの期待と、現実に待ち受けていた飽和状態の過酷な労働環境との間で苦しんだという。浅草はこうした人びとによって、「幻想の家郷」──東京の生活から逃れ、帰っていくべき場所──として見出されたのだった★7。

2つめの第四の場所は先に述べた通り宮台が論じるもので、戦後復興と高度経済成長が満たされたころ、家にも学校にも居場所のなかった若者たちが集った繁華街のストリートとインターネットの匿名空間である。

そして3つめの第四の場所は、今回の感染症流行による外出自粛中に人びとが見出した、近隣の居場所や息抜きの空間である。

これら3つを振り返ってみると、第四の場所とは、共通して「二重に疎外された者」の集う場所だといえる。故郷からも東京の仕事場からも疎外された単身者たち、家庭からも学校社会からも疎外された若者たち、そして自宅からもまちからも居場所を見失い、疎外された私たち…。ふたつの間で宙づりになった人びとが、しかし今回はひとつの場所に集い群れることもかなわず、小さな単位で各々見出していくことになったのが、近隣のなかの第四の場所である。

オルデンバーグは、サード・プレイスで行われる基本的な行為は「会話」であり、そこからいわば「公論」が形成され民主主義の土台が涵養されるのだと論じているが★8、第四空間で行われる行為はそれよりもささやかなものだろう。そこでは熱心な議論が交わされるわけでも、特定の目的の行為が行われるわけでもない。そこで行われるのは、ただ「眺める」ことであったり、「時間を過ごす」ことそのものであったりする。私たちの社会の基底には、私たちの社会が今後も変わらずこのようにあり続けるだろうという確信がある。第四の場所は、私たちがなぜ「私たち」でいられるかを、互いに確認しあう空間である(図4)。

図4|第三の場所は公論(パブリック・オピニオン)が形成される場であり、第四の場所は社会への確信が形成される場である

おわりに──コロナ危機後の都市地理空間を考える

本稿では、コロナ危機後の都市地理空間を考えるためのひとつの切り口として、「都市の離陸/都市の着陸」という見立てと、「第四の場所」について記してきた。そして、いずれもそれらが感染症を契機とした「まったく新しい転換」を表しているわけではなく、これまでの都市社会の変化の延長上にあることを示したうえで、なおかつそれらとは異なるとしたらどこが異なるのかを、解きほぐして示してきたつもりである。

筆者は、都市の「離陸」と「着陸」がどのような関係をもちつつ同時進行しているのかを論じることが、今後もさらに重要になると考えている。そして都市の物理的空間の意義を改めて考える際には、都市開発で注目される「オーセンティシティ」概念にみるような戦略としてのそれとは別に、私たち自らが身を置く場所を中心とする「近隣」という単位がいっそう重要になるだろうと考える。

情報空間の急速な拡大・充実に対して、私たちは物理的な都市空間がなお積極的な意義をもちうるのはどういう場面かを考えてきた。これまで「ノイズ」や多様性、あるいは創造性といったキーワードによって、様々なものが混在する都市のなかで自らの意思とは無関係に多様なものと出会う経験が、その人の考えを少しずつ変え、柔軟にしていくだろうことは議論されてきた。

今回露わになったのは、社会と自らの関係性の存続や、社会自体の存続に対する「信頼」や「確信」を日常的諸実践のなかで得るための空間もまた、物理的な都市空間のなかに必要とされているということではないか。第四の場所は、新型コロナウイルスの流行が終息すると同時にすぐに無価値になるものではない。むしろそうしたみえない場所が、つねに社会の「地」に潜んでいることを、私たちは発見したのである。

★1 見田宗介『現代社会の理論 情報化・消費化社会の現在と未来』岩波新書、1996年、p.36より引用。

★2 ここでは、一見して「消費」からほど遠そうな居住環境について取り上げたが、同時代の繁華街の変貌は、消費社会論が取り上げてきたとおりである。なお、住宅/住環境の消費化について詳細が知りたい読者は、筆者の研究を参考にされたい。たとえば、「都心回帰下の首都圏における住環境のイメージの空間構造とその遷移」(2017 年、日本建築学会計画系論文集738号)など。

★3 例えば、後述するシャロン・ズーキンは、60 年代以来の歴史保存主義者たちの「オーセンティック」な都市と、80 年代の商業再開発支持者の「文化的革新の中心地」を構築する欲求の対立を例に挙げている。あるいは、企業都市を建設しようとしたロバート・モーゼスと、アーバンビレッジを保全しようとしたジェイン・ジェイコブズは誰もが知る対立であろう。

★4 シャロン・ズーキン, 内田奈芳美・真野洋介訳『都市はなぜ魂を失ったか──ジェイコブズ後のニューヨーク論』講談社、 2013年、 p.12より(原題『Naked City: The Death and Life of Authentic Urban Places』Oxford University Press, 2010年)。

★5 宮台真司『まぼろしの郊外―成熟社会を生きる若者たちの行方』朝日文庫、2000年。

★6 「空間」と「場所」という用語の使い分けは、地理学や都市論の分野では大変重要だが(たとえばサード・プレイスと第三空間は全く別の概念である)、宮台のこの議論においては明確に意識されているようには読み取れない。彼の主張した「第四空間」と本稿で論じる「第四の場所」は同種のものとみなしてよいものと思われる。

★7 吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史』河出文庫、2008年(初出は1989年、弘文堂)を参照。

★8 オルデンバーグはサード・プレイスの役割として、「人生の義務や苦役からの逃避と束の間の休息」と「人を平等にするもの(leveler)」の二点を挙げたのち、「もっと良いこと」として「政治上の役割」を挙げている。日本のサード・プレイスの議論では「居心地のいい場所」であることばかりが強調され、オルデンバーグの意図に反してなぜかこの論点が取り上げられないため、ここで強調しておきたい。オルデンバーグは「17世紀アメリカでは、酒場は、選ばれた議員と選んだ人民の出会いの場でもあった」としたうえで、「テレビや新聞よりずっと前に酒場が提供したものは、情報源だけでなく、地元で集団で質問し、抗議し、考えを探り、補足して意見をまとめる機会だった」と述べ、「全体主義社会で実行されるたぐいの政治支配に抗うだけでなく、民主主義の政治プロセスにとって必要不可欠である」と書いている。なお本稿で述べた「公論を形成する場」とは、筆者・吉江による表現であり、オルデンバーグ自身は公論ということばを積極的に使っていない。

レイ・オルデンバーグ(忠平美幸訳)『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』みすず書房,2013を参照のこと。

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吉江俊
建築討論

よしえ・しゅん/早稲田大学創造理工学部建築学科講師、専門は都市論・都市計画論/早稲田大学大学院修了、日本学術振興会特別研究員、ミュンヘン大学研究員を経て、2019年より現職。共同研究体・空間言論ゼミ主宰。博士(工学)。共著に『無形学へ』(2017、水曜社)。フィルムアート社から共著近刊予定。