戦前の木材生産と利用の展開|勃興期諸産業の競合から材料の転換へ

[201906 特集:木造建築のサークル・オブセッションズを超えて]/ Beyond Circle Obsessions on Timber Architecture

松本 直之
建築討論
14 min readMay 31, 2019

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0.はじめに

本稿では、日本における木材利用の転機となった明治時代から昭和戦前期における、木材の生産(供給)と利用(需要)の諸相を検討し、木材利用の産業的な多様化や、木材の生産体制の変化が建築にもたらした影響を提示する。まずは明治から戦前の林業経営(林政)の概要を示したのち、建築以外の用材としても欠かせなかった産業資材・原料としての木材のマクロな動向を整理する。その後、生産・流通の近代化がもたらした変化をたどる。

1.森林保護と産業利用を目指した近代林政

古来日本では、木材資源を燃材(薪炭)、用材(製材、パルプ、単板、坑木、電柱など、薪炭以外の全ての用途に用いる木材)に広く活用してきた。江戸時代中期以降の林業経営(林政)においては、林地の特性や藩制によって異なるものの、主要な林業地では人工造林が行われ、森林資源の保護を行いながら産業利用が行われていたことが知られている(*1)。しかし、明治維新後には、制度の変更に伴う管理の混乱や薪炭需要の増加(製糸・製茶など)により、明治前半には森林荒廃が著しく進んだとされる(*2)。明治政府は、山林保護政策、林業経営の合理化、木材資源の産業活用の要請など百出する議論を統合し、明治30年(1897年)に森林法を制定することで、森林資源の育成・保護と、効率的な産業利用を並行して実施する体制を整備し始めた。しかし、続く戦争、産業的拡大のなかで、産業利用に適した針葉樹の人工造林面積を拡大するために、山里の住民の慣行的な利用権(入会権)は制限されていった。その後、林政は農山村への注目、流通規格の統一などに取り組みつつも、太平洋戦争下では統制経済に組み込まれていった。

2. 近代諸産業における木材利用の進展

以上が近代林政の極めて大まかな流れであるが、では具体的な近代産業の連関の中で、木材はどのような役割を担ったのか。明治時代には、鉱工業や紡績業といった新たな産業が振興されるとともに、それを支えるインフラの整備やエネルギー供給、教育機会の普及が図られた。新時代の産業用資材として木材が不可欠であった分野(需要)としては、住宅・都市の建設を担う建築資材、交通インフラである道路・橋梁材、全国に延伸する鉄道の枕木、炭鉱の坑道を支える坑木、通信インフラとしての電信・電気柱、紙幣や書籍の原料となる製紙パルプ、梱包材等が挙げられる。以上のうち建築資材を除いた、鉄道枕木、炭鉱坑木、製紙パルプ、電柱については、近年山口の環境経済史研究において包括的に論じられた(*3)。以降本節では、山口の成果に依拠し、建築用材との関連の視点から木材産業の変遷を整理する。

2-1.戦前の木材市場における需要供給構造の変化

明治から終戦までの期間において、用材需要は産業化の進展とともに増加し、またその構造は大きく変化していった。1880年代までは建築用材と、家具・建具・雑貨用材が消費量の7割程度を占めていたが、その後公共事業や交通インフラ整備、炭鉱の坑木などの産業が振興され、その消費量が増加した。1900年代以降はさらに電柱や製紙パルプ用材需要も増加し、用材消費量は約5倍に至った(1939年に1億石=約2780万㎥を突破(図1))。ただし、一貫して最大の用材消費は建築用材、特に住宅の建築・補修用途であった。

【図1:用途別用材消費量、1880-1945年(山口*3、2015、p31より引用)】

一方、木材の供給市場では、鉄道をはじめとした交通インフラが整備されることで、出荷先への距離においても、また伐採地が奥へ進んだという意味でも材料の供給地は拡大した(図2)。

【図2:用材生産量の地域別比率(熊崎*4、1966、p40 表Ⅱ-6より筆者作成。1874年は北海道のデータ未記載】

しかし、第一次大戦期には木材需要が急増し需給バランスが変化した。建築用材の不足が深刻となり、それまでの日本はアジア圏を中心に木材輸出国であったが、1921年には米材を中心とした木材輸入国に転換した。この時期には、樺太材もシェアを高めていった。国産材はその後保護政策をとられたが、1933年以降、産業振興による国内需要の増加、加えて植民地での木材需要も増加したため、国内の伐採が再度進行した。1937年以降、戦時下では、不足する鉄鋼の代替、軍需需要の増加、国内材のみの供給となり増伐が限界まで行われ、多くの産業で減産や転用による補修が行われた。

以上の木材市場の展開において、各産業の木材利用や用途毎の市場の展開に与えた影響が大きかった要素としては、利用樹種の競合、当該地域の木材賦存量、代替材の状況があったことが指摘されている(*3)。具体的な各産業の特徴を次項に示す。

2-2. 代表的な木材利用産業の状況:用途による選択と産業間の競合

【図3:山口による木材市場の概念図:市場規模を円の大きさで、資料樹種の競合関係を重なりで示す(山口*3、2015、p32より引用)】

鉄道枕木用材は、硬い材質の大径材のクリ、ヒバ、ヒノキなどが求められた。特にクリの需要は大きかったが、市場供給が少なく適材を得るのは難しく、また材料の寸法から建築・土木用材との競合があったと推定される。適材不足は第一次大戦後に深刻化し、耐久年数の短い不適材の使用や、クレオソートなどの防腐剤の注入が進められた。

電柱(電信・電話・電気送電用支柱)は、明治前期から電信事業の発達とともに需要が高まり、日露戦争後には電気柱市場が拡大し、電柱用材の伐採が活発化した。用材消費量に占める割合は最大でも5%程度であったが、樹齢30-40年以上の真っ直ぐなスギ丸太が求められたため、伐採可能な材の減少は速かった。良材の減少に伴って防腐処理が施されていった。電気柱は需要が急増したため、競合する建築・土木用材とともに輸移入材の利用を進めた。

炭鉱の坑木は、小径(20-30年生)のマツ材が九州や北海道共に用いられており、同様の材を大量に使用していたパルプ用材との競合関係にあった。坑木も消費量が多く、戦前において九州・中国・四国地方での伐採用材の2割から4割が九州の炭鉱業に、北海道では道産用材の2割以上が炭鉱業で消費された。1930年代以降の適材不足期には、割丸太の使用や小径の当て木材を束ねて代替した。他方で、代替材料として、鉄鋼の使用も一時進展した。

パルプ用材は、坑木用材と類似した需要で、小径のマツ、トウヒ、ツガなどが利用された。ただし、パルプは、製造技術、コスト上の問題から利用可能樹種が限られており、後年は北海道、樺太へ材料が求められた。製紙パルプもやはり第一次大戦で需要が急増し、用材消費の1割前後を占めるに至った。

2-3. 近代の木材利用形態:近代産業・インフラの資材としての多くの用途

近代以降に増加した用材利用のあり方として、建築用材を主軸としつつ、多くの近代産業の資材・用材として木材は大量に利用されていた。九州の炭鉱であれば四国・九州を中心にした地域など、近隣から始まり、その後交通インフラの発達に伴い、更に遠方からの木材流通が見られた。また、建築用材と特に競合していたのは、大径の直線材が適材である鉄道枕木や電柱であった。一方で、坑木、パルプでは、小径材の利用を進めていった。また、国内外の需給関係も複雑に存在しており、産業化や災害復興に伴う需要の継続的増加とともに、日本は木材輸出国から輸入国に転じ、アメリカ、樺太、のちには南方からの輸入材が影響を拡大した。

3. 近代の木材生産と流通の変化:機械製材の導入と鉄道網の発達

3-1. 機械製材の導入:省力化と規格化

【図3:現代における工務店の刻み場(筆者撮影)】

前節では、明治から昭和戦前において木材を資材・原料として用いる代表的な産業について、木材の需給状況についてまとめた。本節では、木材供給に影響した生産技術の近代化のうち、建築にも様々な影響を及ぼした機械製材と、流通機構を変えた鉄道敷設の影響に着目してより具体的に整理する。

鈴木(*6)によれば、蒸気動力式木材用鋸の使用は幕末の横須賀造船所から確認できるが、木挽職人の抵抗などもあり、機械式鋸が本格的に導入されたのは日清戦争後(1895年)となった。例えば1896年の清水組深川工作所での自家用製材、1899年の山上伝吉による木場への導入が知られる。山上の機械導入は、軍拡を背景とする陸軍の需要に応えるためであったとされ、急速な需要の増加と機械化には密接な関係があったことが伺われる。また、製材側での導入は明治8年の天竜川流域などが早期の例として知られるが、その他の代表的な林産地では明治30年前後の導入が複数みられた(*7)。

機械製材が建築の現場へ与えた影響としては例えば、当時大工であった竹田米吉の回想(*8)にあるように、大工の仕事の一環であった角材の下拵え、すなわち杣角のはつりや鉋掛けが大幅に軽減されたことが挙げられる。ただし、地域による時間差は大きく、竹田によれば明治30年代から40年代の東京の現場では、まだ非製材の杣角が主流であったが、同時期の北海道では製材が発達し(明治5年に導入)、トドマツなどの現地産材の製材品が全面的に使用されていたという。

竹田による現場の声の他に、明治期の製材と材料使用・選択の関係を示す資料としては、伊原(*9)による、文化財建造物の使用材種の調査結果が興味深い。ここでは、特に初期洋風建築において、全数は少ないものの地域に拠らずスギ製材の全面的な使用が多いこと(23棟中21棟、1988年時点)が指摘されている。規格の製材品が用いられていること、公共建築がほとんどであることから、工期の制約により製材流通量の多いスギを使用した可能性が指摘されている。建設時期は明治10~40年代に分布しており、比較的早期の機械製材例を示すとともに、公共建築需要増加と木材産業近代化の関係を示す例であるといえよう。

3-2. 鉄道による流通網の変化:地方から都市部への流入

近世以前、遠方への木材輸送は船や筏の水運を利用していたが、明治20年代に鉄道が発達することで大きな変化を受けた。東海道本線(1889年)、東北本線(1891年)、奥羽本線(1905年)などの開通が、大都市圏への各地からの木材の流入を促進した。例えば奥羽本線の能代までの開通後、秋田杉は北陸・北海道から東京へ販路を変更し、明治40年代には、秋田の四分板(天井板、板塀など)、六分板(羽目板、床板、下見板など)が代表的な商品として流通していた(*10)。加えて、秋田杉製品の人気の理由は、機械製材の採用であったという。明治30年に能代挽材合資会社は、英国から大割丸鋸、蒸汽横切り鋸、丸鋸などを輸入・設置し、製材業を開始しており、それ以前のミカン割にした寸甫(すんぽ)材から一転して、産地での製材の特性を生かして寸法規格を統一した材の大量供給が可能となったところに、秋田杉の優位性が発揮された(*10)。

【図4:明治30年代の輸入竪鋸(宮原*5、1950より引用)】

この例に顕著であるように、森林鉄道による材料の伐出、機械製材、遠隔地への鉄道輸送が可能となることで、地方林産県の材料の流通網は拡大し、都市の木場の状況も変化を受けた。

3-3. 民家普請に現れた近代木材流通の諸相:鉄道・博覧会・神社林

最後に、近代の木造流通機構の変化を鮮やかに示す、ひとつの民家普請の事例を挙げよう。明治から大正期に鳥取県大山町所子集落に建設された南門脇家住宅(1903年~1921年建設、鳥取県指定保護文化財)である(*11)。熊谷らは普請記録から、鉄道の延伸によって疎遠であった地域が建材供給先となりえたこと、県内の地方博覧会や物産陳列場といった新たな社交・商業の場での銘木購入機会の発生、神社合祀の影響による神社林材の購入などの、近代特有の出来事が建材調達に与えた影響を明らかにしている。

【図5:南門脇家住宅外観〔とっとり文化財ナビ*12より引用〕】

4. 近代における木材の利用形態の変化:諸産業での競合から他材料の置換へ

本稿では、明治期から昭和戦前における木材の多様な使われ方やその背景を提示することを目的として、①産業資材・原料としての木材(建築用材以外も含む)の需要と供給のマクロな変化、②代表的な近代の木造生産技術の変化(機械製材、陸路の拡張)とそれが建築に与えた影響について、環境経済学、林政史、技術史の知見を引きながら示した。

近代において、特に産業化の勃興期であった戦前には木材は資材、原料、燃材として八面六臂の活躍をしていた。木造建築が伝統建築を基に、徐々に近代技術を取り入れていったその同時代には、電信用の柱や炭鉱坑木、軌道の太い枕木など、近世以前には見られなかった構造物が新たな産業とともに大量に建設されていたのであった。現時点から見ると、木で作るしかない時代だからこその多用途でもあり、それゆえ産業の成長は常に木材供給への圧迫、森林資源への脅威として現れ、外国産材の輸移入を伴うものともなった。

さらに、電信柱と建築の柱梁と鉄道枕木、炭鉱坑木と製紙パルプ用材といった産業間には材料取得段階で競合があり(規模の大小はあれど)、その他の用途も含めて、ひしめき合うようにして木材を使用することで、市場の展開やその産業での木材の利用可能性に相互に影響を与えていることもこの時期の特徴である。

最後に、現在の視点から見ると、戦前の産業用材の多く(建築用材、パルプ以外)は後に他の材料工法で代替されてゆくものでもあった。電柱、枕木は鉄筋コンクリートに、坑道も長期に使用する箇所には鉄材が使用されていった。燃料としての木材は石炭に、その後石油に取って代わられた。材料・性能効率、価格、量産性、様々な理由はあるが、木材から別の材料への置換が起こり、木材利用の構図も変化していった。建築や産業の生産システムの中においてとらえる限り、ある材料の物質循環は静的であるとは限らない。その材料の価値とともに動的に変化していくことを示唆しているのではないだろうか。

文献リスト

*1『日本人はどのように森をつくってきたのか』、コンラッド・タットマン、築地書館、1998

*2『日本林政の系譜』、筒井迪夫、地球社、1987

*3『森林資源の環境経済史 近代日本の産業化と木材』、山口明日香、慶應義塾大学出版会、2015

*4「林業発展の量的側面 林業産出高の計測と分析(1879–1963)」、熊崎実、林業試験場研究報告第201号、1966

*5『木材工業史話』、宮原省久、林材新聞社出版局、1950

*6 建築と機械、鈴木淳、シリーズ都市・建築・歴史9 材料・生産の近代、東京大学出版会、2005

*7『林業技術史 第1巻』、日本林業技術協会、1972

*8『職人』、竹田米吉、中央公論社、1991(再刊)

*9 中世-近代建築の使用木材とその構成、伊原惠司、『普請研究』第26号、普請帳研究会、1988

*10『山と木と日本人 林業事始』、筒井迪夫、朝日新聞社、1982

*11 近代における鳥取県大山町所子の民家普請(2)―建材の調達について―、熊谷透、日向進、日本建築学会学術講演梗概集(東北)、2009

*12 とっとり文化財ナビ「南門脇家住宅」http://db.pref.tottori.jp/bunkazainavi.nsf/bunkazai_web_view/C12284AFED861E324925796F00080097?OpenDocument(2019.5.27閲覧)

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松本 直之
建築討論

まつもと・なおゆき/1986年兵庫県生まれ。木質構造・構法、近代木造構法史。博士(工学)。近世から近代への構法・構造の変遷史をテーマとして、調査研究、実験解析に従事。東京大学生産技術研究所 助教。2018年第4回住総研博士論文賞受賞。