戦後空間の肌触り──シンポジウム「民衆・伝統・運動体」について

017|201803|特集:イベント・レビュー 戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体

辻泰岳
辻泰岳
Feb 28, 2018 · 25 min read

*シンポジウムの記録は 10+1 website をご覧ください(編集部)

1. はじめに

本稿は「戦後空間」に関する初回のシンポジウムとして企画された「民衆・伝統・運動体」(建築会館、2017年12月16日)について扱う。ここではまず建築史・美術史研究においてアジア太平洋戦争後(以下、戦後)の動向を扱う研究の概況を示し、次にそれをふまえて各講演の内容を発表者のこれまでの成果にふれながらまとめたい。ただしコメントや討議(ディスカッション)については各講演の内容を高次の観点から扱う本稿の目的と重なり、さらには他の媒体にも掲載されるため ★1 、本稿はそれと共に参照いただくことができるよう心がけた。また学際的に様々な成果との関連を視野にいれることは必須であるものの、本稿は戦後という時空間を、肌触りのあるものの拡がりとして視覚化することができる建築史・美術史研究としてとらえることで、この「戦後空間」に関する議論をより深めていくための一助としたい。

2. 戦後の日本の動向を扱う建築史・美術史研究の概況

2014年に出版された『美術の日本近現代史』は従来の作家と作品を主とする叙述ではなく、1990年代以降の研究の指標となった制度としての美術を論ずる成果をふまえた通史としてまとめられた。この中で研究史として佐藤道信が整理するように「戦後現代の美術は、「現代」が大きな転換期を迎えた1990年代以降、歴史化が始まる状況」にあり ★2 、現在は論ずる対象に応じて概念を規定しながら実証的に研究を積み重ねていく段階にある。ただし美術の研究史はこれに限らず、たとえば『史学雑誌』の「回顧と展望」においてもまとめられるため ★3 、本稿ではそれらを参照しながらこのシンポジウムに関連すると考えられる近年の成果をいくつか挙げてみたい。

建築史・美術史研究ではこれまで明治から昭和戦前期までを対象に研究が蓄積され、それらは一般的に「近代」という言葉が指す時代として示される。しかし戦後の動向については具体的な検証がされぬまま「現代」という時代の枠組みが仮設的に置かれたままにあり、それらをつなぐ研究は未だ明確には示されていない。ただし近年では大正期や昭和戦前期にとどまらず、それらと接続しながら戦時下や占領期、高度成長期の動向を定位する研究がようやく端緒についたといえる。こうした点で今回のシンポジウムが掲げる「民衆・伝統・運動体」と関連する成果としては、表現を通じて社会を変革しようとした作家たちを扱う足立元の『前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術まで』(ブリュッケ、2012年)がその先鋒を務めたといっていい。またここでは美術家の個展を割愛するが、美術の戦後を扱う成果は「実験場:1950s」(東京国立近代美術館、2012年10月16日~2013年1月14日)や「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde」展(ニューヨーク近代美術館(以下、MoMA)、2012年11月18日〜2013年2月25日)、「Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945–1965」展(ハウス・デア・クンスト、2016年10月14日〜2017年3月26日)などの展覧会でも示されている。加えてこれらとも関連する「具体 ニッポンの前衛」展(国立新美術館、2012年7月4日〜9月10日)と「Gutai: Splendid Playground」展(グッゲンハイム美術館、2013年2月15日〜5月8日)は日本国内だけではなく、むしろ海を越えた世界の研究者たちが牽引したといってよい具体美術協会に関する研究をもとに開催されている。たとえばバート・ウィンザー=タマキが『Maximum Embodiment: Yōga, The Western Painting of Japan, 1912–1955』(University of Hawai’i Press, 2012)等で、稲賀繁美が『接触造形論』(名古屋大学出版会、2016年)等で検討を続け、『美術フォーラム21』が「グローバリズムの方法論と日本美術史研究」(32号、2015年)という特集を組むように、美術のグローバリズムや東アジア(極東)をめぐるこうした関心は戦後だけを対象としているわけではない。だが城西大学の論文集『The Review of Japanese Culture and Society』や『Art and War in Japan and Its Empire 1931–1960』(2013)を含むシリーズJapanese Visual Culture(Brill)などでも、英語圏の読者と問題や関心を共有しながら戦後に関する成果が発表されている。ただし残念だがこれまでに日本の美術に関する動向がグローバル・ヒストリーとして叙述される際には、日本語の資料の調査が十分ではなかったり、それぞれの言語の読者や鑑賞者にあわせた議論を優先するために日本国内で発表された先行研究が無視されたり、識者の見解の紹介に留まっていたりすることもないとは言い切れない。だが仮に日本の国内において積み重ねられてきた研究の成果とその見解を「正しく」伝えることを叫んでも、伝えられる相手の正しさの基準が異なることもあるためそれはもとより困難をともなう。いずれにせよこうした課題も、対象とする時期の美術と社会を国際的な視点から捉えるこうした試みがなければ直面することができなかったといえるだろう。むしろ日本国内でのみ通ずるこれまでの研究の整合性を再考し、そうした先行研究の歴史叙述をも戦後の営為として読み解くためには、研究や実践のための基盤を国際的に構築していく必要がある。またそのためには日本国内で発表された文献を英語化した『From Postwar to Postmodern, Art in Japan 1945–1989: Primary Documents』(MoMA, 2012)のような企画を通じて、必ずしも日本という国家の中だけで展開したわけではない戦後の動向を研究するための基礎資料を整えていくことも進められるだろう。

シンポジウム「戦後日本美術の群声」(東京大学、2017年7月9日)

加えて戦後70年という節目にあわせてアジア太平洋戦争をめぐる考察も深まり、たとえば「戦争美術」に関する研究を牽引してきた河田明久が監修した『画家と戦争:日本美術史の空白』(平凡社、2014年)や、同じく責任編集を務めた『戦争と美術』(18巻、2015年)を含む『日本美術全集』(小学館)のような大規模な美術書も、歴史研究として扱う時期を現在に近づけることを助けた。また同時代的に作品を説明した美術家や美術評論家らの言説があたかもそのまま「戦後美術史」として認識されることも未だ少なくないが、「針生一郎と戦後美術」展(宮城県美術館、2015年1月31日〜3月22日)はこうした評論や批評がどのような背景の下で執筆されたのかという点も含めて当時の美術を歴史化した。これと同様に神奈川県立近代美術館の鎌倉館の閉館(2016年)も、もしかしたら同館がこれまでつくりあげてきた「日本近代美術」という枠組みそのものを歴史的な産物としてとらえる機会になるかもしれない。加えて戦後の美術に関わる人々の口述資料の収集も進められ、この機運を醸成した日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは「戦後日本美術の群声」(東京大学、2017年7月9日)と題するシンポジウムを開催した ★4 。この催しは歴史研究のみならず現在の美術の実践が射程に入れる問題も含めて議論することをねらいとしたが、この企画と当日の進行を務めた筆者は各発表をふまえて、欧米で流布する美術史の叙述をなぞりながら「戦後日本美術」をナショナル・ヒストリーとして示すことの問題についても言及した。総じてこうした概況は、美術の戦後を歴史研究として扱うために、自らの足下に連なる過去に真摯に向き合おうとする態度から生まれているといってよい。

ところ変わり近現代の建築や都市に関しては堀田典裕が「日本近現代建築史」と題する研究史をまとめている ★5 。本稿ではそれとの重複を避けるためここで成果をひとつひとつ挙げることは繰り返さないが、端的にいえば建築や都市の現代史に関する成果の指摘が少ない。もちろんこれは堀田の不備などではなく、ここでは通史の叙述、建築物の実態調査にもとづく研究、建築資料を中心とする研究、建築物の構法と材料に関する研究、ビルディング・タイプに関する研究、住宅と住宅地に関する歴史研究と大別し、それぞれにおける達成と展望を見事にまとめている。しかしながら堀田は、戦後については歴史研究として扱う関心が低く「近代」と「現代」という時代区分を考える上でも研究を進展させる必要がある、と指摘するに留めている。言い換えればこれは戦後の建築や都市を歴史的に扱う具体的な検討が乏しく、研究が遅れていることを含意するといっていい。もちろんこうした研究の状況は、戦後を同時代として知る稲垣栄三と布野修司ら同時代建築研究会との検討を含め、長らく問題として指摘されてきた ★6 。たとえば『近代・現代建築史』(新建築学大系5、彰国社、1993年)では鈴木博之が「戦後から現代へ」という章を設けたり、土居義岳が戦後を含む通史の叙述を問題としたりするように ★7 、世紀を越える時期には様々な出版物や展示を通じて戦後の動向も概要としてまとめられた。しかしながらしばらくするとそれは収束し、戦後に活躍した建築家や都市計画家とかれらの作品やプロジェクトとの関係が評伝としてまとめられる一方で、戦後の動向を歴史研究として扱うための方法の検討は、及び腰のまま先送りにされてきたといってよい。

そのためこの「戦後空間」はたとえ一時的に規定される概念だとしても、次なる研究と実践の行先を示すためのキーワードになるだろう。当然のことながらそれは思いつきなどではなく、シンポジウム「建築史学の戦後」(金沢工業大学、2013年4月20日)や研究協議会「丹下健三の世界再読」(北海道大学、2013年8月31日)などを経て準備されてきた。ただし前者においては、古代や中世、近世などに加えて、現在からそれほど時間を経ていない戦後という時期を歴史研究として扱うことについては課題として共有されたものの、先の大戦は未だ心理的に重くそこで思考を止めてしまうがゆえに、戦後という言葉が繰り返し用いられてしまうことへの懸念も表明された ★8 。だがこうした懸念の裏には、戦時下から占領期へ至る過程で時代の区分を行なってしまうことへの逡巡もあるだろう。すくなくとも建築史研究として戦後に関する具体的な検討をはじめない限りは、こうした連続性を指摘することも、それを自明とした上でそれまでとは異なる時代像を考えることもできないことは言うまでもない ★9 。

加えて先の研究史において堀田が指摘する『日本近代建築総覧』(以下『総覧』)が抱える問題もこれに関係している。たとえば「近現代建築資料全国調査」はこの『総覧』の情報の更新と「近代和風全国調査」「近代化遺産総合調査」に続き、2013年に開館した国立近現代建築資料館が用いる台帳を作成することと、全国の建築資料の管理者のネットワークを構築することを目指して組織された。文化財に関わる行政とも不可分の関係にあるこうした全国調査は、近代の日本を扱うこれまでの建築史研究の主たる方法にもなってきたため、この「近現代建築資料全国調査」とそれに続く「近現代建造物緊急重点調査」の背景には、これまで研究を牽引してきた『総覧』に続きたいという思いもあるのかもしれない。しかしながら堀田が指摘するように、こうした調査にもとづく研究は現存する建築物の評価にその意義を見出そうとする一方で、そこまでには至らず単発的な報告に留まってしまうことも少なくないため、方法上の工夫を必要とする。そしてなによりも気をつける必要があるのは、『総覧』のために調査した当時の建築史家とかれらの眼前にあった建築物との関係は、現在の建築史家と戦後に竣工した建築物との関係とは異なるということだ。またアーカイブズの意義についても論を待たないが、2018年においてはどのような紙片や欠片も新たな資料とみなすことができる戦後という時期を扱う上で、それらを抱え込むことだけを方法としたり、社会をとらえる批評性を欠いたままそれを素朴に啓蒙したりすることには限界がある。むろんこれは現存する建築物を調査することで着想を得ることや、その保存や活用、復元を提示する建築史家の実践を軽んじているわけでは決してない。ただ戦後という時期を扱う上では『総覧』を踏襲するだけではなく、それを乗り越える方法を示すことも先達に対する敬意であることを本稿では強調しておきたい。日本という国民国家の共同性だけを前提としない世界との対話によって、現在をも問題とする政治性を認識しながらそれでも築こうとする過去との関係を「戦後空間」と呼ぶのだろう。

3. 趣旨説明と各講演、それに対するコメントについて

本稿の冒頭の説明を繰り返すが、ここでは趣旨説明や講演、コメントの背景となる事項をまとめることでこのシンポジウムを振り返ってみたい。

まずは趣旨説明として青井哲人が、戦後の建築と文学に関する動向の交点と、建築や都市に関わる人々がどのように太平洋を越えたのかという2点に着目するこのシンポジウムのねらいを述べた。本稿でも整理してきたように、戦後の日本の建築や都市に関する動向についてはまだ検討そのものをはじめることが十分にできていないが、それが当座の用件で概要として紹介される際には、建築に関する商業誌が同時代的につくりあげてきた叙述と、それに関わった建築家や建築史家、評論家あるいは編集者らの言説が過去を知る術としてそのまま反映されることが多かった。しかしながらそれらを図書館やミュージアムなどで通覧することで得られる時代像はあくまでもかりそめでしかなく、戦後という過去を知るためのメディアをこうした商業誌に限ることはできない。そのため建築史・美術史研究は戦後を扱う上で『新建築』や『美術手帖』などの商業誌が毎月ごとにつくりあげていった物語を一度、学び忘れなければいけないだろう。

なおここでの青井による問題の提起も突如としてなされたわけではない。青井は建築史学会の戦後建築史学研究小委員会による「戦後建築史家の軌跡」(2000年〜)への参加と、それを機に連名で記した「戦後建築史学の射程と現代建築史研究会研究の早急なる必要性」(2001年)★10 、特集「建築論争の所在」に際しまとめた「戦後建築論争史の見取り図」『建築雑誌』(2011年2月)、編集長として率いた特集「広島[ヒロシマ]長崎[ナガサキ]」を含む『建築雑誌』の各特集(2011年6月~2013年5月)、そしてシリーズ「建築と戦後70年」(2016年〜)の開始などを経て、このシンポジウムと「戦後空間」という枠組みに臨んでいる。もっともこうした試みに対して、戦後を同時代として知る人々が自らの記憶にもとづき「そもそも戦後とは」の一言で卓袱台返しをすることもあるだろう。だれにとっても望ましいとはいえない議論の揺り戻しや上すべりを避けるためには、わたしたちもかれらの記憶に加わりながら、これまで建築や都市の戦後についてどのような議論がなされてきたのかを共有することが求められる。また収集した資料を体系として記録(ドキュメンテーション)し丁寧に読むことと同時に、それを公開し論考や展示、あるいは「ドキュメンタリー」として叙述することで、そうした体系そのものを絶えず読み直すことも必要になるだろう。

鳥羽耕史『1950年代 「記録」の時代』(河出書房新社、2010年)

こうした青井の趣旨説明に続き、鳥羽耕史は「文化運動の中の民衆と伝統」と題する講演で、まずは自身のこれまでの成果にそって1950年代の文化運動を紹介した。ここで鳥羽は『1950年代 「記録」の時代』(河出書房新社、2010年)や戦後文化運動合同研究会における道場親信らとの検討が結実した『「サークルの時代」を読む』(影書房、2016年)などをふまえ、これまで見落とされたり分野ごとに個別に扱われたりしてきたサークル誌や生活記録(集)、幻灯、記録映画といった越境するメディアを、戦後の運動を読み解くための資料として扱った成果を紹介した。なお記録映画については社会学など様々な専門の研究者たちと共同で進めた科学研究費補助事業等にもとづく研究課題として考察が進められている ★11 。またシュルレアリスムや「ルポルタージュ絵画」に関する言及も、安部公房に関する研究から先の『1950年代』を経るまでにまとめられた多様な発表に支えられており ★12 、「前衛美術」に関するこれまでの研究の蓄積や絵画のモダニズムに独自の問題があることを前提として山下菊二や池田龍雄、桂川寛らの制作を扱うのではなく、絵画をも視覚文化(ヴィジュアル・カルチャー)の一部とみなすことで議論をひらく上で美術史研究にも貢献する。続いて「月の輪古墳」を事例として、こうした視覚文化に関わる運動が「民衆」や「伝統」といかに接続していたのかを論じた。鳥羽はまず、国民的歴史学運動を検討するために1953年に発掘されたこの月の輪古墳に着目する成田龍一らの先行研究を紹介する。そしてそれをふまえながら、考古学の専門家に限らず地元の村人や教員、生徒らも参加したこの発掘が、記録映画や全国紙(中央紙)、スライド、そして文集『月の輪教室』など多様なメディアで運動として記録されていく過程を示し、またそのように記録することそのものが運動であったことをあわせて示した。さらに鳥羽は、こうした戦後の運動は月の輪古墳だけではなく、発掘の現場と関連する土器や埴輪に対する当時の「民衆」の関心にもむすびついていることを指摘した。ここで鳥羽は登呂遺跡の発掘や岡本太郎による縄文土器の評価など「民衆」や「伝統」を論点としてこれまでの建築史・美術史研究でも扱われてきた事例との関連に言及したが、討議では文学に関する研究における現在の理解をふまえると「伝統」という言葉から受ける印象に隔たりがあることについてもあわせて指摘した。建築史・美術史研究は鳥羽のこの指摘を他の分野の事情として受け取るのではなく、「伝統」に関する論争を前提としてこれまで検討してきた作家や作品からいったんはなれ、他の事例からこの論点を検討し直すための契機として受け止める必要がある。最後に鳥羽は戦後におけるこうした運動が現在、みえづらくなっていることをあらためて指摘した上で、それを歴史としてどのように継承していくのかという問題の解決をも「戦後空間」に求めた。

Barry Bergdoll and Jennifer Gray, New York: The Museum of Modern Art, 2017.

続くケン・タダシ・オオシマの講演は「日米の建築的交流」と題し、これまで建築や都市に関する分野で扱われてきた「民衆」や「伝統」という術語を戦後の日米関係をふまえて再考した。戦後の日米関係については政治や経済、社会を扱う歴史学等において膨大な研究の蓄積があり、近年ではむしろこうした日米関係を中心とした史観を批判的に再検討する作業も行なわれている。しかしながら自らが冷戦あるいは「親米と反米」の関係に左右されていることには無言のまま抵抗しようとした、あるいは気づかなかった可能性もある建築史研究は、主に「西洋と日本」という史観から近代性を論じ成果を積み重ねてきた一方で、戦後の日本とアメリカの関係についてこれまでほとんど検討できていない。そのため今後の「戦後空間」に関するシンポジウムが視野に入れるであろう中国を含む他のアジアや旧ソビエト連邦、東ヨーロッパ、そして南半球の各地との関係と共に、オオシマが示した戦後の日米関係を探るための事例を検討することは急務であるといってよい。オオシマはまず、自身の博士論文ための調査にもとづくアントニン・アンド・ノエミ・レーモンドをはじめ ★13 、イサム・ノグチやリチャード・ヘイグ、ノーマン・カーヴァー、バーナード・ルドフスキーといった人物の来日とその際の活動を追うことで、フルブライト・プログラムやロックフェラー財団による奨学金をはじめとする文化交流のための政策が、戦後の日本の建築や都市の動向とどのように関わりあっていたのかを論じた。続いてロックフェラー3世とブランシェット・ロックフェラー、そして松本重治との関係から1955年の国際文化会館の竣工を説明し、こうした国際的な文化交流が1960年に開催された世界デザイン会議や、それにあわせて日本語が読めない読者に向けて伊藤ていじが用意した『Nature and Thought in Japanese Design』、そしてデザイン・サーヴェイへと至る海流を示した。これは同時に、共同設計した建築家たちとル・コルビュジェとの関係をもとにこの国際文化会館を作品として扱う研究や、「フランク・ロイド・ライトと日本」や「シャルロット・ペリアンと日本」のように個々の作家と日本という国民国家との関係を前提とする研究を、多極的に見直す作業であるといってよい。近年では様々な歴史家やキュレーターが戦時下の文化的な対外戦略から東アジアとの関係を視野に入れた戦後の国際文化交流に至る過程を扱っているが、建築史研究においてはオオシマが提供したこうした論点も未だ共有されているとは言い難い。なおオオシマは2011年から2012年にかけてサバティカルで東京大学を受入先として長期的に滞在したため、筆者も本発表に関わる資料の調査を共に進めた経緯がある。そしてその後、本発表と関連するオオシマによる成果は「Tectonic Visions between Land and Sea: Works of Kiyonori Kikutake」展(ハーバード大学デザイン大学院ガンド・ホール、2012年8月24日〜10月16日)とその関連書籍 ★14 、あるいは「Frank Lloyd Wright at 150: Unpacking the Archive」展(MoMA、2017年6月12日〜10月1日)などでも披露されている ★15 。

冒頭で述べた通り日埜直彦によるコメントは本稿の役割と重なるため、ここではごく簡潔にその背景にのみふれたい。日埜はこのシンポジウムでそれぞれの講演がいかに交わるのかを聴衆と共有するために、建築や都市の明治から現在までを示す巨視的なダイアグラムを用意した。日埜によるこうした史観の提示は、近年に限れば『建築雑誌』の特集「「建築家」が問われるとき:自己規定の軌跡と現在」にあわせて発表した論考「多数なる「建築家」について」(2013年11月)や「ジャパン・アーキテクツ1945–2010」展(金沢21世紀美術館、2014年11月1日〜2015年3月15日)の会場設計、その会期中に開催されたシンポジウム「ヒストリー・オブ・ジャパン・アーキテクツ」(2015年2月21日)、そして「紙の上の建築」展(国立近現代建築資料館、2017年10月31日〜2018年2月4日)で発表した論考「70年代以降という文節とその建築家」(2017年10月)などを通じて継続的になされている。そしてこのダイアグラムは、情報に関するテクノロジーと電子計算機による機械の新しさを建築物にまとわせたり、目の届く地域とのやわらかなen(縁)をつむごうとしたりする建築家たちと、かれらがそうした実践の根拠とする社会が、あくまでも過去との関係にあることをも示そうとしている。その点でいえば建築家という主体を問うこうした日埜の実践もまた、3月11日以前から続く「3.11以後の建築」であろう。日埜によるこのダイアグラムが当日の議論をどのようにつむいだのかについては、他の媒体に掲載される内容をご覧いただきたい。

4. むすびにかえて

本稿では建築史・美術史研究の概況をふまえ、これまでの成果との関連からこの催しの趣旨説明や講演の内容をまとめた。鳥羽耕史はこれまで、桂川寛や勅使河原宏らの制作を扱う際には農村や民家を、下丸子では工場や住宅地を、そして記録映画を扱う際にはダムや東京タワーなどの土木的な構造物や社会基盤(インフラストラクチャー)にも注目してきたが、その際に鳥羽が扱う多様なメディアは占領期や高度成長期、そして戦後後期を対象とした建築史・美術史研究でも検討できる。またケン・タダシ・オオシマがふれたように、丹下健三や芦原義信、内田祥哉、槇文彦、伊藤滋といった建築家や都市計画家、評論家、そして歴史家たちがGHQ/SCAPの施設やアメリカの都市を訪れた影響を含め、建築をめぐる社会的な制度も考察の対象とする必要がある。足下のフィールドと呼応しながら、様々な肌の人々との対話を求めて自らの史観を示し叙述するためのこうした方法論の検討は「戦後空間」という枠組みが担う役割の一つになるだろう。

(1) 鳥羽耕史、ケン・タダシ・オオシマ、日埜直彦、青井哲人「戦後空間の萌芽としての民衆論・伝統論(戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体)」10+1 web site、2018年2月、2018年2月17日閲覧。
(2) 佐藤道信「歴史化の要件 日本近現代美術の研究史と研究課題」北澤憲昭、佐藤道信、森仁史編『美術の日本近現代史 制度・言説・造型』東京美術、2014年、837–848頁。
(3) 依田徹「美術 2016年の歴史学界 回顧と展望」『史学雑誌』126編5号、2017年5月、181–185頁。
(4) 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 、2018年2月17日閲覧。
(5) 堀田典裕「日本近現代建築史」『建築史学』66号、2016年3月、108–122頁。
(6) 稲垣栄三「戦後史をいかに書くか」『建築文化』382号、1978年8月、124–129頁。稲垣栄三『近代建築史研究』(稲垣栄三著作集6、中央公論美術出版、2007年、218–233頁)に所収。
(7) 土居義岳「20世紀日本建築の通史は書かれなかったという結末について」『建築雑誌』115巻1463号、2000年12月、54頁。なおこれに続き土居らが編集した特集「通史をどう書くか?」もあわせて参照されたい。土居義岳「本特集の編集の立場から」『建築雑誌』119巻1514号、2004年2月、30頁。
(8) 「記念シンポジウム 建築史学の戦後」『建築史学』61号、87–115頁。
(9) この点については住宅を扱う他の稿でも言及した。拙稿「住宅な戦後の私」辻泰岳、大井隆弘、飯田彩、和田隆介『昭和住宅』エクスナレッジ、2014年8月、74–77頁。
(10) 中谷礼仁、清水重敦、青井哲人(戦後建築史研究会)「戦後建築史学の射程と現代建築史研究会研究の早急なる必要性」2001年、2018年2月17日閲覧。
(11) 鳥羽耕史「ダム開発と記録映画」丹羽美之、吉見俊哉編『岩波映画の1億フレーム 記録映画アーカイブ1』(東京大学出版会、2012年5月、145–162頁)など。
(12) 鳥羽耕史「〈夜の会〉〈世紀の会〉〈綜合文化協会〉活動年表」『徳島大学国語国文学』(17号、2004年3月、14–34頁)など。
(13) Ken Tadashi Oshima, International Architecture in Interwar Japan: Constructing Kokusai Kenchiku, Seattle: University of Washington Press, 2009.
(14) Ken Tadashi Oshima ed., Kiyonori Kikutake: Between Land and Sea, Cambridge, Massachusetts: Harvard University, Graduate School of Design; Zurich: Lars Müller Publishers, 2016.
(15) Ken Tadashi Oshima, “Reframing the Imperial Hotel: Between East and West,” Barry Bergdoll and Jennifer Gray, Frank Lloyd Wright: Unpacking the Archive, New York: The Museum of Modern Art, 2017, pp. 61–77.

布野修司《混沌》1980年。出典:佐々木宏、水谷穎介、山下和正監修『建築戦後35年史 21世紀へ繋ぐ』(『新建築』55巻8号)1980年7月、14–15頁。
同上《混沌》 部分

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辻泰岳

Written by

辻泰岳

つじやすたか/建築史・美術史。1982年生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。日本学術振興会特別研究員、コロンビア大学客員研究員などを経て現在、慶應義塾大学特任助教。芝浦工業大学非常勤講師。

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