批評|でかい商品棚

058 | 202108 | 特集:建築批評《MIYASHITA PARK》/Review : Large product shelves

村上慧
建築討論
Aug 3, 2021

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私が生まれ育った家の隣には公園がありました。外周350mほどで、藤棚を中心に南北のエリアに分かれていました。北側には小さな芝生の丘が三つと、いくつかのベンチと、雑木林のような植え込みがあります。南側は子供ならサッカーができるくらいの広場になっていて、滑り台や砂場やブランコなどの遊具も隅に並んでいました。公園ではいろいろな人々が思い思いに過ごしていて、私は何人かにニックネームをつけていました。出会うといつも「これでジュースを買いなさい」と百円玉をくれる『百円おじさん』や、セミが大好きで、セミのことなら人一倍詳しい『セミ博士』、毎週木曜日に夫婦で現れ「一緒に教会へ行ってお祈りしましょう」と子供たちを誘う『ハレルヤおじさんとハレルヤおばさん』、通行人に唾を吐きかける『唾吐きおじさん』などです。他にも1日中ベンチに座っている青年とか、井上陽水に似た声で政治問題について大声で話し続けるおじさんとか、そんな人たちが、犬の散歩をする人や、遊具で遊ぶ親子や、虫を捕まえる子供たちと同じ場所で過ごしていました。私が地元を出てからは公園で過ごす時間も減りましたが、今でも時々実家に帰ると、ボールで遊ぶ親子や、たむろする高校生の他に、1日中酒を飲んでいる老人グループや、将棋に興じるおじさんや、スピーカーで音楽を流しながら歌を歌うベトナム人のグループを見かけます(最近は多国籍化が進んでいる印象です)。つまり私にとって「公園」とはそのような、どんな仕事をしているのよくわからない人や、ここにいない時はいったいどこにいるのか見当もつかない人などを含めて多様な者どもが集まる場所を指します。学校や家庭や労働現場など、社会的に役割を与えられた場から漏れ出た人が1日中過ごせる場所です。

MIYASHITA PARKも、「PARK」という名がついているからには「公園」なのだろうと思っていました。私はこの原稿を書くために6月1日の火曜日に初めてこの場所を訪ねました。缶ビールとポテチを手に、ここで1日過ごしてみようと4階の公園部分に向かいました。最初に目についたのは監視カメラでした

その数には驚きました。数えてみたら屋外だけで64個ありました。平日の昼間にビールなんか飲んでいるところを見られて大丈夫だろうか、下手なことをしたら捕まりそうだとびくびくしながら、私は座ってゆっくりできるところを探しました。ベンチが埋まっていたので、座れそうな地べたを探しました。しかしMIYASHITA PARKは、通路と植栽部分とベンチと運動施設にきっちりと分かれていて、「適当に座れそうな、なんでもない場所」がなかなか見つからず、缶ビールはぬるくなっていきました(芝生の広場もあるのですが、新型コロナウイルス感染対策ということで入場できなくなっていました)。しかし1箇所だけ良い場所を見つけました。

ここに座り、ビールを開けてぼーっと過ごしました。MIYASHITA PARKを訪れる人はみな髪型がちゃんとしていました。しっかりくしを通していたり、きっちりと結んでいたり、ワックスで固めていたり、定期的に髪を切っている人たちでした。またここには「遊んでいる人」がいないことにも気がつきました。通路を歩く人か、ベンチに座って話したり携帯電話をいじっている人か、ボルダリング場やスケート場でアクティビティを楽しんでいる人しかいません。なにかと「禁止」や「注意」を命ずる張り紙がたくさん貼ってあるのも気になりました。

中学生の頃だったと思うのですが、実家の公園の南側に「サッカー・野球禁止」と書かれたポールが立てられたことを思い出しました。当時私は学校の友達とよくサッカーをしていたので、その「禁止」には面食らいました。しかし突然現れた謎のポールの言うことを、何年も前からここで遊んできた自分たちがなぜ聞かなければいけないのかという話を友達として、この命令は聞かなくていいだろうという結論に達しました。他の子供たちも同じ結論らしく、結果的にサッカーや野球をやめる子はほとんどいませんでした。あの時に感じた、ポールに書かれた「禁止」という言葉の無力さをよく覚えています。他の子供たちもこんな言葉は無視して遊ぶだろうと思ったし、周りの大人たちも味方するだろうという確信がありました。実際大人たちは味方してくれました。「こんなの立てて、バカじゃねえか」と。

しかしMIYASHITA PARKに貼られた「禁止」という言葉には、非常に強力なものを感じました。監視する側からしたら、人件費を割いて警備員を立てる必要もなく、ただ紙に書いて貼るだけで皆に言うことを聞かせられるので、楽だろうなと思いました。

私の地元の公園に掲げられた「禁止」という言葉の力が弱かったのは、そこに人々の共同体があったからだと思われます。しかしMIYASHITA PARKは、根のない資本主義空間に浮かんでいる場であり、そこを通り過ぎる人たちだけのための空間です。そのような場所では張り紙の言葉の力が強くなるのだと思われます。

私は「公園」だと思ってビールとポテチを持って来ましたが、とりあえず公園ではないなと思いました。ここを公園と呼んではいけないと思います。ここを公園と呼んではいけないと思います。4階にある外資系チェーンのカフェと1~3階部分の店舗、無数の監視カメラによって構成された、ここは商業施設です。「お金のないお客様は入場をご遠慮ください」という張り紙があるわけではありませんが、そう言われているような気がしました。

1階の「渋谷横丁」と名付けられた、屋台の飲み屋街を模した通りにも行ってみました。なかなかに賑わっておりましたが、私はここで飲むのは嫌だなと思いました。見世物にされると感じたからです。「古き良き飲み屋横丁っぽいところ」をつくったので、ぜひここで飲んでください。「横丁で人々が酒を飲んでいる風景」を作りたいので協力しなさい、という命令を感じました。

土日の様子も見てみようと思い、6月26日土曜日にMIYASHITA PARKを再訪しました。先ほど「商業施設」と書きました。渋谷駅側からエスカレーターで4階の公園まで行こうとすると、3階で少しUターンしなければいけないのですが、このターンが「ショッピングモール」のそれにそっくりだと思いました。1階、2階、3階と見て回りました。飲食店やアパレルショップや雑貨屋やギャラリーなど様々な店舗で人々が買い物を楽しんでいます。服やバッグが商品棚に並び、それを天井のカメラが監視しています。4階の公園には、最初に訪ねた時とは比べものにならないほどの人が集まっておりました。ボルダリング、ビーチサッカー、スケートといったアクティビティに興じる人々や、それを撮影する人、フェンス沿いの腰掛けに携帯電話を置いてティックトック用らしき動画を撮影している女子高校生や、階段を降りる子供を撮影している両親、カフェの白い外壁を背景に自分の恋人を撮影している人、カフェで買った商品を手に持ち撮影する人。ここには一体いくつカメラがあるのだろうと思いました。ここで撮影された写真は各種SNSに投稿され、人によってはその閲覧数で広告収入を得たり、そうでなくてもここで撮影したものをSNSに上げること自体が広告効果となり、投稿者のフォロワーたちを呼び寄せることでしょう。これは自分の生活を商空間に解き放つ営みと言えます。

中央の大階段のまわりには座る場所を求めた人々が集い、まるで「街コン」の会場のようでした。渋谷の路上には驚くほど座る場所がないので、MIYASHITA PARKはそれを提供しているという点では意義があると思います。

「公園」を4階に配置し、1~3階をテナントで埋めているMIYASHITA PARKにいると、土地を隅から隅まで利益を生み出すために利用してやろうという、凄まじい気迫を感じます。これは売り場面積を最大化するために商店内に棚を作ることと似ています。MIYASHITA PARKはいわば、高さ17mのでかい商品棚であると言えます。そこには文字通りの商品と、作られた横丁によって商品化された風景と、商品化された人々の生活が並んでおり、その全てをカメラが監視しておりました。

「官民連携で”公園”を整備することができる」というそもそもの勘違いが、監視カメラや各種張り紙、雰囲気による命令という軋みとなって現れていました。ここは商空間ではありますが、公共空間ではないと思いました。官と民が連携して「ニンゲンも風も花も鳥も、どうぞいらしてください」(MIYASHITA PARKウェブサイトより)と、多様性の尊重を標榜する公園を整備するという気持ち悪さは、スローフード運動が日本でも盛り上がってきた2000年代中頃に日本マクドナルドが店内トレーのチラシに「ファーストフード。そのおいしさや安心は、スローにつくられています」という文言を掲げた気持ち悪さに似ています。スローフードとはそもそも1986年に「ローマのスペイン階段にオープンするマクドナルドへの反対運動をきっかけに、Slow Foodが設立」(Slow Food Nipponウェブサイトより)されたという背景があるにもかかわらず、その当人であるマクドナルドは「スロー」という言葉を掲げて自社の営利活動を正当化しようとしました(今でこそ彼らは「スロー」という言葉は使わなくなったように見受けられますが、日本マクドナルドのウェブサイトに行くと、NHKとマクドナルドとNPOの協働による「食育の時間+」という食育教材を紹介するページがあり、これもなかなかの傲慢さを感じる代物となっています)。

私が10年ほど前に出会ったある男性は、親の虐待など家庭の事情でしばらく都内の公園で路上生活をしていました。いわゆる「ホームレス」でした。彼は路上生活を脱出して施設に入る直前に、ずっと持ち歩いていたラジオを仲の良かった19歳の路上生活者の女の子に渡したそうです。その場所が宮下公園でした。その女の子は、実の弟に強姦されるなど凄惨な過去を持っていましたが、そんなことは微塵も感じさせずに公園で明るく暮らしており「こんなのへっちゃらだよ」と言っていたそうです。その女の子はいまどこで何をしているのだろうかと思いながら、私はでかい商品棚を眺めておりました。

(写真は全て筆者撮影)

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