批評|ラフな抽象

Takuma Tsuji
建築討論
Published in
Jan 31, 2020

[202002特集:建築批評《チャウドックの家》―東南アジア浸水域の建築 -近代化の境界線上からの視座- ]REVIEW : Rough abstract

インターネットとの差

人生初のアジアはヴェトナムだった。目的は、西澤俊理さんが主宰するNISHIZAWAARCHITECTS設計の《チャウドックの家》を訪れること。建築討論(建築作品小委員会担当)の取材である。

日本でインターネットのブラウザ越しに《チャウドックの家》を見て勝手に想像していたのは、眺めの良い川沿いに建ち、施主は比較的裕福な贅沢な家なのだろうということだった。写真の印象は〈焦げ茶+細い木造+あふれる植栽=さながらアジアンリゾート〉のように見え、まさかホーチミンから車で7時間かけたカンボジアとの国境付近に位置し、すぐ裏に墓地に埋め込まれたスラムがあり、地下空間がスラムの住人の通り道としても機能しているとは全く想像していなかった。

何よりもこの地下空間は、画面越しには絶対に伝わらない種類の光の暗さと気積の大きさを持っていて、スロープを降りた瞬間に感じた、(ヴェトナムの木造というよりも)洞窟のような荘厳さは今も記憶に焼き付いている。

エントランスから地下空間と吹き抜け、スキップフロアを臨む(photo©大木宏之)

チャウドックの家の構成

《チャウドックの家》は三世帯が暮らすコレクティブハウスで、道路側からアプローチすると、地下に降るスロープと上階に登るゆるい階段がエントランスとして機能している。グリッドシステムの平面構成は梁間7,000mm(2,350–2,300–2,350の3スパン)桁行24,500mm(1,750mmの14スパン)で、3×14=42マスのグリッドから成り立っている。FLは概ね、地下からGL+0mm(洪水対策のため道路を堤防化したチャウドックは道路側と裏手で2mの段差がある)、2,000mm、3,500mm、6,000mmの4種類、そこに立体的にヴォイドとフロアが当てられていく(間仕切り建具はあるが壁はほぼない)。

形式としてはスキップフロアで、地下から屋根までの約9mの吹き抜けを象徴にして各所に吹き抜けが配され開放的な空間となっており、その地下の吹き抜け上部の屋根にはトップライトが設けられている。

一つの特徴でもある縦軸回転と横軸回転の二種類で構成される建具は外装材と同じトタンの波板で、ガラスは嵌めておらず、開けたら風と光と音が入り込み、閉めれば外界とは遮断されるがほぼ開けっ放しだという。

立体グリッドシステムが具体化する仕口は相欠き(詳細は特集・金田泰裕さんの論考を参考にされたい。)で現地の精度は高くなくばらつきがあるものの、素材そのもののラフさがあるので特に気にならない。

隣地との界壁に当たる両側の壁は真壁で化粧で竹網テクスチャーの現場内プレキャストコンクリートが嵌め込まれ、基礎に当たるコンクリートは2層目に当たる3,500mmの高さまで柱としても立ち上がり、それを基壇として木造のグリッドが載っている。

低層の周辺の建物群と馴染ませるために屋根は三つの高さのバタフライルーフ(真ん中が最も背が高く、角度はそれぞれ同じ)が組み合わさって、その間から採光と換気を取る工夫がある。

冒頭に記したがこの建築のハイライトは、道路側から入って地下へのスロープを下り、9m上から降り注ぐ光と軽ろやかな木造の架構を浴びる瞬間だ。現地の技術と素材を駆使して作られたとは思えない空間のクオリティだった。幅7–8mの道路はひっきりなしに車とバイクと屋台と人が通り、すぐ裏手は墓地群と違法スラムが混在するエリアで、あの吹き抜けの荘厳さに比較すると全く違う世界が隣り合っていた。しかし建築がその周囲に対して閉じているかというとそうではなく、建具はほぼオープンになっているので音や光や景色は入ってくるし、スラムの住人の通り道にすらなっているのだという。訪れた時は住人が地下のリビングでサッカー観戦をしていると思ったら近所の人だったそうだ。

裏手の違法住居群を臨む(photo©大木宏之)

《チャウドックの家》は概ね上記のような建築である。

コントロールできないという前提

設計した西澤さんに話を聞くと、事務所のあるホーチミンから陸路で7時間の辺境、現地の大工は日雇いという設計環境と施工体制だったため、コントロールしきれない部分をどう乗り越えるかが一つの主題だったとのこと。

チャウドックを訪れる前にサイゴンで見た西澤さんの建築はどれもほとんど外で、風や虫や音がどんどん入り込み、建築する行為が日本人より生活に近いヴェトナム人にガンガン改変され、植物はぐんぐん育つ、大変開放的な印象だった。同時に建築に入ってくるそのどれもが自分の設計意図とは別にコントロールしきれない他者であった。そういう想定外を受け入れても尚、どの建築も紛れもなく建築であった。

特に日本だと、建築家がつくった建築のピンピンな納まりのガラス面にラミネートのチラシが貼られたりすると概ね空間が台なしになることが多いが、西澤さんの建築はそういう乱暴な他者も許容するだろうと思わされる。精度やコントロールによらない抽象が明らかに存在していた。

この効果は、具体的に紐解くと、地域の技術と素材とヴォリュームと気候を設計者が設計行為によって組み直すことで発露している。

また、このラフな抽象が、地下空間の荘厳さに結びついて利用者を満足させ、道路と裏側のスラムとの世界感の断絶を助長し、また一方でアジアンリゾートとしてのメディアイメージに昇華されインターネット上で拡散され、日本のアカデミアにも届き、また施主はチャウドック2つ目のプロジェクトとして実家の改修を西澤に依頼し、そのプロジェクトに滋賀県立大学芦澤+川井研究室が協同することになり、その後川井さんの強い推薦によってこの企画が立ち上がり、我々がチャウドックという辺境にドライバー付きのレンタカーで往復14時間をかけて訪問することに結びついた。多様な他者を引き入れその世界観をそれぞれにドライヴさせることで様々な主体や要素や世界を刺激し、最終的には日本人の私がチャウドックというヴェトナムの辺境に行くという途方もない現実を、一つの現実としてこの世界に存在させた。

活力に満ちたヴェトナムで建築を考える

《チャウドックの家》から私が感じたこのラフさの結実には、明らかにヴェトナムという地勢とメンタリティが強く影響している。特に今回訪れた南ヴェトナムは19世紀のフランスの植民地時代から第二次世界大戦での日仏二重支配、あのヴェトナム戦争でのアメリカ援助を経て、サイゴンからホーチミンへ都市の名が変わり社会主義国となった。わずか半世紀前のことである。

ヨーロッパの下地とアジアの環境がそもそも混在する中でドイモイによって外部資本が流入し、ホーチミンでは一気に高層ビルが立ち並び、その足元ではエネルギーに満ち溢れたマーケットやHONDAのバイクの群れ、iPhoneアプリで呼び寄せるタクシーが街の道路を埋め尽くす。チャウドックのスラムではiPadで子供たちはゲームを楽しみながら、観光客に金をせがむ。エアコンが普及する過程にあるものの、ほとんどの家は常に外みたいなもので風や雨が抜け、人々は外でご飯を食べることをやめない。

サイゴンの路上マーケット(撮影筆者)

スラムの調査をしていて、赤の他人である我々が家や店に入ってきても特に気にしないし、道程途中に寄ったサービスエリアはとにかくでかい屋根があればあとは好きに使ってくれというラフさがあった。街全体が工事現場で花火大会を開いているような活気に満ち溢れていた。今後、資本主義の流入による近代化に歯止めはかからないだろうが、このヴェトナム人のラフさというか、様々な世界を適当に受け入れる活力はその高層ビルの足元から決して消えないだろう。

迫られる「建築」の修正

この圧倒的に活発な環境下で「建築」というアカデミアによって脈々と確立されてきた固い概念を実践するには、その概念自体を柔らかく修正せねばならない。“建築家なしの建築”を引っ張り出すまでもなく、ヴェトナムの都市の方が学んできた建築よりも(少なくとも私にとっては)大差をつけて面白いからだ。西澤さんはその修正の真っ只中にいて、私たちに多くのことを教えてくれる。コントロールできることを前提にしてきた近代的思考と計画学ではこの環境には太刀打ちできないのだろうし、コントロールできるという前提があることによって想定外の可能性は消極的なものに捉えられていく。それはそのまま近代の限界でもある。

コントロールしようと職人や施主に怒るのではなく、コントロールできないことを理知に任せて予め想定するのでもなく、コントロールできないこと自体を良しとするのだ。

その倫理を可能にする強度を持ったラフさによって暫定的に立ち上がった建築は、空間としてもメディウムとしても生活の場としても想像を超えたドライヴを起こし、そうして確立され(てしまっ)た異なる世界観を行き来する乱暴な他者を優しく許すのである。

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Takuma Tsuji
建築討論

403architecture [dajiba] / 辻琢磨建築企画事務所