批評|都市と農村をつなぐ「農村的」実践へ

061 | 202111| 特集:建築批評《落日荘》/Towards "rural / informal" practice beyond the rural and urban divide

雨宮知彦
建築討論
Nov 2, 2021

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「人が生きる上で関わる全ての事物は、何かしらの連関をもって世界とつながっている。その連関性の自覚なしに生きてはならない。」岩崎駿介・美佐子夫妻の設計・建設した《落日荘》は、こうした岩崎さんの主張が実直に表徴された建築作品である。

筆者が所属する建築学会委員会の公開研究会[1]のゲストコメンテーターを検討しているとき、「茨城の農村で20年かけて自邸を自力建設している夫妻がいる」という驚くべき話を川井操さんからうかがった。当時、恥ずかしながら《落日荘》のことは知らなかった。そこで岩崎駿介さんをゲストにお呼びしたところ、その視野の広さや覇気に圧倒された。その後、こうして落日荘を訪問する機会をいただき、文章にまとめてみるまでたった3ヶ月。岩崎さんの見据える世界のまだまだ少ししか理解できていないと思うが、私なりに考えたことを正直に記してみたい。

公開研究会での応答

上記の公開報告会において、私は自身の携わっているインドネシア・ジャカルタのプロジェクト[2]やアルゼンチン・サンマルティンデロスアンデス市のプロジェクト[3]を紹介した。共にインフォーマル居住地における環境改善実践である。インフォーマル居住地に入り込み、場当たり的な創作に彩られた空間に魅せられてプロジェクトに取り掛かるものの、次第に、その地区の生活者と同化することはできないことに気づく。その結果、いずれの取り組みにおいても、そこに住む居住者らと交流しつつも、いかに「外部者」として介入的に建築を提案できるかという一貫した向き合い方が定まった。そこで、生活者によるインフォーマルな「論理」を否定せずに、いかにフォーマルな「論理」による最小限のインフラ的介入で環境改善できるか、という視点からつくった建築について発表した[4]。これに対し、フォーマルとインフォーマルの境界面への戦略の立て方という点において、一定の評価をして頂けた気もするが、根本的には、「建築家」という専門的な枠組を脱して一人の人間としてインフォーマルのなかに入っていかなければならないのではないか、という叱咤を岩崎さんからは頂戴した。この指摘については、ある程度理解したつもりではあったのだが、その後落日荘を体験したことでより深く考えさせられることになる。

落日荘に訪れる

10月初旬の晴天のなか、茨城の八郷盆地東端の山裾にある《落日荘》を訪問した。小さな車がぎりぎり上っていける狭い坂道をのぼると、落日荘はあらわれる。最初に目に入るのは、駐車スペースを併設した門である。門がなくアプローチから連続して西の山並みを望むことができるシークエンスもありえただろうが、ここでは明快に境界を設け、安定した生活領域を確保している。建物は2棟の平行配置である。土地は予想外に起伏があり、門のあたりを頂点として西に下っている。建築は、この地形に寄り添うことなく、おおよそ地形とは関係ないプランで、時にはコンクリートの高基礎で床を持ち上げて力強く建てられている。そのことが、春秋分の落日時に顕在化する東西軸への意思を強調しており、「コの字型配列と中庭」というよりは「軸線に沿って平行配置された2棟とそのまわりの外部空間」というほうが実感に近い。

図1 南西側から見た《落日荘》。地形から持ち上げられ、フラットな床面を獲得している。

ライトが落水荘を設計するにあたり、施主の「滝を眺める家」という要求に対し「滝と共に暮らす家」を作ったという話はあまりにも有名であるが、《落日荘》にも、自然との安易な調和は見られない。太陽との連関を軸線によって表現することと、自己表現としての建築を追求すること、すなわちスケールの両極を扱うことで、地球上に人為的に構築物を作ることの責任を本質的に引き受けているように感じられる。建築そのものについては、空間構成や構造、内外部の仕上げなど、随所に創意工夫とこだわりのある、非常に豊かな建築であるが、そのあたりは既往の論考等に詳しい[5]。この建築が強く問いかけているのはやはり、広義な意味での建築の作られ方であり、つまりセルフビルドであることの意味や価値について本稿ではしっかり考えてみたい。

「マッチョな」セルフビルド

昨今、リノベーションの増加に伴い、セルフビルドの実践を目にすることも増えてきた。そこでは、モノの特性を尊重し、部材同士を無理せず(素人っぽく?)組み合わせ、その連関がそのまま表出したような建築がつくられることが多く、完成図を目指してモノを集積させ作りこまれた建築にはない、ある種の開放性を獲得しつつある。実のところ、20年かけてこつこつセルフビルドで建てられた《落日荘》でも、この種の空間性を感じられるのではないかと予想していたのだが、その予想は(いい意味で)裏切られた。非計画的なプロセス/ブリコラージュ的な手つき/小さく構えること…といった、「ナイーブな」セルフビルドにありがちなものは《落日荘》にはほぼ見られない。それは東西軸を基準にグリッドを引き、線対称に「計画」された平面図に顕著に表れている。岩崎さん曰く、建築としてはただ、当初の完成予想図をめざしてつくっているだけなのである[6]。《落日荘》でのセルフビルドの主眼は、「建築を人任せにしないで自分の力でまかなおう」という非常に単純な意思である。人と距離をとって生きることになる農村では、必然的にいろいろなことを自分でやることが当たり前となるし、費用も安く済む。専門性を脱し、自分の理想のために自分の労働力を最大限投入した「マッチョな」セルフビルドによる建築。建築表現や構成とセルフビルドを無理にリンクせず(もちろんセルフビルドならではの作られ方も随所に見られるのだが)、自力建設であることそのものに実直にフォーカスしているから、その先にある世界の事物の連関性や、都市と農村の関係など、岩崎さんの見る世界のありようが、《落日荘》のおおらかな空間とともに私たちに説得力を持って迫ってくるように感じられた[7]。

都市と農村、都市的と農村的、あるいはフォーマルとインフォーマル

岩崎さんが「都市」を批判し、「農村(八郷村)」に移住し《落日荘》をセルフビルド建設するに至った理由は上述の通り「人任せにしないで生きる」ためである。岩崎さんは(私のように)名刺に「建築家」と書くような人間のことをあえて強く批判する。つまり自分のポジションを狭い専門性(肩書)の内側に確保することで、それ以外のことへの無関心の言い訳としてはならない、という主旨である。この専門性の根拠でもある、都市と農村の関係について、私の興味ある分野でもあるので[8]、岩崎さんの主張を理解するために少し整理して把握してみたい。

図2 都市/農村と都市的/農村的によるマトリクス

まず、岩崎さんのお話を伺っていると、地理的な都市/農村と、専門性の話につながる概念的な都市的/農村的はいったん分けて扱った方がよいように思われた。そこで、それぞれを縦軸と横軸として4象限のマトリクスをつくってみる(図2)。ここでの都市的/農村的は、専門性・分業/一般教養・セルフビルドなどと言い換えても良い。はるか昔、人間は住居も衣服も食物も、自分の身の回りのものは自ら制作・調達して暮らしていたが、魚と肉の物々交換や貨幣が可能にした非同期交換の舞台として都市が栄え、やがて制作のための想像力は工業化と結びつき、品質の管理された大量生産により産業化され、安定した消費と所得を生み出すシステムとなった。人口の高密度化が可能にした職能の専門化と分業による効率的な交換システムが、都市の特徴であり、都市計画のゾーニングもそれをサポートした。このような経緯から、「専門性、分業、外注」によって物事に対処するのが「都市的」であり、「できるだけ自分で」物事に対処するのが「農村的」であると言えよう。これは冒頭の私の専門に引き寄せるとフォーマル/インフォーマル概念ともほぼ重なる。さらには所有/保有概念とも密接に連関してくるはずだが、そのあたりはまた別の機会に考えてみたい。

分業システムは人口高密度において成立しやすいから、基本的には第1象限と第3象限をつなぐ斜めの軸が自然な状態を示す。現代のほとんどの建築は第1象限に該当する。都市的なシステムを再生産するため「新しさ」の価値が高い世界である。かたや、第3象限を目指しているのが落日荘である。この象限では「新しさ」は重要ではなく、事物の連関性を読み、優しく合流する知恵や技術が求められる。第2象限は、都市の中に現れる農村的な現象であり、見つけづらいが、筆者のフィールドであるジャカルタの都市カンポン(スラム)などが該当するかもしれない。第4象限は、いわゆる農村の都市化といわれるところである。農村もほとんど都市(的)化しており、現実的には都市的なサーヴィスなくして農村の多くは存続できないだろう。

世界がほとんど第1、4象限で埋め尽くされているなかで、農村的な連関を少しでも取り戻していくこと、つまり第2、3象限へ左向きのベクトルをつくる重要性は一般的に共感されるだろう。しかし、それは偏りすぎたバランスを調整する作業であり、4象限同士の「原理的な」価値優劣はないと私は考える。専門化と分業・交換という他者に依存した仕組み自体は人間的で悪くない。問題は、交換の循環サイクルが複雑化しすぎて、「風が吹けば桶屋が儲かる」のように中間の連関性がブラックボックス化し見えづらくなってしまっている点にある。交換が搾取にとって代わり、貧富の格差や南北問題を生み、資本主義システム継続のために連関の非対称性が周到に強化されてしまっている。それに気づかずに、あるいは気づいていないふりをして生きていてはならない、と岩崎さんは警鐘を鳴らす。では、連関性を自覚したうえで我々はどういう道を選択できるだろうか。

「農村的」実践へ

岩崎さんは第3象限に没入することを選んだ。農村的であることを真剣に実践するためには農村にいるべきであるということであり、非常に説得力がある。しかし一方で、自由に居所を選択することができず、都市に生きざるを得ない人が大量にいることもまた事実である。例えば、ジャカルタのカンポンに暮らす人々は確かに南北問題や格差社会の被害者かもしれないが、一方で私なんかよりもよっぽど幸せそうに暮らしているようにも見える。簡単に移動できないからこそ、今生きる生態系を大事に保有する。代えがたい都市システムを受け入れながら、そこに「農村的」な交流や創作を日常的に楽しんでいる。私のジャカルタでの建築実践では、このように都市にありながら豊かに根付いた農村的連関の持続性にかなり期待できたため、建築そのものは相変わらず都市的でフォーマルな手つきで、最小限の躯体を介入的に建てた(図3)。

図3 メガシティの小さな躯体1

このように、都市的な介入でありながら、「最小限に」、「不完全に」建てることでその界隈に農村的な連関を引き寄せるというやり方には、手法がスケールすることを念頭に置いた場合、可能性があると思う。しかし、日本のようにあまねく都市化が浸透している状況では、インフォーマルな適応に丸投げしたところで良い「質」のものが生まれるかは現状ではかなり不透明だ。セルフビルドの教養のようなものが市民に広く身体化するとしたらだいぶ時間がかかるだろうから、時には少し作りこみすぎに見えたとしても下流までコントロールしてみたり、あるいは思い切ってインフォーマル側に飛び込んでみたりするなど、不透明な連関性に埋め尽くされた都市で、なお、その内側から農村的な連関性をとりもどしていこうという試みに粘り強くトライしていくほかない。

最近、自分の設計事務所を路面のスペースに引っ越し、歩道から1.5mくらいセットバックした空間を誰のものでもない場所として地域に供出してみた(図4)。非常にささやかな空間であるが、まずこちらから贈与してみることで、地域との連関を生むきっかけとなっている感覚が得られている。街を見渡すと、こういったささやかな実践は実はたくさんある。私たちの住む街の風景の背後に小さな連関が徐々に浸透し、魅力ある「農村的な都市」がつくられていく道筋を、私なりのリアリティのある戦略として実践していきたい。一方、こういったベクトルを後押しするうえで、各実践を正当に批評し、その質を担保していくことが重要だが、現状、建築「作品」の批評はほぼ第1象限で行われているから、その評価の枠組みもどうしても都市的な価値観に偏っているように思われる。落日荘のような建築作品をきっかけに、農村的な建築実践の質がしっかり問われるよう、批評の枠組が拡張していくことに本特集が少しでも貢献することを期待して、本稿の締めとしたい。

図4 事務所の全面に提供したスペース

注:

[1] 「都市インフォーマリティから導く実践計画理論[若手奨励]特別研究委員会」第5回公開研究会「インフォーマル居住地におけるプロジェクト実践とその展開」(2021年7月25日)主題解説:雨宮知彦、川井操 /ゲストコメンテーター:岩崎駿介、連勇太朗

[2] 雨宮知彦,岡部明子,エリサエヴァワニ(2019) 「メガシティの小さな躯体1,2」, 住宅特集, 新建築社, 402号: pp. 84–93.

[3] 雨宮知彦,岡部明子,サカイ・クラウディア,佐藤淳(2021)「斜面住宅地をつなぐ柔らかいインフラ」,SDレビュー2021出展作品

[4]ここで、「インフォーマル」という言葉について、私なりの定義を簡単に述べておく。まず、「インフォーマル居住地」というときは、土地の排他的所有権が国家によって正規化されていない居住地という意味で用いている。これは一般的に共有された定義であろう。一方、計画や設計の場面で「フォーマル/インフォーマル」と言う場合は、国家や行政による正規の/非正規の、を超え、広義の意味で用いることが多い。私は、この創作における意思決定や判断のプロセスにおける「論理」として、「インフォーマル=当事者(内部者)間の論理」、「フォーマル=第三者(外部者)による論理」と定義する。

[5] 『建築知識ビルダーズ』№35 2008年冬号の堀部安嗣氏のテキストは、落日荘をおとずれる設計者の感動を伝えるものとして非常に共感できる内容となっている。

[6] 『住む』№19 2006年秋号 建設前に描かれたという鳥瞰パースは現在の姿をほぼ正確に示している。

[7] 一方、『住む』№19 2006年秋号に紹介された、落日荘建設中の仮住まいとして夫妻が建てたビニール小屋は即物的に既製品をアッセンブルしたような家となっており、落日荘とは対照的な作り方で興味深い。

[8] 筆者は、RURALとURBANの関係を再構築したいという意味を込め、主宰する設計事務所をR/URBAN DESIGN OFFICEと名付けている。

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雨宮知彦
建築討論

1980年東京生まれ。2005年東京大学大学院修了。シーラカンスアンドアソシエイツCAtを経て、2009–2017 ユニティデザイン共同主宰、2017- ラーバンデザインオフィス代表。