文化財建造物継承への所有者の「思い」と「活用」

|070|2023.07–09|特集:建築の再生活用学

小柏典華
建築討論
Jul 31, 2023

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はじめに

埼玉県さいたま市に大規模なアトリエ村が展開されていたことをご存知の方は、どのくらいいらっしゃるだろうか。

地理的には、さいたま市浦和駅と中浦和駅のちょうど中央あたりで、さいたま市営別所沼公園のすぐ東側に広がるエリアである。浦和地区は、台地上の安定した立地から、大正12年(1923)の関東大震災による大きな影響を免れた。また東京美術学校(現在の東京藝術大学)のある上野エリアへのアクセスが良いこともあり、関東大震災によって被災した東京や横浜方面に居住していた芸術家や文化人らが一堂に会することとなった。こうして浦和エリアに集まった彼らを「浦和画家」と呼称する風潮があらわれる。

この浦和画家の1人に、奥瀬英三氏(以下、奥瀬氏)という洋画家がいる。現在、浦和エリアに奥瀬氏のアトリエが現存しており、浦和画家のアトリエ付き住宅として現存する貴重な遺構である。奥瀬氏は、明治24年(1891)に三重県上野村に生まれ、画家を目指して明治45年(1912)に上京、著名な洋画家である中村不折の門弟として学んだ。その後、太平洋美術学校の教授として活躍しながら、海軍従軍画家として中国大陸に渡中する。昭和43年(1968)に瑞宝章を受賞し、昭和50年(1975)に亡くなった★1。

図1 自宅の庭で絵を描く奥瀬英三氏(所有者提供)

奥瀬氏は昭和5年(1930)以降に自宅兼アトリエを浦和に建設し、移り住み以降制作活動を継続した。
現在このアトリエ付き住宅には、所有者の奥瀬由香さん、楓乃音さん、未来望さんが居住されている。本記事は、由香さんからのヒアリングを一部含めて、文化財所有者として直面する課題や、それに対する活用への思いも書き記しておきたい。

建築の構造と意匠表現

図2 奥瀬アトリエ配置図兼1階平面図
(芝浦工業大学建築学部建築学科 建築史・建築保存研究室 2023年7月作成)

まずは、自宅兼アトリエ(以下、奥瀬アトリエ)の建築全体像をみてみたい。奥瀬アトリエは、富山県の建築家である富永襄吉★2の手によるもので、富永襄吉の単独建築事務所にとって、最初期の住宅作品である。当初計画の青図・玄関小屋組内に存知された御幣の幣芯より、昭和5 年(1930)12月の設計と判明した★3。

奥瀬アトリエは、3棟の建築で構成される。富永襄吉による当初設計は、玄関・応接間・アトリエ・茶室のある平面中央の約10m×10mの中央の方形の主要部分と、茶の間やキッチンなど水回りを含む住居部分である。東に突出する和室や洋室は、家族構成の変化と共に増築された★4。

メインとなるアトリエには、北側全面と、さらに半間分のトップライトが設けられている。現在トップライトは閉じられているが、北側採光を目的とした大開口を必要とする、アトリエ建築の典型的な形態といえる。

当時からアトリエの壁には所狭しと奥瀬氏の作品が飾られ、随時自身の作品を入れ替えながら、絵画鑑賞のために壁面を活用をしていたらしい。北面の自然光を取り入れた大空間は、制作環境としてはもとより、作品を客観的に見つめ直す空間であったに違いない。

アトリエ部分は、2層吹き抜けのせいの高い空間となっている。中央を通る桁には、北側半分にのみ梁を2段4箇所にに架け通すことで、柱のない大空間を確保している。南側は茶室や2階の居間といった諸室を配置して構造をかため、さらに小屋裏を見ると登り梁で架構を形作っている。つまり、左右で異なる構造体を組み合わせたユニークな建築といえる。

もう1つの見所が、アトリエに隣接する応接室である。応接室は、冨永襄吉の当初設計をベースに、後に中国の伝統意匠を採用しながらを改築され現在に至る。

この内装設計は、奥瀬氏が従軍画家として渡中した経験から考案されたものと考えられる。折上格天井や室床といった日本の伝統表現を骨格にしながら、窓や扉の間仕切り装置に中国紋様、そのほかに中国から持ち帰ったインテリアを飾るのが何とも調和している。

さらに奥瀬アトリエの特徴が、その色彩表現である。応接間および玄関まわりは、ダークトーンの赤が随所に採用され空間をまとめあげるのに対し、アトリエはブルーグレー、茶室は伝統意匠で素木、と異なる諸室が隣接している。これら各色のトーン合わせや、建具の表裏に異なる色を塗布する随所の工夫からは、さすが洋画家の自宅兼アトリエといえる意匠表現だろう。

図3 玄関の外観(左)、図4 敷地南側の庭(右)(いずれも所有者提供)

以上のように、奥瀬アトリエは建築の構造的な工夫から意匠表現まで独自性を持ち、設計者の富永襄吉と、所有者の奥瀬氏の合作ともいえる建築である。未指定・未登録ながらもその文化的価値は高い。

存続の模索

浦和アトリエ村が建設されてから長らく、浦和画家のキーワードが表出されることも少なかった。奥瀬アトリエ周辺のアトリエ建築もひっそりと解体されていき、その経緯は記録に残るものもほとんどない。
そして浦和画家のアトリエとして現存する最後の1棟であろう奥瀬アトリエも、今、改めて岐路に立たされている。令和4年(2022)ごろから事情により、解体の方針が検討されるようになってきたのである。

令和4年度、さいたま市が「浦和駅周辺のまちづくりビジョン」★5を策定した。その中に「文化芸術保全活用創造ゾーン」と称する文化芸術の項目が盛り込まれている。「浦和駅周辺のまちづくりNewsLetter 第6号」★6によると、文化芸術の分野において、浦和画家の紹介とともに洋風建築が点在する都市景観を挙げている。市として建築そのものの存在意義を認識していることからも、奥瀬アトリエの存続は地域的にも重要な意味を持つものだろう。

現在の所有者である由香さんたちの意向は、奥瀬アトリエの保存活用に非常に前向きである。まさに文化財所有者の意思と努力によって支えられてきた、日本の文化財保存および活用の現場における、根本的な土台を再確認させてもらっているようである。

奥瀬由香さんは、「この地に呼ばれた感じがする」と言って建築そのものの継承を強く望んでいる。多くの建築所有者が、様々な事情から建築の取り壊しを決定する状況をみてきた筆者としては、由香さんの類稀なる情熱を感じる★7。

そのほかにも耐震状況の専門的な検討、法的規制による各種手続き、関連する市や文化財行政の担当者との打ち合わせの場の設定など、様々な課題に直面したが、できる限りのものを1つ1つクリアしてきた。建築の継承・維持には、一時金やその後のランニングコストも含めて、経済的な負担も大きくなる。特に文化財未指定の建築であれば、それだけ所有者の負担も増大していく。
建築の再生活用には、それだけ乗り越えるべき課題が山積みなのである。

奥瀬アトリエは一時期、曳屋(ひきや)により敷地の南東隅までアトリエ部分を移設することで保存・展示施設として活用、残った敷地で収益を得て建築の維持費用等にあてる計画もあったが上手くいかなかった。

令和5年(2023)7月現在、移築先の候補はまだ見つかっていない。

奥瀬アトリエは文化財指定がないため、移築時には新築の建築と変わらない扱いとなる。そのため、建築基準法に則した排煙・換気・自火報などの防火防災関係の設備の付加が必要となる。移築先の検討とともに、即時再建が可能であるならば、活用を前提とした法規制をクリアする検討も必要である。

現在は経済コストとの兼ね合いから、部材単位に解体し、部材一時保管も視野に入れて建築の継承の検討を続けている。■

★1:「奥瀬英三」『日本美術年鑑』(1976,pp332–333)
★2:富永襄吉は明治23年(1890)に大阪府で生まれ、建築の道へ進んだ。明治41年(1908)に渡米し、明治45年(1912)から大正5年(1916)の4年間オレゴン大学建築学科で学んだ。卒業後から大正10年(1921)までニューヨーク・マッキム、ミード&ホワイト事務所に勤務、その後同年から大正12年(1923)までヘルムリー&コーベット建築事務所に勤務し、帰国する。
帰国後は、大正13年(1924)からの米国建築合資会社勤務、レーモンド&サイカス事務所主任を経て、大正15年(1926)に東京・富永橋本建築事務所を協同主宰するに至る。その後、昭和4年(1929)から富永建築事務所を単独主宰、昭和26年(1951)から富永石塚建築設計事務所の代表取締役を務めるに至った。
代表作に「後藤元治氏邸宅」「銀座メソジスト教会」「月本氏邸」「富山電機ビル」(国登録)「ウイスコンシン州立総合病院(グーグラー+富永襄吉)」がある。参照:堀勇良『日本近代建築人名鑑』(中央公論新社,2021年,p908)
★3:2023年度の芝浦工業大学建築学部建築学科建築史・建築保存研究室の調査研究等は、公益財団法人 文化財保護・芸術研究助成財団の研究助成による研究成果の一部である。
★4:奥瀬アトリエに関する先行研究に、窪田美穂子,安野彰,渡邊愛「浦和鹿島台に遺る奥瀬英三氏のアトリエ建築について」(『日本建築学会大会学術講演梗概集』,2002年,pp341–342)、 塩川遥「浦和アトリエ村、奥瀬アトリエに関する研究」(『芝浦工業大学工学部建築工学科2016年度卒業論文』,2017年,pp17–20)があるが、本記事では、筆者が実際に現地に訪れて感じた空間の見どころを記した。
★5:さいたま市HP参照
★6:「浦和駅周辺のまちづくりNewsLetter 第6号」(さいたま市都市局都市整備部都心整備課都心整備係、発行令和4年12月)
★7:建築の継承のために、筆者たち芝浦工業大学建築学部の建築史・建築保存研究室の調査実測および研究に多大なる協力も頂いている。

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小柏典華
建築討論

おがしわ・のりか/1989年生まれ。博士(文化財)。日本女子大学住居学科卒業、東京藝術大学文化財保存学専攻修了、東京藝術大学助手を経て、現職は芝浦工業大学 建築学部 准教授。専門は、建築史・庭園史・文化財保存。趣味はスキューバダイビング。