斎藤幸平著『人新世の「資本論」』

「鎮痛剤」と距離をおく(評者:深和佑太)

深和佑太
建築討論
Jan 20, 2022

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今回、紹介するのは新書では異例の40万部を超える売り上げとなった斎藤幸平著『人新世の「資本論」』である。本書においては、経済成長や市場拡大を前提とした気候変動対策には限界があり「脱成長コミュニズム」という概念によって社会を変革する必要性が語られている。著者は、資本主義が絶え間ないブランド化や広告が生む「無限的な価値の創出」によって支えられており、脱成長社会においては本来の商品そのものの「使用価値」(有用性)に立ち返るべきであると説く。確かに、資本主義を批判する本書ですら過剰な売り文句が載った全帯に巻かれ購買意欲を喚起しているのだから、資本主義の節操のなさは相当なものである。マルクスは「宗教」を資本主義の苦しみを和らげる「大衆のアヘン」(ここで言うアヘンは鎮痛剤としての意味合いが強い)であると指摘したが、著者は冒頭で「SDGsは現代版『大衆のアヘン』である」と喝破する。「人新世」の時代において気候変動に対処し人類の文明を存続させていくためには、鎮痛剤の使用に頼らず本質的な病根を解消する必要があるという。

帝国的生活様式という言葉がある。ウルリッヒ・ブラントとマルクス・ヴィッセンが定義した「グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイル」を指す概念である。この生活様式は、代償を遠くの地域に転嫁して不可視化してしまう「外部化社会」に支えられている。東南アジアで起きているパーム油の生産のための熱帯雨林の乱開発や綿花栽培のため過酷な環境で働くインドの貧しい農民の困窮など、環境負荷や労働者の犠牲は常に周辺国で発生している。これらは、ファストフードやファストファッションといった私たちの生活に強く結びついている。「人新世」は人類の経済活動拡大により転嫁を行うための外部が消尽した時代である。著者は「無限の価値増殖を目指す資本主義システムが有限の地球資源を使い尽くすこと」が「人新世」の危機の本質であると指摘する。熱波、スーパー台風、気候変動を起因とする難民の発生およびパンデミックなど今やその危機は私たちの目前に可視化されているのである。

現在、気候変動対策として「グリーン・ニューディール」が期待を集めている。再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるため財政出動や公共投資を行い、高賃金の雇用を創出し景気を刺激することを目的とする政策プランである。持続可能な「緑の経済成長」を目指し、資本主義システムを持続するための「最後の砦」であると考えられている。「緑の経済成長」を実現するためには環境負荷と経済成長の切り離し(デカップリング)が求められる。

しかし著者は、二酸化炭素排出の絶対量を減らす「絶対的デカップリング」の実現不可能性を説く。その理由に「緑の経済成長」が順調であると経済規模も大きくなり、それに伴って資源消費量も増えるため環境負荷の削減が困難になっていくというジレンマを挙げる(経済成長の罠)。そして、生産性向上や効率化が進むと、人的資源や天然資源で今までと同量の生産物を作ることが可能になる。しかし、政治家および企業は失業率低下や利潤追求のため、雇用機会と生産量をより増やそうとする。結局は経済規模を拡大せざるを得なくなってしまい、環境負荷は削減されないという矛盾である(生産性の罠/ジェヴォンズのパラドックス)。

本書では以上のような様々な考察から、グリーン・ニューディール政策の限界が示されている。そこで、著者が提起している選択肢が「脱成長」である。著者は「平等」を横軸に、「権力の強さ」を縦軸にとった座標平面を用いて四つの未来の選択肢を示す。権力構造が強く不平等な「気候ファシズム」が第1象限、権力構造が弱く不平等な「野蛮状態」が第3象限、権力構造が強く平等な「気候毛沢東主義」が第2象限に位置する。そして、権力構造が弱く平等である社会が「脱成長コミュニズム」と名付けられ、第4象限に位置づけられている。これが公正かつ持続可能な未来社会であり、私たちが目指すべきものであるという。

四つの未来の選択肢(p.281:本書引用の上、評者が再作成)

脱成長と資本主義の両立(脱成長資本主義)は不可能である、ならば新世代の脱成長論はよりラディカルな資本主義批判としてコミュニズムの考え方を摂取しなければならないと著者は主張する。そこで、脱成長論とコミュニズムを統合した「脱成長コミュニズム」が導かれるのである。

脱成長コミュニズムを無条件に受け入れることは簡単ではない。しかしながら、そのような機運が高まる社会において「どのように建築が存在すべきか」について議論を進めておいても無駄ではないだろう。

マルクスは「労働は『人間と自然の物質代謝』を制御・媒介するものである」と説いた。資本はより多くの価値を得るため、物質代謝を撹乱してしまう。そのため、自然の循環に合わせた生産が可能になるよう、労働を変革することが環境危機を乗り越えるため決定的に重要であるという。一方で、資本主義のレールの上で技術革新(ジオエンジニアリングや二酸化炭素貯留など)を進めることにより、持続的な経済成長を求める「加速主義」も注目を集めている。それに対置されるのが、経済成長をスローダウンさせることをコンセプトとする「減速主義」である。本書では、減速主義の文脈の上で「生産と労働の転換」が定式化されている。ブランド化や広告によって生み出される商品の「希少性」より「使用価値」(有用性)を重要視すること、労働時間の短縮、画一的な分業の廃止および生産過程やインフラ、天然資源を「社会的所有」によって民主的に管理することが脱成長コミュニズムの柱として提案されている。マルクスの考え方をもとにすると、建築家/建築設計者を「物質代謝のチューニング」を行う職能として捉え直すことができる。今後は「加速主義」と「減速主義」の両観点を踏まえて、建築の計画・生産の場を再構築していくことが求められるだろう。

次に、脱成長の社会における「技術の介在のしかた」について議論を進めたい。本書において度々登場する「開放的技術」と「閉鎖的技術」という視点で建築を捉え直すことで、将来の来るべき建築のあり方を照射することができるだろう。アンドレ・ゴルツは「利用者を奴隷化し生産物ならびにサービスの供給を独占する技術」(閉鎖的技術)」と「コミュニケーション、協業、他者との交流を促進する技術(開放的技術)」を区別する。人々を持つ者と持たざる者に分断する技術ではなく、人々が自律性を発揮し自由に生き方を選択するための技術がサステナビリティを基調とする社会において重要になると考えられる。これらはイヴァン・イリイチの「脱学校論」★1や「コンヴィヴィアリティ」★2、ピーター=ポール・フェルベークの「技術の道徳化」★3における議論とも親和性が高い思想だろう。

居住者が室内で快適に生活を行うためにはエネルギーが必要であり、それは火力発電や原子力発電などの閉鎖的技術の代表例によって支えられている。一方、地域単位で適切に管理された再生可能エネルギー発電といった開放的技術の台頭が期待されており、将来の建築設計に大きな影響を与えることが予測される。しかし、太陽光発電であっても森林伐採や自然破壊等の大規模な開発を伴うメガソーラーは閉鎖的技術となってしまう。利用者がその性質を理解し、規模や使用方法を自由に選択できる形でなければ開放的技術として再生可能エネルギー発電を普及させることはできないであろう。

加速主義的な気候変動対策として、ジオエンジニアリングや二酸化炭素貯留があるが、これらは閉鎖的技術であり市民を巻き込んだ施策にはつながらない。建築においては「既存建築のリノベーション」「オープンソースの技術を用いた都市・建築環境の設計」「セルフビルドが可能な建築」などが開放的技術の好例であり、これらは専門家の支援のもと、非専門家も容易に実践することができる。このような技術の介在によって、市民が減速主義的な社会における環境を自律的に構築していくことができるだろう。また、減速生活者(ダウンシフター)と呼ばれる減速主義的な価値観を持つ人々が増えており、彼ら/彼女らのために建築ができることは多分にあるように思う。環境危機が迫る社会においては、建築家/建築設計者が「閉鎖的技術」や「鎮痛剤」との間合いをはかりつつ「物質代謝のチューニング」という重要な役割を誠実に果たすことが求められる。そのような姿勢の先に、現代的な価値観と崇高さを伴った建築が建ち現れるであろう。

★1:イヴァン・イリイチ, 東洋・澤周三訳『脱学校の社会』東京創元社,1977年.

★2:イヴァン・イリイチ,渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』筑摩書房,2015年.

★3:ピーター=ポール・フェルベーク,鈴木俊洋訳『技術の道徳化: 事物の道徳性を理解し設計する』法政大学出版局,2015年.

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書誌
著者:斎藤幸平
書名:人新世の「資本論」
出版社:集英社
出版年月:2020年9月

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深和佑太
建築討論

1995年長野生まれ。2019年首都大学東京大学院修士課程修了。2019-2020年レビ設計室/中川純+池原靖史設計室。2021-2023年早稲田大学建築学科助手。2023年早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。2024年より日本工業大学建築学科助教・博士(工学)。専門分野は建築環境学、担当作に「E邸」「部分断熱の家」