服部伸編『身体と環境をめぐる世界史:生政治からみた「幸せ」になるためのせめぎ合いと技法』

せめぎ合う喧騒を聴取する(評者:長谷川新)

長谷川新
建築討論
Apr 30, 2021

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服部伸編『身体と環境をめぐる世界史:生政治からみた「幸せ」になるためのせめぎ合いと技法』

ものすごく長いタイトルがすでに、本書の議論の複数性を、共同研究会の成果論集というフレームを、現実におけるさまざまな事象それ自体の多角形の角の多さを体現している。『同志社大学人文科学研究所研究叢書LⅧ 身体と環境をめぐる世界史:生政治からみた「幸せ」になるためのせめぎ合いとその技法』。「生政治」という概念が共通の分析主題として与えられているが、全体は決して均された「円」になっておらず多角形としての姿をとどめている。あくまで本書は「論集」である。それぞれの研究成果は3つに大別される。第一部「身体と環境への介入」、第二部「介入に抗する人びと」、第三部「マニュアルから見える介入と抵抗の技法」。あらかじめ断っておくが、本稿では個別の論考には直接触れない。研究の関心からピンポイントで特定の論考を読む読者以外を想定して、多角形としての論集それ自体を概観したいと思う。

各論考は食を遡上にあげたものが目を引くが(食権力論、食改善運動、禁酒運動と発酵技術、自然療法医の食と健康)、それ以外にも、医療に関するもの(ホメオパシー、オーファンドラッグ(採算がとれず研究が進まない希少性薬品)、医療倫理マニュアル)、ケアについてのもの(子どもの強制保護、知的障害児の母親、知的障害者のコミュニティ、老い)があり、衛生概念の検討や移動の自由、死体遺棄問題、退化論、あるいは近代「植民地」における人と森林の付き合い方など実にさまざまだ。いずれも刺激的な論考ばかりであり、研究の実直な足取りを存分に享受することができるだろう。これらのテクストを「生政治」の具体例としての位置にとどまらせてしまっては、「生政治」を万能のキーワードとしてしまうことになりかねないほどである(たとえば宝月理恵のように生権力概念を無闇に歴史分析に使用することに慎重な姿勢を見せる執筆者もいる)。

また、第三部の「マニュアルから見える介入と抵抗の技法」が特徴的に感じられるが、これはもともと身体・環境史研究会による『「マニュアル」の社会史』(服部伸編、2014年)という前作の問題意識を引き継いだものであるためだ。「真理」を生産する装置としてのマニュアルに着目する視点は大変ユニークではあるが、そのほかにも本書には行政文書や新聞、読者との双方向性をもった雑誌といったさまざまなテクストから「「幸せ」になるためのせめぎ合いとその技法」を析出しようとする姿勢が見られる(なお、文書の物質的側面(書き込めてしまう、かさばる、そもそも安定的に紙が必要、など)に注目した研究論集としては『国立民族学博物館論集⑤ 近代ヒスパニック世界と文書ネットワーク』(吉江貴文編、悠書館、2019年)が興味深いのであたられたい)。

近年興隆を見せる「感情史(感情の歴史学)」にも共通することであるが、原則として、過去となった時空間から個別の生を汲み上げることは困難を極める。研究者たちはその前提をこれ以上ないくらいに自覚している。したがって研究は不十分さの外部に向かうのではなく、不十分さの内部に豊穣さを見出すところから始まる。従来研究対象の中心に現れてこなかった膨大なテクストの山に一度気づいてしまえば、むしろやるべきことがあまりに多く、優先度の吟味が求められる領域に身を置き直すこととなる。フーコーが「汚辱に塗れた人々の生」というテクストのなかで夢中になったと綴ったのは、全き無名の人々の「取るに足らない人生」が数行ほどで記された「収監誓願承認文書」であった。犯罪、姦淫、暴力を告発され、権力という「別のところからやってきた光」に照らされることがなければ決して残ることがなかった「矮小なる生」。本書もまた「強者」による既定路線の歴史から外れたところで歩みを進めようとする。

他方で、本書の序論では次のような人間の業も強調される。「統治者たちは、人びとに対して、自らの施策が人びとを幸福に導くということを強調し、人びともまた、その利点を認めて、主体的にその誘導に従う。あるいは、監視や操作の不足に不満をもち、統治者の不作為を批判し、監視や操作の充実を要求する」(p.17)。現実には「自粛を要請する」といった校閲者のプライドをへし折るをような言い回しの濫用さえあったわけだが、生政治の「誘導」という機能を強調する編者の姿勢には、人びとの半ば管理し半ば管理されたいという欲望へのリアリティと危機感がうかがえる(本書がパンデミックのなかで編まれていったこともあり(あえてこう書くが)編集者の浮足立つ様子が生々しい)。

自縄自縛ともいえる「生政治」の巧妙な機能を解析する本書であるが、筆者が通読するなかで存在感を増していったのはその外部にいるような人びとであった。前年比85%減の人出であったという箱根駅伝の応援にかけつけた「15%」の人々の生について、深夜営業を続けるカラオケ付きの飲み屋で「うっせぇわ」のサビの高音の出なさを恥ずかしがりながら歌うあの人たちについて、その関係性のなさに耐えながら、私たちはどのように思考可能だろうか。「誘導」に目もくれないような、あるいは「管理」からふるい落とされているような生に対してどう肉薄しうるのだろうか。これらの問いが本書の議論のレイヤーをひとつ繰り下げたところにあることは理解している。それでもなお筆者にとって本書は、「史学」として個別の生を問うことの可能性を信じさせてくれる一冊であった。

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書誌
編者:服部伸編
書名:身体と環境をめぐる世界史:生政治からみた「幸せ」になるためのせめぎ合いと技法
出版社:人文書院
出版年月:2021年2月

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長谷川新
建築討論

インディペンデントキュレーター。主な企画に「クロニクル、クロニクル!」(2016–2017年)、「不純物と免疫」(2017–2018年)、「STAYTUNE/D」(2019年)、「グランリバース」(2019年-)、「約束の凝集」(2020–2021年)など。国立民族学博物館共同研究員。robarting.com