木を生かしてつかう大工技能の本質──どこまで記号化され継承できるか/ 持続可能な森林利用を目指して

042|202004|特集:大工職人のテクノロジー──大工の熟練技能は現代にいかに生かされるべきか

安藤邦廣
建築討論
17 min readApr 1, 2020

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大工の板図に記号化が集約されている

今日、プレカット機械の普及によって、90%以上の木造建築はプレカット加工された部材でつくられるようになった。その接合部は、補強金物による場合もあるが、ほぞ、蟻、鎌などのいわゆる継手仕口の加工も容易で、追掛大栓継といった高度で複雑な継手もプレカット機械で加工できるように進化している。したがって、補強金物で接合する現代の木質構造はもちろんのこと、伝統的な継手仕口を用いた木組みの木造も、プレカット機械によってつくることが可能となっている。その結果、今では大工の仕事といえば、プレカットで加工された部材を現場で組み立てること、そしてそれに造作仕上を施すことが中心となっているのが現状であろう。大工技能の本領とされる、規矩術を用いた墨付け、あるいは、鑿(ノミ)や鉋(カンナ)を用いた加工も、ここにおいては不要となっており、その技能の継承も危惧されている。

このようなプレカット加工が急速かつ円滑に普及した背景のひとつには、そもそも、大工技能とは、ある種記号化された技術体系であり、その延長としてプレカット加工機械が用いられていることを指摘しておく必要がある。さらに、大工技能の要と言われる継手仕口も、その寸法形状や使用箇所もほぼそのままプレカット機械加工に受け継がれていることからも、大工技能を機械加工に置き換えたものであることがわかる。

その記号化された体系は板図に集約されているといえる。板図とは、大工が描く設計図である(図1)。そもそも大工といえば、木材を加工して組み立てる施工者である前に、間取りや矩計(断面詳細図)を決める設計者でもあったから、建て主の依頼に応じて、間取りと架構を決めて家や堂宮を造ってきた。大工の設計は1間を基準寸法としたグリッドプランであり、半間(3尺)のマス目状に柱を配置することで間取りが決められる。その座標軸にはX方向には右隅から左へと一、二、三、Y方向には、上から下へ、い、ろ、は、(下から上の場合もある)の番付が振られ、3尺のマス目すべてに番付が与えられる。その原点が、いの一番というわけである。板図には、この間取りを基本として、床伏図、梁伏図、小屋伏図という具合に、横架材が組まれる面(レイヤー)として、そこに配置される横架材の全てが描かれる。またそこには、横架材の接合箇所、その重なりや勝ち負けについて、全て表記される。さらに、小屋伏図は、小屋組が和小屋組として二重三重に梁が幾段にも重ねられるので、その面ごとに一の小屋、二の小屋、三の小屋と伏図が作成される。屋根勾配に応じて小屋束の長さが計算され、その長さ寸法も全て記載される(図2)。これで全ての構造部材、すなわち、土台、大引、柱、桁、梁、小屋束、母屋、棟木、全てに番付が振られ、それらの寸法形状をそこから求めることができるのである。この板図をもとに大工は各部材の断面寸法と長さを得て、適切な継手仕口を選択し、1本1本加工するのであり、それらの部材全て、柱には建つ位置の番付、横架材にはその両端に接合される箇所の番付が書き込まれる。それらの加工された部材を現場で集めて、番付を元に、小住宅でも何百という構造部材を間違いなく組み立てることができるのである。さらに、大規模な建物になれば、この板図があれば、多くの大工がその情報を共有して、分担しての墨付け、刻みを容易に確実に行うことができ、現場ではそれらの部材を集めて、また全員が共同で建て方が確実にできるのである。場合によっては、墨付け、刻みにまったくかかわっていない手元大工であっても、番付と継手仕口を見れば、間違いなく建て方ができる。このような建て方の現場においては、板図を作成した大工棟梁は、現場でただ見守るだけで、なかば自動的に建て方は行われ、建て方当日に鋸(ノコギリ)や鑿をもって修正するようなことがあれば、一流の大工とは言えないのである。

図1 気仙大工の板図(岩手県陸前高田市)
板に墨で大工が描く。3尺間隔に通り芯をXY両方向に引いて、X方向は右から左にい、ろ、は、Y方向は上から下に一、二、三、と番付する。その交差部に柱を建てて、間取りが決められる。ここでは、その上に重ねて梁伏図も描かれている。梁の元末が記号化されて示されている。加工済みの部材には墨で印をして確認しているのも分かる。
図2 小屋束一覧表
板図を元に小屋束を拾いだす。曲がった梁を用いるので、小屋束の長さは全て異なる。それを割り出すために、陸墨からの下がり寸法が記載してある。

このように板図に示される大工技能は、まさに高度に記号化された技術体系そのものであって、日本で大工といわれる者に共有されている普遍的な技術なのである。したがって、これを下敷きにしてプレカット加工に応用することは、容易なことであった。設計者による平面図や断面図を元に、プレカット工場のCADオペレーターが、大工すなわち板図にかわって各伏図を作成し、各部材に番付、機械加工が施され、それを組み立てるという合理化が短期間でなし得たのである。

丸太や曲材の活用に大工技能の神髄がある

進化を続けるプレカット機械であるが、未だ手の届かない大工技能の世界がある。それは、丸太の柱、あるいは曲がった梁を組んだ架構は、未だ機械加工には手に余り、こういった部材を用いる場合には、現在でも大工による墨付け加工が必要となる。さすがに、全ての部材が丸太や曲がった梁であることは草庵茶室を除けばまれであるが、象徴的な柱に丸太を、あるいは大空間をつくる架構に曲がった梁を用いたいという設計は、現代にも要求は少なくない。そのような場合には、プレカット工場において、熟練の大工数名が配置され、その部分についてのみ、墨付けと手刻みを行って、プレカット加工された部材と整合させて建て方を行うという方法がとられている。この機械と熟練した大工の連携が円滑に行えるのも、プレカット加工が大工技能を下敷きにし、その延長にあるからに他ならない。大工の数が多い時代には、要となる部分のみを熟練した大工が、部材の仕上げやホゾ加工などのルーティンワークは弟子や手元が担うという役割分担であった。大工の不足する現代においては、それを機械が補っているとみるこができる。このような熟練大工とプレカット加工の融合は、現代の新たな木造架構の可能性をひらくものと期待できる。そこに大工技能の継承の可能性も残されている。しかしながら、これらの熟練大工が後継者なく高齢化が進めば、高度な墨付けや手刻みの技能は、継承できる可能性は限られたものになると言わざるを得ない。

丸太や曲材を用いた加工技術は、大工技能の神髄とも言われ、熟練した大工の経験によってつくられるものではあるが、実はここにも、合理的である種記号化された技術体系が基本となっているのである。例えば、江戸時代を通じて、日本各地で発達普及した民家造の最大の特徴は、曲がった松梁を縦横に組んだ梁組にある。松は、稲作農耕文化を支える肥料、燃料、用材を供給する資源として大量に植林された。そしてそれは、荒れ地に強く、成長が早い。がけ地や海岸などに卓越して生え、強風や豪雪に負けずに立ち上がり、結果として曲がりくねって育ち、曲げ強度が高い。大量に得られるが、まっすぐな材料はほとんどない。このような曲がった松の特性を生かして、梁を縦横に組むことで、重い屋根荷重を支えるとともに、水平剛性を高めた小屋組を構成し、貫構造とあわせて耐震構造をつくりあげたのである。

この松は、数十年で伐採更新を繰り返す利用がなされてきたので、直径1尺前後の丸太で小屋組が構成される。3間の梁間が民家では必要となり、松梁を二重三重に重ねた小屋組が考案された。平面で見ると、梁間、桁行両方向に1間間隔に梁が配置され、結果として1間格子の梁組となる。このような縦横重層した梁組の交差部の接合は、全て渡り腮に大栓打ちで組まれることを原則とし、束を建てることはよしとしない。それは面剛性を高めるためである。また、相互に組まれる渡り腮に大きな断面欠損がないことも原則となる。このような曲がった松の梁組は、梁算段と言われ、大工の最も高度な技とされてきた。松梁は、上下にも左右にも大きくねじれ曲がったものを、その断面を多角形に手斧で丁寧にはつり仕上げてある。長いものになると、元末で2倍以上も太さは異なる。その梁を隙間なく断面欠損なく、いかに組むのであろうか。

まず、松は曲がりの大きい方を鉛直方向に向けて用いる。そして、大工は、曲がりくねった梁に桁上端の基準線となる陸墨を打つ。松は曲がりが大きく、元と末をつないで1本で端から端まで通せない場合が多いので、曲がりの頂部に及ぶまで、一定の間隔をおいて何段か水平の墨を打つ。その上で交差部における上下の曲がりの大きさを予め測定する。そして用意された松の中から、曲がりの大きさの合うものを選んで縦横に組むのが、梁算段と言われるものである。その上に母屋を支える小屋束を建てるが、その際に陸墨を手がかりに小屋束の長さを屋根勾配にあわせて算出する。軒桁から棟木までの勾配屋根の間に、その母屋の高さごとに水平の墨が空中に引かれていると考えれば想像がつきやすい。その間にも梁の曲がりにあわせて、水平の墨が何本も引かれているのである。すなわち、ここで曲がりくねった個別性の強い松丸太は、番付と陸墨を打つことによって記号化されたといえよう。一見すると神業にも見えるこの技は、この記号化によって、いわば誰でもこの手順をふむことで、曲がった梁を組んで、求める小屋組をしっかり組むことができるのである(図3、図4)。

図3 気仙大工の梁算段
松の曲がったタイコ梁を二重三重、縦横に組んだ小屋組。
図4 旧作田家住宅の梁組(国指定重要文化財、千葉県九十九里町、現日本民家園)
曲がりくねった松梁が縦横に組まれ、その全ての接点が隙間なく渡り腮で組まれ、しかも大きな断面欠損はない。縦横の梁は上下に重なるだけでなく、編んで組まれている。曲がりくねった松を生かして余すところなく使い切るのが、大工技能の神髄。

この梁算段において要となる技能は、曲がりくねった梁に水平の墨を打つ技である。空中に糸は張れても、曲がった梁に陸墨を打つのは容易なことではない。これは、曲がった梁の元と末に墨のついた糸をぴんと張って、それを強く引いて弾いて、墨を曲がった梁の曲面にまっすぐに打つのである。これを墨を飛ばすという。これこそが松丸太を縦横に組む隠れた技なのである。これによって、松材の自然の曲がりを生かして、元から末まで余すところなく使い切る。それが、松林の持続可能な利用につながったのである(図5)。

図5 松丸太の小屋組(茨城県筑波山麓)
曲がった松丸太に陸墨をうって、束の長さを割り出し、勾配にあわせて小屋を組む。

杉の中大径材と大工技能を生かす建築とは何か

戦国時代から昭和半ばまで500年続いた松の時代。そこで大量に生産された松丸太も、戦後の燃料革命によって姿を消した。そのかわりに植えられたのが杉、檜の林である。特に杉林は、日本の国土の12%を占め、その蓄積は、日本の林業史上最大の量に達している。一方で、杉材の利用拡大は、思うようには進んでいない。集成材やCLTなどの工業木材の技術開発がされ、その需要拡大がはかられているが、これらの工業木材の加工歩留まりは3割程度と、極めて低い。これは、日本の林業地が山岳地帯の斜面地に多いこと、および、台風などの強風地域、豪雪地帯が多いことから、まっすぐな木材が少なく、根曲がり材や、楕円形の断面の材が多いために、直材に製材した場合に、その歩留まりが低くなるのである。集成材やCLTが、北欧や北米で高度利用が進められているのは、平地林における直材、真円の木材断面の木が得やすいという事情があってはじめて、工業木材が合理的に成り立っているということを考慮する必要がある。残りの端材をバイオ燃料として用いることが模索されているが、持続可能な森林利用をはかるためには、やはり製材としての歩留まりを高めることが基本であろう。建築として、100年、200年と使って炭素を固定することが、CO2削減に大きく寄与するのであって、端材として燃やしてしまっては、炭素排出量は±0である。

では、これから戦後植林された杉、檜の木材が、樹齢50〜60年に達し、さらに100年生の時代を迎える。つまり小径木ではなく、中大径木の時代の到来も近いのである。では中大径木の木造とはいかなるものか。製材歩留まりを上げることが大きな目的となることは、前述の通りである。また、100年かけて手塩にかけて育てた林業家の思いをはかるに、100年以上持たせる建築として使われ、それに見合う対価が戻されるべきである。今日進められている工業木材の技術開発は、均質な木質材料を量産することを目的としているが、その中大径材を利用する場合の問題点は、せっかくの良材を切り刻んで接着するため、歩留まりが悪く、コストも下がらず、山側への還元も限られてしまうことである。そして持続可能な林業も困難な状況に陥っている。

では、杉の中大径材と大工技能を生かす木造とは何か。それは、長く、太く使うことである。つまり、切り刻まず、接着せず、木を生かして組むということになる。そのことによって、歩留まり7割を目指すことができ、持続可能な森林利用につなぐことができる。樹齢100年の杉ともなれば、直径60cm以上、周りに数cmの白太(辺材)を残し、ほとんど赤身(芯材)が中心となる。赤身で構造材をとって、白太は造作材、その端材はチップにすることで、高度な利用をはかることが望ましい。杉の赤身は耐久性が高いので、100年の建築をつくるのに適切な用材となる。白太を除けば、乾燥割れも抑えやすい。

一方、この中大径材にも根曲がり材や楕円形の断面の木も少なくない。松材が日本から消えた今日、梁材といえば、剛性の高い米松や集成材が一般的となっているが、それにかわって、この根曲がりの中大径材をタイコ梁として、活用することが考えられよう。ここで檜の材料は、杉に比べれば、なお曲がった材料の傾向が強く、曲げ強度も高いので、タイコ梁としての利用にも適している。このような根曲がり材は、特に雪国に多いが、これらの地域では、伝統的にチョンナ梁または鉄砲梁と呼ばれて、重い雪荷重を支える梁として活用されてきた(図6)。これも長年培われた大工技能の知恵のひとつである。白川郷や五箇山の合掌造り民家では、このチョンナ梁を利用して、4間、5間の梁間を支える合掌造りの壮大な小屋組を発達させてきた。これらの加工技術に、上で述べた大工による梁算段の技能が発揮されていることは、言うまでもない。杉や檜は松に比べれば比較的まっすぐな材料が多いので、長物としての活用をはかれる。松は3間梁が基本であったのに対して、4間(7.2m)、5間(9m)という長物での加工も有効である。桔木や重ね梁とすれば、さらに大きなスパンを架け渡すことも可能である。このように、今後杉檜の中大径材の資源が豊富な時代は、日本の木造建築史上、古代の木造建築を除けば、まれなる時代を迎える。現代に生きる大工棟梁にとっても、その木材は未知の領域ともいえる。大工にとっても、その資源、素材と向き合うことで、新たな進化をとげるまたとない機会というのも確かなことである。

図6 合掌造りのチョンナ梁(鉄砲梁)
雪国特有の根曲がり材を生かして、アーチ状に梁組を構成する。豪雪の重い屋根荷重を支える合掌の小屋組。梁の曲がりを利用して、その力を柱に円滑に流す。

現代技術と大工技能の統合、それは木と大工技能に対する敬意にはじまる

レーモンドの木造に学ぶ

ここで大工の技能を再び考えるにあたって、大工とは、設計、製材、木取りにまで及び、それらを統合する職能であったことを考えれば、大工の職域が組み立て、造作に狭められている現状の中では、新しい技術革新を望むことは難しい。一方で、ここまで述べてきたように、大工技能は高度に記号化され、共有される技術として洗練されていることを考えれば、設計者が大工技能に精通して、それを駆使して現代の木造空間を設計することに大きな可能性が開かれている。

ここで思い浮かぶのが、アントニン・レーモンドの木造建築である(図7)。レーモンドは、戦後の日本で植林され大量に生産される安価な杉の小径丸太に着目した。いわば足場に使うような杉丸太である。これを柱梁の構造材の全てに用いて、梁間3間の簡易な合掌構造を考案し、普及をはかった。今日レーモンドスタイルと言われる木造である。これは、接合部をボルトで繋ぐという近代的な技術を用いる一方で、丸太同士を光り付けて接合して圧縮力を確実に伝えるという大工技能の高度な技も駆使したものである。それによって、ボルトで接合されたいわば倉庫のような足場丸太の建築が、数寄屋のような品格を持つことに成功しているのである(図8)。皮をむいた杉の磨き丸太は、数寄屋建築の磨き丸太に学んだものと思われるが、70〜80年経った今日においても、その輝きを増している。また、レーモンドの図面を子細に見ると、小屋組などには、構造の形状や部材寸法が詳細に書かれているが、木材については、山取りの木材を用いてよい、と付記されている。つまり、設計図面にこだわらず、そこで得られる木材の特性を生かし、大工の技量に委ねた創意工夫を求めたのである。ここにレーモンドの木造の本質がある。それは、自然に生えた木と大工の技能に対する敬意なのである。それを生かすことが建築家の技量であり度量であるとレーモンドは考えたに違いない。

図7 レーモンドの丸太構造(カトリック新発田教会、新潟県新発田市)
柱、梁、方杖を杉丸太で組んで構成。磨き丸太は50年以上経った今日でも、その輝きをさらに増している。
図8 杉丸太同士の接合部
ボルトで接合されるが、梁や斜材の小口は、丸太の柱を切り欠くことなく自然の丸みにひかり付け、圧縮力を確実に伝えている。

こうしてレーモンドは、モダニストとしての合理的な建築を目指す一方で、チェコボヘミアの森に生まれ育った建築家として、自然の木、それを生かす大工技能、それらに敬意を払い精通することで、モダニズムと大工技能の融合を成し遂げたのである。我々は、いま豊富な森林資源である杉の中大径木を前にして、レーモンドが向き合った、その資源の持続的な利用をはかること、そのためには日本に長く培われた大工技能にこそその手がかりがあると考えて見いだした方法に、学ぶ必要がある。その先にこれからの木造建築が大きく開かれている。そしてまた、建築家、構造技術者、製材加工技術者らと大工が共同することで、大工技能に活力が甦り、新たな進化が期待できる。

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安藤邦廣
建築討論

建築家。筑波大学名誉教授。里山建築研究所主宰。1948年宮城県生まれ。日本の木造伝統構法の研究。特に茅葺き民家や小屋と倉に関する研究。板倉構法の技術開発とデザイン。板倉構法による東日本大震災の応急仮設住宅と復興住宅の設計。著書「日本茅葺き紀行」「小屋と倉」「民家造」「住まいの伝統技術」他