木村純子・陣内秀信 編著『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』

テリトーリオを喰らう(評者:小南弘季)

--

テリトーリオ(territorio)とは、イタリア語で地域、領域を意味する。
「人々の手になる農業の営みやそれが結実した景観があり、町や村の居住地に加え、農業、修道院が点在する。その総体」であり、また「土地や土壌、景観、歴史、文化、伝統、地域共同体、等々の様々な側面を合わせ持つ一体のもの」である★1。

本書はテリトーリオという概念を鍵に、イタリアの建築と食にかんする学を同じ議論の俎上に編み直そうとする試みである。そしてその逆もしかり、建築と食を素材としてイタリアの風景について論じるなかで、異なる分野において培われてきたテリトーリオへの理解をすり合わせ、日本の都市と農村の再生のための理論として精緻化することをも狙っている。

かつて「食べる」ことが人間の生活あるいは社会の課題として重要でなかったことはない。飽食の時代を経験して、生活や社会のありようを見直し始めた近年においても、グローバルな持続可能性の観点から、ローカルなコミュニティーづくりやツーリズムの手段、そして生活者1人1人にとっての豊かさの象徴としてまで、食はその重要性を再び増してきている★2。

建築と食は人間の生活という共通のうつわのなかで隣り合う文化であり、古くはルドフスキーによる『さあ横になって食べよう』から、近年では京都工業繊維大学KYOTO Design Lab主催の「デザインのためのリサーチ-錦市場と京都の『食』」展など、食文化と建築文化を同じ卓の上で考えようとする試みが多くなされてきた★3。そうしたなかで都市史学者と農村経営学者の協働によってつくられた本書の凄みは一体なんであろうか。

それは第一に、テリトーリオの概念を通じて、食と空間の密接不可分な関係を大都市だけの問題とせず、中小都市と田園とのネットワーク構造とその風景(パエサッジョ)の広がりとして捉えようとする態度の表明であるということ、そして第二に、多種多様な分野の専門家が長い年月をかけて構築してきた理論をベースに、イタリアにおける具体事例をふんだんに取り上げながら風景と文化にかんする議論を展開し、学問分野を超えた対話を図っていることである。テリトーリオのエッセンスが建築と食を介して詰め込まれた本だと言えるだろう。

本書は、異なる研究分野を専門とする5名の日本人研究者とイタリア人研究者4名および実務家2名のテキストを3つのパートに編んだものである。第1部においてテリトーリオの理論的枠組みと分析概念を提示したのちに、第2部でイタリア人研究者が豊富な事例を用いてテリトーリオの発展を説明し、そして第3部ではテリトーリオ概念を取り入れた分析視角によるイタリアの料理とワインの新しい評価方法を提示している。巻末には編者2名と農業政策を専門とする須田文明氏による、テリトーリオ戦略を用いたパラダイム・シフトの可能性をめぐる鼎談が付されている。

すべての論考が色鮮やかな印象を抱かせるなかで、私がとくに注目したのは第3章「テロワール産品を通じたルーラル・ジェントリフィケーション」であった。筆者の須田氏は、フランスで生まれたテロワールの概念とテリトーリオの比較論を皮切りに、EUの農村振興政策の変遷の説明を通じ、テリトーリオの発展には市場経済と農業の多機能性の両立が必要であると主張する。たとえばキアンティ・クラシコというテロワール産品とキアンティというテリトーリオは、歴史的に外国人による市場的な価値づけによって構築され、現在も世界の富裕層によって価値付けられている。大土地所有者によるテリトーリオ経済と資本主義のバランスの危うさには注意を払うべきである一方で、並行して小規模経営者による連帯経済的な生産者と消費者の提携運動も積極的に展開されるようになってきた現状を明らかにしている。

こうした産物をめぐる複雑な社会構造が風景をかたちづくっているのだ。
わたしたちが地域社会の再生を目指し、そのかけがえない風景の維持を試みるのであれば、まずはそれらの捉えづらい実態を把握しなくてはならない。それを可能にするのが都市と田園の密接な繋がり、およびそれらが生み出す固有の産物と食をはじめとする様々な文化、つまりはテリトーリオの構造を理解することなのである。陣内氏は長きにわたるイタリアでのフィールドワークを通して、1980年代以降におけるイタリアの中小都市と田園地域の再生を目の当たりにしてきた★4。第1章「チェントロ・ストリコからテリトーリオへ」では、イタリアにおける田園の再評価とその再生の歴史的背景を整理することで、テリトーリオが地域の内発的発展を生む論理を明確に示している。テリトーリオが日本の地域再生において重要な概念となる確信があるのだ。

_

★1 陣内秀信「日本人は80年代以降のイタリア文化をいかに受容してきたか―都市の魅力とテリトーリオの豊かさの視点から(特集 日本における〈イタリア受容〉の変化:1980~90年代)」(『日伊文化研究』、57、2019年、pp.11)。バルバラ・スタニーシャ「質の良い地域産品、新しいライフスタイル、エノガストロミア・ツーリズム―アドリア海沿岸のいくつかの州におけるオルタナティブな発展」(本書第5章)。
★2 2019年には国連世界観光機関(UNMTO)と日本観光振興協会が共同で日本におけるガストロノミー・ツーリズムにかんするレポート「UNWTO Report on Gastronomy Tourism: The Case of Japan」が発表されている。
★3 バーナード・ルドフスキー『さあ横になって食べよう―忘れられた生活様式』(奥野卓司訳、鹿島出版会、1985年、原著 Now I Lay Down to Eat: Notes and Footnotes on the Lost Art of Living, Doubleday, 1980)。「デザインのためのリサーチ―錦市場と京都の『食』」(京都工業繊維大学KYOTO Design Lab、2018年3月〜4月)。またアナ・チン『マツタケ―不確定な時代を生きる術』(赤嶺淳訳、みすず書房、2019年、原著 The Mushroom at the End of the World: On the Possibility of Life in Capitalist Ruins, Princeton Univ. Pr., 2015)などの文化人類学におけるマルチスピーシーズ研究も建築学分野に大きな影響を与えている。
★4 その研究成果が、植田曉、陣内秀信、マッテオ・ダリオ・パオルッチ、樋渡彩『トスカーナ・オルチャ渓谷のテリトーリオ―都市と田園の風景を読む』(古小烏舎、2022年)としてまとめられた。オルチャ渓谷の農業をベースとする田園風景は、2004年にユネスコ世界遺産に登録されている。

_
書誌
編著者:木村純子・陣内秀信
書名:イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流
出版社:白桃書房
出版年月:2022年3月

--

--

Hiroki KOMINAMI / 小南弘季
建築討論
0 Followers

Urban History (Japan, Early Modern and Modern). Assistant Professor at the Institute of Industrial Science, University of Tokyo. Ph.D. (Engineering).