木造建築をめぐる環状ダイアグラムの収集

[201906 特集:木造建築のサークル・オブセッションズを超えて]/ Beyond Circle Obsessions on Timber Architecture

小見山陽介
建築討論
8 min readMay 31, 2019

--

環状ダイアグラムの分類

木造建築をめぐるマテリアル・フローのダイアグラムについて、木材関連企業や木造建築プロジェクトによってインターネット上に画像として公開されているものから108の事例をサンプルとして収集し、その分類を行った。ダイアグラムは欧州、北米、アジア、オセアニアの各国から集められた[1]。

環状ダイアグラムの収集

環境意識の高まり、木造建築の推進、森林経営の再興など、ダイアグラムが描かれる理由はそれぞれだが、自然の営み(森林)と人間の営み(建築)の関係をどう捉えるかという点で「円環状」という共通性を持っていた。以下に、収集したダイアグラムの形状に基づいた4つの分類を示す。実際に世の中に流布するダイアグラムを確認してもらえれば、以下のいずれかのグループに属するものが多いはずである。

【単体循環】

このグループではひとつの閉じた円でマテリアル・フローを表現している。単体循環の特徴は人間と森林が同じ循環を形作っていることにある。両者がつながっており一体であることが強調されている。

【単体循環】

【対置循環】

このグループではマテリアル・フローが自然と人間で隣り合わせに並べられている。ふたつの循環の接続点や共有部分がダイアグラムの趣旨となっていることが多い。両者がひとつながりに接続されたモデルは単体循環の亜種とも言えるが、自然と人間が対置されている点が異なる。

【対置循環】

【主従循環】

このグループではマテリアル・フローが二重の円として描かれ、自然の循環のなかに包含された人間の循環が描かれている。対置循環とは異なり明確な主従関係がある。自然の循環に対して人間がショートカットや遡行といった従循環を付与する構図となっている。

【主従循環】

【授受循環】

このグループではマテリアル・フローが直線と循環に分けられ、循環する自然から人間が資源を取り出す、あるいは循環に対して人間が操作を加えるという関係が描かれている。人間が行っている資源のカスケード利用の中での、部分的なマテリアルの循環という構図となっている。

【授受循環】

後藤豊(チャルマーズ工科大学)が指摘するように、循環型経済と木材の関係には2つの視野のレベルがある。一つは循環のサークルの中に大気中のCO2を含め、木材腐朽あるいは燃焼によるCO2の放出と木の成長によるCO2の固定を考える視野である。後藤はこれを炭素のサークルと呼ぶ。この場合、主眼は炭素そのものの循環であり、必ずしも大気中の炭素量(CO2量)を木材への固定により積極的に減らすという姿勢ではない。もう一つの視野は、大気中のCO2量を木材利用により減少させる、すなわち木材の使用量そのものを社会全体で増加させることを考慮した循環のサークルである。これを後藤は木材のサークルと呼ぶ。木材をできるだけ長期間使用することによりCO2の大気中への放出を遅らせることが重要となるため、使用期間の終了した木材の再利用やリサイクルあるいはカスケード利用に焦点が置かれるのが木材のサークルの特徴である。今回の収集事例の中では、両者は混在していた。

サークルの結節点は「建築→森林」の接続であり、そこでは必ずCO2の授受が描かれる。ただし、概念的にそれらを結びつけているものもあれば(スタートの森とCO2を吸収する森は同一ではなく、地球規模での大気の循環が前提となる)、「植林」というアクションによりその場所でのCO2吸収能力を維持する視点で描かれているものもあった(スタートの森と最後の森が同一)。

ダイアグラムにみる人間の自然理解

円環状のダイアグラムは、円卓のイメージにもあるように、その構成要素を対等な関係に見せる。しかし、樹木を分解し活用してエントロピーを増大させゆく人間の営みと、CO2を吸収し集積してエントロピーを縮小させゆく森林の営みとを等価に語ることは、現実に即しているのだろうか。ダイアグラムと現実との齟齬を見ることで、(可能性を阻んでいる)固定概念を壊す道筋が見えてくるのではないだろうか。

ダイアグラムがその時代・場所・地域における自然、人間観を示していると考えたとき、森林資源の利用を示す純粋な【単体循環】から、森林保護や地球温暖化などマクロな視点にたった【対置循環】と【主従循環】、木造建築技術の再興により森林と人間の関係の再構築を迫る【授受循環】へという思想の変遷にも見えてくる。

国や時代、スタンスによってその自然観は様々であっても、森林と人間の関係を述べる上で常に循環が付いて回っている。このことが示唆する「自然は元来循環しており、人間もその資源を消費している以上循環に寄与しなければならない」という強迫観念にも似たものは2009年ごろ広まった「贖罪エコ」という言葉にもみられる考えである。

我々が主張をダイアグラムで表す時、それを潤滑に伝えるために極力すでに浸透しているイメージに沿ったもの、応じたものをベースとする。ましてや相手取るのは「自然」という人類史をかけて生まれたイメージであるがゆえ、その束縛はより強固なものである。そうして互いがダイアグラムの参照を繰り返すうちに「円環状という固定概念」の連鎖に取り込まれてしまっているのかもしれない。実際、今回収集したダイアグラム群においても直接複製していることが見て取れるほど酷似したものが多数見つかった。

しかしこれら環状ダイアグラムはすべての関係性を描いているわけではない。なぜなら人間の活動の対象は森林だけでなく、森林が接しているのも人間だけではないからである。環状ダイアグラムには全体像ではなく部分だけが取り出されているのではないか(意識的・無意識的に省略された重要な登場人物はいないか)。例えば、京都大学に設置された森里海連関学という分野横断学群では、上流の森林、中流の人間の都市、下流の海を「水のフロー」で繋いで考え、川を介して森の栄養の恩恵を受ける漁師たちが水源の山で植林活動をするなど、フローをより巨視的に捉えた関係構築を提示している。

環状ダイアグラムでは環の各要素が対等に描かれすぎているのではないか(未解決・解決不能なことも解決できているように錯覚させているのではないか)、単純な円環ではなく、本当はもっと複雑な事物の関係性によって循環は成り立っているのではないか(円以外の関係性は描けないか)。高栄智史氏の「DEAD TREE HOUSE」(SDレビュー、2012)のように、森→工場→街と分けて理解される川上・川中・川下の三者を混然一体としたアプローチや、「Green, Green and Tropical」(建築倉庫ミュージアム、2019)で展示された東南アジアの状況のように様々な樹種や竹など多様なマテリアル・フローの重なりとして森林と建築をとらえる視点もあり得るだろう。

描かれたダイアグラムは我々の自然理解の深度と確度を示す。自然という他者とともに、我々は建築をとおしてどのような関係性を今後結んでいくことができるだろうか。

春日亀裕康(京都大学大学院修士課程)+小見山陽介(建築討論委員会/京都大学)

[1] ダイアグラムは以下の国々から集められた。フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、イギリス、アイルランド、フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、オーストリア、スロバキア、クロアチア、スペイン、イタリア、アメリカ、カナダ、インド、中国、日本、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド

--

--

小見山陽介
建築討論

こみやま・ようすけ/1982年生まれ。構法技術史・建築設計。京都大学助教/エムロード環境造形研究所。著作:「CLTの12断面」(『新建築』連載)ほか。作品:「榛名神社奉納額収蔵庫&ギャラリー」ほか。