本田晃子著『革命と住宅』

過剰で過少な、実験国家の実験建築史(評者:市川紘司)

市川紘司
建築討論
Dec 6, 2023

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著者の本田晃子はソ連・ロシアを専門とする建築史家である。これまで著作としては、ロシア構成主義の建築家イワン・レオニドフのたぐいまれな想像力を論じた『天体建築論──レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』、ソ連時代の映画に描かれた社会主義都市や建築のイメージを分析した『都市を上映せよ──ソ連映画が築いたスターリニズムの建築空間』があり、本書が3冊目ということになる。前2冊が学術論文ベースであるのに対して、本書は思想家の東浩紀が創業した「ゲンロン」のウェブマガジンでの連載の書籍化であり、内容は硬派でありながら、よりリーダブルな体裁だ。本田のソ連建築論に入門するのに格好の一冊であると言える。

内容は二部構成をとる。第一部は「革命と住宅」。1917年の革命によって生まれた、世界最初の社会主義国であるソ連における住宅の実験がつぎつぎと紹介される。とくに初期に試みられたのは、社会主義の思想にもとづく、伝統的共同体である「家族」とその「住宅」の解体であった。プライベートな領域を徹底的に切り詰め、母親に押しつけられてきた家事や育児をできるかぎり共同化・集団化する「ドム・コムーナ」、あるいは既存の都市住宅の接収と再分配によって生まれた労働者用共同住宅である「コムナルカ」。しかし、そんな壮大なプログラムはそう首尾よく進むものではなかった。ドム・コムーナは「ユートピア的な提案」と批判され、コムナルカは「赤の他人」同士が高密に住まうことで監視と抑圧の温床となった。結果、1950年代からのフルシチョフ時代には、核家族を基本単位として、プレファブ工法による効率的生産をつうじた住宅団地の建設が推進されることになる。その住居空間と生活のありさまは、皮肉にも、冷戦構造下で対立する西側諸国にきわめて近いものとなった。未完に終わった住宅の「革命」をつうじて、家族と所有という観念の頑固さが、逆説的に浮かび上がってくる。

「亡霊建築論」と題された第二部の主題は、ソ連がその誕生期から衰退期まで「亡霊」のようにメディア空間のなかに生み出してきた、アンビルト建築の系譜である。ヴェスニン兄弟やレオニドフによるロシア構成主義のぶっ飛んだ想像力とデザイン、社会主義リアリズムを代表する誇大妄想的な巨大モニュメント・ソヴィエト宮殿、ブロツキーらによるペーパー・アーキテクチュアの超絶技巧ドローイング・・・等々。とくにペーパー・アーキテクチュアの建築家の思想や来歴は日本ではほとんど知られていないこともあり、新鮮な情報が数多い。

これらのアンビルトは、ときに来るべき理想的な社会主義の世界を表現するものであり、ときに都市開発や戦争による建築の死を予言するものであった。第一部でもそうだが、著者は映画を中心としたメディアのなかに建築の姿をたくみに発見し、その意味を軽快に読み解いていく。表象文化論を出自とする著者ならではの建築分析手法と言えよう。なお、スターリン時代のソヴィエト宮殿には米国の摩天楼技術の補助が期待されていたり、つづくフルシチョフ時代に仕切り直されたソヴィエト宮殿も実現しなかったものの、その透明なガラス建築に関心した米国人企業家がニューヨークでべつのかたちで建設するなど(ジョン・F・ケネディ・センター)、これも第一部と同様、ソ連建築と西側諸国や米国との意外な同時代性が指摘されているのは興味深い。カナダ建築センターでも近年、ソ連における「アメリカニズム」のリサーチと展示がおこなわれており、冷戦構造下における東西陣営の建築交流はじつは少なくない。今後、近現代建築史をグローバル・ヒストリーの枠組みで再考するうえでは重要なポイントとなる。

本田は本書全体を「ソ連建築は常に過少であると同時に過剰でもある」と印象的にまとめている。なるほど、とくに建国初期には建築は「過剰」なほどの期待を背負っていた──住宅空間をドラスティックに組み替えることで社会主義的な「新しい人間」をつくりあげ、未来の理想社会をイメージさせる表現メディアとして。それは、建築に対する社会的期待と信頼が薄まりつつある国で建築を学ぶ人間からすれば、ある意味ではうらやましいほどだ。だが、そうした期待は、当初の期待どおりには機能しない。モニュメントは大半がアンビルトとなり、社会主義的な共同住宅であろうと西側的な団地住宅だろうと、ソ連には一貫して住宅不足の問題が横たわりつづけた。建築は結局「過少」のままであったのだ。

あえて単純化すれば、建築史には二種類の主役がいる。モニュメントと住宅だ。前者は古来、後者は近代以降の新参者の主役と言え、さらに言えば、しばしば前者はその雄々しく屹立する様から「男性的」、後者はプライベートな家庭の空間として「女性的」な建築タイプと見なされてきた。こうした固定的なジェンダー区分にもとづく建築認識が現在批判的に検討されるべきであることは言うまでもないが、ともあれ本書では、このふたつの対照的と言うべき建築タイプを表象分析をテコにしながら並列的に論じることで、ソ連という20世紀特有の実験国家の社会や思想のなかに建築を位置づけ、と同時にその逆をもおこなっている。ゼロ年代以降、政治や社会と安易に区分されたうえで論じられることの増えた建築論に違和感を覚えてきた評者にとっては、そのような本書の記述スタイルそのものには強く惹かれるものがある──あるいはそれは、評者が、ソ連と同じように政治と芸術が分かちがたく関係する中国を専門に選んだ理由でもあった。フルシチョフ時代の団地が「フルシチョーフカ」、そしてその団地政策を継承したのちのブレジネフ政権のものは「ブレジネフカ」など、「アベノミクス」のように政治リーダーの名前を冠した住宅があるという現象も、この視座からはおもしろい。

社会主義は近代とともにあったイデオロギーである。それが体制化したソ連も20世紀末には崩壊した。では私たちは、そこにおける住宅とモニュメントの実験をめぐる特異な歴史を、それ自体としてたんに興味深い「過去」として読めばよいのだろうか。そうではないだろう。本書には、21世紀を20年も過ぎた私たちが、いまなお実感をもって読むべき側面も多分にふくまれている。ジェンダー平等の社会を下支えする居住空間とはいかに設計され得るだろうか。社会や国という共同体にとって建築そして建築家が果たすべき役割とは結局なんなのか。本書で検討された問題はあいかわらず切実なままのものである。

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書誌
著者:本田晃子
書名:革命と住宅(ゲンロン叢書015)
出版社:ゲンロン
出版年月:2023年9月

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市川紘司
建築討論

いちかわ・こうじ/1985年生まれ。建築史・建築論。博士(工学)。東北大学大学院工学研究科助教。著書に『天安門広場:中国国民広場の空間史』(筑摩書房)など