来るべきアフリカ諸都市のアーバニズムを読みとく(サマリー №9)

“Rogue Urbanism: Emergent African Cities”, Pieterse, E. & Simone, A. (eds.). (2013). Johannesburg, South Africa: Jacana Media and African Centre for Cities.

杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論
12 min readOct 3, 2022

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総人口の70%が35歳以下と言われるアフリカ大陸。急速なアーバナイゼーションと経済成長に加え、「リープフロッグ現象」と呼ばれる急速なテクノロジーの発展が見込まれている。ワシントンポストのデータによると、2025年にはほとんどのメガシティがアジアに集中するのに対し、2100年には大都市のほとんどはアフリカに位置する、という予測がなされている。現に、過去15年で、エチオピアの都市人口は3倍、ナイジェリアは2倍となった。

そんなアフリカだが、諸都市の建築・都市計画に関する歴史や動向をアカデミズムの場で議論し、理論化や読解を試みる動きは、欧米諸国や先進国に比べ、まだ多くはない。その意味で、2013年に発刊された『ローグ・アーバニズム:来るべきアフリカの諸都市(Rogue Urbanism: Emergent African Cities)』は、アフリカの興隆が今ほど注目される以前から、先駆け的にアフリカの諸都市の各研究をまとめている興味深い論稿集だ。

「相対的なアーバニズム(Comparative Urbanism)」を提唱したロンドン大学のジェニファー・ロビンソン(Jennifer Robinson)をはじめ、南アフリカ大学のアブドゥマリク・シモネ(AbdouMaliq Simone)、ドミニク・マラクィアイス(Dominique Malaquais)など、アフリカ諸都市を理解するためのオルタナティブかつ複合的なアプローチの重要性を訴える議論をベースに、発刊から10年経過した現代でも重要な役割を果たす実践者、論客が名を連ねる。

Rogue Urbanism: Emergent African Cities, Pieterse, E. & Simone, A. (eds.). (2013).

「はぐれもののアーバニズム(Rogue Urbanism)」

本書は、アフリカ大陸諸都市の特殊性をアカデミアの場できちんと考察し、理論化するために発足したケープタウン大学内の研究機関・African Centre for Cities (ACC) により、研究内容の一部をまとめるために発刊された。アフリカにおけるアーバニズムについて、既存の理論的枠組みやポストコロニアルな状況を意識した読解に加え、アフリカ諸都市における日常的実践(本書では繰り返し、“Everyday Urbanism”という言葉で説明されている)と寄り添いながら、新しく適切な理論研究を生み出すことを目的としている。

African Centre for Cities(ACC)では、アフリカ大陸各国の都市・建築研究を推進するために現在でもさまざまな活動を行っている(写真 = African Centre for Cities

編者の1人、エドガー・ピーターゼ(Edgar Pieterse)はACCのディレクターであり、ケープタウン大学で南アフリカの都市政策について教鞭をとっている。もう一人の編者、アブドゥマリク・シモネは、ACC客員教授ほか、タルマナガラ大学で研究員を努める。両者ともに、ポストコロニアルの視点から、アフリカにおける次世代の都市研究者を開拓する経路を編み出そうとしている。

本書は2009年から2010年の間にアフリカ各地から集められた論考33本で構成されている。研究者だけでなくアーティストも多く参加しており、フランス語の論考や、フォトエッセイも5本収録されている。紹介されているフィールドもナイジェリア、南アフリカ、ケニアとさまざまだ。「アフリカ大陸全体を総括して把握することはできない」(p.13 Edgar Pieterse)ことを前書きで明記しつつ、アフリカの都市を理解するのに必要な、多角的な、そしてオルタナティブな視座が紹介されている。

アフリカのアーバニズム(ズ)を多角的に読み解く

本書は5つの章で構成されている。

第1章「アーバニズム(Urbanisms)」では、アフリカ大陸全体における多様なアーバニズムを再考し、その可能性を広げる幅広い理論的枠組みが紹介されている。Urbanism(s)と複数形で表記されていることも、この多様性を表現していると言えるだろう。

本章で掲載されているエドガー・ピーターゼ「知り得ないことを捉える:アフリカのアーバニズムを把握する(Grasping the unknowable: Coming to grips with African urbanisms)」では、大陸内部の多様性を前提にしつつも、その根底にある植民地の歴史やグローバリゼーション下におけるポストコロニアルな状況などに共通点を見出す。アフリカの諸都市に先進国と同じ枠組みで「秩序」をもたらすことが本書の目的ではなく、そもそもそれは不可能でもあるとエドガーは論ずる(p.32)。彼が強調しているのは、日常的実践のリアリティを把握すること、アーバニズムの質的に異なる研究のあり方、感覚的で即物的な理解の重要さだ。この章では他にも、1954年に建設され、内戦で破壊されたモザンビークのマプト(Maputo)ホテルの現在の様子を納めたフォトエッセイなどが収録されており、日常的実践や経験から都市の枠組みを紐解く重要性が説明されている。

「パリンプセスト(Palimpsests)」と名付けられた第2章では、以前に書かれたものを再利用し上に描き重ねてゆく羊皮紙のように、「現代の都市を理解するためには、歴史的な文脈を空間的に捉えることなしにはできない」という主張に基づいた論考が7本紹介されている。領域、物理的環境、分類台帳と規制システムなどの全てが、いまだに深く植民地時代に繋がっていることを、この章の論考を読むことで理解することができる。クワズール・ナタール大学の農業・地球・環境科学部の教授を務めるオルリ・バス(Orli Bass)は、「アフリカの都市性のパリンプセプト:ダーバンにおける、植民地以前とポストアパルトヘイト時代のナラティブを繋げる(Palimpset African Urbanity: Connecting pre-colinial and post-apartheid urban narratives in Durban)」という論考で、南アフリカ共和国の港湾都市・ダーバンの都市と文化、アイデンティティを、複数の時代の重層性から読み解く(p.162)。また、アフリカとブラジルの間、セネガル付近に位置する、10の島から構成されるカーボベルデ共和国の歴史読解や、俗に「ノリウッド」と呼ばれる映画産業が、ナイジェリアのアーバンカルチャーに与える影響などについても、本章では紹介されている。

第3章は、「取引(Deals)」と題されており、5本の論考から構成される。「取引」という言葉は、「経済(economy)」という言葉の限界を意味して付けられた(p.14)。曖昧なルールのなかで日々ビジネス取引が行われるアフリカの諸都市においては、「フォーマル」「インフォーマル」という図式は成り立たない(p.238 AbdouMaliq)。日々の取引の仕組みや思想を理解することは、アフリカにおいて急速に成長しつつある起業文化を理解し、未来の経済を理解するのに必要となる(p.15)。この章では、コンゴ共和国の首都・キンシャサにおける都市経済に関する論考や、ロンドン大学でアフリカ都市大衆文化について教鞭を取るジェニー・ムバイエ(Jenny F.Mbaye)による、西アフリカで音楽ビジネスに関わる起業家たちの実践、ジョアナ・グラブスキ(Joana Grabski)によるセネガルの首都・ダカールにおけるアート産業などが紹介されている。

常に変化する国家機能及び政府機能の性質に光を当てたのが、第4章の「ガバメンタリティ(Governmentalities)」である。暴力的、搾取的な国家政治が多く存在するアフリカ大陸だが、一方で、常に再編成を続ける国家政府の在り方から学ぶことは一定数ある、というのが本章の主な主張である(p.19)。パラウェイ・イスマリ(Plawale Ismali)「ラゴスにおける官民連携と都市再生(Public -private partnerships and urban renewal in metropolitan Lagos: The “good”, the “bad” and the “ugly”)」(p.365)などの論考で紹介されているのは、国家レベルだけではなく、”都市レベル”でのガバナンスの重要性とその歴史だ。

「はざま(Interstice)」と名付けれた第5章では、生まれつつあるアフリカのアーバニズムの、”はざま的性質”を読み解く論考が並ぶ。「市民(Citizens)」「市民社会(Civic Society)」「国家(State)」「政府(goverment)」といった、従来のアーバニズムで使われる用語だけでは、アフリカの実際の街のリアリティを捉えることは到底できない。物理的な都市環境だけではなく、人々の日常生活における記憶、感情、喜びや苦しみといったエフェメラルな瞬間(はざま)を捉えることが重要だ(p.397)というのが、本章の主な主張である。

タウ・タベンガ(Tau Tavengwa)と編者エドガーの共著「潮流に逆うデザイン:知識生産の政治的経済批判(Designing Against the grain: Confronting the political economy of knowledge production)」では、学問的知識生産の世界的不均衡について紹介されている。アメリカとイギリスで発刊された学問的ジャーナルの総数は、その他の世界を全て合わせた総量と同じであり、スイス1国の学問的論考の出版数は、アフリカ大陸全体の3倍にものぼる(p.457)。このような学問的不均衡に光をあてながら、そこからこぼれ落ちるアフリカ都市のリアリティやダイナミズムを捉える必要性が、ここでは議論されている。

アフリカ、というパースペクティブ

発展を続けるケニア・ナイロビ市(写真 = Julien Kober)

本書のタイトルにある「Rogue」という単語には、悪党、ごろつき、腕白者、いたずらっ子、はぐれた、という意味がある。「Rogue Urbanism」の日本訳をあえてするとしたら、メインストリームからは外れた、はぐれもの、わんぱくもの達のアーバニズム、ということだろうか。

最終章であるペプ・スビロ(Pep Subirós)著「ディストピアと希望の間(Between Dystopia and Hope)」(p.469)は、編者の一人であるエドガー個人に向けた書簡として書かれている。「アフリカの都市を考えることは、希望とディストピアの間を常に行き来することでもある」と語るエドガーに対し、ペプは、気候変動など世界規模の課題に直面する現代、アフリカだけでなく今や世界中でディストピアが都市の絶対的条件になっていると語る。

ここでペプがまとめるのが、アフリカから始まる、新しい世界のパラダイムの可能性だ。「ヨーロッパにはもはや手遅れかもしれないが、これから成長をはじめるアフリカならまだできる。懐古主義にひたるべき時代もない。地方のコミュニティ、コモンズ、インフォーマルな実践もまだ残っている」(p.470)と、ペプは語る。

アフリカの自然資源、文化資源のない世界はもはや想像できない。先進国が主導してきた世界を、「Rogue」であるアフリカが、どう変容させていくことができるのか。アフリカが、「グローバル・ノース(northern godfathers、という言葉が本書では使用されている)」(p.472)から本当の意味で解放されることが、まず最初の出発点となるはずだ。

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★Further Reading:
Lard Buurman: Africa Junctions: Capturing the City, by Chris Abani (Photographs), Chris Keulemans (Text), Lard Buurman (Photographs), N’Goné Fall (Foreword)
写真家のLard Buurmanをはじめ、アフリカの諸都市の現在の写真がおさめられた作品集。テキストだけでは分からない、成長するアフリカの生の雰囲気が生き生きと伝わってくる。

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杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論

An urbanist and city enthusiast based in Kyoto, Japan. Freelance Urbanism / Architecture editor, writer, researcher. https://linktr.ee/MarikoSugita