構造エンジニアが街場の木造住宅の改修現場で考えること

[201809 特集:木造住宅リノベーションの構造エンジニアリング~構造の新旧複合の繰り返しは何をもたらすか?~]

桝田洋子
建築討論
13 min readAug 31, 2018

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●はじめに

構造エンジニアとして、街場の木造住宅の耐震補強を伴うリノベーションに関わった事例をもとに、木造住宅のリノベーションの課題と展望を考える。対象建物は文化財ではなく市井の住宅とする。老朽化した住宅を改修するに至った経緯は千差万別だが、共通する背景には住まい手の高齢化による相続問題がある。各事例では、その背景と耐震改修の手法を中心に紹介する。

以下の論考の前に、木造住宅の構造について知識を共有しておきたい。一般的な木造住宅はその構法によって、大きく2つに分類できる。筋交いや合板などの面材を耐震要素とする在来工法と、貫や土壁を耐震要素とするいわゆる伝統構法である。両者の構造特性は大きく異なる。在来工法は概して耐力と剛性は高いが、変形能力は小さい。伝統構法は耐力と剛性は小さいが、減衰性能と変形能力が大きく粘り強い。耐震設計においては、その建物が本来備えている構造特性を把握し、生かす補強が望ましい。したがって在来工法の場合は強度型、伝統構法の場合は靭性型を目指すことが多くなる。耐力で性能を評価する在来工法は壁量計算や許容応力度計算、変形量で評価する伝統構法は限界耐力計算が用いられている。

●事例1 大阪の長屋ブームのさきがけとなったリノベーション

大阪市内には戦災を免れた木造長屋が数千棟残っている。豊崎長屋も大正時代に建てられた戦前長屋で、路地を挟んで6棟が残っていた。相続対策としてビルに建て替える計画が持ち上がる中、高齢の所有者は先代から守ってきたものを壊す決心がつかずにいた。これは大阪市立大学が研究対象とし、一緒にリノベーションに取り組んだ事例である。調査に入って驚いたのは、賃貸住宅であるにもかかわらず、借家人による改造が頻繁に行われていたことだ。古くからの住人の住戸は水周りの改変程度だったが、入れ替わりの多い住戸は柱や壁が撤去され、床が土間に替わり、壁がプリント合板で覆われていた。フランス人が住んでいた住戸は、壁や畳に板を打ち付けて白いペンキが塗られ洋館の様相だった。木は小さな工具で加工できるので、DIYで簡単に改造を楽しめることが構造的には災いしていた。

耐震補強は、現状の建物が備えている構造特性を明らかにした上で方針を立てる。骨組みを調べるために、プリント合板やペンキが塗られた板を剥がしていくと、さらにその前の住人の手で張られた薄いボードが現れ、それをめくると最後に土壁が現れた。欄間や小壁も現れた。撤去された部分もあるが伝統構法の意匠と構造要素はかろうじて守られていた。これなら再生できると判断し、耐震補強は靭性型を目指し、変形性能のある材料で耐力を増やしつつ、木造用の制振ダンパーで変形を制御する方針を取った。土壁は乾燥に時間がかかるので、新設する壁は土壁と似た性状を示す荒壁パネルを用いた。壁の大部分が撤去されていた住戸には耐震補強用に開発した耐震リブフレーム(杉板を口の字型に組んだ変形性能の高い木枠)を設置した。金物とボルトで周辺の梁や土台に固定するので取り外しができる。ダンパーもビス留めなので将来の改修も簡単だ。こうして構造体をできる限り復元し、付け足したものは交換できる形で補強を終えた。

(改修設計:大阪市立大学 竹原・小池研究室)

写真1
写真1:(上)の白い板をはずすと、(下)のように幾層にも重ねられた仕上げの下からオリジナルの土壁が現れた
写真2
写真2:改造された部屋(上)をオリジナルを尊重した意匠に戻す(下)
写真3:建築当時の床の間が残っていた部屋は改修で落ち着いた佇まいを取り戻した(糸巻豊)
写真4:ほとんどの壁が撤去されていた住戸はリブフレームで補強した(撮影:John Barr)
写真5: 塀をくぐり、小さな前庭を通って玄関へ。復原された戦前の暮し(撮影:糸巻豊)

●事例2 耐震シェルターを挿入した長屋のリノベーション

豊崎長屋のリニューアルは都心で前庭がある懐かしい借家暮らしができると評判になり、若い人たちがシェアしたいと入居待ちをするほどになった。見学者が相次ぎ、若い長屋のオーナーが、相続した長屋を同じ手法で再生したいと頼んで来られた。伝統構法の2階建ての四軒長屋で2住戸が空き家だった。オーナーが暮す住戸はリフォームを終えたばかりで、間口方向の土壁がほとんど撤去され、かろうじて残った壁は合板で覆われていた。入居者がおられる住戸については工事をしてほしくないとのことだったので、補強は2つの空き家に限定された。長屋は戸境壁が十分あるので、間口方向の壁の不足が問題になる。4住戸分を2住戸で補おうとすると間口が狭い長屋の場合は壁だらけになり住宅として成立しない。

そこで空き家の2住戸に荒壁パネルでできる限りの補強をした上で、大阪市の補助金制度を用いて、木製の耐震シェルターを空き家の住戸に1つずつ挿入した。これは前述の耐震リブフレームを箱状に強固に組んだもので、建物が倒壊したときの衝撃にも耐えることができる強度を備えている。完璧とは言えない補強だが、大地震時に耐力不足で倒壊しても、どこかに生存空間を残せることを期待した。それが予算の限界でもあった。シェルターは既存の躯体とは連結しなかったので、次の改修の際には繋ぐことができるように、接合金物を用意して、シェルターの天井に載せておいた。最初から繋がなかったのは、繋ぐと偏心するので、残る2住戸の補強と合わせてバランスよく行うことが必要だったからだ。オーナーには、空き家が埋まって資金ができたら、早めに2期工事をするように伝え、構造計算書を渡した。別の構造設計者が次の補強を担う場合も、計算書を見れば補強計画ができる。伝統構法を生かすことも、シェルターの固さに期待すれば在来工法の補強も可能だ。未来の設計者に耐震補強の完成を委ねる形で改修を終えた。

(改修設計:ウズラボ +大阪市立大学小池研究室)

写真6:耐震シェルターを入れた部屋1(撮影:多田ユウコ)
写真7:耐震シェルターを入れた部屋2(撮影:多田ユウコ)

●事例3 大正モダンの長屋を店舗にリノベーション

北浜長屋はオフィス街のビルの谷間にぽつりと建っていた。建築年は大正元年。地下1階が煉瓦造、地上1階、2階が伝統構法の二軒長屋である。相続をした姉妹はどうしていいかわからず、長らく空き家のままだった。以前は事務所として使われていて、改造が繰り返されていた。柱や壁が撤去され、鉄骨の梁で補強されてはいたが、梁がたわんで危険な状態だった。

大阪では数年前から「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」というイベントが話題を集め、モダン建築に新しい価値を見出し、活用する方法を人々が探り始めていた。その気運の中でオーナー姉妹が保存・活用する道を求めて建築家に依頼した。

敷地は道路と川に挟まれている。川側の地盤が低いので、地下といっても構造的には地上階だ。補強計画は伝統構法で考え始めたが、混構造の3階建てとなると土壁ではどうしても必要壁量が多くなる。その上、道路側のファサード以外は土壁の状態が非常に悪かった。伝統構法で再生すると工事費がかかる上に、工期も長くなる。ここでは在来工法の手法で強度型の補強を目指し、煉瓦をRC造の壁で補強し、木造部は構造用合板で耐震壁を増設した。怪しげな鉄骨の梁は撤去して健全な部材に交換し、床構面は合板で固めた。ファサードの土壁はそのまま残したが、手前の構面の構造用合板の壁が地震力を負担できるようにした。建築家は元の意匠を尊重し、合板+石膏ボードでもぎりぎり真壁仕様で納め、白く塗装したので、土壁の漆喰仕上げのように見える。構造の設計図書をオーナーに渡したが、柱は全て表わしで、耐力壁は一目でわかるので、構造設計者なら図面がなくても構造は理解できる。腐朽材は取替えたので、次の改修の機会には、新しい技術でさらに進化した補強ができるだろう。行列ができるレストランとコーヒーショップに生まれ変わった。

(改修設計:高岡伸一)

写真8:建設当時の黒漆喰で復原された外観
写真9:土佐堀川から見た外観。堤防の後ろに煉瓦造の地階が隠れている
写真10:地下の仕上げをはつると現れた煉瓦。調査で煉瓦造であることがわかった
写真11:1階のコーヒーショップ

●事例4 伝統構法の民家のリノベーション

最後は郊外の大きな骨太の民家である。柱は礎石の上に立ち、小屋裏に相当する2階は、立派なごろんぼの小屋組が表わしになっている。高齢の施主は大地震時に備えた耐震補強をした上で相続させたいと考え、大手ハウスメーカー系列の工務店に依頼した。工務店は一般的な在来工法の手法で、強度型を目指して補強方針を立てた。建物をジャッキアップしてコンクリートでベタ基礎を打設し、柱は金物で固定する。土壁の上に構造用合板を貼って大壁とし、縁側にも田の字型の座敷にも構造用合板の壁を配置した。想定以上の工事見積りと、面影が無くなった図面を前にして、相続をする娘さんが待ったをかけた。ちょうど新聞で伝統構法の構造を解説する記事を読まれ、現状を生かした改修ができるはずだとおっしゃった。そこで工務店から耐震補強設計の依頼が来た。理系のご一家だったので、限界耐力計算の理屈や地盤特性の考え方まで説明し、振動台の実験のビデオも見ていただいた。リビングは在来工法でリフォームされていたが影響は少なく、立派な差鴨居がめぐり、耐力があったので、礎石のまま、少し荒壁パネルを追加しただけで補強工事は終えた。

●課題と展望

4つの事例はどれも過去に構造設計者が不在のまま改修が繰り返されていた。柱を抜く場合は直感的に不安を感じ、梁を添えたりしているが、水平力に対する認識は少なく、柱は残しても壁が撤去されていることが多かった。リフォームは耐震補強の絶好のチャンスだが、実施されることは少なく、される場合も全体を考えて行われていない。行き当たりばったりの改造や増築を重ね、フランケンシュタインのようになった木造の現場に立つと、毎回応用問題を解く気持ちになる。構造計画には合理性のあるストーリーが必要だが、思想のない補強がされていると上書きがしづらい。何を捨て、何を残して発展させるかはいつも悩む。4つの事例の解決方法が全て異なる道理である。次のリノベーションも見越して、ストーリーは整えたつもりだ。木造のリノベーションの成功の鍵は、構造設計者あるいは構造の知識がある意匠設計者や施工者の関与を得られるかどうかに尽きる。そういう人材の不足は阪神大震災の後から課題になったままだ。

小屋裏にもぐって調査をしているとき、不思議な構成の架構に出会ったことがある。しばらく考えて、それが表の跳ね出しの架構と立体的にバランスさせていることがわかった。外からは化粧材に見えた部材が構造材として繋がっていたのだ。当時の設計者の「わかったかい?」という声を聞いた気持ちになった。構造は力学という理論の上に成立しているので、考え抜いた架構は他者にも理解できる。そういう連携を信じて現代の知恵を尽くすことがリノベーションでの構造設計者の役割だと思う。

4つの事例には共通点がある。所有者がメディアや人との繋がりを通して、必要な情報を上手くキャッチしたことだ。長屋の所有者のネットワークが生まれ、豊崎の長屋経営の成功などの情報が広まれば参考になるはずだ。既に大阪市内には長屋の再生が増えている。また古民家や古い町家の所有者にリノベーションに必要な耐震に関する基礎知識を伝えることも重要だ。4つ目の事例で施主が切り抜いていた新聞記事はわかりやすくまとめられていた。さまざまなメディアを通して情報発信をすることが必要だろう。

共通点はもう一つある。4つの建物はどれも相続財産ということだ。文化財と違って建物の行く末は所有者の判断に委ねられている。再利用は成長時代から縮小時代への転換を示す現象といわれるが、発想の原点は子どもの頃から慣れ親しんできた建築への愛着だ。事例のように再生が新たな価値を生み出す場合もあるが、結論を先送りするために、とりあえずあと10年ほど建物を生きながらえさせるための補強もある。木造の場合は比較的工事が安価にできるので、そういう構造技術の使い方もある。

木造住宅のリニューアルは個々の所有者の建築投資で行われる。空き家が店舗になり夜に灯りがともる。高齢者が暮らす長屋に若者の声が聞こえる。その街の歴史をとどめた建物が新しい個性を生み出していく。個別の耐震改修は防災に強い街づくりを担っていく。これは個人の投資による街づくりである。木造住宅のリニューアルの最終的な意義はここに行き着くのではないだろうか。

豊崎長屋と北浜長屋は、建築当時の写真などをもとに外観を復原し、ともに登録有形文化財になった。現代の住まいづくり、街づくりにつながる歴史資産である。構造エンジニアとして携わったことを誇りに思う。

写真12:空き家が埋まり、若い人たちが暮す長屋[シェルターを入れた部屋の前庭](撮影:多田ユウコ)
写真13:豊崎長屋の保存された路地と家並み(撮影:絹巻豊)

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桝田洋子
建築討論

1959年大阪府生まれ。京都工芸繊維大学工芸科学研究科修士課程修了。(有)川崎建築構造研究所を経て、(有)桃李舎を設立。代表取締役。JSCA賞作品賞、日本構造デザイン賞、日本建築学会作品選奨などを受賞。