歴史的市街地の文脈を読み直す(創造的地域文脈小委員会 ── 宿根木フィールドワーク討論記録)

Reassessing Dynamic and Unstable Context of Historic Districts/ Fieldwork and Discussion[201812特集:動的な歴史的市街地の再読]

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建築討論
26 min readNov 30, 2018

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中島:建築討論では、歴史的市街地の文脈を読みなおすということをテーマに進めてきました。日本の伝建地区はこの四半世紀で概ね倍増して、2018年末現在で118地区に増えています。1970年代の当初選定された重伝建地区のイメージとされてきたような歴史的町並みばかりではないものも増えてきているともいえます。そうした中である特定の時代に寄せていくような修景作業をしています。以前であれば、特定の時代に建てられた建築がまとまって密集していたため、それらをどのように手を入れながら保存、修景していくべきかが議論であったものが、少しずつ「新築伝統的建造物」も増えつつある状況になっています。地域文脈的には固定的な状況を生んでいるかもしれないという懸念もあります。

しかし、よくよく個別の歴史的市街地を俯瞰してみてみると、必ずしもそんなことはなくて、個別事象として面白いことが起きていたり、複雑な文脈的状況になっているものもあります。伝建制度を用いていない歴史的市街地でも特徴的な動きがあります。そこには「動き」があります。その動きを、学会創造的地域文脈小委員会では注目し、次代の創造的文脈の定着について議論したいと考えています。

本建築討論2018年12月号特集では、宿根木真壁尾道大槌町赤浜を取り上げた論考が掲載されています。今日は特集で取り上げた宿根木にて小委員会メンバーでフィールドワークを行い、そこで見えてきた論点について、討議をすることが目的です。

小委員会では今回の研究会の位置づけは地方都市の地域文脈読解のチャレンジということで歴史的市街地にフォーカスするというものでした。今日の宿根木のフィールドワークでの感想などから、どういうことを文脈として考えたらいいだろうかということを最後にまとめられたらと思います。

清野:他の地域でも見られる社会が縮小していくことが宿根木でも起こっています。町並み保存が今後も継続できるのかどうかという大きな課題があります。宿根木では30年ぐらい前に伝建選定の時には既に地域おこしのための町並み保存が議論されていました。その結果伝建選定されたが、現在も同じ課題に直面しています。この状況をどう受け止めるべきでしょうか。

この状況で伝建地区の選定によって、色々な事業が展開してきたことを今日はフィールドワークとして見てきました。伝建に選定されたのは1991年で、修理数は84件で、伝統建築物に選定されたものの全体の68%になります。修景は16件で13%です。面的に見ると、かなりの範囲で保全の手が入っていることがわかります。

■生業の移り変わり

土田:宿根木は、廻船業からはじまって、それが明治初期までで、その後農業にスライドしたということですね。現状、基本は観光業という理解でいいでしょうか。

清野:観光業としては、数軒ずつの宿泊施設と飲食店がある程度です。あとは、佐渡市の観光協会からの委託を受けた観光ガイドの方がいます。高齢者の老後の仕事になっています。基本的にはこれらが集落の中の生業としての観光になっています。

土田:宿根木の人々は、高台に移転して、家を持って暮らして、生計が成り立っていて、伝建地区の建物はどうも生活の中のオプションというか+αになっている印象ですね。高台に移転できる財力があり、集落内の家は維持して、さらに使えるならば使っていくというスタンスです。ある意味切羽詰まっていないところがある。これがあらゆる可能性を提示してくれている印象です。

清野:まず問題とされているのは、人口減少であり、仕事がないので若い人は一度出ると戻ってこないということです。若い人たちの雇用となる受け皿は佐渡にはあまりありません。一方で宿根木の町並み保存を担ってきた人たちは、佐渡で仕事を持っていて、生活の糧があって、住まいは集落の外にあって、伝建地区内に伝統的建造物を所有しているという人たちです。今私たちが宿泊しているこの宿のオーナーのように、観光に関わるような転用がされているところでは、周辺部に移転して、別に生業ももっているということがほとんどです。一方で、伝建地区内に住んでいる人たちは、必ずしも同じように余裕をもって保存に取り組んでいるというわけでもないので、町並み保全を別の文脈的視点でとらえていると思います。

土田:地区内の居住者の方たちは、基本高齢化しているとすると、主たる収入は年金でしょうか。

山口:船員の年金は普通の年金より潤沢と聞いたことがあります。

中島:船員だった人はもう大分いないのではないでしょうか。

山口:今の70代ぐらいの人たちは、宿根木で船員ではなかったとしても、日本各地で船員をしていたことは想定されます。能登半島の黒島集落という船主・船乗りの集落の伝建地区で聞いたことがあります。そこで船員年金で暮らしている方たちがいるようです。いつぐらいまで船員をしていたかというところで年代の区切りがあるかもしれません。

土田:それは宿根木の公開民家をやられている女性の祖父母世代が最後の船大工と聞きましたが、その方は造船所に出稼ぎに行っていたようです。もしかすると、船乗りの人たちも北前船廃業後も全国に散りながら仕事を続けていたことは考えられそうです。

清野:宿根木でも廻船業がなくなった後、やはり船乗りたちは北海道などあちこちに移動していったんですね。船大工たちも同様です。仕事があるところに自分の腕で食べていくために移動していったんですね。その世代がまだ生きています。

土田:今現在高齢者の方たちは、その流れの中にいらっしゃるということですね。

写真:宿根木フィールドワーク風景

■空間システムと社会システムのずれ

山口:空間は集落内部ではきちんと残されています。修景事業による真正性がどうかという議論はあると思います。それは置いておいても、社会システムとどれだけリンクしているかということは先ほどの船に関わる職業の推移がどうかという問題とつながっていると思います。

もう一つは農業との関係です。宿根木の集落が谷に立地しており、上の丘(台地)にも土地を持ち、近いところに農地があり、おそらく遠くの農地や山をもっているはずです。集落の近くは居宅化し、ある時期に移住したのでしょう。海と谷と台地と山との関係から、それぞれ場所の生活の利用と世代との関係を軸に見ると、今後どうするかということが整理できるのではないかと感じました。そうすると、台地が生業の場や住まいの場としてここでの建築をどう考えるかということが重要になったりもしないでしょうか。谷地の宿根木集落もそうした世代と生業との関係で語られるが、そのつながりで周縁部の台地も同様に議論することができると思います。

写真:台地上の新田開発

清九郎もそういう文脈ですよね。平成元年に新田(周縁部の台地)に出て、そちらに住まいを移しました。一方で、こちらの宿(伊三郎)は1970年代に家を外縁部に建てています。そのストーリーの中で、いくつかのパターンを当てはめると、空き家になったところに移住者が入ってきたり、あるパターンでは公開民家になっていたりということがあります。

土田:それは清野先生の論考の宿根木スケールと小木町スケールとの中間ぐらいのイメージですか。

山口:宿根木スケールですね。宿根木の集落域として見るわけです。ハマ−ムラ−ノラ−ヤマという構造です。

清野:伝建地区のエリアは歴史的市街地より広くとっていますが、保存すべき対象としての歴史的市街地だけ見ていると、理解できないことがあったということが今回のフィールドワークでは重要な指摘です。住み替えによる生活圏の拡張などですね。まずはスケールを広げる視点が重要です。

写真:町並みモデル施設清九郎(写真右)

■生業空間の入れ替え

中島:私は建築と生活がどう対応していくかを気にしてみていました。宿根木に入るまでに伝建の資料を読んでいると、港町と書かれていたり、廻船業に関わる人たちが住んでいる集落と書かれていたりします。しかし、宿根木に入ると港町の市街地タイポロジーとしての空間構成などは見えにくく、ある種の語りにくさがあると思いました。

ここでの生業空間は、原則「職」と「住」が一体になっていることで、建築がそのように一体化したものなのだと理解できます。北前船の寄港地で廻船問屋を想定すると、住む場所と働く場所と蔵が道を挟むことはありますが、基本的に一体になっています。廻船問屋なので港や船着き場もセットになっていることもあります。漁村集落では舟屋と主屋がセットになっているようなものもありますね。生業空間というのは多少離れることはあっても、ある集落の中で働く場所と住む場所というのは基本的に一つの対として見えるものだと思うのですが、宿根木では、小木が港なのでそもそも集落として離れているので、現代でいうところのベッドタウンのようなことだったと理解できるのではないかと。そのため、伝統的な生業に支えられた空間でありながら、職としての空間は、あまり見えてきません。廻船業の時代から集落内での住み替えは時代によって起こっています。それ故に、建物の物的空間が守られているということはできないでしょうか。

さらに伝建選定後の動きとして空き家問題が可視化されることで、より複雑になって面白くなっているのは、主屋と納屋の関係も反転したり、機能の入れ替えが起こることです。本来納屋だったところが、内部が改装されて、公開民家となり、別な観光用途になっています。逆に主屋を手放して、外縁部に移住して、主屋としての基盤的な住空間ではなくなっていたりして、宿泊や飲食業に用途転換しています。新しい兼業空間として利用されています。単に生業空間というのではない、生業のあり方にいくつものパターンがあって、行き来の自由があり、そのように出来ることがとても興味深いです。中身は変わるのだけれども、ガワの方は保持されていくというところに宿根木の特徴があると思いました。そうすると、単なるモノとしての建築をどう見るかという観点からの町並み保全についての議論では、到底見えてこないことが起きているといえます。

写真:町並みモデル施設金子屋、元々納屋であったものが空き家化し公開民家に転用された

先ほどの山口先生のおっしゃる点はその観点からも議論できそうです。例えば、海や山との関係から見ていくことは、中身の入れ替えする要素(業)をどこからもってくるかという視点に立つことができると思いました。おそらく宿根木の方たちはそうやって外側から何を調達して集落空間を利用するか、考えているのではないでしょうか。

山口:住としての専用と職と空間が一体的になっているかということですね。生産空間と居住空間が一緒になっているかということですね。

中島:そうです。また、廻船業と並行して、農業の話がでてきます。伊藤毅先生の論考(注1)だと、廻船業をやっていたときから既に農業もやっていたことが明らかになっています。しかし、この集落を歩いていても、廻船業をやっていたという住宅空間の周りから農業的な空間が全く見えてこないんですね。ということは、外側に別な論理で、おそらく当時は小作の方たちを雇ったりして、別な農のシステムをその廻船業を営んでいる人が支配的にもっていたのではないかと推測できるわけです。ということは、専業としての廻船業ではなくて、兼業で庄屋業もやっていたのでしょう。廻船業も庄屋業もやっていたのだけれども、空間の形態、特に外部空間としては全く見えてこない。しかしながらそういう歴史があった。とすると、中身の入れ替えは自由度が高いのではないかと思い至りました。

その意味では、今日解説してもらった公開民家も、帳場の空間にそのまま台所が接続していました。通常の商家の町家であれば、ミセ空間は帳場の空間になるのですが、そこに炊事機能が同居していましたよね。あれは廻船問屋のオフィス機能としてのミセ空間が弱いなと感じたんです。

写真:清九郎ミセ空間となる帳場の前面にある台所

山口:そうですね。町家であれば通り土間のように横にあるのが普通ですよね。ちょっと大げさに言うと、建築も利用にフレキシビリティが高く、谷(集落)の中もフレキシビリティが高いということですね。それを守っているのが山・台地の田畑と浜だったということではないでしょうか。これらが生産空間としてあったことが大事だったということですね。

器をきちんと伝建としてまちの保全というか将来像にふさわしいものとして用意しておくと、それにあった人―それは子や孫かもしれないし、移住者かもしれないですが色々な人が入ってこられる循環ができると未来は明るいですね。難しいから課題なのですが。

中島:リスクを負う廻船業に対して、どこでリスクヘッジするかという時に後背地としての台地の新田開発が重要だったのではないでしょうか。そこにセーフティネットがあったこともあり、集落内は限りなく住の用途で建築空間が出来ていても、廻船業の生産空間の機能を持っていなくても生活を継続することができたということなのかなと思いました。

清野:船主だけでなく、船乗りや船大工もまた、生活の基盤として、暮らしを安定させるために新田開発や農地を求めたということが伊藤論考で明らかにされており、この流れは既に江戸からあった生き方の安定策だった側面といえそうです。このテリトリーの拡大が谷地の限られた中に凝縮されていく文脈であったのですね。現代へのアナロジーとしてやはり、母屋と納屋の関係が入れ替わっていたという話は人口が増えていった時期に機能していて、お金が増えたら納屋をまずは入手して、そこを住宅化して、さらに集落内で転居、移動していくことが起きていたわけです。これは伝建の報告書にも記されています。漁村でもよくあることですが、ある種の都市的な人の移動が起こっています。この動きはおそらく衰退していく過程にも見られるはずです。

■住み続けることの困難さ

中島:逆に清野先生が先ほどおっしゃっていた「ここに住まざるを得なくなって人たちが一番課題を抱えているかもしれない」ということが非常に問題だと思いました。妻籠でスタートした伝建制度は人口減少している集落でどうにか住み続けるためにも町並みを保持したいとして、運動が始まり制度ができていったと理解しています。伝建的には原点ともいえる、住み続けながら町並みを保持したいとして暮らしをしている人が宿根木の中で一番困っているかもしれないという状況なんです。これは皮肉な現象ではないでしょうか。

清野:「困っている」というのは語弊があったかもしれません。宿根木では、伝建を良しとするか議論がありました。地域全体では、人口減少や集落の衰退という意味で困っていましたが、町並み保存に反対する人も当然いました。しかし、伝建20周年記念誌を見ると、伝建に馳せる思いを集落の色々な人が寄稿しています。そこでは保存で困っているというよりは、修理事業を受けることで家がキレイになったとか、ボロボロになっていたものを直してもらったという感謝の言葉が多く掲載されています。但し、観光客が来るようになったことで住んでいる人は困っている部分はあります。集落内を歩いていると、例えば、三角家の前で写真を撮っている人がいますよね。人がいるから通れない、家から出られないということは現実に起こっている訳です。観光をどう考えるか。将来的に集落は保存を起点とした観光で地域おこしをしていくという方向なのです。しかし、そこに対する抵抗は、集落内に住んでいる人ほどあります。

もう一つは、ここに住んでいる人の悩みは、後継がうまくいかないということで、住まい手がいなくなることで空き家が発生することですね。集落全体として空き家増加は課題として深刻になっていくだろうと思います。

土田:それについていうと三角家で、おばあさんが息子のところに同居して転居したために公開民家になっているわけですよね。空き家になったことで観光資源になったわけです。この流れは集落全部がそうなっては問題ですが、空き家になって困るという側面と空き家が観光資源化して、江戸時代の建築なのに内部は昭和の香りがする、あの展示方法も一つ時代を感じさせる答えですよね。

写真:三角家の公開民家の暮らしの感じる展示

山口:バリエーションの種がいま何個あるのかということですよね。芽吹いているもの、芽吹こうとしているもの、芽吹くかもしれないものがあります。それが知りたいですよね。

中島:そのバリエーションでいくと、集落内にアトリエハウスと呼ばれていた建物がありましたよね。空き家になった後、利活用に流れがあります。まず体験型のスペースとして使われて、ゆくゆくは移住者の居住地として使われていく。再住まい化の流れです。とりあえず空き家になれば、観光用途に使えばよいと言ってしまうと、結局他の伝建地区でもたどってしまった歴史テーマパーク的な町並み像に近づいてしまう問題があると思います。それが再居住化されるプロセス、選択肢があると未来があるのではないかと思いました。そこを短絡的に図式化するのは良くないのかもしれないが、先ほどの「生活空間/生産空間」「主屋/納屋」の反転といった自由な行き来が宿根木の特徴なのだとすると、観光化されたものがまた住居に戻るということがあり得るのではないか。そこに対する筋道として、観光から居住へという流れを用意できると面白いのではないでしょうか。

■宿根木の空間強度

中島:この場合、宿根木には継承に足る空間強度があるという理解なのでしょうか。

清野:宿根木の空間強度は、伝建という制度に支えられているところはありますよね。一つ一つの修理の報告書を読むと非常に多くの部分が変更されていますよね。強度よりも制度によってベースアップされているということではないでしょうか。

今回の特集の論考で尾道が顕著なのですが、尾道は文化財的価値のあるものから、戦後バラック建築まで必ず空間強度があって、これらはみな活用できるのだという意志があります。再建築できないと、まちそのものが無くなっていくという強い危機感が背景にあるのですが、それでモノとしての建築が残っていっています。これが歴史的市街地の空間が継承される根本的な強さなのではないかと感じています。

土田:尾道の事例は、建築から切り離れたビューであったり、キャラクターであったりに強さを求めるので、柔らかい空間強度があると思いました。宿根木の場合は、母屋と納屋が入れ替わるというように、ガワというものの強度が強いということではないでしょうか。普通の街に敷衍出来る議論があるとすると、建築的にはガワが強くて、生活空間ないしはまちとしての持続性を考えた時に、これを文脈として考えるとリスクの高い業と低い業がある種の一続きの集落ということにとどまらず、ネットワークとして成り立っている強さを持っているということかと思います。それを一般の市街地が持ちきれるとは思えない。

山口:ガワの強度というと、伝建の調査報告書を読んでいると、建築は外部空間というか通りと広場に対する壁と表現されています。建築の内部は建築内部に籠もり、世界をつくっているという表現です。宿根木の都市居住の形態がそもそもそうなっています。高密な木造総二階建ての世界というのが強度なのではないかと思いました。内と外のリンクはどこにあるのだろうか。そこが見えないですよね。いわゆる町家だとミセがあって、格子戸から向こうが見えるとかです。生活しないと見えてこないのかもしれませんが、二階の窓をあければもちろん通りは見えます。屋内にいて外を伺い知る建築ではないなと思いました。中間領域がないというか。

中島:外と内を切り離して空間をつくる。だから内部はあれだけ漆塗りの豪華な空間になるわけですね。それもまた集落区域が狭いがゆえの密集度があり、そのために外に開けないということもあるかもしれません。

山口:入り口も通りから直接という形でもなかったですよね。

中島:外部と内部のリンクの無さが強度を高めているがゆえに、内部の入れ替え可能性を助長している。

写真:宿根木集落内の外部空間
写真:清九郎の総漆塗りの内部空間

■宿根木のオープンスペース

山口:2つの広場が集落にはあります。大浜の方は、観光客も使える駐車場として現在は使われています。私はあれでも構わないと思うのですが、あそこは観光的な顔になる場所です。もう一つは公会堂の方の広場ですね。あそこにはもっと可能性があるんじゃないかなと思いました。

写真:宿根木公会堂

中島:川に降りられて炊事洗濯に使われていた遺構がありますよね。よくある話ですが、その後水道が引かれて使われなくなっていきました。オープンスペースの課題をどうやって解くかということが、もしかするとオーバーツーリズムの問題にある、観光客と住民との間の接点の持ち方をもう少しやわらかくすることが可能になるかもしれません。それがポジティブな意味で今ある空間の持っている文脈を断ち切って、もう一回オープンスペースを考えてみようというところから検討する。オープンスペースを考えようとだけ言ってしまうとどこか海外からの概念を持ち込んでいるような気がするかもしれないが、現地に着地して考えることと一端は現地の文脈からの切断を与えることでデザインとしてチャレンジできるということなのではないか。

清野:とても面白いですね。時代が変わると建物とまちの機能が変わって形態がついていかなくなることがある。今日の議論は、一つ一つの建物を見ていくと、形態は固く存在するが、機能は入れ替わりが十分対応できるのではないかという話でした。またそのように使ってきた伝統というか文化があるのだということが改めてわかりました。

宿根木は別のところにもたくさん問題がありますが、空間と社会のずれを修正する柔軟さがあるというように見えてきました。それは建物の活用でもいくつかのエピソードから読むことができます。活用や転用が行ったり来たりすることにも示されています。そう考えると、伝建制度をうまく使いながら、形態を維持する困難さを乗り越えつつ、機能を柔軟に当てはめていくようなことは出来ているところかもしれません。この見立てで、実際に具体例を見ていくと、うまく使いこなすというか、ズレないように常に建物を使っていくようなやり方があった。少なくとも利用については、途絶えなかったということは重要です。ただ、今人口減少がかなり極端に進んでいます。今の知恵を活かしながら、完全に空き家になるとか、空き家が増える状況に手を打つかが大事ですね。これは慎重に考えて進めることで明るい未来もまだ描けるかもしれない。観光があるので、観光に使えばよいという雑な考えではなく、再転用して住居になるような転用も考えていきたいです。今まで保存活用を考えてきたことの線上に考えられるかが大事ですね。これが将来も使える器をつくっていくということではないか。

中島:確実に人口減少は進んでいっているので、活動量は減っている訳だから、ここでの入れ替え可能な選択肢を持てる主体自体も極端に減っていっているはずです。この問題は変わらずにとてもシビアだと思います。今日の話がこれまでの小委員会での文脈読解の他のチャレンジのものと違って明るい未来が描けそうだという単純な話でもない。

写真:公会堂前の広場空間

■住民憲章と伝建制度

中島:今日地元の方とお話をしました。宿根木の住民憲章の話なのですが、憲章の「売らない、貸さない、壊さない」があっても実際の法律上不動産のやりとりというのは起き得るわけです。今、宿根木にいる現所有者は憲章のもとにあるという理解があります。売買は生じませんが、相続になった途端に子世代が憲章を全く理解していないと、全然違うことが起きるかもしれないというリスクがあるという話をしていました。一方で法律上問題ないから、売ったり買ったりすることで創造的な行為が生まれる可能性もあるわけですよね。

山口:それを禁止できないですよね。

中島:そうなんです。禁止できないがゆえに起きうるかも知れない創造的なポジティブな変化が起きうる余地は充分にあるわけです。そこで、お話を伺った方は、今のところリスクベースで考えているけれど、ともするといいことも起きるかも知れないという期待もなくはないかもしれないと思いました。私が深読みしているところはありますが。この憲章のスローガンは、町並みを守るゲームとしては有効に機能していて、かつ抜け道もちゃんとあるともポジティブにとらえられると思いました。そのあたりをこのシリアスな状況でいかに売らないとか言っていられなくなる場面の時に、いい形で機能させられると宿根木は面白くできるかもしれないと思いました。特に伝建制度はモノとしてのガワが維持されればよいという国の考え方があり、所有者が変わるということに対して意識がないわけです。その問題を住民憲章は、誰が持っているのか、誰が借りているのか、誰が住んでいるのかということにセンシティブに気にしているという緊張関係がそこにあるのだと改めて思いました。

山口:この憲章は価値観としては、所有・利用している人が、住民の今までの文脈に沿った行動を基本的にはするけれど、外の人はそうではないという認識ですよね。だとすると、外の人で理解する人が来たときにどうするか。その時は買ってもいいし、借りてもいいのではないか。そこの判断は制度論ではなく、地域の質的な判断が伴います。この判断が上手く出来れば機能すると思います。

清野:かたちとして決まっている制度とか、伝建制度の解釈や憲章という仕組みも含めて、それらがバッティングする時もあると思うのですが、それぞれだけを参照すると失敗する可能性がありますよね。この30年何が起こってきたのか、丁寧に読み解く時間が必要です。

中島: 10年前や15年前だと憲章と保全制度は2階建てになっていて、統合がとれていないことは制度的な課題だと捉えられていたと思うんです。しかし、この10年の不確実さが相当増しているので、どこにゴールと答えがあるかわからなかった時に、2つが整合してないということが選択肢として文脈的にとらえた時に、豊かに舵を切れるということに意味が変わってきているのではないでしょうか。今の歴史的市街地の状況を見てみると、ずれているからこそ、こうやってもいいかもしれないし、保存制度に乗せていってもいいかもしれないし、個別的に解ける可能性があると思うとやりようがあるのだと思うのです。

清野:伝建には一応修復の基準もあるし、修景の基準もあるから建て替えも踏まえた予防線がありますよね。さらにそれを越えていくのもいいよと言えるものができるのかもしれないですよね。制度の理解が進んできて、かつトライアルな状況がたくさんあり、議論したからこそ、色々な解が出せるということと、時間がかかって出した答えに対する成果が出てきたということでもあります。だからこそ振り返りの必要があり、緻密に見ることができるということですね。

山口:伝建の法律に基づいた強制力と憲章に基づく任意のものとのそれぞれの重しの重さの違いがありますよね。伝建だとやはり税金を投入して行う事業です。これは文化財保護法という法律に基づいて行われるわけです。これは違反できません。文化財保護法をどう利用できるか、それによって何を達成できるかという図式にしないと、うまくいかないということですね。

中島:今回の小委員会の研究会では歴史的市街地にフォーカスしたわけですが、そもそものテーマ設定では既成市街地の文脈読解がテーマでした。

歴史的市街地に絞ることで問題が先鋭化すると考えたからなのですが、一方で地方の衰退する既成市街地をこれからどうしていくのか議論する上で、文脈を読むことが重要だと私たちは考えています。都市を計画的にシュリンクさせるには、元ある空間の文脈を敢えて断ち切っていく作業をしないと集約などできない。このときに文脈をどう考えるか。今回宿根木でのフィールドワークから見えてきたことは、固定的に見える空間の中に、非常に流動性の高い人や生業の入れ替えが起こっていることが、地域の文脈と呼応して、現在の集落空間をつくっているということでした。制度に支えられている文脈と見るだけでは見えてこない地域の文脈読解ができたと思います。このような歴史的市街地の文脈が何を指しているのか、もう一度問い直せるといいと思います。

[2018年11月10日、新潟県佐渡市宿根木、伊三郎にて]

注1:伊藤毅(2005)「港町の両義性-宿根木の耕地と集落-」『水辺と都市』pp.67–75、山川出版社

土田寛
つちだ・ひろし/1961年新潟生まれ。東京電機大学未来科学部教授。アーバンデザインスタジオLLC代表。2006年東京電機大学大学院先端科学研究科修了。博士(工学)。専門:都市デザイン、プロジェクトデザイン、エリアデザイン。

清野隆
せいの・たかし/1978年山梨県生まれ。江戸川大学社会学部講師。エコロジカル・デモクラシー財団理事。2008年東京工業大学社会理工学研究科社会工学専攻修了。博士(工学)。専門:エコロジカル・デモクラシー、都市農村交流。

山口秀文
やまぐち・ひでふみ/1974年大阪府生まれ。神戸大学工学研究科助教。1998年神戸大学大学院自然科学研究科建設学専攻修了。博士(工学)。専門:住宅地計画、都市・農村計画。

中島伸
なかじま・しん/1980年東京都生まれ。東京都市大学都市生活学部講師。2013年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了、博士(工学)、専門:都市計画史、都市デザイン、公民学連携のまちづくり。

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建築討論

建築討論委員会(けんちくとうろん・いいんかい)/『建築討論』誌の編者・著者として時々登場します。また本サイトにインポートされた過去記事(no.007〜014, 2016-2017)は便宜上本委員会が投稿した形をとり、実際の著者名は各記事のサブタイトル欄等に明記しました。