New beginnings and prime-scape after the tsunami ── Akahama[201812特集:動的な歴史的市街地の再読]

窪田亜矢
Nov 30, 2018 · 11 min read

1.復興計画という作業をふまえた地域文脈

東日本大震災の津波被災をふまえた地域文脈論についてはすでに論考もみられ1)、空間のみならず産業構造や土地所有などの視点も持つべきであることが指摘されている。その通りだと思う。

津波被災後の地域の形を構想するにあたって、地域文脈的な理解に支えられもしたし、また足りないこともあった。本稿では、大槌町赤浜地区の復興コーディネーターという機会をいただいた者として、その経緯を振り返り、津波被災後に考える地域文脈論についてまとめておきたいと思う。

2.素景に向けて

東日本大震災発災から一ヶ月後、大槌町の町方の城山から海を見渡す機会を得た。城山の裾から海までは埋め立て地も含み500mほどの距離がある。遠い。津波から逃げるのは大変だっただろう。

ほとんどの建物は消滅し、わずかに残った鉄筋コンクリート造も屋上まで浸水した様子がよくわかった。山から低地部の間をつなぐ斜面はいくつかの様相を呈していた。一番斜度が緩いのは坂道であり、歩行や車の走行が可能となっていた。被災当日も城山に多くの車や人が上がって助かったという。後になって地元の方から教えていただいたことだが、もっときつい坂道の登り口が神社の奥にあり、山登りのときに使っていたという。今回の被災では神社までは浸水しなかったが、もし浸水しそうになったら更に上に逃げられるようになっていたことになる。面的な斜面利用としては寺の後背地の墓地が挙げられる。死者が静かに海を見守り続けることができるようになっていたが、墓地の中には急な階段が設置されていて、御墓参りにやってきた生者が何とか通行可能な程度の整備は為されていた。こうした積極的な利用の他は、緑地として放置されているか、コンクリートで固められた擁壁となっているかで、いずれにしても津波が襲ってきたときに這い上がるのは無理だろうと思われた。隣町である釜石では、急斜面になっている崖の途中に待避所が設けられていて、低地部の市街地から階段で登れるようになっていた。空間の作り方ひとつで命が助かるかどうか決まることがある。

「ここにもう一度人々が棲むための形を与えるとしたら?」

地形が剥き出しになった風景を前にして、内藤廣の「素形」を思い出した。「日常の風景の背後に潜んで見えない時間を、見えやすくすること、その延長線上に素形は立ち現れてくる」。「あらゆる時間の調整が、過不足なく行われ、あらゆるレベルの時間に接続が可能になったとき、建築は、いま建てられたばかりなのに、ずっと以前から存在していたもの、これからも存在し続けるであろうもの、のように立ち現れるのではないかと思う。それこそが素形なのだ」2)と述べている。

建築家が形を与える建築単体というよりは、建物が集合して構成される地域の形を考えるならば、多様な人がそれぞれの意思を持ってそれぞれの場所を作っていく動態的な風景が論点となる。それは日常的な新陳代謝が繰り返されるという意味で動態的であり、歴史が教えるように、またいつか壊れるであろうことも含意せざるを得ない。それでもまた立ち現れる風景。そういう風景が要請することは、動態性の確保であり、動態性が生み出されるときに依ってたつものの存在である。

地域文脈を過去の方向に最大限伸ばしたところにあるオリジン(由来)がある。オリジンから意味をもって連鎖してきたと感じられるオリジナルな風景が、千年に一度といわれる大津波によって断絶しかけている。そこに「新しいはじまり」となる形を挿入することで、その断絶を結うことができるのではないか。中島直人は地域文脈論を語る中で、オリジンと「新しいはじまり」の「時間」的な構造を計画するのが、「過去」と「未来」を連鎖させる動的な都市計画の役割だと述べている3)。

「新しいはじまり」からオリジナルな風景が再度作られていくだろうという期待や予感、さらにはそのオリジナルな風景のイメージ。そういったものを地域の住民らが感じられることができるとすれば、それは希望ではなかろうか。地域の住民らによって共有されるオリジナルな風景のイメージを「素景」というならば、「素景」は未来に生じ得る断絶にも有効な参照点となるのではないか。

3.新しいはじまりと素景

では「新しいはじまり」として挿入すべき形とは何か。

大槌町の町方地区で目撃した光景が「新しいはじまり」を強く感じさせた。

荒涼とした泥地となった低平地で自噴井が湧き出していた。自噴井は町方ならではの地形によって成立していたもので、被災前から公共空間における水場や水路のみならず、各敷地に引き込んで台所の水仕事や庭池に利用していた。仮設住宅に避難中の被災者の方が自分の敷地を見に来たときに、変わらず自噴井が湧いていることに目が留まったのだろう。盛り土をすることが決定していたにもかかわらず、思わず塩ビ管を突っ込み、コップを置いたにちがいない。また次に来るときのために。そして周りの方々のために。数ヶ月後には野菜畑までできていた。

自然環境に触発された自然(じねん)的な行為。千年前の大津波のときも、明治三陸や昭和三陸のときも、こうやってこのまちは復興を繰り返してきたのではないかと思う。何が依ってたつものか、被災後の光景から学べる。津波常襲地域はそれを定期的に学べる「常習」地域でもある。

同じ大槌町でも赤浜地区には自噴井はない4)。そこで、地域の住民らから昔の写真をお借りし、お話を伺い、町史を読んだ。そうした過程を経て、私たちが捉えた大槌町赤浜地区の素景とは、以下の四点に集約される5)。

(1)海と集落と山:連続的で一体的な集落内部の全体利用と蓬莱島の固有性
(2)高密な居住と緩やかな周辺地域とのつながり:岬の付け根という立地がもたらす自立性と孤立性
(3)コミュニティを育む多様な公共的空間:小学校・公民館・墓地や路地、神事歳時
(4)津波と赤浜:日常の変化において津波リスクを下げる方向で続いた宅地開発

復興計画を立てるにあたって、聖なる場所(八幡宮、三日月神社、蓬莱島の弁天様など)を変わらない点として、海を監視=眺望する場所、漁をしていた頃の共同作業をしていた公共空間、全員が集まれる内部空間などを設定しながら、敷地を配置していった。空間計画に携わった面々で議論していくうちに、物と物の関係を継承するという方向性が明確になっていった。たとえば赤浜小学校の校庭から古木の桜越しに見ていた海の風景は、赤浜地区の住民全員が赤浜小学校の卒業生であり、自分の一部と感じられるようなものだったと思う。しかし赤浜小学校は、被災前から閉校することが決まっており被災によって閉校の時期が早まった。校庭は安全と思われていたが、今回の津波で浸水したので盛り土をすることになり、桜も伐採せざるを得なくなった。赤浜の人々は桜の御別れ会を開いた。今回の新たな計画によって同じ物は再現できないが、赤浜住民全員を受け入れる空き地を設定し、そこの縁に桜が植樹された。八幡宮を降りてきて赤浜全体をつなぐ中心となる空き地から新しい桜越しに海が見える風景は、再度、立ち上がることになった。

大槌町赤浜地区デザインノート

事業区域に新築の家が一通り建設されたあとのまちで、赤浜地区の皆さんがこうした素景を感じることがあったなら、地域文脈を生かしたということになるのではないか。

4.地域文脈論への問い

以上、地域文脈を考えることが、津波被災地域に形を与えるにあたって有益だったことを整理してきた。しかし、ここで問いかけなければならないのは有益だったことだけではなく、役立たなかったことであろう。それを考えなければ、今回の津波被災の復興がうまくいっていないことを越えられない。

私の理解では、時点の前後に、何らかのつながりを、たとえメタレベルであったとしても見出して、そこに事象が連鎖していくメカニズムを発見しようとする態度は地域文脈的だ。そのメカニズムは現時点を未来に向けてつなげようとするところに意義がある。確かに、物事をぶつぶつと断片的にみるのではなく、関係性を見ようとすることで、本当の原因や本当の影響を、多層的に理解することができる。しかし、地域文脈論だけで全てを語れるわけはなく、それを補完するものは何か、という見方が必要だ。さしあたり二つある。

一つは、これまでの論理では説明できない突然変異のような現象を見過ごしてしまう点への懸念である。東日本大震災から七年半を経て、様々な取り組みが生じている。私たちがやらねばならないのは、その様々な取り組みの中に、どんなにささやかであったとしても、たった一人の取り組みであったとしても、あるいは終わってしまったものだったとしても、従来の評価のあり方とは違う方法で、そうした取り組みの中に説明すべき何かを発見することだ。それを説明する方法はまだない。だからそうした不連続なものや異質なものを説明できる方法も発見しなければならない。新しいはじまりが、これまでの構造に絡めとられずに、新しい潮流になっていくための論理を構築しなければならない。

関連するが、もう一つは、実現しなかった風景を地域文脈の中でどう位置付けられるかという点である。今回、土地所有の整理がつかなかったり、工期の短縮が大前提だったり、技術の不足だったり、と様々な要因によって地形が台無しになった風景が残念ながらあちこちで生まれている。地形は地域文脈の根幹であろう。新しく出来上がっている風景を体感しに行って、何が台無しになったのか、直視しなければならない。もっとうまくやれるとしたらどんな風景になっていたのか、想像し、それを実現できなかった理由を理解し、超えていかなければならない。あるいは様々な理由で、望んでいたのに実現しなかった数々の風景がある。それに想いを至らせなければならない。

なぜ地域文脈論が問われなければならないのか。それはこれまでの文脈で構成されてきたまちが壊滅的な被害にあったからだ。そして、今できあがった風景が千年後に被災を受けている姿が想像されるからだ。

最後に、特に地域文脈論というテーマだからこそ、本稿は福島原発被災をふまえた論考であるべきだったろう。それについてはまた場を改めて論じたいと思う。

注・参考文献

1)青井哲人2013:社会=空間構造の流動性・可塑性を、「地域文脈」論はどう扱うか、日本建築学会大会都市計画部門パネルディスカッション資料『成長時代のコンテクスチャリズムから人口減少・大災害時代の地域文脈論へ』所収9–14pp
2)内藤廣1995:『素形の建築』INAX ALBUM30、図書出版社
3)中島直人2013:「過去」との関係を深める都市計画の「未来」、日本建築学会大会都市計画部門パネルディスカッション資料『成長時代のコンテクスチャリズムから人口減少・大災害時代の地域文脈論へ』所収1–4pp
4)自然環境との付き合い方は地域文脈論における主要な論点の一つである。特に海岸部や埋め立て地、低地部の未来についての議論は重要だと考えている。しかし、各所で触れられていることが多く本稿では触れない。
5)窪田亜矢・黒瀬武史・上條慎司・萩原拓也・田中暁子・益邑明伸・新妻直人2018:『津波被災集落の復興検証 –プランナーが振り返る大槌町赤浜の復興』萌文社

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窪田亜矢

Written by

くぼた・あや/1968年東京都生まれ。東京大学工学部都市工学科特任教授、地域デザイン研究室・復興デザイン研究体。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)、一級建築士。

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