災害時の民間支援のかたち

震災の経験を聞く―08│ボランティア│「風組関東」小林直樹

山本周
建築討論
Jul 19, 2024

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能登半島地震の発生から半年。建築討論では、これまでの震災復興に関する知見を集め、使える知識としての共有を目的に「震災の経験を聞く―これまでの試行錯誤の共有知」を立ち上げて連載を行っています。
東日本大震災、熊本地震と重なる震災を経験した10年。すでに多くのプラクティスが存在します。そうした貴重な経験に効果的にアクセスできる共有知として本サイトに掲載していきます。

第8回目はボランティア団体「風組関東」の小林直樹さんです。輪島市町野町でのボランティア活動の取材とともにインタビューをさせて頂きました。

話し手:小林直樹(風組関東)
聞き手:山本周(
Shu Yamamoto Architects)、本橋仁(金沢21世紀美術館)
実施日:2024年5月18日

発災から半年。輪島市町野町では依然として上下水道が復旧せず手付かずのままとなった被災家屋が多い。生活再建の目処が立たない、ボランティアが足りない、などと語られることが多い能登半島地震。そのような状況のなか、発災以降東京から町野に通い支援活動を続ける「風組関東」の小林直樹さんに、これまでの災害と能登半島地震の現状についてお話を聞くため、彼らが拠点とする若桑集会所を訪問した。

「風組関東」は被災した建物の保全を通じて被災者の生活再建を手伝う任意団体である。現在町野を中心に、炊き出しや被災者宅への訪問、被災家屋の応急措置を行っている。訪問時には地域の方とともに在宅避難者に向けた弁当づくりと配布をしていた。

弁当は14時頃からつくりはじめ、配布を終えたのは18時頃。汚水を発生させないようチルド食品や地域で採れた野菜を使い、熱源は灯油ボイラーを使用。二次避難先や応急仮設住宅に転居する方が増え弁当の配布数も減っているが、依然として在宅避難者が地域に点在している状況に変わりはない。

災害時の民間支援のかたち

本橋:はじめに設立の話から聞かせてください。もともと「風組関東」は小林さんがはじめられたた団体なのでしょうか?

小林:2004年の新潟県中越地震の時に被災者とボランティアで「SVTS風組」という団体が設立されました。そこの暖簾分けではじめました。SVTS風組は重機系の活動が多いのですが、多くて僕らは建物保全を中心に広い範囲で活動しています。風組関東として本格的に活動し動いたのは東日本大震災からですね。

山本:今と同じように週末に東京から被災地に通っていたのですか?

小林:はい。東日本大震災以前にSVTS風組を含む支援仲間と、もしも東北で大地震が起きたら集合場所はここねって決めていました。宮城県名取市にある福祉施設なんですけど。実際に大地震が起きて連絡が一切つかなくなって、でも場所を決めてるからみんなそこに行くだろうと思っていたら、案の定みんなすぐに現地に向かっていました。早い人は当日の夜にもう着いていた。僕私は警察で緊急車両の申請をしたり必要な資機材の調達をしたりして、深夜の閉鎖された高速を走って3日目の朝に到着しましたが、すでにほぼ全員集合していました。

東日本大震災の3日目の朝の様子。宮城県名取市にある沿岸部からほど近い障害者施設には発災当日から東京、富山、神戸など全国からボランティア団体が集合し、炊出しや避難者移送、物資配布など様々な支援を行った。

山本:みなさんタフですね。どのボランティア団体さんも皆さん日常のお仕事があって、ということですか。

小林:専業でNPOなどの職員としてやってる人と、私みたいに平日は会社員で休日にボランティアでやっている人がいます。半々くらいじゃないでしょうか。

本橋:元々、中越地震の時に小林さんが活動を始められたきっかけは、なんだったのでしょうか?

小林:母の実家が新潟県長岡市で被災したことがきっかけです。復旧の手伝いに行こうと思ったんですけど危ないから来るなと言うので、川口町(現長岡市川口)のボランティアセンターに行きました。そこからですね、人生が狂ったのは(笑)。当時は瓦礫を片付けたりとかやっていましたが、ボランティアセンターが閉鎖になって、それ以降は仮設住宅の支援を始めました。ソフト系です。訪問してお話を聞いたりっていうのを有志のメンバーで何人かではじめました。

その後「あかつき」っていう名前のボランティア団体を立ち上げて活動していたのですが、SVTS風組さんに誘われて、「風組関東」という名前で暖簾分けしました。今の活動の根幹は中越地震の活動にあります。

山本:じゃあ2004年から20年間、ずっと週末は全国各地の被災地に行かれているんですね。

小林:仕事が忙しいから来れないっていう方、特に会社員の皆さんはやっぱりいるんですけど、そう言われると逆に会社員の限界に挑戦してみようって思って今に至っています(笑)。つらい時期もありましたが限界って言うとそれで終わってしまうので。多分認めたくなかったんでしょうね、だからずっとやっています。

山本:中越以降、輪島や東日本、熊本、地震の他にも佐賀や静岡、千葉などの水害の被災地にも行かれていますよね。

小林:数え切れないですけど、国内の離島以外の災害には行っています。ここ数年は九州方面が多かったです。

山本:飛行機で東京から週末に通っていたんですか?

小林:はい、新幹線だったり。

本橋:それはもう限界越えていますね(笑)。

山本:そうやって通うなかで支援団体さん同士の繋がりができたのですね。

小林:そうですね。様々な支援団体がいます。僕らは建設業のメンバーが多いですが、福祉、士業系や動物保護など様々な分野の中のごく一部です。発災後にそれぞれが被災地入りして、現地に拠点をつくります。小規模なグループや個人のボランティアが連携して活動をする形も多いです。うちは様々なつながりの中で初期は独自に活動することが多いのですが、継続して活動する中で様々な団体と連携して活動を進めています。

本橋:社会福祉協議会(以下社協)の災害ボランティアセンター(以下災害VC)からの紹介など、個人のボランティアの方も、風組関東の活動に合流されたりするのでしょうか?

小林:今回の能登ではほぼ無いです。災害VCとはボランティアの派遣やニーズ(要望)の調整などをすることはありますが、多くの人出を必要とする作業が少ないのと、炊き出しが忙しくてあまり現場を回れないっていうのがあります。危険な建物も多くあるので、災害VCのボランティアさんと連携する場合は、事前の危険除去や安全衛生を確保しなければいけないので、人員的に難しい部分もあります。

山本:ボランティアや支援のかたちというのは、社協を通した公的なボランティアと、風組関東さんのようなNPOがやっている民間のボランティア団体の、大きく分けると2種類があって、その社協のボランティアだけではやっぱり成り立たないから、その隙間を埋めるように、たくさんのコロニーみたいな形で、民間のボランティア団体が立ち上がっていくというイメージでしょうか?

小林:そうですね、社協の災害VCと横の繋がりの中で活動することが多いですが、災害の種類や発災後のフェーズに応じて被災者の多様な課題に柔軟に対応できるのは民間のボランティア団体のメリットだと思います。

秋田県秋田市の水害の被災者宅。被災したキッチンのトッププレートを再利用し、仮設キッチンを設置する。早期に水回りと居住スペースの応急的な機能回復ができれば、在宅避難という新たな選択肢が生まれる。

公的支援と民間支援のハイブリット

小林:2007年の能登半島地震の時も、輪島市などで社協の災害VCが立ち上がり、ボランティアがどんと派遣されました。災害VCでは応急危険度判定の危険(赤紙)要注意(黄色)判定の建物での活動に制限がある中で、それでも住民の人はなんとかしてくれないかってボランティアセンターに相談にくるわけです。その時は、災害VCのボランティアで対応が難しいニーズは、特殊の「特」を〇で囲って、「マルトクニーズ」という形で、 僕らのような団体で対応していました。でもその時は、そのような支援活動は立ち位置が曖昧な感じでした。一般的には被災地でのボランティアは災害VCのコーディネートの元で活動するというのが、阪神大震災以降に一般的になりはじめた頃でしたので。 今はそれが、NPO(支援団体)と社協さん、行政が横の繋がりの中で連携しながら対応しましょう、と変わってきました。社協さんも自分たちができないことを把握してますし、できないところは諦めるのではなくて、できる人に頼んで一緒に連携・協働するのが今のスタイルになってきました。ですので以前に比べて僕たちのような団体の活動も認知されてきたのですが、以前はグレーゾーンに位置づけられたりして、ちょっと煙たがられることもあったし、お断りされることもありました。なかなかやりにくかったですけど、時代が変わってきました。

山本:それはいつ頃からですか?

小林:やはり東日本大震災からだと思います。ここで支援側の世界がいろいろ変わりました。民間の担い手の種類と数もすごく増えましたし。それまでは能登も中越も、どんな団体がどんな活動をしているとかがなんとなくわかりましたが、今は多すぎてわからないです。一気に裾野が広がりました。それぐらい東日本大震災は大きな災害でした。

本橋:マルトクニーズっていうのは、具体的にはどういった作業なのですか?

小林:応急危険度判定で「危険」「要注意」判定世帯の家財の搬出、ブロック塀や外壁の崩落や倒壊防止措置、屋根の応急処置など、災害VCでは対応できないニーズが来た際に、断らずにとっておいてくれたものを対応しました。災害VCのボランティアさんも一緒に現場に入って活動することもあり、危険判定の建物の中などから僕らが家財を出して、そこからの運搬は災害VCで、など役割分担します。技術はあるが人数に限りのある支援団体と、人数は集まるが活動に制限のある災害VCとの連携、これをやり始めたのが2007年の能登半島地震でした。この活動は「技術系団体」「技術系ニーズ」と言われる支援活動のひとつのカテゴリに位置づけられて今に至ります。

若桑集会所付近で借りている車庫に技術支援や炊き出しに必要な道具が保管されている

本橋:この間ラジオを聞いてて驚いたのが、解体現場の貴重品取り出しで、そんなことまでボランティアさんが頼られているというか、そんな危険な作業までボランティアの方々が担っているのかと、驚いたんですよ。

小林:そうなのです。これには理由があります。
災害時の支援メニューは多岐にわたりますが、生活再建に向けた課題の中で、建物を含めた技術系の支援活動は多くあります。支援制度の説明、建築士や工務店による建物診断、重機による私道等の啓開、貴重品の取り出し、建物内外の危険除去、など、どれも専門性のある団体や個人でないと対応ができないものばかりです。
これらの活動判断はただ闇雲に全て対応するわけではなく、いくつか検討して決めています。ひとつは災害ごとに置かれた環境の中で担い手がいない、業者対応が間に合わない、公的支援にメニューがない、などです。例えば倒壊した家屋からお位牌を取り出したい、となったとき、他に担い手がいません。地域で建てた集会所なども公的支援が無いことが多いです。

もう一つは人に関わる部分です。その地で再建したいが諦める人、障がい者などの要支援世帯など、様々な環境の中で取り残されてしまう方が多くいます。被災した建物は処置をしなければ状態は悪くなっていくので、適切な処置と正確な情報の提供をして、再建に向け一つでも多くの選択肢を残したいと思っています。

課題もあります。なんでも民間の支援団体でやると公的支援が停滞する可能性があります。例えば食料支援は災害救助法の中で1日1人あたりの予算が決まっていて、その予算の範囲内で行政がお弁当配布などをしますが、関わった地域では発災後2か月以上食事の支給は無く、ほぼ支援団体が担っていました。

風組関東が所有する炊き出しの釜(ヤマヤ物産/まかないくん50型)。一度に175食の調理ができる。燃料として灯油、プロパンガス、薪を使える。

小林:倒壊家屋から貴重品を取り出すにしても、解体業者は工種にない作業は持ち出しになるので基本的にはできない。今は技術系が担っていますが、食事にしても貴重品取り出しにしても、民間が一切手を出さなかったらどうなるのかと思うときはあります。貴重品取り出しの追加手間分を、行政が解体業者に上乗せで払ってくれるのか。支援団体には建設業などの職人さんも多くいますから、やる気になればなんでもボランティアで出来てしまいますが、どこまでを民間でやるのかって言う線引きは難しいです。

建築と福祉がセットになって動く

山本:それで風組関東さんは、困窮世帯にフォーカスするという考えのもと動いてるんですね。

小林:はい。今も1件フォローしてるお宅があります。災害は時間が経つごとに様々な理由で取り残されていく人が出てきます。本人やご家族に障がい者がいて仮住まいが困難な方、生活が苦しい中で被災し、罹災証明も準半壊で仮設住宅にも入れないなど、個別のケースが表面化してきます。災害は立場の弱い人ほど一気に困難な状況に追い込まれるので、そのような方をフォローしたいというのはあります。そのような要配慮世帯は社協さんなどのフォローがされますが、僕はそこに建築支援もセットにすることにより更なる効果が出ると思っています。屋根から雨漏りして大量にカビが出ているとか、床に穴が開いてるとか、これらの改善はソフト的な支援のみでは難しい面があるので、建築の支援者がセットで動けば、多くの課題が解決します。2020年の熊本豪雨から始めて、2022年の静岡県の台風15号では、災害VC、弁護士、司法書士、税理士、建築士さんなどと連携して対応しました。静岡では災害対策士業連絡会という共同組織があり、災害が発生すると相談コーナーを設置して、建物の損傷の調査や法律相談など、、ワンストップで相談ができるのですが、この相談会に参加されていた静岡県弁護士会の永野海先生にご協力頂き、士業連絡会に相談に来た被災者でいくつかの条件に当てはまる要配慮世帯があればうちに紹介頂く形にしました。相談が来たら建築士、災害VCスタッフと共に訪問して、例えば準半壊だった家の再調査を申し込む際、根拠となる調査資料を建築士さんに作って頂いたり、費用的にどうしても難しい個所の簡易的な補修や機能回復をして、生活再建の後押しをしました。「QQ案件」という名前を付けて対応しました。静岡のあとは2023年の秋田豪雨でもやっています。4世帯ぐらい関わってますが、どこでも必ずそのようなケースは出てきます。今回の能登半島地震でも始めています。

「住宅QQ案件」を募集するチラシ

一人ひとりの状況に合わせた選択肢

小林:2020年に発生した熊本豪雨では、土木部建築課さんから要請を頂き、県内の建築業者さん向けに水害被災家屋の復旧説明会をやりました。僕のほかに新潟の長谷川順一建築士と、あと日経ホームビルダーの荒川さんの3人です。

熊本水害で被災した人吉市在住の上村建築士(アトリエK+)を中心に、全国の建築士や工務店、NGO、ボランティアが集まり支援団体「アーキレスキュー人吉球磨」を結成。復旧に向けた建築相談や災害VCの安全確認のサポートなど、建物再建に向け専門的な活動を行った。拠点は上村建築士の被災した事務所。室内に独立した補強枠を設置し安全性を確保している。この「シェルターインハウス」構想は短時間、低コストで設置でき、在宅避難の新しい選択肢にもなる。

小林:その翌年もお声掛け頂いたのですが、その時は福祉系の皆さんにも参加して頂くようお願いして、県の健康福祉部、熊本県社協さんや市町村の社協さんにも参加して頂き、おそらく過去にない形になりました。そこで福祉と建築が連携するとこれだけの相乗効果があって、多くの人が救われるということをお話しました。その後、熊本県(土木部建築課、健康福祉部健康福祉政策課)、県建築士会、県建築士事務所協会、県社協さんの4者で支援協定を結びました。今は災害が起きると、災害VCの中に建築の相談ブースができるようになっています。士会や協会が派遣した建築士さんがボランティアセンターに常駐して、ボランティアが活動する建物の安全確認や、活動方法の助言などもします。 今までは建築相談の場所とボランティアセンターの場所が別々にあって、建築士さんは役所や建築士会館にいて、災害VCはホールや体育館とかにあるのですが、被災者は依頼や相談であちこち行ったり来たりしなければならないので、それだけでも効果はあると思います。災害VCを運営する社協さんは建築のことはわからないので、被災者から支援要望があってもそのお宅にボランティアを派遣していいか危険度の判断ができないんです。特に水害は地震と違い応急危険度判定という制度自体がないので、水圧や土圧で大きな外力が加わって構造部に支障を及ぼしている建物でもボランティアが活動してしまう現状がありました。そのような時に建築士の人が同じ空間にいてくれたら、ちょっとウチで見ましょうか、など、臨機応変に迅速に対応できます。今の熊本県はそのような形になっています。

本橋:そういう協定がもう熊本では結ばれてると。

「建築士会の災害対応マニュアル(令和5年4月公益社団法人熊本県建築士会)」より

山本:今まさに建築プロンティアネットとして有志で建物相談のために能登に通っていますが、中には様々な理由で生活が困難な状況にある方もいます。建築士として相談は受けるものの、建築の問題だけじゃないなと感じてしまうこともたくさんあって。珠州で活動しているYNFさんは弁護士と建築士を一緒に現地に派遣する活動をしていますが、そこにさらに福祉の方も加わったら、そもそもお話の聞き方が変わると思うんです。建物相談時に様々な角度から話し合えると、生活再建の選択肢も増えるし、僕らもより具体的に助言できる。欲を言えばその場に技術系の方がいたらさらに良いなと思います。応急措置をしただけで気分が明るくなって、あらゆる事を前向きに考えやすくなったという方もいました。小林さんはそのあたりを全部1人でやってるイメージなんですけど(笑)。熊本の協定も素晴らしいですが、それを窓口ではなく現地でできたらすごく理想的というか、できたらいいなって思いますね。

小林:うちに直接相談が来るなかでも困難な案件はフォローをしつつ、他は社協さんなどに引き継ぎます。最終的に見てもらえるのはやっぱ地域になってしまうので。福祉も建築も被災者の置かれた環境の中で現状の話を聞くだけでは提案できることに限りがあります。中にはもう何も考えられませんっていう方もいるので、 そういう方に対してのアプローチは福祉的な対応から始まります。何回も通って他愛もない話をしながら、少しずつお互いにコミュニケーションを取るみたいなこともありますし、置かれた環境、心の状態とかを考えて、こちらが持ってる選択肢を必要な場面ごとに小出しに提供していくなどもします。選択肢は1つでも多い方がよく、ひとつひとつ丁寧に解決の道筋を提案していくと、住み慣れた土地で再建する、といったあきらめていた選択肢が現実のものとなることもあります。そこに至るまでには様々な担い手の皆さんと連携しながらフォローしていくことも大切ですが、僕が一人でいくつかの担い手を兼務したり調整をすることもあります。本来は災害ケースマネジメントのような、もっと基盤のしっかりしたサポート体制が理想なのですが。

山本:災害ケースマネージメントは、 そもそも自治体と民間がちゃんと手を取り合って、取りこぼしなく被災者を支援していこうよっていうことなんですか。

小林:そうですね。発災後、特に大規模災害では体制構築や担い手の確保に時間がかかってしまうので、様々なケースを平時からシュミレーションしておくことや、様々な担い手との連携、特に生活再建に大きな効果を及ぼす建築業界や技術系支援団体などとのつながりが大切かとおもいます。

地震災害における支援の難しさ

本橋:今回の被災地って、すごいボランティアさんが少ないって言われているじゃないですか。それってさきほど話しをされていた社協さんを通じた一般のボランティアという意味なのかなと思ってるんですけど、小林さんのような民間の支援団体さんも少ないんですか?

小林:技術系支援団体に限って言えば、そもそもの分母が少ない中で、能登やそれ以外の県でも活動していると思うので、少ないかなと感じます。被災した地元の有志で立ち上がる活動や団体も少ない印象です。

広域地震災害の難しさもあります。災害VCのボランティアが少ないと当初から言われていましたけど、それに加えて被災者も遠方の二次避難で現地にいない方も多いので、ニーズの把握も難しい。社協さんももっとボランティアを派遣したいけど、ニーズが拾えないのでボランティア募集もできない事情があります。そもそも地震災害は水害と違って、ボランティア活動自体が難しい事情もあります。一般的に災害VCは水害型です。水害は目の前にある泥や家財を人海戦術で片づけていけばよいのですが、地震災害は活動場所の危険性を評価して、安全対策を講じながら活動する必要があります。それには建設業でいうと職長クラスのリーダーが必要ですが、これも中々集まらないですし、災害VCが事前のリスク評価もできないので、うまくコーディネーションできない事情もあります。

発災当初に石川県がボランティアは能登にはまだ来ないで、と言っていました。そこは「こういう手続きを踏んだら来ていいですよ」と言って欲しかったですね。来るなって言われたら、もう0ですからね。コロナの時もそうでした。2020年に熊本豪雨で人吉市で活動しました。うちは説明会の関係で県とのつながりもありスムーズに現地入りできましたが、他の団体は叩かれたり、行くこと自体を自粛していました。でもそんな中で自治体の応援職員は発災後一か月で九州内外から3000人を超えていました。しかしNPOやボランティアは県外からこないでと。そのためボランティアが中々集まらず、被災者が自力で泥だしをしている状況がしばらく続いたわけです。一方で熊本豪雨の翌年に発生した佐賀豪雨では、県域の中間支援団体の佐賀災害支援プラットフォームと佐賀県が連携して、PCR検査を受けて所定の手続きをして支援に来てくださいと、認定ステッカーやマグネットまで作ってくれていました。佐賀と石川を一概には比べられませんが、佐賀県は市民活動に理解があるというのは感じました。

その人/その地域らしい復興の手助け

山本:現状で小林さんが関わっている地域での課題はどういうことがありますか?今回改めて訪問して、4ヶ月前から何も変わってないという印象を改めて感じました。

小林:復旧が遅いと感じるのは輪島市町野町に限らず、奥能登エリアはどこも同じかと思います。倒壊家屋や崩落した道路などを見ると4ヶ月経ってこの風景なんだって、皆さんが言われる通りと思います。他の災害とは比較しにくいのですが、過去の地震災害に比べれば公的支援も手厚いですし、新しい支援策が次々と出ています。見た目が全然進んでなくて、被災者も復旧が進んでない景色を見て前に向けない方もいるので、やっぱり大変な災害だなって思います。中山間集落もたくさんあって、集落ごとの未来というか、未来に向けてどのように集落を維持できるのかっていうのは、皆さんまだ見通せないと思うんですよね。この災害で過疎化が20年進行するなど言われていますが、集落全体の長期避難をはじめ、2次避難や仮設住宅にも入れない、車座になって皆が揃って話せる機会も持てない中では、まだ復興のスタートラインにも立てない集落もあると思います。ですが一方で時は進んで、報道は日ごと少なくなって、能登のことはみんな忘れていってしまいます。

山本:自分もそうですけど、やはり近くにいないと、遠くに離れた人が災害を記憶し続けるのは難しいことだと思います。この辺りの集落の人も、2次避難とか仮設住宅に入って、戻ってこない方が多いんですか?

小林:親戚とか息子の家とかに避難して、そのまま移住する人も出てくるでしょうね。歴史ある建物が解体されるって話も出ています。僕らはできることを可能な限りやろうと思っていますが、基本的には技術系と言われてる属性なのでメインは建物支援です。そこを通じて目の前の課題を少しずつ一緒に解決し、その人らしいそれぞれの生活再建の後押しをできたらと思っています。住まいは復興の課題の中でも大きな部分を占めていて、福祉的にも緊密な関係があります。

山本:熊本の水害時に建築と福祉がセットになって動くことができたのは、おそらく熊本という地域だからこそできたことだと思うんですけど、今回の震災にも、この地域だからこそできる建築士と他の専門分野の方との連携の仕方があるのかなと思いました。全ての災害に共通して有効な方法は何となく無さそうな感じがします。

熊本県人吉市の人吉旅館(登録有形文化財)にて。所有者をはじめ建築士、ヘリテイジマネージャー向けに木部を傷めない効果的な消毒方法やカビ等除去の方法を説明。

小林:東日本大震災以前は支援活動の中で僕らみたいな技術系って分野自体がなかったので、それが確立したのは本当にここ数年ぐらいのものですから。でも今は建築士や建築施工者も、社協さんや福祉の世界の人たちに必要だと認知されてきているので、今後は連携が取りやすくなると思うんです。 例えば、いま建築プロンティアネットさんが能登で建築分野で活動されていますけど、活動地域の社協さんや自治体と一緒に連携してやるとか、もしくは少し先の未来を見据えて協定を結んで一緒にやるとなど、色々可能性があると思います。災害ケースマネジメントの中でも担い手として位置づけられていますので、今後の復興の過程でも大きな力になります。

山本:常時に備えておくのはやはり大切ですね。小林さんたちが東日本時に東北の福祉施設に集まる約束をしていたような具体的な約束ごとから、協定を結んでおくという先を見据えた備えも。

小林:4か月経ってまだ本当に困ってる人が見えにくいところがあります。避難していたり、目に見えない被害に遭った方もいます。それでも支援者の皆さんは頑張って足で訪問したり、アウトリーチしながら困ってる人をそれぞれが探しています。そういう方が見つかった時に、どうフォローするのかっていう場面になった時に、建築の支援っていうのは必ず必要になってきます。やっぱり地元の建築の専門家が助けてくれるっていうのは、地域にとって大きな力になるので、支援活動はこれからだと思います。建築プロンティアネットの皆さんも今までは緊急支援で、建物調査やアドバイスなどを広範囲でやられていたと思うのでうすが、これから先はそこから一歩進んで、本当に困っている方に手を差し伸べられるか、という局面もでてくるのではないかなと思います。僕らよそ者はいずれは居なくなってしまうので、地元の支援者の皆さんが復興の要になります。5年、10年と復興の道のりが進む中で、能登地域をよりよい復興に導くのは地元の支援者の皆さんです。

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山本周
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1985年生まれ。金沢美術工芸大学デザイン科、同大学院修士課程修了。長谷川豪建築設計事務所を経て2015年より石川県金沢市にて山本周建築設計事務所の主宰と、小冊子「金沢民景」の制作をしています。