【特別寄稿】第18回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展レビュー

Enough Message, More Critique

川勝 真一
建築討論
22 min readAug 14, 2023

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2年に1回、世界中の建築関係者が集まるヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(Biennale Architettura 2023)が11月26日まで開催されている。1980年に第1回が開催され、今回で18回目を迎える。総合キュレーターに初めての黒人女性としてレズリー・ロッコ(Lesley Lokko)が指名されたことでも注目を集めた。「脱炭素化」と「脱植民地化」の世界的な潮流を意識した展示は、一部の建築家から建築(物)のない建築展だとの批判も出ている★1。しかしこのことは、化石燃料と植民地からの収奪を前提とした近代的パラダイムから脱するためには、建築を空間へと還元するという(近代に優勢になった)認識からの脱出が必要だということを問うているのだろうか。加えてロシア館の閉鎖と、ウクライナの特別参加は、ビエンナーレの前提となる国民国家というコンセプト、さらには国境/境界をめぐる状況への批評的再考を私たちに促す。

企画展が開催されるセントラル・パヴィリオン

未来の実験室としてのアフリカ

総合キュレーターを務めるガーナ系スコットランド人のロッコは、ロンドンのバートレット校で修士号を、そしてロンドン大学で博士号を取得し、主に英語圏の大学で教育に携わる。またヨハネスブルク大学にアフリカ初の建築大学院(GSD)を設立し、2021年にはガーナにAfrican Futures Instituteを立ち上げるなど、アフリカにおける建築教育の発展に力を注いできた。11冊の小説を出版した小説家でもある。

今回彼女が掲げたテーマは「The Laboratory of the Future」。そもそもビエンナーレのような国際展は、世界中から未来に向けた実験的な提案を持ち寄り発表する場なので、何の実験場なのかを示して欲しいところではある。ただし彼女自身が公式HP内でも「アフリカとアフリカン・ディアスポラ(アフリカから世界に離散した人々)にスポットを当てる」と明言していることから、ここでの実験室とは彼女のルーツであるアフリカを指すとの推測できる。昨年プリツカー賞を受賞したフランシス・ケレ(Francis Kéré)も展示の中で、現在のアフリカ大陸のCO2排出量の割合は極めて低く、それはアフリカのライフスタイルが脱炭素社会の進むべき道を示唆するものであると言及している。他にも世界中に離散したアフリカン・ディアスポラが生み出したハイブリッドな文化形態や、「土着的(indigenous)」な建築文化を現代的なテクノロジーに接続したエコロジカルな提案やリサーチが、実験の具体例になる。

企画展内のフランシス・ケレの展示の様子。アフリカの伝統的な暮らしや工法をベースとした現代建築を提案する

ちなみにヴェネチア・ビエンナーレは大きく分けて、総合キュレーターによる企画展と、各国が自国のパヴィリオンで実施するパヴィリオン展からなる。後者は各国が独自に企画するが、金獅子賞などの審査には総合キュレーターも参加するので、総合テーマへの何かしらの応答になっているものも少なくない。その他に無数の関連展示・イベントが、ヴェネチア本島東端に位置する「ジャルディーニ」と造船場跡を転用した「アルセナーレ」の二会場を中心に、島内全域で実施される。

公式ガイドブックに掲載された展示会場を示すマップ。ここに掲載されていない企画も多数存在する

「私たちは誰か」と言う問いかけ

今回ロッコがキュレーションした企画展「The Laboratory of the Future」の出展者は、公式HPによると合計で89人、その半数以上がアフリカまたはアフリカをルーツとする。また男女比はほぼ半々で、出展者の平均年齢は43歳。「Force Majeure(優勢な力/不可抗力)」、「Dangerous Liaisons(危険な関係)」、キュレーター特別プロジェクトとしてアフリカの若手実践者を招いた「Guests from the Future」、「Food, Agriculture&Climate Change(食・農業・気候変動)」、「Gender&Geography(ジェンダーと地理)」、「Mnemonic(記憶術)」、「Special Participations 」の6つのセクションから構成される。

セントラル・パヴィリオンのエントランスホールのインスタレーション

ジャルディーニのセントラル・パヴィリオンでは「Force Majeure」と「Guests from the Future」の一部が展示され、ディヴィッド・アジャイ(David Adjaye)、フランシス・ケレ、シアスター・ゲイツ(Theaster Gates)といった著名なアフリカ系建築家・アーティストの展示に混じり、若い世代の「実践者」たちによる文化人類学的・社会学的プロジェクトが紹介された。

アルセナーレでは「Dangerous Liaisons(危険な関係)」の展示を中心に63作品が所狭しと並ぶ。長年パレスチナを中心に難民キャンプでのリサーチや教育プログラムを展開してきたDAAR( Decolonizing Architecture Art Research)は、ファシズム時代に建設されたシチリアの村で、ファシズムの記憶が色濃く刻まれた建築を住人たちが主体的に解釈し合う姿を紹介するドキュメンタリーベースのインスタレーション作品《Ente di Decolonizzazione — Borgo Rizza》を展示し、企画展部門の金獅子賞を受賞した。DAARと長年協働関係にあるエヤル・ワイズマン(Eyal Weizman)らForensic Architectureによるウクライナの都市の考古学的調査に関する《The Nebelivka Hypothesis》、ウイグル自治区の収容所の実態を告発したKilling Architectsなど、戦争や紛争、差別に伴う暴力に対抗する取り組みが目を引く。

金獅子賞を受賞したDAAR《Ente di Decolonizzazione — Borgo Rizza》

その他、注目すべき展示としては、若手スペイン人建築家Flores&Prats Architectsの模型に図面や映像を組み込んだアナログでありつつ複合的なインスタレーション《Emotional Heritage》、NYの摩天楼に欠かせないステンレスの採掘やマーケットの欺瞞を告発する演劇仕立てのインスタレーションを展開したアンドレ・ジャック(Andres Jaquue)の《Xholobeni yards》、建築史家のメーベル・O・ウィルソン(Mabel O. Wilson)らによる無名の建設労働者の名を読み上げるエモーショナルなインスタレーション《unknown,unknown》などを挙げておこう。

Flores&Prats Architectsの展示《Emotional Heritage》

展示物の多くは、リサーチのドキュメントやそれをベースとしたインスタレーション、織物や刺繍などの工芸的なアプローチ、スペキュラティブナ状況を示す映像作品、そしてディアスポラのハイブリッドな文化表象物が多数を占め、確かに一般的な「建築」と「建築家」の姿は希薄だった。キュレーターは出展者を建築家ではなく「実践者」と位置付け、「アフリカと急速にハイブリッド化する世界の複雑な状況が、建築家という用語の異なる、より広い理解を求めている」と、それが半ば意図的だったこともほのめかしている。それは「文化は私たちが自分自身について語る物語の総体」であるのならその「“私たち”とは誰か」と問うことこそが求められているというロッコの姿勢を示す★2。ビエンナーレを頂点とする建築文化は、これまで通り私たち建築家の物語なのか、それとも社会的・政治的実践を通して空間構成に介入するさまざまな主体や、名もなき労働者も含めた「私たち」の物語として語り直されるのだろうか。

左:Lauren-Loïs Duah《Obroni Wa-wu》(中古衣服の流通についてのリサーチの工芸的な手法でのアウトプット)。右:GRANDEZA STUDIO《Pilbara Interregnum:Seven Political Allegories》(オーストラリアの資源収奪に関するスペキュラティブな映像パフォーマンス)

パヴィリオンを再定義するパヴィリオン

続いて64カ国が参加したパヴィリオン展示について見ていこう。国別展示部門で金獅子賞を受賞したブラジル館は、「Terra(地球)」をテーマとし先住民やキロンボラと呼ばれる逃亡奴隷のコミュニティ、土着信仰カントンブレなどの中に息づく土地や土に関するリサーチを通して、脱植民地化と脱炭素化の未来に向けた新たな規範を示す。特別表彰(special mention)を受けたイギリス館「Dancing Before the Moon」は、「儀式」をテーマにイギリスで暮らすさまざまなルーツを持つ人々が紡いできた抵抗の歴史や、文化的ハイブリッドを表象するアーティストの作品が並ぶ。ロッコの示した全体テーマにしっかりと応答を試みた両パヴィリオンが、評価されたと言えるだろう。

左:ブラジル館の展示風景。床や展示台は土で作られている。右:イギリス館内の6つの作品のうちの一つ

そのほか、アメリカ館は現代の暮らしに欠かすことができないが、同時に環境汚染の原因でもあるプラスチックを題材とした複数のインスタレーションを紹介し、デンマークは気候変動の海面上昇の危機にある沿岸都市のリサーチに取り組んだ。デジタルファブリケーションと砂・土を組み合わせたエコロジカルな建築のプロトタイプを展示したサウジアラビアや、キノコ(菌糸)を用いた建築資材を取り上げるベルギーなど、マテリアルに注目した国々も目についた。オランダ、バーレーン、ギリシャ、アルゼンチン、ジョージアなど複数の国が、着眼点は微妙に異なるものの「水」に関する展示だったのも気に掛かった。住宅不足への抗議拠点としてパヴィリオンを位置付けたカナダや、建築従事者の労働環境を問うチェコなど、どれも脱炭素化や脱植民地化という流れに緩やかに結びつきながらも(むしろこのふたつから完全に逃れることの方が現代では難しいのかもしれない)、各国の固有の歴史、気候条件や社会情勢を窺い知れるのが国別展示の醍醐味だ。その中でも特に印象的だった展示について、以下に紹介していく。

◯スイス館《Neighbors》
隣接するヴェネズエラ館との共有壁を取り壊し(レンガを分解し)、ふたつのパヴィリオンの間を行き来できるように改変させたスイス館。壁があったところには、床のレベル差を調整するための小さなスロープが置かれている。解体したレンガは中庭のベンチとして再利用され、ひとときの休憩場所となっている。その手つきがあまりにも自然だったので、何が起きているのか最初理解できず、そこを普通に通り抜けてしまった。聞けばヴェネズエラ側には相談せず、スイス側の壁を取り払ってしまったらしい。他にもパヴィリオン内の門を取り払うなど、空間的かつ建築的操作で、境界を取り払うことのダイナミズムを示す。やや強引ではあるが、まずは自ら相手との間の壁を壊し、距離を取り払っていく態度に感銘を受けた。

屋内展示室には、床一面に大きな平面図が描かれた絨毯が敷き詰められ、その上を自由に歩くことができる。この図面はカルロ・スカルパがヴェネズエラ館を設計した際に書かれたもので、スイス館との連続性を検討するために両パヴィリオンが描かれている。つまり壁の破壊は、建設当初の建築家の意図を踏まえた上での、現代的な介入だったわけだ。来場者は二つのパヴィリオンを行き来するのみならず、図面の上を自由に歩き回ることができるのだ。あえて言及しておくと、会場内にほとんど何も持ち込まず、その場にあったレンガの移動だけの展示は、脱炭素化の実践的なデモンストレーションでもある。

左:奥に見える壁の一部が壊されて隣接するパヴィリオンとつながる。レンガはベンチとして利用されている。右:室内展示室に敷き詰められた図面が印刷されたカーペット

◯ドイツ館《Open for Maintenance》
会場内を歩いていると何やら騒々しい作業音。何かと思えば一心不乱に電動サンダーで廃材を磨く人たちの姿。華やかなビエンナーレの雰囲気に、お世辞にも似つかわしくない光景を作り出したのはドイツ館だ。ドイツ館は、昨年のアート・ビエンナーレで出た各国の廃材をストックし、パヴィリオンを倉庫+ワークショップに作り替え、その上でヴェネチアの地域団体とともに、彼らが必要とするものを一緒に考え、廃材を用いて作成し、寄贈するプログラムを公開展示する。また廃材にはひとつひとつ、QRコードがあり、それがかつてどこの国のどの展示物だったかがわかる仕組みだ。これ自体、ビエンナーレとアートの価値システムへのアイロニカルな批評になっている。とにかく観客そっちのけで活動/労働に没頭している姿が清々しい。

加えて日中ずっと活動する必要があるためインフラ(トイレ、シャワー、キッチンなど)がパヴィリオン内にDIYされ、結果、かつては国家の威信を示すためのパヴィリオンが、活動/労働の場へとメンテナンスされてしまっている。こうした廃材ストック系の展示そのものは決して目新しいものではないが、あまりにも「ガチ」なDIYの姿勢と、パヴィリオンという存在そのもののメンテナンスするという試みを評価したい。

左:屋外での作業風景。 右:パヴィリオン内の展示室がサニタリースペースにメンテナンスされた様子

◯ノルディック館《Girjegumpi : The Sami Architecture Library》
いつ見ても美しいスヴェール・フェーン設計のノルディック館は、建築家でアーティストのジョア・ナンゴ(Joar Nango)による巡回型のコレクティブライブラリー「Girjegumpi」を紹介する。ナンゴが15年以上をかけて収集した原住民サーミ族の文化や建築に焦点を当てた、書籍や資料を中心としたリサーチとアーカイブがメインコンテンツだ。内容も(おそらく)大変興味深いものなのだろうが、この手の展示にあるようなひたすら資料を読み込むということをせずとも、パヴィリオン内に溢れる原木や毛皮を用いたindigenousな構造物、そして生の素材が持つ独特の匂いを体験するだけで、オルタナティブな空間性やマテリアルの扱い方の可能性を想像できるのが、この展示のよい点だろう。こうした不揃いな樹木の活用は3DスキャンとAR技術の導入で、これから活用が進みそうなところでもあり、表現としても現代性を伴ったものに思えた。

右:ノルディック館展示風景。左:不揃いな木材がダイナミックに組み合わされた什器

◯オーストリア館《Participazione》
「失敗」を見せるというユニークな方法を採用したオーストリア館。ジャルディーニの北東に位置し、塀を隔てて隣接するサントエレナ地区は観光地化が進むヴェネチアの中でもまだ住民の暮らしが残っているエリアとして知られ、キュレーターはパヴィリオンの一部を街の人に開放し、活用してもらおうと試みたようだ。具体的には、ジャルディーニと街を隔てる塀を乗り越える仮設の橋をつくり、パヴィリオンの半分を地域住民の集会所、もう半分を観客向けの展示室として利用するという計画だ。お互いに行き来できないものの、開口部を通して、お互いの存在が可視化される。J・ホフマン設計のパヴィリオンが持つ左右対称の空間構成を逆手に取り、ビエンナーレと住民の非対称な関係を暴くというのが痛快だ。

実際にはヴェネチア当局から橋をかける許可が降りず、建設は途中でストップし、来場者は作りかけの橋をやりきれない気持ちで眺めることになる。展示室には「失敗」の顛末を示す模型や図面、当局とのやりとりを示す書類がドキュメントされ、ビエンナーレと地域コミュニティの未来について考えさせるものとなっている。

左:プロジェクトの顛末を示す掲示物。右:地域住民の集会場として使われる予定だった構築物

◯ラトビア館《Welcome to T/C latvija》
ビエンナーレそのものを問う制度批判的なアプローチを、ポップかつアイロニカルに展開したラトビア館。アルセナーレの展示室内に突如スーパーマーケットのような空間が現れるので、展示が終わってお決まりのお土産コーナーに入ってしまったかのような錯覚を覚えた。所狭しと陳列されたカラフルな商品パッケージには「WALK IN ARCHITECTURE」「Natural Architecture」「New forms Wood」など、過去のビエンナーレで提示された展示テーマが原産国(出展国)の国旗と共に記されている。さまざまな建築的アイデアが陳列され、購入(投票)されるという、現在のビエンナーレと建築の状況を鮮やかに描き出す。辛辣なテーマを楽しく、体験的に表現した展示だ。

愛されることの先に

◯日本館《愛される建築を目指して-建築を生き物として捉える》
最後に日本館について触れておこう。今回の日本館は吉阪隆正設計による日本館そのもの成り立ちや、建築家の思想に焦点を当て、愛される建築の生きた実例としてプレゼンテーションするという内容だ。吉阪がどのような思いを込めて日本館を設計していたかを、キュレーターチームが丁寧に読み解き、図面やドローイング、当時の資料を通して示した。会場内には吉阪が発した珠玉の言葉の数々が散りばめられ、それを選定したキュレーターの強いメッセージが感じ取れる。また出展作家である森山茜の木漏れ日のようなカーテン、水野太史の陶片モビール、dot architectsのピロティのワークショップスペースは、それぞれ日本館の空間的な特徴についての目印となり、空間を活性化させるための美しいインスタレーションであった。全体を通して、何よりも吉阪隆正と、その建築への愛に溢れている。いや、むしろ溢れすぎている。その愛(されることへの欲求)の強さが、吉阪と日本館に対する新たな解釈を閉ざし、ビエンナーレという場に対して内向きな印象を生み出してしまったのではないかと感じた。

左:日本館の外観。ピロティにdot architectsの作品、奥に森山茜のカーテン。右:展示室内風景。中央の天井からぶら下がるのが水野太史による陶片モビール。床の開口部を抜けてピロティまで落ちていく。

今回のビエンナーレでは、日本館の他にも自国パヴィリオンを題材とした国がいくつか存在した。先ほども触れたように、設計者の理念を引き受けつつ、隣人との境界を取り払うという現在的なパフォーマンスを示したスイス館、J・ホフマンによるクラシカルなプランニングを流用してビエンナーレと日常の暮らしの非対称性を明示したオーストリア館、かつての権威主義的な展示空間を労働の場へと変換させたドイツ館、またH・リートフェルト設計のパヴィリオンの雨水利用から現代の水ビジネスの資本主義的側面を暴くオランダ館などだ。それらは必ずしも脱植民地化や脱炭素化という主題に直接的に応えるものではないが、パヴィリオンの政治性や歴史的な限界を批評的に応じ、これまでの理解や位置付けの外側を志向した試みだったと言えるだろう。そのような姿勢は残念ながら日本館には希薄だ★3。

付け加えるならばジャルディーニという場所は、その成り立ちも含め植民地時代を思わせる空間構造を持つ政治的な場である。まず常設パヴィリオンを持てる国はたった29カ国しかなく、その配置に関しても、メインストリートの先の小高い丘の正面にイギリス館があり、その両サイドにフランス館とドイツ館が相対するというように、極めて権威主義的構成を見せる。ビエンナーレが芸術の祭典であると同時に、国家の力を誇示し、芸術を通した代理戦争の場でもあることを思い起こさずにはいられない(今回のロシアの不参加とウクライナの特別参加は、それが現代においても変わらないことをあらわしている)。

ジャルディーニのメイン通り。突き当たりの少し高くなっている位置に「Great Britain」館

日本館は丁寧なリサーチと洗練された空間構成によって否定し難いメッセージを投げかけてはいたが、20世紀という時代を生きたコスモポリタンたる吉阪隆正の建築(家)像を更新するものではなく、再評価、あるいは強化する内容にとどまるものだった。設計当時には認識できなかった歴史的なフレームワークをあらためて問い直し、現在的視点からその可能性と限界をぜひ示して欲しかった。

また3つの出展作品についても、なぜその3つだったのか、単純な総和以上の「何か」が生まれていたのだろうか。陶片モビールが床に開けられた穴を介して展示室内とピロティを繋いだり、逆に植物を蒸留した香りがピロティから展示室内に届けられたりといったことはあったものの、両者が混じり合っているような効果や現象には出会えない。その関係性や全体像が不明瞭なため、日本館の特異点を指し示すための矢印、あるいは飾りのように見えてしまったのが残念だ。

最後に。実験場のエッセンス

毎年交互に開催されるヴェネチアでの建築展と美術展は、表現の形式だけを見ると、リサーチ、ドキュメント、アーカイブ、インスタレーション、工芸的アプローチのオブジェなど、その差異はますますなくなりつつあるように思われる。今回のような、ある種の「正しさ」に真摯に向き合い、近代的システムからの逸脱を目指すにあたって、そのアウトプットが従来の建築的な表象物、新しい空間体験やセンセーショナルな建築プロジェクト紹介だけにとどまらないのは理解できる。

しかし、これがアートイベントではなく建築展であるならば、未だ見過ごされている問いをとらえ、作品を通して人々に突きつけるのとは異なる、何かしらの提案、プロポーズを含む展示であって欲しいとも願う。権利の主張や問題だというメッセージの発信から一歩踏み出し、未来に向けて「だったらこうしてみたらどうだい?」と問いかけ、応答を期待する。それこそ、建築ビエンナーレという実験場が持つべきエッセンス、展示をする/見ることの醍醐味ではないだろうか。いまや毎年のように、世界各地で複数開催されているビエンナーレなどの建築祭が、今後も建築文化の豊かな土壌を生み出していくことを願い、その存在意義について引き続き検証していきたい。■

展覧会情報

展覧会名│BIENNALE ARCHITETTURA 2023:18TH INTERNATIONAL ARCHITECTURE EXHIBITION
会期│20 May to 26 November 2023
会場│アルセナーレ、ジャルディーニ他、ヴェネチア、イタリア
入場料│Full price € 25、Concession € 20、Students and/or Under 26 € 16
総合キュレーター│Lesley Lokko
公式HP│https://www.labiennale.org/en/architecture/2023
日本館HP│https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/j/


★1:例えばZAHA HADID Architects代表のパトリック・シューマッハによる以下のような記事が存在する。「Venice Architecture Biennale “does not show any architecture” says Patrik Schumacher」(https://www.dezeen.com/2023/05/23/patrik-schumacher-venice-architecture-biennale-no-architecture/
★2:以下のページを参照(https://www.labiennale.org/en/news/biennale-architettura-2023-laboratory-future-0
★3:日本館のすぐ横には閉鎖中のロシア館が静かに佇む。そのロシア館に面して置かれた石板には「大地は万人のものだ」という吉阪の言葉が記され、意図的だったかは判断つかないが、隣人へのメッセージがささやかな形で示されていた。

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川勝 真一
建築討論

1983年生まれ。2008年京都工芸繊維大学大学院修士課程修了。2008年に建築的領域の可能性をリサーチするインディペンデントプロジェクト RAD(Research for Architectural Domain)を設立。