王澍著『家をつくる』

揮毫の建築家(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
Oct 6, 2021

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政治・経済のみならず、文化においても中国の台頭は目覚ましい。建築分野でそれを象徴する出来事といえば、2012年の王澍によるプリツカー賞の受賞であろう。本書は、その王澍が自身の半生や思想を、建築とのつながりで著したものである。

王澍著『家をつくる』

インターネットが普及するいま、プリツカー賞受賞者ともなれば、建築作品の写真や映像を探すのは容易い。そのため、一度は王澍の作品をご覧になったことがあるのではないだろうか。現代建築でありながら、中国数千年の歴史を耐えてきたような、彩度の低い、鈍く重い表情が印象的である。本書にもたびたび登場する、王澍の代名詞ともいえる「瓦爿(ワーパン)」という技法が、その印象に一役買っているのは間違いない。中国台頭の影で伝統家屋は破壊を余儀なくされてきた。その現場で廃棄物となったレンガや瓦を集め、再び壁体へと積み上げなおすこの技法は、伝統的な職人芸の応用という域を超えて、中国が成長によって何を失いつつあるかを指し示す鋭い批評となっている。王澍の建築に見るこうした社会性や循環的資源利用、さらには、マテリアリティや手仕事感といった、近代がどこか脇に置いてきた感覚を取り戻そうとする世界的潮流とのシンクロが、王澍がグローバルな文脈で評価された所以であろう。

ただ、王澍にどこまで言葉があるのかを、私は知らなかった。王澍の作品に含まれる上記のようなメタな意味合いは、21世紀初頭の建築界の流行に沿って、外から発見されただけなのか、あるいは王澍自身が強くそれを意識していたのか。中国語を解さない私にはわからなかった。したがって、日本語話者が王澍の思想にまとまった形で触れられる本書は、それを知る絶好の機会である。

結論からいえば、ここまで饒舌に主義主張を語る人だとは予想していなかった。批評性よりも感性が先行する人だと勝手に想像していた。本書で、自身を反逆児と語り、この世にたった一つの世界しか存在しないとは思わず、別の世界がありうることを示すために営造を試みる彼の態度は、体制におもねる気はさらさらなく、かといって浮世離れもしていない。社会への強い意志を感じる。設計を語る言葉にはロジックがある。

では、なぜ私は見当違いをしていたのだろうか。それは、王澍が本書で何度も述べるように、中国伝統社会の文人のような建築家を志しているからだろう。文人は多芸である。知識人でありながら、書・山水画・造園など創作を嗜む。王澍はそれに倣って、設計者としてのみならず、施工も嗜み、造園も嗜む。その結果、「揮毫するように建築をする」という状態が生まれているのではないか、というのが私の仮説である。

書とは、建築に喩えれば、設計と施工が完全に一体となった創作だといえよう。描くイメージは筆を走らせる以前からあるのかもしれないが、筆を走らせながらでないとそのイメージは固まらない。そもそも一瞬で紙に染み込む毛筆の先の墨を、完全にコントロールするなど不可能だろう。予め決まったデザインがあるのではなく、つくりながらデザインが決まる。しかもそこには創作者の意図を超えた偶発性が紛れ込む。王澍の建築はそのようなものなのではないだろうか。職人の癖、現場での補正、自然との対話が豊富に盛り込まれた彼の作品には、どことなく偶発性、他者性がある。理ではコントロールできない何かがある。そのため、表面的には感性のゆらぎが建築をつくっているように私には見えたのではないだろうか。しかし、その背後にはしっかりと社会を見据える知性がある。それが王澍だとすれば、いやいや、だから文人なのだと、納得がいった(これもまた見当違いかもしれないが)。

ただし、王澍は突然変異のように中国に現れたわけではない。王澍のプリツカー賞受賞は、私たちがようやく中国に目を振り向けるようになっただけともいえる。大学で建築を学んだからといって、中国近現代建築史に触れることは日本ではほぼ皆無だが、しかしその歴史に触れるなら、ある種の歴史的必然性をもって、王澍が中国建築界に登場したことがわかる。本書に新たに付された、訳者の一人市川絋司による25頁2段組にもおよぶ解題から、それは明らかである。本書の日本語版が出たことのメリットは、王澍の言葉に加えて、中国における王澍の位置づけを記した市川によるこの解題である。

市川によれば、近現代中国建築史において王澍は第四世代の建築家にあたる。それは丁度、1978年の改革開放以後の開放的なムードの中で建築教育を受けた一群だという。独裁という状況は変わらずとも、経済状況の改善と、教育や言論のある程度の自由が混じり合った季節だといえよう。欧米での建築思想へのアクセスも容易になり、目の前の建築教育や建築デザインに批評的になる。少なくとも王澍はこの時代に育てられた。

このように、開発独裁が上昇気流に乗った頃、自由な雰囲気が高まり、既存の建築教育や規範に物申す若い建築学生らが登場する。例えば、私が専門とするインドネシアでもそうである。スハルト独裁体制は1980年代より外資の規制を緩和するなど、民間資本による経済成長がはじまる。そのムードの中で既存の建築界を批判する若い一群の建築家たちが登場した。アンドラ・マティンなどこの一群のメンバーは近年インドネシアで活躍する建築家たちである。いわばそうした目で新興国の20世紀末を眺めるならば、中国第四世代という枠組みを超えて、王澍世代と括りうる建築家たちが世界各地で見いだせるのかもしれない。つまり本書をきっかけに、中国に振り向けた目を、より広い世界へと私たちは向けてもよいのかもしれない。

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書誌
著者:王澍著
訳者:市川紘司・鈴木将久・松本康隆
書名:家をつくる
出版社:みすず社
出版年月:2021年6月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか