田原史起著『草の根の中国:村落ガバナンスと資源循環』

ガバナンスの一形態として建築を見る視点(評者:市川紘司)

市川紘司
Nov 2 · 7 min read

近年の中国建築で注目される潮流として、農村地域を舞台とするプロジェクトがめざましく増えている点が挙げられる。増え出したのはおおよそ2010年代の半ばを過ぎたころだろうか。経済成長の急速な進展とともに広がった都市圏域のなかで、停滞する日本では到底構想も建設もされないような大陸的スケールの巨大建築がガンガンに建てられる──、というのが、おそらくこれまでの中国現代建築が一般に提示していたイメージではないかと思う。もちろん、そのようなある種「景気の良い」世界が中国建築に無くなってしまったわけでは決してない。けれど、とくに小規模なアトリエ事務所を運営する(日本風に言うと)「アトリエ系」建築家たちの仕事は、都市の内側のみに留まることをやめて、中国大陸の広く深い農村部へと次第に拡散を始めているようである。こうした動きの背景はさまざまだが、ひとつには都市域での開発がルーティン化し、新規参入がどんどん難しくなっていることが挙げられるだろう。中国現代建築のこのような変質を私はひとまず「村落的転回」(ルーラル・ターン)と呼んでいる。

問題は、農村地帯にまで広がった中国建築家たちの諸実践はどのように読み解かれるべきか、ということである。中国現代建築に、気候風土の豊かな偏差に応じる(批判的)地域主義的な傾向が広く見られることは、よく知られていよう。プリツカー賞を受賞した王澍は代表選手の一人である。都市から遠く離れた僻地を舞台とする農村プロジェクトでは、使える情報・資材・技術・人等々が少なくならざるを得ない。ゆえに畢竟、そうした特徴はより強くなる。このような視点に立つと、中国建築家たちによる農村での実践群は、彼らが都市でおこなってきたことの延長線上に位置づけられそうである。

建築単体の設計方法や意匠的特徴に注目するかぎり、おそらくこのような理解は一定程度正しいだろう。しかし、もう少し別の読み取り方も可能でははないかと思う。そのための有用な視点を提供しくれるのが本書『草の根の中国:村落ガバナンスと資源循環』である。

田原史起著『草の根の中国:村落ガバナンスと資源循環』

中国社会論を専門とする田原史起による本書が掲げるのは、中国農村を「ガバナンス」の領域として捉える視点である。ここで言う「ガバナンス」とは、政府(公, official)やコミュニティ(共同体, common)、個人(私, private)などの多元的なアクターが主体的かつ共同する統治システムを指す。対概念となるのは「ガバメント」、すなわち政府が一元的に統治管理のためのサービスを提供するシステムだ。現代中国というと、社会主義的な中央集権によるガチガチの管理社会だと思われがちだが、そうした「ガバメント」は実際のところ都市域に限定される。中国村落はむしろ、それとは対照的な「公-共-私」が複雑に絡み合いながら協働する「ガバナンス」の領域なのである。このような「都市=ガバメント/農村=ガバナンス」という対称性が生み出された背景には、1949年以後の毛沢東時代に形成された「都市=農村二元構造」にもとづき、都市には手厚い政府サービスが施される一方で、農村がその外に置かれて「自力更生」による維持管理が期待されるという中国独特の現代史があった。

それでは、中国農村では具体的にどのように「ガバナンス」の統治システムが駆動しているのか。本書では、著者がフィールドワークを敢行した4つの地域──山東省果村、江西省花村、貴州省石村、甘肅省麦村──が、ケーススタディとして紹介されている。

後半の3エリアがとりわけ興味深い。内陸部奥地に所在するこれらの農村は現状経済的に未発展である。将来的な経済発展に資する各種の「資源」(金、労働力、天然資源等々)もほとんど期待できない。しかし、そのようなある種苛酷な条件を前提化したうえで、それでもなお村落コミュニティを維持すべく、村の内側、及びその外側に広がる地域一帯の限定的資源を巧みに発見・循環する「ガバナンス」が働いていることを、本書は明らかにしている。

たとえば、第5章で紹介される貴州省石村。険しい山奥に位置するこの村落が維持・発展するには交通手段=道路の建設が不可欠となるが、村コミュニティからその資金を捻出することは不可能であり、政府主導の公共事業とならざるを得ない。そこで村と政府を結ぶ「有力者」が育成される必要が顕在化し、こうして私設の教育施設が整備されていく。しかし、満足な教育を受けて大学まで出たエリートたちは将来性の乏しい村に帰ってくることはまずない。人材流出に代わる何らかのフィードバックを得なければ村は衰退するのみである。そこで、たとえば山の奥地には不釣り合いな豪勢な墓碑建設の仕組みが形成されることになる。墓碑建設は、村外=都市に出たエリートによる資金援助の対象になるとともに、距離を隔てた血縁コミュニティの再確認作業ともなり、さらには村内でだぶつく労働力の捌け口ともなる。 こうしてフィードバックが得られるのだ。他方で、巨大墓碑の運搬や建設のための重機を入れるためには近代的な道路は維持されねばず、よってインフラ投資も続けられる……。このように、村コミュニティ、個人、政府という多元的主体が局面局面で連動し、都市域までを巻き込みながら潤沢ではない人材や資金を還流させることで、石村の「ガバナンス」は絶妙かつ微妙なバランスのうえに維持されているのである。

フォーマルな制度や組織によって安定的に運営されるのではない、散発的にしか見えない出来事とその参与アクターが明に暗に連なることで維持管理される中国農村の動態的統治の仕組みは、非常に興味深い。本書を読むと、我々は(少なくとも評者は)隣国の農村の実態についてほとんど何も知らないことに改めて気付かされる。我々が日本のメディアをつうじて朧気ながら知る中国農村とは、せいぜい共産党専制とは異なる「村民自治」の可能性であるとか、農民工の存在に象徴される都市-農村間に横たわる「経済格差」などだろう。本書は、そうした「民主主義」や「経済成長」といった都市的価値基準によって歪められることのない中国農村の姿に迫るものである。

冒頭の話に戻せば、近年隆盛する中国建築家たちの農村プロジェクトも、以上のような動態的なコミュニティ維持のための諸活動のなかに位置づけられるはずである。農村プロジェクトには、村落ツーリズムの観光客を当て込んだ民宿や、教育援助のための学校や図書館などがあるのだが、それらの表面上の意匠や設計方法にのみ耽溺することなく、建築行為の一連のプロセスのなかにいかなる主体が参与し、どのように金や資材が循環しているのかに着目してみること。言い換えれば、村落コミュニティを維持し、活性化するための「ガバナンス」の一形態として農村プロジェクトを捉えること。このような視点に立ったとき、中国現代建築の村落的転回は、建築という生産物の設計・生産が地域社会の持続にどのように寄与し得るのか、という普遍的な問いを考えるための優れたサンプルとなるだろう。そのサンプルスタディが現在の日本建築にとっても批評的に意味をもつことは言うまでもない。

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書誌
著者:田原史起
書名:草の根の中国:村落ガバナンスと資源循環
出版社:東京大学出版会
出版年月:2019年8月

建築討論

市川紘司

Written by

いちかわ・こうじ/1985年生まれ。建築史・建築論。博士(工学)。明治大学理工学部建築学科助教。著書に『中国当代建築──北京オリンピック、上海万博以後』(編著、フリックスタジオ)など。『世界』(岩波書店)にて中国近現代建築文化論を連載中

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