疑問4 ── 建築賞における中央/地方バイアスはある?

050|202012|特集:建築作品評価をめぐる素朴疑問 ──厳選5問に対する平易で偏った回答集

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建築賞は、建築を評価するものとして、定着している。建築賞によって、その建築は優れているというお墨付きを与えられるわけだが、それには建築賞の評価が適切でなければならない。審査に際しては、その建築をよく理解する必要があり、評価する能力をもったものが審査にあたる必要がある。審査の基準や過程が明確にされ、透明性があるほど、賞の評価が妥当と言える。各賞には、対象としている建築が定められており、その対象範囲の中でとくに優れた建築に賞が与えられる。審査対象となった作品群には、その賞が対象とする建築のうち優れたものが含まれているのかどうかが重要である。建築賞には、特定のジャンルが定められることもあるが(新人賞、環境賞など)、対象にはさまざまな機能、規模、所有者、予算のものが含まれ、それらを公平に評価できるのかは、変わらず悩ましい問題であり、言ってしまえばそれは解決しえない建築賞の性質である。さまざまな要件によって、建築の評価は左右される。数多くある異なる条件のなかで、この論考に与えられたテーマは、中央と地方(周辺)とで審査におけるバイアス(偏り)があるかどうかである。

プリツカー賞の場合

もっとも権威がある建築の賞といえば、プリツカー賞があげられる。「建築界のノーベル賞」という飾り言葉がこの賞に対していつも使われるが、それほど重要な賞だということで認知されている。実はプリツカー賞は、世界的建築賞のなかでは比較的新しい。RIBA(英国王立建築家協会)ゴールドメダルは1848年にはじまり、AIA(アメリカ建築家協会)ゴールドメダルは1907年にはじまっている。対して、プリツカー賞は1979年からとまだ40年ほどの歴史しかない。第一回受賞者は、フィリップ・ジョンソンであった。当時ジョンソンはAT&Tビルを完成したばかりであり、タイム誌の表紙を飾るなど、話題の頂点にいた。建築界の大御所であり、輝かしい作品歴を持つことから受賞は妥当であろうが、生まれたての賞がジョンソンの威勢を借りたようにも見える。当初はそれほど重要な賞とはされていなかったが、その後プリツカー賞は世界的評価の高い建築家に賞を与え続け、評価は定着し、現在に至る。

国際的建築雑誌『a+u』誌(新建築社)の名編集長だった中村敏男さんは、プリツカー賞の審査を1990年代に9年間務め、そのエピソードを自身の回想録の中に記している。はじめて審査に参加した1990年のこと。まずニューヨークに行き、6月10日ロンドンへ移動。「プリツカー家の自家用機は、10人乗りの双発ジェット機だった。税関もパスポートもなし。機内では、彼らはよく喋り、よく飲み、よく食べた。(中略)約8時間後の午後10時、ロンドン、スタンテッド空港に到着した」。11日、ロンドンにて、J・スターリング、R・ヴェンチューリ、N・フォスターの建築を訪問、途中ダイアナ妃の生家での昼食会。夜、小型ジェットでパリへ。翌日パリでの見学を終え、フランクスフルトへ。その翌日は、H・ホライン、O・M・ウンガースなどを見た後、ミラノに移動。さらにその翌日はM・ボッタの住宅群を見て、ヴェネチュアへ。ヴェネチュア、ヴィチェンツアでは、パラーディオを見るなどし、最終日6月16日は、その年の授賞式(アルド・ロッシが受賞)が行われた。宿泊先や会食会場は、毎日きわめて豪華な場所で、連日多くの重要人物とも交流をしている。自家用ジェットでの移動にはじまり、審査ツアーの様子は驚くべき贅を尽くしたものであるが、毎日移動をし、見学、社交を続けるのは、かなりのハードワークと想像される。世界的な建築賞であれば、このように審査員が世界中の建築をまわらなければいけないことになるが、プリツカー財団のような潤沢な資産がなければ実行は不可能であろう。上記の日程では、ヨーロッパの各地を回っているように、その頃プリツカー賞は、欧米の白人建築家のためにあったといえる。最近では、日本、中国、インド、オーストラリアなどの建築家が多く受賞しているので、審査ツアーがより世界的なものとなっているだろう。

プリツカー賞は、最初の10年の間に11名に贈られ、そのうち5名がアメリカ人である。そのなかで、1987年の丹下健三の受賞であり、中心/周辺でいえば、日本は明らかに周辺に属していた。ところが、2010年代の10回を見ると、そのうち4回もが日本人建築家に贈られている(2010年 SANNA、2013年伊東豊雄、2014年坂茂、2019年磯崎新)。しかもアメリカ人はゼロ。ヨーロッパ人は3回受賞しているが、2011年のソウト・デ・モウラや2017年のRCRは、都市的というよりも、ローカルに根差した姿勢への評価ゆえだ。かつてのプリツカー賞は、世界的に活躍しているスター建築家を評価していたが、その流れが変わり始めたのは、オーストラリアでこつこつと環境に配慮した住宅を作り続けていたグレン・マーカットの受賞(2002年)であり、中国の伝統と地域性を感じさせる王澍(ワンシュウ)の受賞(2012年)であろう。坂茂の受賞(2014年)も自然災害時の緊急対策活動が高く評価され、2016年受賞のチリのアレハンドロ・アラベラも地域の状況を背景に持つ活動が注目された。明らかに、プリツカー賞の評価基準は、中心的なものから周辺的なものへと移行している。このように、建築賞は時代によってその性格を変えることがあり、またプリツカー賞にみられる変化は、建築界の変化のみならず、世界的社会状況を反映しており、たんに建築界での議論によって決まっているのではない。

図:2012年プリツカー賞を受賞した王澍による中国美術学院(杭州、2004年)

メディアと建築賞

プリツカー賞ほどの大掛かりなツアーではないとしても、多くの建築賞では現地審査が行われている。メディアが発達しようとも、審査員の理解力が卓越していようとも、実際に建物を経験することが建物の評価を大きく左右することに疑いの余地はない。とはいえ、現地審査がない建築賞も多々ある(わかりやすいところでは、建築だけの賞ではないが、グッドデザイン賞には現地審査がなく、応募者の資料によって審査がなされる)。そうした賞は、ある条件のもとでの評価がなされたと理解すべきであり、現地審査がないからといってその賞に価値がないとはいえない。行きにくい場所に建つ建築は、審査に困難が伴い不公平であるとすれば、書類だけの審査であれば場所に関わらず行うことができ、よってフェアだといえる。

昨今は、ネット上の情報で、建築について触れる機会が増えているが、それもまた建築賞のあり方に影響を与えている。世界で一番の規模をほこる建築サイトArchidailyでは、毎年視聴者による投票によって、年間賞ともいえる〈ビルデイング・オブ・ザ・イヤー〉を選定している。専門的審査員はおらず、情報は同サイトの視覚を主とした情報のみである。この一種の人気投票の、建築賞としての価値を疑うことはできるが、現在の一つの状況を示しているのは間違いない。現在世界的建築家はみなインスタグラムのアカウントをもち、フォロアーの獲得に励んでいる。確かにネットの情報には限界がある。ただ、ここでの議論の文脈でいえば、ネット上には、中央/周辺をはじめとする場所によるバイアスは生じていない。

繰り返しているように、建築の評価には、現地での実体験がきわめて重要であり、それゆえ建築の立地は建築の評価に確実に影響を与える。僻地に建つ建築は訪問が困難である。これは、建築賞の審査の事情に限られない。実際に訪れた人が多いほど、その建築の評価は広く流布する(今日ではSNSで大量に拡散される)。それらの評価が、建築賞において現地審査を行うか否かの判断に影響を与えることは多いだろう。であればより多くの人の目にさらされている都会の建築の方が優位だといえるが、良くない建築であれば、ネガティブな評判が広まることを防ぐことはできない。

こうした評価は、個人によってもなされるが、影響力が大きいのが建築雑誌をはじめとする建築メディアである。建築雑誌への掲載は、建築賞と同じように、あるセレクションを経た評価であり、建築家は著名雑誌に自作が掲載されるかどうかで一喜一憂する。この編集作業においても、建築賞と同様により優れた建築を掲載しようという編集者の意志があり(誌面を買うといった話はさておき)、そのことによって建築雑誌は評判を確保し、そしてそれは売上部数に直結する。であるから、メディアは優れた建築を紹介することに真剣となる。とはいえ、ここにも中央/周辺バイアスが生じる余地がある。建築賞同様、実際に見ずに建築の掲載を判断するのは難しい(まったく実物を見ることにこだわらないない建築雑誌もあるだろうが)。加えて、自社で撮影する場合には、カメラマンの現地への派遣も必要となる。締め切りに追われ続ける編集作業の隙間を縫って、編集者が地方にまで足を運ぶのはたいへんである。現地視察が見送られることも多いだろう。それが、都内近郊であれば、何かのついでにさっと訪問することも可能である。ここには、明らかに地方と周辺とで不公平さが生じる余地がある。

コロナと建築賞

日本建築会協会(JIA)では、表彰委員会がJIAの建築各賞を取りまとめており、私は昨年より同委員会の委員長となり、そのために今回の原稿依頼を受けたようだ。私の就任にあたって、各賞の見直しなどが期待されていたが、今年はそうした作業は保留となった。コロナのためである。今年の状況下にあって、春頃から数か月にわたって、今年度の建築賞の実施について議論が重ねられた。いくぶんテンションの高い委員内の応答もあった。私は、6月の理事会にてすべての賞を例年どおり実施することを報告し、それに先立ち以下の意見を述べた。

表彰活動は、単なるイベントではなく、建築の文化的・社会的意義を確認するものであり、大きな意味を有する。不要不急ではなく、重要であり、また年度の賞は時機を逸すべきではない。JIAの活動においてもプライオリティは高く、JIAの社会的認知からしてもおろそかには出来ない。賞は、「適切な運営」と「継続性」により、その価値を担保すると言える。

また、暗い状況の中明るい話題を作り、前向きな姿勢を示すことで、建築界を励ます役割がある。そして、リスクが想定されるのは、感染症以外にも自然災害など同じであり、それらを過度に気にしていては、事業はできない。

実施に際して問題となったのは、現地審査と公開審査である。公開審査は、webでの議論や配信に多くの人が慣れたため、ほとんどハードルではなくなった。現地審査は、移動および現地での感染リスクが懸念された。よって、遠方の建築ほど審査が困難になる可能性が生じた。今年審査が叶わないものは、来年度にまわし、その際に不利にならないよう配慮することが確認されたが、遠方であるために審査が避けられる事体が起きうることが顕在化した。この原稿執筆時において、再度コロナの感染者数が急増しているが、11月までの期間は、予定していた現地審査はみな無事に行えている。今後どうなるかは予断を許さない状況にある。■

参考

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今村 創平 IMAMURA, Souhei
建築討論

いまむら・そうへい/ 建築家。千葉工業大学創造工学部建築学科教授。 早稲田大学卒。AAスクール,長谷川逸子・建築計画工房を経て独立。設計事務所アトリエ・イマム主宰。 建築作品に《神宮前の住宅》,《大井町の集合住宅》他。 著書に『現代都市理論講義』、訳書として『20世紀建築の発明』他。 JIA 理事, 表彰委員会委員長。