石井翔大『恣意と必然の建築 大江宏の作品と思想』

いま、大江宏の建築とその思想をみること(評者:藤本貴子)

藤本貴子
建築討論
Nov 3, 2023

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本書は、日光を原風景とする生い立ちから、モダニズムへの傾倒と懐疑、「混在併存」から「整合性」の追求へ、そして「あそび」、「恣意的必然性」の境地へと至る、大江宏の全人生を通じた作品とそこに込められた思想の変遷を辿るものである。

大江宏という建築家は、同級生の丹下健三と比べて知名度は高くなく、モダニズムから伝統建築、そして出所不明の様式建築のごとき意匠までを使いこなすその作風の広さゆえに、「分かりにくい」と評されることもしばしばある。石井氏は、一筋縄ではいかないその思想の変遷を、読みやすく、しかし決して大江の作品や言葉が持つ複雑さや説明が困難な部分を捨象することのない★1モノグラフとしてまとめあげた。大江の包括的な作品集や書籍はこれまでになく、著作も絶版である。そのため、本書は建築家・大江宏を知るための格好の入門書にもなりうるが、戦前から戦後にかけて建築に真正面から向き合った一人の人間の物語としても読める。それは、生涯に渡って迷いながらも時流に阿ることをせず、あくまでも自らの関心に従って建築を追求する姿である。その態度は率直といってもよく、むしろ大江を「分かりにく」くしていたのは、受け取る側の判断を曇らせる流行や時勢だったのではないかと思えてくる。ここに描かれているのは、現代を生きた等身大の偉人の姿、とでもいえばよいだろうか。先の読めない時代において、苦悩しながらも自らの信ずるものを見出し、形にしようとする大建築家の姿は、現在においても共感を呼ぶ。

本書で描かれる大江の軌跡において、核をなしているのは、第3章「近代建築に対する執念と疑念」における法政大学計画の詳細な分析だろう。戦後の混乱の中、1950年から始まった法政大学計画において、大江は53年館、並び建つ55年館と58年館、第Ⅱ58年館の4つの建物群を実現した。53年館は大江が宿願であった近代建築を実現させたもの、55年館は53年館の反省も踏まえつつも、合理性・機能性に基づいて設計されたものとされる。対して、初めての海外旅行経験(1954)を挟んで設計された58年館は、55年館に連続したものとしてそのファサードを踏襲しながら、随所に大きな違いがみられると著者は指摘する。著者が特に注目しているのは、ぎりぎりまで迷い抜いた末に変更された計画に込められた教育理念と、それを具現化した空間である。計画の過程で検討されていたシンメトリーと軸線が解体され、当初は軸線の中心に配置されていた総長室が東端に移され、その代わりに学生のための二層吹き抜けのオープンスペースであるホールが中心に据えられた。最終的に実現された学生ホールと和風庭園には、モダニズムに対して異質なものを差し込む意図があったという。それは、機能性や合理性を超えた、人間のためのモニュメントとしての空間だった。海外旅行の経験から芽生えた近代建築への疑念から、のちの「混在併存」に通ずる「多元的建築群」(p.115)が生まれたのである。法政大学計画は、大江宏のキャリアの始まりを告げるプロジェクトであったと同時に、迷いや「近代建築の教条から逸脱しようとする意志」(p.115)も含めて、その後の展開を予感させる様々な要素が含まれていた。

法政大学計画で成果を残したのち、大江は数多の学校建築を手がけていく。1962年には、学校建築に関する研究で博士号を取得している。大江宏が学校建築の第一人者であったということは、現在ではあまり認識されていない事実ではないだろうか。

このような、法政大学にも、建築史あるいは教育史においても重要な意義を持つ建築が、大学自身の判断によって解体されてしまったことは、残念でならない★2。

もちろん、本書で明らかにされる大江の人生が交錯する日本や世界の建築史の様々な断面は、法政大学計画以外も大変面白い。

例えば、戦時下の大江の活動である。大江は1938年に文部省宗教局保存課へ就職し、紀元二千六百年奉祝記念事業である國史館の造営に携わる(当時の背景として、國史館の屋根のデザインを巡る論争も興味深い)。この仕事に関連して、大江は自ら國史館のデザインを試みているが、その過程では、勾配屋根と陸屋根を同時に検討し、西洋建築にみられるヴォールトや双子柱などの要素も取り入れようとしていた。1941年に転職した三菱地所株式会社建築課で担当した三菱製鋼迎賓館では、モダニズムでも和風でもない、西洋風の様式建築を設計している。この時期の大江は建築界の表舞台に出ることはないながらも、既に幅広い表現への関心をみせていた。一方この頃、同級生であった丹下は、大東亜建設記念造営計画設計競技(1942)において、日本的な要素を抽象化したモニュメンタルなデザインで脚光を浴びる。このような態度の違いは、その後の二人のアプローチの違いをも予感させる。

また、先述の初の海外旅行で大江はフィリップ・ジョンソン邸を訪問しているが、著者は大江とジョンソンとの出会いを、両者にとって示唆に富んだ出来事であった可能性を指摘している(詳しくは本書を読んでいただきたい)。大江がジョンソンを訪ねた直後、ジョンソン邸にはゴードン・バンシャフト、ジョン・ヨハンセン、I・M・ペイ、ポール・ルドルフ、エーロ・サーリネンらが集まり、大江が感銘を受けたゲストハウスの見学をして、これからの建築について議論したという。マーク・ラムスターは、この1954年3月20日を「ポストモダニズムの運動の起源」(p.133)と位置づけている。この東西の建築家それぞれのその後の歩みを考えると、スリリングな歴史の交錯点だったといえる。

筆者は、現在大江宏資料整理に携わっている関係上、大江が設計した建築を観る機会にも恵まれている。法政大学小堀哲夫研究室が主体となって連続して行っている大江建築の実測調査★3にも協力しているが、大江建築には行くたびに新しい発見があり、まさに尽きせぬ魅力があることを実感している。九段下にある農水省三番町共用会議所(1956)は、法政大学計画と同時期に設計され、細い円柱が立ち並ぶテラスと薄いスラブが印象的な建築である。その中に嵌め込まれるように設えられた和室には、現場監理したサンパウロ日本館(1954)で大江が初めてその設計過程を体感し得た、師と仰ぐ堀口捨己からの影響が見て取れる。三田の普連土学園(1968)は、2度目の海外旅行(1965)で世界の多様性に触れた大江が、地中海建築とイスラム建築のイメージを投影した作品とされる。竣工当時は建築界であまり話題にならなかったようだが、同校に通っていた多くの卒業生が愛着を寄せている。回遊性を備えた親密な空間は、さまざまな学校建築の試みが見られる現在においても、稀有な到達点だろう。2021年に解体されてしまった茨城県公館(1974)は、近代建築の手法に則りながら様式や装飾による表現を更に追求した作品とされる。現代の素材と技術を使いながら、明治の洋館を彷彿とさせる気品が感じられた。

解体されるものがある一方で、大江建築は各所で使い続けられており、東京都内に現存するものも多い。そのうちのいくつかは訪れることも可能である★4。ぜひ本書を片手に大江建築を訪れてほしい。大江の思考の軌跡は単純なものではないが、「決して奇を衒っていたのではない」(p.198)ことがよくわかる。そこには皮肉めいた近視的な批評性は全く感じられない。大江の批評の対象はより広く、文明批評とでもいうべき視野の広さと懐の深さを備えている。本書で大江宏の思想の一端に触れることで、一見分かりづらいと思われるものが、どの時代においても率直ともいえる大江の探究の果てに具現化されたものであることがよく分かる。

本書は大江宏の全人生を辿るものだが、全体を通じて流れるトーンは一貫して瑞々しい。それは、大江宏自身が自らの達成に安住することなく、飽くまでも次なる展開を求めて進化し続ける建築家であったからでもあるが、このような大江の一面を過去から現在を通じて未来へと拓いたのは、石井氏の感性のなせる技だろう。理性的な検証と分析を基にしていながら、どこか大江が掬いとろうとした「雑物」(p.137)或いは「ロマン」(p.228)を感じさせ、読後に説明し難い余韻を残す。

石井氏が大江宏研究を始める契機となったのは、在学中の法政大学55・58年館の保存問題だったという。大江が大学という「コミュニティーの持つ迫力」を「現実の造型に高め」(p.111)ようとした、その建築とコミュニティから本研究が生まれたのであれば、建築を通じて手渡されたものが確かにあったのだといえる。その理念は形を変えて受け継がれ、今なお躍動していることを感じる。

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★1 石井氏は「短絡的な捨象に依拠した一元論」(p.2)に対して大江が一貫して批判的な立場を取っていたことを指摘しているが、大江研究におけるそのような態度を石井氏自身にも見て取ることができる。

★2 解体後の校舎計画についての石井氏による批判も参照(「継承すべきは何か:法政大学市ヶ谷キャンパス55/58年館」『建築雑誌』2019年7月号、p.30)。

★3 小堀哲夫研究室HPのプロジェクト参照。

★4 見学・施設利用可能な建築に、乃木神社梅若能楽学院会館香川県文化会館小平市平櫛田中彫刻美術館(大江設計の九十八叟院は一部分のみ公開)、仙北市立角館樺細工伝承館国立能楽堂 等がある。農水省三番町共用会議所は例年11月末の週末に一般公開されている。2023年は11/25・26に、申し込み不要で見学可能である。

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書誌
著者:石井翔大
書名:恣意と必然の建築 大江宏の作品と思想
出版社:鹿島出版会
出版年月:2023年3月

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藤本貴子
建築討論

ふじもと・たかこ/建築アーカイブズ。法政大学デザイン工学部建築学科教務助手。磯崎新アトリエ勤務後、2013–2014年、文化庁新進芸術家海外研修員として米国・欧州の建築アーカイブズで研修・調査。2014-2020年、文化庁国立近現代建築資料館勤務。