羽藤広輔著『白井晟一の伝統論と和室』

肉体的なものとしての建築の思考(評者:橋本圭央)

橋本圭央
建築討論
Apr 3, 2021

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羽藤広輔著『白井晟一の伝統論と和室』

本書は「縄文的なるもの」を中心とした伝統論などで知られる白井晟一に対するこれまでの捉え方と、白井自身の主張の間のズレを明らかにしながら、「書」と建築、およびそれらに共通する「形や意味を超えたもの」を読み解いたものである。

第一部では白井の「縄文的なるもの」を中心とした伝統論を、「弁証法的な過程を経て、形として表現されるものであり、形象として典型化されたものへ向かうこと」を重視した丹下健三による伝統と創造のあり方に対する考え、伝統と対決することが創造につながるとし「現代の生活に根差した建築の創造」を主張した池辺陽、西洋の建築との対比的な視点から民家について言及した吉村順三などの論と比較しつつ、白井の主張の論敵、およびそこで重視した点を明らかにしている。具体的には、堀口捨己を中心とする近代建築運動による「日本的なもの」の特質としての平面・構造の簡素明快さ、素材の美の尊重、無装飾などを体現した例として伊勢神宮正殿や桂離宮を称揚する、といった近代主義のフィルターを通した弥生的なものに偏重した伝統理解のあり方に対する批判である。こうした伝統理解を「当時謳歌されていたジャポニカと不倫な連繫をもっている、そそっかしい伝統論」とし、それらへの違った視点からの抗議としての「縄文的なるもの」であった白井の伝統論において重視された点は、縄文・弥生の対立構図のなかで「縄文」を推すことではなく、「創造の主体として、形象に惑わされず、いかに潜在力をつかまえることができるか」という考察にあったことを著者は明らかにしていく。

著者が指摘するように、建築意匠における「伝統」のあり方は近年注目されているものの、1950年代伝統論以降の集約的な議論がない現状に対して、白井の「縄文的なるもの」を中心とした伝統論をもとにした考察は学術的基盤の形成のみならず、今後の建築意匠の実践における「伝統」の捉え方において重要なものとなるように思われるとともに、本書において白井の「書」に関する考察に多くの紙面が割かれている点に注目したい。

白井晟一が希有でありながらも謎めいた建築家として位置付けられる理由のひとつとして、1960年頃から晩年に至るまで、1日の半分を「書」の習書に没頭としたという行為を理解すること、つまり「書」と建築の関係性を読み解くことの難しさが挙げられるだろう。

「書」を構成する漢字と建築の関係などにおいては、「国家の既得権を放棄し日本館を開放」し、建築というものを文字と同様に「表意性を組み立てる行為」だとして考察することなどを目的とした2002年のヴェネツィア・ビエンナーレ第八回建築展を企画した磯崎新、岡崎乾二郎による「漢字文化圏における建築言語の生成」をテーマとする展示、およびその後の両名監修による『漢字と建築』などがある(『漢字と建築』 磯崎新+岡崎乾次郎 監修、東京:INAX出版、2003年)。『漢字と建築』において岡崎は音声言語としての手爾葉(テニヲハ)の形式に言及し、展示における「1853-転倒された家型」では幾何学的図形がテニヲハ文法に従って変換されていく生成システムが示されているものの、同書において八束はじめが「建築は文字でもなければ、いわんや漢字ではないから、この等号が成立する見込みは正直薄そうに思えます」としている点からも両者を並列して考察することの難しさが窺える。

他方で、本書で明らかにされる白井の「書」への眼差しは、そこでの「字」の定義、「漢字」に対する考え方からも、「書」と建築の関係を肉体的な探究として捉えていることが特徴である。白井は「字」に関して、「書」と建築といった造形の最終的な表れ方の違いに依らない、造形の厳密さを学びうるものとしている。また、「漢字」の象形性に関連する人間の肉体的なものとのつながりについて言及しており、「書」は「即時の造形」を要する「俗世界の表象」であるからこそ、「書を書くこと」は、「弁証法的な実体としての書の空間をとおして、不断の対決によって、自身の肉質に叩き込んでいく修練」であるとする。こうした言説からおぼろげに見えてくる白井の思考を著者は伝統論と絡めつつ読み解き明確にしていく。著者曰く、白井の捉える「書」と建築は共通して造形であり、「その主体としての人間を通して、つながっているもの」であり、伝統論では「見る」ことにおいて、習書においては「書く」ことにおいて、「形や意味を超えたもの」をめざしており、そこには「形象や地域的由来に惑わされずに、対象の潜在力を普遍的に捉えようとする考え方」があるという。

このように本書の前半部では、白井の「書」と建築の関係が伝統論などを通して概念的にも明らかにされていくとともに、後半部ではより具体的な事例として、床の間の意匠の特徴、付書院の意匠における桂離宮の影響、天井の構成、付柱の意味などの考察が、白井の「書」への眼差しを引き継ぐようなかたちで進められていく。例えば床の間の意匠の特徴に対して、書道、茶道、花道、庭園などでも用いられている表現の分類法であるという真行草の観点に基づく分析が試みられている。同時代の建築家である堀口捨己、吉田五十八、谷口吉郎、村野藤吾の床の間と比較しつつ、その起源を「祭壇」であるとする白井の住宅作品における床の間のある座敷の空間は、「身廊的空間の正面に構成秩序の焦点」が置かれ、「落掛や柱等によって微妙に区分された側廊的空間を廃す構成」であることを明らかにするとともに、平面図上の空間区分を「落掛等天井の造りによってずらしていく手法」が認められることを読み解いていく。また、「書院の前身の健全な生活空間」をめざすべきものとし、まさに「書く場所」と白井がとらえた「付書院」の意匠に関しては、遺作である「雲伴居」の構想過程の内観のスケッチから、「書」とスケッチをつなぐような流れで分析がおこなわれている。さらには、白井の住宅作品の天井の構成から様々な断面形状によって変化が与えられていることを確認するとともに、その要因として「平面計画上の秩序に呼応した天井面意匠の切り替え」を明らかにし、付柱まわりの計画からは、それらが近代主義的な方法と一線を画した設計手法によるものであり、「左右対称性の志向、古典への関心、平面計画の秩序」などの意匠的要件の統合に寄与している点が指摘されている。

本書のこうした考察は、建築意匠の「伝統」に対する今後の理論的展開、和室の空間構成における分析方法の確立にくわえ、建築の根本に関わるであろう「形と意味を超えたもの」の普遍言語の形成の手助けとなると言えるだろう。

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書誌
著者:羽藤広輔
書名:白井晟一の伝統論と和室
出版社:中央公論美術出版
出版年月:2021年1月

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橋本圭央
建築討論

はしもと・たまお/高知県生まれ。専門は身体・建築・都市空間のノーテーション。日本福祉大学専任講師。東京藝術大学・法政大学非常勤講師。作品に「Seedling Garden」(SDレビュー2013)、「北小金のいえ」(住宅建築賞2020)ほか