翁長直樹『沖縄美術論 境界の表現 1872–2022』

国を立ち上げるように(評者:長谷川新)

長谷川新
建築討論
Aug 31, 2023

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沖縄の近現代美術史を概観する文章がこれまでもなかったわけではもちろんない。一般書でも、2014年に東京書籍から出版された『美術の日本近現代史 制度 言説 造型』には、「沖縄の美術--現在まで」(沖縄県立芸術大学教授・小林純子)という章があり、筆者もかつて多くを学んだ。

しかし、恐ろしいことにこの本は16,000円(税抜)もする。研究者であれば無理してでも買うべき本ではあるが、最初の一冊として勧めることは難しい。その意味でも、本書は戦前から現代までの沖縄美術を見通せる待望の一冊となっている。巻末には沖縄美術に関する用語集、年表、参考文献一覧もあり、まさに必携である。

さて、他の都道府県から「**の美術」という書籍がほとんどでていないことを鑑みれば、本書が刊行されたことは驚くべきことだと思われるかもしれない。だが、「沖縄」をたんなる日本の47都道府県のひとつ、あるいは一地域と見なすようではあまりに多くを見落としている。

タイトルにもあるように、本書の記述は1872年から始まる。これは、琉球王国が侵略され、大日本帝国の「琉球藩」として併合された年である。その後、1879年に沖縄県が設置されるが、それが意味するのは首里城の明け渡しと琉球王国の解体、そして国王・尚泰の東京連行であった(琉球処分)。

その後も、沖縄はアジア・太平洋戦争下において日本で唯一の地上戦が行われ、敗戦後も1972年までアメリカの施政下に置かれるなど不当で差別的な扱いを受けつづけた。そして現在もなお、全国の米軍専用施設の約7割が沖縄にあるという歪な状況に変わりはない。沖縄は絶えず、「日本」や「民主主義」や「平和」の維持という名目のもとで排除され、例外とみなされ、負担を押しつけられてきた。

本書を一読すれば、世間に流通している「日本(戦後)美術史」なるものが一部地域に著しく偏って編まれてきたということがわかる。もちろん、それぞれの地域にそれぞれの地域(美術)史があり、各地域の美術館・博物館・資料館の常設展に行くといつもそのことを思い知らされるわけであるが、いまはそういう一般論の話をしているのではない。日本美術と名乗っておいて、「沖縄の美術」を無視したり、あるいは周縁(コラム)でわずかに扱い「包摂」するというようなあり方は愚劣であると言いたいのだ。

本書は、翁長直樹(1951-)が40年近くにわたって執筆してきた文章を一部加筆編集の上で収録したものとなっている。収録された文章の中で最も早くに書かれたものは、画廊「匠」が1986年に刊行した『TAKUMI ART NEWS』の大浜用光展の批評である(「土・再生・カオス」)。この時期、翁長は中学校の教員を務めながら、同誌で毎月評論を執筆していた。

1995年に県立美術館建設のために文化振興課へと赴任した翁長は、数多くの展覧会を見続け、また自身でも企画しながら、美術館開館に向けて準備を進めることとなる。紆余曲折を経て2007年に沖縄県立博物館・美術館が開館した際には学芸員として着任、その5年後には同館を退職する。しかし、本書に収録されている批評には、退職以降に書かれたものも少なくない。こうした意味でも、本書は翁長直樹という人物が長きにわたって目撃してきた沖縄の美術の記録であると言えるだろう。

「一国のアイデンティティを立ち上げる気持ち」で「戦後沖縄美術史を「作り上げた」」(p.276)と書くように、翁長はその責任も危うさもすべて自覚した上で自身の仕事をやり切っている。「一国」とは比喩ではない。

本書は第一部「沖縄・美術の流れ」、第二部「作家論」と大きく分かれているが、この書評で個々の事例を紹介することはしない。まずは本書を手にとって、沖縄の美術史に分け入ってほしい。その上で書くならば、本書の史観の特徴のひとつには「1976年」の重視が挙げられる。

沖縄の「戦後」は日本本土のそれとは著しく異なる道を歩んできている。1972年の日本「復帰」や、1975年の沖縄海洋博開催(ベトナム戦争終結の年でもある)を踏まえれば了解できることではあるのだが、1976年が「一つのエポック」(pp.98–99)だとする翁長の指摘は重要である。しばしば70年代(の美術)は、60年代の政治の季節と、バブルを迎える80年代に挟まれた「退屈な時代」だと見なされがちであるからだ。

また本書では、その性質上、沖縄社会との絡み合いのなかで作家や作品を取り上げる形となっている(だからこそ第一部は「沖縄美術の流れ」ではなく「沖縄・美術の流れ」である)。本書に限らず、社会の趨勢から意識的に距離をおいた作家、あるいはおかざるをえなかった作家は言及の優先順位が下がってしまうことがある(あるいは政治的な作品だとしてもそこばかりがフォーカスされ作品の内実が単純化されてしまう)。

加えて、「1872–2022」とあるものの、本書の比重はやはり「戦後」に置かれている。さらに、琉球王国がかつて八重山諸島など離島の人々を差別し、過酷な税制を敷いていたことなど、「沖縄」も決して一枚岩ではない。

こうした指摘は周知のことであろうし、ヤマト(本土)の人間が軽々に言いたてるべきことではない。それでもここで言いたいのは、もっと踏み込んだ議論をしたい、すべきだと考え、実行している人々がいるということだ。

「入門」や「まず知ることから」を繰り返すだけではまったく足りないということは、翁長が作り上げた「沖縄美術」を受容した後続世代が誰よりも自覚的である。実際、展覧会にかぎっても、すでにさまざまな実践がなされ、作家や作品の紹介が進んでいる。今後の検証や議論のためにもまず土台が必要であり、だからこそ、本書の刊行は画期をなす。

遠からず当時を直接経験していない者だけの世界がやってくるが、悲観するには及ばない。国を立ち上げるようにして書かれた文章にあてられ、いてもたってもいられず沖縄行きの航空券を買う人がいることを願う。必読である。

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書誌
著者:翁長直樹
書名:沖縄美術論 境界の表現 1872–2022
出版社:沖縄タイムス社
出版年月:2023年3月

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長谷川新
建築討論

インディペンデントキュレーター。主な企画に「クロニクル、クロニクル!」(2016–2017年)、「不純物と免疫」(2017–2018年)、「STAYTUNE/D」(2019年)、「グランリバース」(2019年-)、「約束の凝集」(2020–2021年)など。国立民族学博物館共同研究員。robarting.com