荒川徹著『ドナルド・ジャッド:風景とミニマリズム』

さもなくばすべてに触れて(評者:奥泉理佐子)

奥泉理佐子
Oct 2 · 8 min read

流し台の上にあった小さな鏡は、向かい合った壁の模様を、50%の縮小で写し出していた(建築の原型をめぐる経験 / Steven Holl)

風景とミニマリズム。「風景」というものの汲み尽くせなさに対し、「ミニマリズム」は対極の言葉であるかのように見える。本書は、シンプルな美しさなどというイメージにわたしたちが固定しがちなミニマリズムという領域を、ドナルド・ジャッドの作品を中心に、彼が壁掛けの絵画から荒野に投げ出された立体を制作するまでの変遷を追いながら描き出していくものである。

荒川徹著『ドナルド・ジャッド:風景とミニマリズム』

ジャッドと並び扱われている作家はトニー・スミス、そして両者から影響を受けたロバート・スミッソン。三者を結ぶ軸は、高速道路、橋、ダム、兵器庫といった人工的風景へのやまない興味である。人の目を楽しませるために美しく設えられたものではなく、ただ世界の要請に応える機能として存在し始めたそれらの風景は、ミニマリズムの作品群に影響を与えてきた。著者の言葉を借りれば、「動かすことのできないその作品群を見るために、むしろ、われわれの方が動いて見に行く必要がある」。 著者・荒川徹は、対象とする作品群と風景との関係を語り出しながら、世界から切り離され沈黙する物体と捉えられがちな作品群の、世界と切り離しきれない矛盾に触り始めたのである。

1965年の批評文『Specific Objects』においてジャッドは 「現実は三次元空間である。それは、イリュージョニズムの問題と実際の空間、筆跡や色彩の周囲や内部にある空間の問題を取り除く」と語る。Specific Objectsは主に「特種な物体」と訳され、この時代に作られてきた絵画でも彫刻でもない三次元作品の傾向を指し示す。例として挙げられているのは、リー・ボンテクー、ジョン・チェンバレンなど、物性があり空間をも内部に含んでいるような「物体」たちである。たとえば押し潰された自動車のように量塊とエアリーさが共存するような物体は、三次元としてクリアではない★1。しかし、そこにあるのは見たままの素材の姿であり、平面に塗り重ねられた絵画が醸し出す奥行のような虚構の空間は存在しない。ジャッドが許せなかったものはおそらく、見たままの状態を越えて芸術がなにかを表現し出すことである。三次元に存在する物体は現実のものであるが故に、その問題を含まない。

しかし現実空間に存在する物体であったとしても、人間の知覚で受け取られる以上、その印象は不安定に揺れ動いていく。この揺らぎを括弧に入れず扱うことによって、本書における作品の読み解きは鮮やかに前進している。荒川の扱う世界は、遠くの物が距離の逆数に比例して縮小する世界である。人の動きや夜の暗さに応じて場所の見当識が侵食される世界である。物体がある距離から撮影された写真のように、作品として自律し結晶化し続ける世界ではない。そして、ジャッドにとっての世界もおそらくそうであった。

人間の知覚によって印象が不安定に揺れ動くこと。そのシンプルな形態によってむしろ観ている身体の側を現前化することとなったミニマリズムの芸術体験は、作品が観る者の経験や場に依存していて自律せず、自らが状況の中心であることを強要する演劇的なものだとしてフリードの批判を受けた★2。荒川はこの批判と、スミッソン、クラウスの論を受けながら、ジャッドの作品にまとわりつく観る者の動きや視覚との関係を分析していく。

ここで荒川は、作品記述において不可避的な複数の視点の体験、つまり、ある展示空間で作品を観るためには自らの移動する目が不可欠であるという事実が、絵画的イリュージョニズムや演劇性以前に現実の空間と結びつく問題であることを指摘する。現実空間に存在する物体が常に特定のパースペクティヴによってしか見ることができず、無数の同時には存在できない視点を含む以上、すべてはある意味でイリュージョンであり、事実とイリュージョンにはただ程度の差があるのみだと。ジャッドの作品における観者の経験は主題ではなく、不確かに知覚される現実空間に存在する物体が当然孕む一側面に過ぎないのだ。

現実空間と知覚の関係を扱うことの難しさは、建築におけるミニマリズムの論考を参照するとより腑に落ちる。『現代建築理論序説』(ハリー・F・マルグレイヴ+デイヴィッド・グッドマン)のミニマリズムの章によれば、それは1990年代に登場した静寂な傾向を持つ作品群であり、「 新しい素材とその感覚的な効果の開発 / 盛期モダニズムから譲り受けた建設的形態をシンプルなディテールでまとめる術 / 建築経験そのものの現象学的性質への興味 」を緩やかな共通項とすると書かれている。主に挙げられている建築家がヘルツォーク&ド・ムーロンであることからも、建築のあらゆる要素を括弧に入れた上で、知覚のされ方に今一度焦点を当てる態度だとされていることがわかる★3。しかし、ここで語られている現象学的性質への試みは、建物の上部に行くほど幅広になる繊維質パネルや、幾重にも重なるガラスのファサードによる輪郭の曖昧さなど、明らかに知覚を撹乱する効果を意識した操作ばかりである。

また、1994年の『A+U 知覚の問題:建築の現象学』におけるテキスト(スティーブン・ホール「建築の原型をめぐる経験」、ユハニ・プラスマー「七感による建築」)の大半は、視覚、触覚、聴覚、嗅覚など建築にまつわる多様な感覚を等しく語っているようでいて、それらを知覚する自身の身体に焦点が当たりすぎており、個人的且つノスタルジックな様相を帯びている。

わたしたちは自分の身体以外を起点に世界を見ることができない。また、いざ腰を据えて見ようとするまでは、現前している世界に対しあまりに無頓着である。この事実によって、現象学的性質を他者と共有すべき問題として扱おうと試みるほどにその操作はひとつの要素に焦点を絞ったわざとらしいものになり、個人的に反芻するときには、自らの感覚を起点としたささやかな思い出のような性質を帯びてしまうのだろう。ひとつの要素に焦点が当たった瞬間に作品は主題を持ち、ただそこに現前するものとしての存在の仕方から離れていく。その危うさは、ジャッドの葛藤への理解を助けるように思える。

キャンバス、展示室、建物、そして荒野へと作品の場を移行し続けたジャッドの試みは、頭の中にある純粋な理想の体現ではなく、いかなる場所でも作品と関係を持ち始めてしまう現実空間の「不純さ」とでも呼ぶべきものを、どのように作品に組み入れるかということと共にあったという。荒野に作品を設置した後、自らの死後も続く時間について彼はどう考えたのだろうか。コンクリートの量塊が地面にわずかに沈み込むことを彼は許せたのだろうか。ある場所に現前する以上、次々と現れる世界の事象と向き合わざるを得なかった物体であるジャッドの作品群は、もはや寡黙な結晶でも、完了した歴史でもない。

荒川は、ジャッドの半生と共に続いたこの長旅を、彼のデザインしたストレートチェアの話で締めくくる。身体に寄り添わず、腰掛けると身体の側が椅子になるような奇妙な快適さを持つというこの家具のエピソードは、ジャッドが試み続けてきた「不純さ」と向き合う方法 — 世界と関係を切ることが不可能である以上、ある物体を自律したものとするには寧ろ、どこかに焦点を絞ることのないよう物体に関わるすべてのものと等しく関係を持てばいい、とでも言うような — 身体・オブジェクト・空間が共鳴体として、異物的に共存する状態を象徴的に示している。

知覚は、相対的なものである。誰も情報のすべてを持っていない。(Lines and Shadows / Joan Jonas)

今いるこの場所の知覚に誰も成り替わることのできない世界で、自分の知覚さえも的確に語り切ることができない身体で、物体の現前を考え続けることの無謀さと愛おしさはきっと、この文章を読んでいるわたしたちがそれぞれに抱えているものと、すこし似ているのであろう。

★1:2019年9月15日に行われた荒川徹×沢山遼の刊行記念対談では、「Specific Objects」で取り上げられた作品たちについて、“それぞれが勝手な空間をもち、組み合わせたときに異世界が共存するような”という表現が繰り返し用いられていた。
★2:「観者ではなく客体が、その状況の中心もしくは焦点にありつづけていなければならない。しかしその状況自体は、観者に所属している − それは彼の状況なのである」(マイケル・フリード「芸術と客体性」『モダニズムのハード・コア:現代美術批評の地平 批評空間 第2期臨時増刊号』収録)
★3:
ミニマルなデザインで有名な建築家というとジョン・ポーソンなどが挙げられるが、『現代建築理論序説』(ハリー・F・マルグレイヴ+デイヴィッド・グッドマン)のミニマリズムの章では、最小限主義的な作風だけでなく、現象への果敢な挑戦が含まれるプロジェクトに多くの紙幅が割かれている。

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書誌
著者:荒川徹
書名:ドナルド・ジャッド:風景とミニマリズム
出版社:水声社
出版年月:2019年8月

建築討論

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奥泉理佐子

Written by

1994 年生まれ。専門は、建築設計・制作。合同会社sunayama studioアシスタント、AS+ROとして添田朱音と共に作家活動を行う。主な作品に「dégager’」(2017)、「attempt vol.5」( AS+RO, 2019)、大岩雄典個展「slowactor」(2019) 会場構成。

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