解説|コンテナ町家考、あるいは街区のリノベーション

055 | 202105 | 特集:建築批評《コンテナ町家》/ Explanation : Thinking about Container MACHIYA or Block Renovation

文山達昭
建築討論
May 3, 2021

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路地を巡って

旅先では路地を好んで巡るようにしている。表通りからは伺えない濃密な暮らしぶりを垣間見ることができる、あるいは地元ならではの良い飲み屋があるといった個人的な嗜好もさることながら、その都市やまちを知るうえで路地はひとつの指標になりうると考えているからである。

路地は、建築基準法では「みなし道路」あるいは「非道路」という曖昧な位置におかれ、建築行為を行うに当たっては様々な制約を受ける。また、狭小な敷地が多く、表通り側に比べると開発圧力もさほど高くない。これらがあいまって、多くの路地は都心の既成市街地内に位置しながらも空間の変化は緩やかである。いわば時間的変化に対する緩衝装置として路地はある。それと同時に、空間的には都市や街区を文字どおり縫うように存在する動かしがたい都市組織として都市・街区の構造を支えている。そしてまた、路地の多くは私道であり建築基準法をはじめとする公的な制度の埒外に置かれているからこその自由があって、植栽や物干し台などの滲み出しやコモン的な空間利用が実践され続けてきた。それらの特性を知ったうえで路地を経巡れば、その都市やまちの歴史的変遷や今日的状況を体得することができる。

京都都心部の路地

そうした路地の特性が明快かつ顕著にあらわれているのが京都都心部の街区だろう。条坊制によってグリッド状につくられたオモテの通り。その通りに面して町家が隙間なく、規律正しく建ち並ぶ。その一方で、グリッドの内側はウラとして自由な空間が展開する。フォーマルとインフォーマル、タイトとルース、パブリックとコモン。街区のオモテとウラでは鮮やかな対をなす。それが京都都心部の街区構造であり、その構造を成り立たしめてきたのが都市組織としてのオモテの町家とウラの路地である。

だが、戦後以降、町家も路地も消失の一途を辿ってきた。とりわけ路地の消失は深刻である。バブル崩壊直後、地価が下がり、京都都心部でマンション市場が活性化する。路地に面する敷地がオモテの敷地と合筆され、街区の奥に巨大なマンションが出現する。当時は至るところでマンション建設を巡って紛争が起きていたが、住環境問題もさることながら、路地の消失は歴史的な街区構造にとって二度と取り戻すことができない不可逆的な変化を与えることになる。

行政からのアプローチ

こうした事態に対し、京都市行政は何をしてきたか。路地が失われる要因のひとつに建築規制の問題がある。路地奥の敷地は、いわゆる接道不良地であり、それを有効活用しようとすれば周辺の敷地と統合し接道を確保するほかない。この問題を解きほぐすため、1999年、建築基準法改正によって導入された連担建築物設計制度を路地に適用するための基準を整えた。これは、建築規制上、個々の敷地を群として扱うものである。また、やや期間が空くが、2012年には先述の連担建築物設計制度を含め様々な規制誘導策を路地の保全・再生のために体系化した「京都市細街路対策指針」の策定、2016年には市民からお気に入りの路地を募る「大切にしたい京都の路地選」の実施、そして2018 年にはコンテナ町家の建築家を編集メンバーのひとりとして迎えての「路地保全・再生デザインガイドブック」の発行など、様々な施策を打ち出してきた。

これら一連の施策の目的は、路地の防災安全性の向上、空き家問題への対応、景観の保全といったことが行政的には挙げられようが、それらすべてに携わってきた者として個人的な思いをいえば、都市組織としての路地を空間として保全し、そしてそのことによって京都の歴史的な街区構造を維持継承することこそにある。

コンテナ町家を記述する

さて、前置きが長くなったが、コンテナ町家についてである。

まずは立地から見てみたい。敷地は二条城から南東へ約270m、堀川御池の交差点から一歩入った平安京グリッドが色濃く残る、いわゆる「田の字」エリアの北西隅に位置している。高さ規制は31m(2007年の新景観政策以降、京都市では最も高い規制が31mである)、その一方で景観規制は町家との調和を旨とする「旧市街地型美観地区」に指定されており、勾配屋根や軒庇の設置、3階以上のセットバックが求められる。規制上は都心街区における「ガワ」と「アンコ」の狭間にあるといってよく、じじつ、敷地の南側隣地には高さ31mの高層マンションが立ち、さらに少し南へ行けば、高さ規制が15mに切り替わり、町家や中層のマンションが立ち並ぶ街並みが続く。このような敷地にあって、しかも「田の字」エリアの地価が上昇し続けるなか、規制の範囲で目一杯建てるのではなく、低層のプロジェクトを提案した建築家とそれを受け入れた建築主にまずは敬意を表したい。

続いて、建築についてはどうか。景観規制に対しては、特に抗う構えを見せるのではなく、指定された勾配と軒の出を持つ切妻屋根を表通りに対して平入で架け、ファサードは書割的な木製ルーバーで全面を覆う。そして、その前面にはこれも指定どおりの寸法や勾配を持つ軒庇を取ってつけたように付す。強いて挙げるなら、複雑な断面構成を持ちながらも建築基準法上は2階建てに納めることで、この建築家が以前から嫌っている3階以上のセットバック規定からさりげなく身をかわしていることにある種の意地を読み取ることができるものの★1、ともあれ全体的に見れば外観について建築家の拘りはないようにさえ見える。

その一方で、内部の空間は ──── この建築においてどこが内部かという問題はあるが ──── 実に複雑かつ豊かである。床のレベルを変えながら外壁のないドミノシステム的に構築されたスケルトンに既存の長屋とそれに近しいスケールを持つコンテナをインフィルとして重層的に挿入する。長屋とコンテナはユニットとして等価のように見えながらも、長屋は2階建てであった痕跡を残すことでスケルトンとインフィルが入れ子構造的な様相を呈している。そして、それらユニット間の隙間を縫うように路地的な空間が既存の路地とシームレスに繋がりながら立体的に展開する。それら路地的空間は、視覚的・空間的に敷地境界線を超えて街区のウラへと繋がっていく。

思い起こせば、この建築家の実質的なデビュー作といえる「京都型住宅モデル」(2007)も同様の構成とコンセプトでつくられていた。勾配を持つ平入の切妻屋根、全面を木格子で覆うファサードにより景観規制に素っ気なく応じつつ、内部は細かなスキップフロアで変化に富んだ空間とする。そして特筆すべきは、ウラ側に空地を設け、オモテ−ウラの空間構成が隣地へと連担し、さらには街区へと拡がっていくことを ──── 理念的にではあるが ──── 企図して構法的な工夫もなされていたことである。

しかし、両者では大きく異なる点もある。ひとつは立地である。京都型住宅モデルは鴨川の東側、いわゆる洛外に位置するのに対し、コンテナ町家の敷地は先述のとおり洛中の象徴である「田の字エリア」にある。京都にとってその差異は大きく、喩えるならば、京都型住宅モデルがシャドーボクシングだとするとコンテナ町家は相手側のホームに乗り込んでの本番の対人戦といえるだろう。ふたつめはそのスケールにある。敷地レベルに留まっていた京都型住宅モデルに対し、コンテナ町家は既存の長屋を内側に抱えつつ複数の敷地からなる路地全体を立体化しており、街区への接続が理念的なレベルから具体的なレベルへとシフトされている。また、細かく見れば屋根の架け方の違いもある。京都型住宅モデルは町家マナーに基づき平入の切妻大屋根で全体を覆っていたが、コンテナ町家は通りに対して平入を連続させるのではなく、奥のほうは90度振り街区のウラに対して妻入りとしている。町家保存派からすればオモテ・ウラいずれに対しても平入にすべきであって、これは禁じ手のように言われるだろうけれど、しかしだからこそ、敷地を越えた街区裏へのつながりを視覚的・形態的により強いものにしたいという建築家の意志をそこに読み取ることができる。

街区のリノベーション

最後に、本稿のタイトルにも付したリノベーションについて考えてみたい。リノベーションとはなにか。既存の建築物に手を加え、新たなプログラムや価値に向けてその空間を再生すること、あるいはまた、既存のものがもつ潜在化してしまった価値や特性をあらためて顕在化させること。概していうと、そのように定義できるだろう。じじつ、それら両面を巧みに使い分け、ときに重ねながら、建築家は数多くの町家改修を手がけてきた。

コンテナ町家それ自体は法的には新築扱いである。しかし、路地そして街区の拡がりにおいて見るならば、まさにそのようなリノベーション的行為として捉えうるだろう。リノベートされた長屋を含み、路地が立体的に拡張される。そのような空間が新たに街区内部へ挿入されることで、オモテとウラから成る街区構造があらわになり、とりわけウラは普段目にすることのできない相貌を見せる。いわゆる京都らしさとは無縁のウラに拡がる自由な光景を見て、個人的にはアジアに通底するものを感じたりもした。街区のリノベーション。京都の街区にとってコンテナ町家が指し示す射程は長くて広い。

★1 ─── 京都市では美観地区において3階以上の外壁を2階以下のそれから90センチメートル以上セットバックをすべきとの規制を古くから設けている。この規制は主に2階建てである町家との景観上の連続性を意図したものであり、じじつ、オモテ側の通り景観の保全・形成という点ではそれなりの効果をあげてはいる。しかしその一方で、建築ヴォリュームを街区のウラ・オク側に追いやることで「表高裏低」の街区構造を毀損する方向に作用しているのではないかというのがコンテナ町家の建築家が有する問題意識である。この問題意識には筆者も全面的に賛同するものの、この国の都市において、商業地域としてある程度のヴォリュームを許容しつつ、オモテとウラの両面を調整し街区構造を保全できるような景観的・都市計画的なルールがありうるかというのは極めて悩ましいところである。

中高層ビルに囲まれて長屋の混在する旧市街の街区中央(Yohei Sasakura)

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文山達昭
建築討論

大阪市生まれ。1992年京都大学大学院工学研究科修了。建築設計事務所、デザイン会社勤務等を経て、京都市役所入庁。京都市では、公共建築の企画設計、各種都市・建築ルールの制定、景観政策等に従事。京都大学非常勤講師。共著に『都市を予約する』(都市アーキビスト会議/IoUA編)など。