解説|タイ中部での洪水と共存するための建築的手法

岩城考信
建築討論
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13 min readJan 31, 2020

[202002特集:建築批評《チャウドックの家》―東南アジア浸水域の建築 -近代化の境界線上からの視座- ]DESCRIPTION : Architectural methods to coexist with floods in central Thailand

タイ中部の洪水の特徴と高床式住宅

タイ中部では、南北に流れるチャオプラヤー川を中心に水路に沿って住宅が並び集落が形成され、水路の結節点にマーケットタウンや都市が発展してきた。このチャオプラヤー川流域には、上流に降った雨によって雨季の終わりに水路が氾濫し洪水となり数ヶ月の間、水没する地域がある。そこでは伝統的に住宅を高床にすることで人々は、洪水と共存しながら生活を営んできた(写真1)。

写真1 洪水時のバーンバーン地区の様子

ただし、タイ中部の洪水を日本のものと同じと考えてはいけない。タイ中部の洪水では、水は緩やかに氾濫する。これはチャオプラヤー川とその流域に形成された土地の勾配が1万分の1と非常に緩やかなためである。そして、地盤高の高低差が少ない平坦な土地であるので、洪水時に数ヶ月と長く水没する場所もある。

タイのチャオプラヤー川の上流域では、1960年代以降にプーミポンダムなどの建設が進み、貯水力や治水力が飛躍的に高まった。また、チャオプラヤー川の最下流に位置し、人口800万人を抱える巨大都市バンコクでは2000年代以降、チャオプラヤー川沿いにコンクリート堤防を建設したり、地下に巨大な排水路を設置したりすることで、洪水への対応力が大幅に向上した。そういった洪水用のインフラ建設による治水力の向上著しいタイにおいて、2011年9月から発生した大洪水(以下、2011年大洪水)は衝撃的であった。100年に一度の大雨によって、巨大な貯水力を持つダムは機能を停止し、タイ中部において多くの道路や工場のみならず、バンコクのドーンムアン空港までもが水没し、近代的な都市機能の一部は数ヶ月にわたり停止し、多くの死者もでた。

ただし、タイ中部の高床式住宅の中には、2011年大洪水時にも、ほとんど建築的な被害を受けなかったものもある(写真2)。そこには洪水と共存するためのいかなる建築的な手法があるのだろうか。ここでは、バンコクから北に70キロほどに位置し、現在もほぼ毎年洪水が発生するアユタヤ県のバーンバーン地区での洪水と共存するための建築的手法を紹介したい。

写真2 バーンバーン地区の高床式住宅

伝統的なタイの高床式住宅には、大きく2つの特徴がある。

1つ目は、チャーンと呼ばれるテラス空間を中心に、ラビアンと呼ばれるベランダ空間を前面に持つ形式化された棟が複数配置される分棟式の高床式住宅であることである。チャーンとは棟と棟を繋ぐ人工地盤であり、ラビアンとは寝室や仏間の前に配置された庇下空間であり食事から就寝まで多目的に利用される。また、チャーンとラビアンの間には、20から50センチメートルほどの段差がある(写真3)。

写真3 チャーンとラビアンの間の段差

2つ目は、遺産相続や売買に応じて容易に解体・移築ができるように、部材が簡単な仕口や込栓によって接合される独自のプレファブ工法で造られていることである。ちなみに、バーンバーン地区では、住宅の移築は洪水を待って実施されてきた。乾季に住宅を分解し、部材を筏に乗せておき、洪水を待ち移動することで労力を軽減してきたのである。

バーンバーン地区に代表されるタイ中部の人々の洪水対策は、単に高床式住宅を建設するだけではない。そこには日常的な洪水を想定した集落の立地から住宅の床高、そして想定外の洪水時の住宅の改造といった、洪水と共存するための様々な建築的手法がある。それらについて具体的に見ていこう。

洪水常襲地域の集落立地の3つのタイプ

毎年洪水が発生するバーンバーン地区では、近年建設されたRCラーメン構造の住宅を除けば、伝統的な住宅は、高床式住宅である。そして、高床式住宅の立地する集落には、大きく地盤高の異なる3つのタイプがある(図1)。

図1 バーンバーン地区の3つの集落の立地(Royal Thai Survey Department, 2006, Amphoe Phak Hai 5037I, 1:50000, Bangkok.をもとに伊達千尋氏作成)

1つ目は、幹線水路に沿って、沖積土が堆積し形成された自然堤防の上に立地する自然堤防集落である。ここの地盤高は、最も低い集落と比べると1メートルほど高い。幹線水路沿いの自然堤防の上には多くの高床式住宅や寺院が並び、そこから内陸へと緩やかに土地は下り、低地には集落の人々の田圃がある。

2つ目は、幹線水路から内陸へと続く、支線水路沿いの地盤高が低地の集落より24センチほど高いところに形成された、微高地集落である。ここには集落の中心に寺院が立地し、集落周辺の低地には、人々の田圃がある。

3つ目は、内陸部のそもそも田圃であった低地に土盛りがなされ形成された、低地集落である。バーンバーン地区の集落の中で最も地盤高は低く、それゆえ洪水時には最も深く水没し、水捌けも最も悪い。低地集落の人々は、田圃を所有しておらず、周辺の自然堤防集落や微高地集落の人々の所有する田圃の手伝いや小作によって生計を立ててきた。

これら地盤高が最大で1メートル、最小で24センチメートルも異なる3つの集落の高床式住宅では、興味深いことに、床高はおよそ2から2.2メートルほどと共通している。このバーンバーン地区における高床式住宅の床高の共通性は、毎年の洪水の経験と田圃から吹く強風による揺れを考慮した結果である。それゆえ、立地する集落の地盤高に関わらず、高床式住宅の周辺には屋敷林としての樹林や竹林が配置されている。この屋敷林は強風と洪水時に外部から流入する漂流物から高床式住宅を守り、食卓に筍などの食材を提供するのである。

続いて、3つの集落ごとに、地盤高の違いが生み出す洪水と共存するための建築的手法の多様性を見ていきたい。

バーンバーン地区での洪水と共存するための建築的手法

まず、自然堤防集落の高床式住宅の床上と床下の空間を見ていく。床上空間では、コンセントは床面から1メートル以上も上に設置される。これは、床上浸水した際に感電しないための工夫である。床下には、常時2隻ほどの小舟が置かれ、それらは洪水時に利用される。このような洪水対策は、地盤高の異なるすべての集落で見られる。

バーンバーン地区には住宅以外にも高床式の建物が存在した。それは、高床式牛小屋である。バーンバーン地区は、タイ中部の他の地域と比べて、洪水時の水没期間が2から3ヶ月ほどと長い。それゆえ、田起こし時に棃を引かせる牛の小屋も高床式となっていた。自然堤防集落では、現在は田起こしにトラクターを利用しているものの、1980年代前半までは、牛が利用されており、世帯ごとに4から8頭ほど飼育していたのである。現在、それら高床式牛小屋は、倉庫や台所、居室として再利用されている(写真4)。

写真4 スロープのある高床式牛小屋

微高地集落でも、自然堤防集落と同様に、屋敷林、高床式住宅と高床式牛小屋といったもので洪水に備えてきた。ただし、自然堤防集落よりも75センチメートルほど地盤高が低い、より水没しやすい土地のため、敷地の一部を小山のように数メートル盛り上げる、コークと呼ばれる塚の建設がよく行われている(写真5)。コークの建設は、住宅裏の所有する田圃の土を掘り、それらを土盛りして行われる。土を取った窪地は、魚などを飼う池として利用される。1980年代から本格化するコークの建設は、田起こしに牛を使うのを止め、トラクターといった農業機械を導入したことと関係している。1980年代以前は田起こしのために、世帯ごとに4から6頭の牛を飼っており、そのため各住宅には高床式牛小屋が併設されていた。そして、ここでは必要なくなった高床式牛小屋の多くは、解体され建材として再利用されたり、物置や台所などに転用されたりしている(写真6)。

写真5 コークと高床式住宅
写真6 台所に転用されたスロープのある高床式牛小屋

また、1990年代後半には、タイの灌漑局によって、幹線水路から内陸側の微高地集落や低地集落を囲むように広大な輪中が建設された。輪中の上部は洪水時に水没しない幹線道路となり、輪中の内部は大洪水時にバンコクなどの下流の都市域を守るために利用される、巨大な遊水地となった。こうして輪中内に立地するようになった微高地集落では、大量の放水によって、洪水の頻度、水没時の深さや期間は増大することとなり、各世帯でコークの建設は頻繁に行われるようになったのである。

3つの集落の中で、最も地盤高が低い低地集落でも、屋敷林と高床式住宅によって洪水に備えてきた。ただし、低地集落には高床式牛小屋やコークがほとんどないという点が、前述した2つの集落と大きく異なる。これは、低地集落の人々が、田圃を所有しておらず、他所の田圃の日雇い労働や小作、都市部への出稼ぎによって生計を立ててきたからである。それゆえ自然堤防集落や低地集落と比べると、世帯収入は少ない。地盤高がより高い2つの集落への入植時期に比べると、地盤高が低い低地集落への入植は遅かったと考えられる。つまり、低地集落の先人が入植した時期には、田圃となる土地や集落を形成するための好条件の土地はバーンバーン地区に残存しておらず、それゆえ田圃を持てず、洪水時の居住環境の悪い低地に集落を形成することになったのである。

また、低地集落にほとんどコークがない背景には、集落の人々がそもそも田圃を所有していないため農業機械を必要とせず、他所から土を購入したり土盛り時に重機を賃借りしたりする費用が大きな経済的な負担となることがある。

想定外の洪水への柔軟な対応

ここまでは想定内の洪水と共存するための建築的手法を見てきた。続いて、100年に一度の大雨によって発生した想定外の、2011年大洪水時の建築的な対応を集落ごとに見ていこう。

2011年大洪水時も、自然堤防集落では、ほとんどの高床式住宅は床上浸水することはなかった。ここでは、2011年大洪水に対しても、高い地盤高と通常の床高で、水没しない居住空間を十分に確保できていた。ただし、車やバイク、農業機械は、1990年代に建設された輪中上の幹線道路や、近隣の自然堤防上にある寺院に急遽建設されたコークへと移動することで水没を回避した。

微高地集落では、2011年大洪水時に、多くの住宅が床上浸水した。ラビアンの床面から20センチメートルほど水没した住宅もあった。通常の洪水を想定した床高では、床上浸水を防げなかったのである。ここでは多くの人々が近隣の水没しない寺院などへ避難したものの、各家では1名程度が火事場泥棒を警戒して、ラビアンの上に、普段は床下で利用している高さが50センチメートルほどの竹製の台を移動して、そこに簡易的な居住空間を確保して生活していた。

低地集落の高床式住宅では、微高地集落よりも深く床上浸水した。ただし、低い地盤高を自覚する人々は、2011年大洪水の浸水前に、大工を雇い床板の一部を取り外し、床から70センチメート以上の位置で柱と柱の間に簡易的な大引きを取り付け、そこに新たに床を設置する仮設工事を行った。こうして、生み出された人工地盤の上に、火事場泥棒への対策として1名程度が残り、居住していたのである。そして、水が引いた後は、床板はもとの場所へと戻された。

このように、2011大洪水時のバーンバーン地区では、地盤高が最大で1メートルほど異なる集落ごとに、それらの高低差に応じて、柔軟に対応をしていたのである。

タイ中部の洪水と共存する建築が示すもの

これまで、タイ中部のバーンバーン地区での洪水と共存するための様々な建築的手法を見てきた。そこでは、これまでの経験をもとにまず地盤高のより高い土地に、床高2メートルほどの高床式住宅を建設することで、洪水時に水没しない人工地盤を確保してきた。また、それらを屋敷林で囲むことで、強風と洪水がもたらす漂流物から居住空間を守ってきた。さらに、床上では浸水に備えてコンセントの位置を高くし、床下には船を配置するなど常に洪水に備えた暮らしを営んできた。そして、かつては住宅のみならず、牛小屋にも高床は用いられてきたのである。

1980年代から90年代に入り、農業や周辺インフラの変化に応じて、人々の洪水対策も変化していく。80年代の牛からトラクターへの田起こしの変化は、重量のある農業機械を洪水から守るための、敷地に土盛りしたコークの建設を生み出した。また、90年代の政府による輪中の建設は、洪水時の輪中内における水没期間の長期化に繋がり、人々のコーク建設を推進した。

一方、通常の洪水規模を超える2011年大洪水で、床上浸水が発生した高床式住宅では、地盤高に基づく浸水度合いを考慮した上で、単に床上に脚の高い台を設置したり、床の一部を持ち上げたりする仮設工事で、柔軟に対応しながら居住していたのである。

2011年大洪水以降、政府はさらなる大洪水に備えタイ中部において、遊水地の貯水力の強化や新設、また幹線水路沿いのコンクリート堤防の建設など、洪水と戦うための近代的な防災システムの構築を進めている。そこには、これまで報告したバーンバーン地区の人々が個人で柔軟に実践してきた、洪水と共存するための減災のシステムは、組み込まれていない。タイ中部で実践されてきた高床式住宅を中心とする伝統的な洪水対策は、個人で行えるものであり、また社会や経済の変化、想定外の大洪水にも十分に対応し得るものであった。同様の東南アジアの浸水域においても、このような伝統的かつ近代的な洪水対策を組み合わせた、新たなシステムの構築が重要となることは間違いない。

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岩城考信
建築討論

いわきやすのぶ/1977年 大阪府生まれ。専門はアジア都市建築史。法政大学大学院工学研究科博士課程修了。博士(工学)。現在、呉工業高等専門学校准教授。主な著書に『バンコクの高床式住宅―住宅に刻まれた歴史と環境』(風響社)がある。